エスニック・クレンジング

 村長の自宅には、既に村の長老たちが集まってくれていた。早速、アキラ大介ダイスケは温かな歓迎を受ける。昼食にはまだ早い時間だったが、自然にパンとお茶、そして果物が出た。夜は羊を一匹潰して、もてなしてくれるそうで、これは村では最大の御馳走という話だった。

 明の取材はまず、村の暮らしや文化から入った。

 戦場記者とはいえ、それだけで飯を食える人間は少ない。こうした些細な事もルポタージュとして書き記して、明はなかばその日暮らしのような生活をしている。大介もまた、日本にいる間は空いた時間を利用して、グラビア雑誌のカメラマンをしていた。

 歌や踊り、そしてアラーへの信仰心……純朴じゅんぼく牧歌的ぼっかてきな、どこにでもある村だ。

 だが、話題が中華神国ちゅうかしんこくに移ると、長老たちの顔は一変した。

 村長も滅入った顔で小さくつぶやく。


「政府の手引で、次々とこの土地が開拓されているのじゃ。漢民族が入植して都会となり、若者たちは皆そこへ行ってしまう。都会で働くためには中国語が必要になり、そして村には帰ってこなくなるのですじゃ」


 戦争の武器が銃と大砲だけとは限らない。

 これもまた、国民の移住を使った文化的な侵略と言えよう。中華神国は新疆しんきょうウイグル自治区が『一つの中国』であることを前提に、多くの民を送り込んで内部から既成事実きせいじじつを積み上げようとしている。そして、それに対してデモを行えば、武力で鎮圧されて殺されるのだ。

 明は村長の娘、カシムの姉のことを思い出していた。

 そして、長老たちの一人が話しかけてくる。


「ワシらは学がないし、難しいことはさっぱりわからん。ワシらは先祖代々のこの土地で満足している……どうしてそっとしておいてくれんのじゃ。記者さんは見たところ、ワシらより何倍も賢そうに見える。少し、事情をわかりやすく説明してもらえんじゃろうか」


 大介も同じような目で、明を見詰めてくる。

 その問いに対する正解は、恐らく、ない。

 単純な善悪で語れぬ問題でもあるし、複数の要素が複雑に絡み合っている。その全てを説明しても、老人たちは理解できないだろう。当然だ、彼らは羊を追う術や星でこよみむ技を持っていて、それぞれが偉大な賢人で、この草原に暮らす民が敬う先達なのだ。

 少し迷ったが、明は自分でも整理しながら話し始める。


「まず、四千年前は中国は、世界に名だたる超大国、一大文明圏でした。昔はとても発達した先進国だったんです。それが……十九世紀の産業革命以降、近代化に乗り遅れて後進国へ転落。その時の政治腐敗もあって、欧州列強の侵略と植民地政策にあっています」


 世界の名だたる大国が、競って中国の権益を奪い合った。機械科学文明を手に入れた大国にとって、まだまだ中世の時代だった中国は狩場でしかなかったのだ。

 勿論、遅れて日本も中国から搾取する道を選んだ。

 そこにも複雑な理由があるが、侵略戦争だということは明らかだ。

 そうした歴史背景を前提において、明には一つの持論がある。


「つまり、中国はここ数百年で見れば……『』なんです」


 流石に長老たちは、顔を見合わせ渋い顔をする。当然だ、自分たちを弾圧する者たちが、かつては弾圧される側だったと言われてもピンとこないだろう。

 だが、この話には続きがある。


「そして、中国は世界大戦のあとで戦勝国側になり、近代化にようやく着手してこう思った……『今度はいじめる国になって当然だ』と。しかし、人類は国際連盟等の働きもあって、既に軍事力による野蛮な帝国主義を悪徳とする時代になっていたのです。ですが、中国はそれに応じられない。やられ損は嫌だ、次はやる側になりたいという訳ですね」


 理由は勿論、そんなに単純ではない。中華思想の存在もあるし、当時の中国共産党政権が保身のために敵を必要としていた背景もある。新疆ウイグル自治区に埋蔵されたウラニウム等、資源の問題も絡んでいると言われるが、さだかではない。

 だが、この長老たち、そしてこの村には全て関係がないことだ。

 この人たちは昔から、ここで静かに暮らしてきたのだ。

 しばしの沈黙の後、村長が重い口を開く。


「……ワシが若い頃は、ISアイエス、イスラミック・ステートというテロ組織が活動を激化させておった。連中はイスラムの名を騙る背教者はいきょうしゃ、イスラム教徒ではないのじゃ」

「ええ。後年の研究と検証が進み、今では世界共通の認識として、IS、教義に名を借りただけの存在だと言われています」

「イスラムの教えは、寛大かんだいないたわりと慈しみの精神があればこそ……親が子を爆弾にするようなことがあってはならん。世に神がアラーのみという、ただそれだけのことを押し通すために罪を犯す道理はないんじゃ」

「確かにISには、狂信的なイスラム教徒もいました。でも、多くは経済的に貧困な、学力も技術もない者たちの『俺が貧乏なのは西洋人が悪い』と騙されてのテロだったんですよ。ただ、それも一つの真理で、中国同様に中東もまた、大国に搾取され過ぎました。そして……ISが暴れまわったことで、今の中華神国の政府がかつてなにをしたか……」

「イスラム教への弾圧を強め、イスラム教徒というだけでウイグル族は全てを奪われた。奪われて尚、今も奪われ続けておる……他の村は焼き払われた場所もあるのですじゃ」


 悲惨な歴史を紐解ひもといていた、その時だった。

 突如、外の空に轟音が響く。

 この腹に響く重低音は、低空で侵入する軍用機だ。簡素な屋敷はビリビリと震え、床の絨毯じゅうたんに置いた茶碗や皿も揺れ始める。

 驚く老人たちの前で立ち上がった大介が、窓に駆け寄り振り向いた。

 その表情は、既に血相を変えた驚きに冷たく凍っている。


「むっ、むむ、武藤さん! 政府軍です! 落下傘降下……レヴァンテイン部隊だ!」


 駆け寄る明に場所を譲って、大介はまたも空を見上げる。

 老人たちも集まり、皆で狭い窓から仰いだ空には……沢山のパラシュートが開いていた。兵員輸送車や装甲車は少なく、多数がレヴァンテインだ。その数、ざっと二個中隊……この規模の村なら、ものの一時間で灰になる兵力だ。

 あっけにとられていると、窓の明るさが突然遮られる。

 激震に揺れて倒れそうになる中、明は見た。

 目の前の通りに突然、巨大な鉄の機神が舞い降りていた。

 パラシュートを切り離して捨てる姿は、間違いなく中華神国の正規軍だ。


「皆さん、外へ! 避難して、早く!」


 真っ先に正気を取り戻したのは明で、次は大介だった。

 明が村長と長老たちを立たせてる間に、大介が裏口の扉を開く。

 老人たちは腰を抜かしたり、その場で祈り出していた。だが、そんな彼らを心苦しいとは思いながらも、少し乱暴に明は外へと駆り立てる。

 外へ出て路地を駆け抜けたのは、背後で村長の屋敷が業火に包まれた瞬間だった。

 振り向けば、天を衝く真っ赤な炎が巨大な人影を浮かび上がらせている。黒煙がくすぶる中、ゆらゆらと揺れる蜃気楼のような破壊神……その手には、巨大な火炎放射器が装備されている。


「くっ、連中は皆殺しにして村ごと地図から消す気だ。村長さん、カシム君の行動が裏目に出ちまった……ウイグル族が武装してるなら、それはになってしまう!」

「おお、なんということだ……神よ」

「とにかく、俺は村を見て回ります! 村長さんは安全な場所へ避難を――」


 その時だった。

 既に村のあちこちで火の手が上がり、悲鳴と絶叫が青空の下に満ちている。徐々に熱気をはらんでゆく空気は、生き物と木材やわらが燃える臭いが入り交じる。生きながら焼かれる人間の臭いが、喉の奥へと酸味をこみ上げさせた、その時。

 不意に背後で大介の声が響いた。


「そこの子、こっちへ! さあ、急いで! 大丈夫、おじさんは敵じゃない!」


 振り向くと、村人たちが逃げ惑う往来に……小さな女の子がへたり込んでいる。その近くには、倒れたまま動かない黒焦げの母親がいた。……

 咄嗟に大介が駆け寄り、その子供を抱き寄せた。


 ――三人目こそは男の子がいいな、と言ってた。


 ――でも、三姉妹になったらそれはそれで、とも。


 女の子は……丁度、大介の一人目の娘と同じぐらいの年頃だった。

 そして、大介は少女をかつぐと叫んだ。


「すんません、武藤さん! カメラお願いします! 命より大事なカメラ!」

「え、あ、ああ!」

「さあ、いい子だ……一緒に逃げよう」


 そして、運命が生と死を残酷な形でかつ。

 放られたカメラを受け取った瞬間、なにかに明は押し倒された。

 それは、奥の通りで振り返った政府軍のレヴァンテインが、全面モニター状になった硬化液晶テクタイトカメラの顔を向けるのと同時。あのブラウン管テレビのような頭部は、中華神国の最新鋭機……王虎七◯型ワンフウ・ナナマルがただ。次の瞬間には、その手に装備された火炎放射器が突き出される。

 柔らかな感触がのしかかってくる感触と、体温と甘い匂いと。

 その全てが密着してくる中……倒れ込む明の頭上を、炎の剣が薙ぎ払った。

 それは、北欧神話に登場する魔神スルトが持つ、焔禍えんかの刃を彷彿ほうふつとさせた。

 一瞬で大介は、モノクロームのシルエットになった。

 黒い影が一瞬踊って、そのまま倒れ込んで動かなくなる。

 既に火の海と化した周囲で、カメラを抱いたまま明は小さく呟いた。


「大介? おい……大介っ!」


 だが、すぐさま強い力で襟首えりくびを掴まれ、引き起こされる。

 彼を伏せさせて助けたのは、黒い装束に全身を包んだ女だ。先程出会った女性が、唯一あらわな瞳に強い光を灯している。


「相棒は運がなかったね……こっちへ! カシムの奴には一応、なにかあったら村民を守って逃げるよう言ってある……勝負にはならない、練度が違うから。さあ、早く! あたしについてきて!」


 その時、左右の民家を飲み込み巻き込んで、火の粉を上げる炎が燃え盛る。

 すぐに女性の衣服にも燃え広がったが、彼女はあっさりと黒衣を脱ぎ捨てた。

 それは、若い東洋人……日本人の美しい女だった。

 そして、あの目だ。

 兵士のような冷たい瞳、煮え滾る激情が冷たく燃える、絶対零度の炎がそこにはあった。


「き、君は」

「話はあとよ、こっちへ!」

「ま、待ってくれ! 俺は君を……どこかで、見たことが」


 色気もへったくれもないインナー姿、スパッツにシャツのまま女は走り出した。

 燃え盛る紅蓮の中に今、ゆらゆらと巨神だけが影を揺らしている。まるで地獄の光景、黙示録もかくやという絶望がそこにはあった。

 だが、言われるままに走る明は、記憶を総動員して思い出す。


「君、日本人だよな……確か、名前は、そう。そうだ! アカツキの門! ネット上の犯行声明で、幹部たちの後ろに一人だけ女の子がいて……よく映ってた娘だ」


 黙って走る女は、否定も肯定もしなかった。

 明はもう、名前まで思い出せる……霧沙キリサ・アレスター。暁の門と呼ばれたテロ組織で、独立治安維持軍どくりつちあんいじぐんに一番の損害と被害を与えた少女だ。当時取材中だった明は、よく覚えている。

 橋の上でを繰り広げた挙句、撃破未確認で行方不明になったという話だ。

 そう、彼女の行動には治安維持軍の広報官も首をひねるばかりだった。

 陽動するべく、逃げた仲間と逆方向で騒ぎを起こした彼女は……。そして、海外へ高飛びしようとした者たちは、司法取引をしたとも言われているが、真相は定かではない。

 今はただ、灼熱の火炎地獄と化した村の中を、明は走る。

 信じた全てに裏切られ、裏切られたと知らずに戦った霧沙を追って。

 村の外れに徐々に、農業用の大きなサイロが見えてきたところで、ついに村は全体が炎に包まれた。明の耳には、レヴァンテインの駆動音がまるで、地獄の御使いが嗤う哄笑こうしょうに聴こえた。

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