よたかの舞う朝

信仰と民族と

 週に一度の定期便は、半世紀前のオンボロなバスだ。車窓は見渡す限りの草原ステップと荒野……ユーラシア大陸奥地へと走る車体は、舗装されていない悪路に激しく揺れていた。

 遠景に目を細める男の名は、武藤明ムトウアキラ

 明の職業はフリーのジャーナリスト、戦場記者だ。

 戦争の真実を世界に伝えたいという気持ちが、彼を今日もきな臭い地域へと進ませる。

 その隣ではさっきからずっと、若い男が喋り続けていた。


「武藤さん、どーッスかね。うち、今度三人目が生まれるんスけど。今度こそ男の子! 男の子が欲しいんスよ。でも、三姉妹になったら、そりゃもうかわいいだろうなって」


 バスのまばらな客たちさえ笑顔にさせてしまう、この小太りな男は佐々木大介ササキダイスケ。明より五つ程若いから、ちょうど今が働き盛りの二十代後半だ。仕事は明のアシスタント、そしてカメラマンだ。

 大介が携帯電話を片手に何度も写真を見せるので、自然と明も笑顔になる。

 二人は日本語で喋っていたが、言葉が通じずとも客たちの視線は温かい。


「で、武藤さん。今度の現場って……よく許可が降りましたね。外国人の立ち入り、最近じゃかなり規制されてるって聞いたスけど」


 大介は携帯をしまいつつ、仕事の顔になった。

 外の景色を眺めていた明も、自然と表情が引き締まる。


「日本じゃほとんどニュースにならないからな。例の関東事変かんとうじへんからこっち、ずっと国内の話ばっかさ。こないだもデカいテロがあったろ」

「今、どこの国も自国の問題優先で、国際協調とか世界平和とかあんまし気にしないスからね」

「ああ。ちょっと前に流行ったグローバリズムの反動さ。経済と流通を市場原理主義で突き詰めた結果、激化する競争社会にどの国も愛想をつかした。今は全世界規模で引きこもり国家、自分探し国家が増え始めてる」

「自分のことは自分でする、だから他国にも国際情勢にもかかわらない、ってやつスか」


 肩をすくめてみせる大介に、明も同じ仕草で応ずる。

 そんな二人が向かう先は、世界から忘却された土地。生殺しで消されようとしている民の、声なき悲鳴に満ちた場所だ。

 ――新疆しんきょうウイグル自治区。

 昔の中華人民共和国、中華神国ちゅうかしんこくの外れにある小さな自治区である。既に百年近く続いている弾圧により、一つの民族が歴史から消えようとしていた。

 明は、そんなウイグル族の取材に訪れようとしていた。中華神国の規制は厳しく、言論統制で外へは全く情報が伝わらない。その中に閉じ込められた真実を解き放つためには、どうしても危険を承知で飛び込む必要があったのだ。


「っと、武藤さん! あれ! あれ、見てくださいよ!」


 不意に、通路側の座席に座っていた大介が身を乗り出す。

 彼が指差す窓の向こうに、鋼鉄の巨人が並んでいた。

 片膝を突いて並んだ全高6mほどのそれは、混迷を極める世界が生んだ時代の寵児ちょうじ……そして忌子いみごだ。発達した科学文明は、汎用的な人型陸戦兵器を誕生させたのだ。都市部は勿論、湿地帯や砂漠でも運用される鋼鉄の騎士たち。それは戦車であり装甲車であり、パワーショベルやブルドーザーでもある。軍事車両の全ての機能を集約されながら、二足歩行に加えて脚部のレッグスライダー――高機動用ホイールローダー――で高い機動性を実現。今や軍事面の主役はレヴァンテインになりつつある。

 それは同時に、レヴァンテインによるテロをも生み出し、世界を混乱させていた。

 ざっと数えて十機程……明は思わず小さく呟く。


円月型エンゲツタイプだが、日本の仕様じゃないな。第三国がライセンス生産したものを闇ルートで手に入れた、ってとこか」

「詳しいッスね、武藤さん」

「アホ、今じゃレヴァンテインの知識がなきゃ戦場記者なんざできねーよ」


 こんな真っ昼間から、白昼堂々と並ぶレヴァンテイン。

 その姿が争いの予兆を感じさせる。

 そうこうしていると、ようやくバスは目的地の村に辿り着いた。新疆ウイグル自治区の外れ、いまだに昔ながらの放牧による農畜産を主とした自給自足生活を営む集落だ。

 さびれたバス停に荷物を持って降りれば、一人の老人が待っていた。

 明は大介にも目配せして、二人で帽子を脱ぐや深々と頭を下げた。


「村長、この度は取材を引き受けてくださってありがとうございます。私が武藤明、こっちはカメラマンの佐々木大介です」

「遠いところ、よく来なすった。さあ、ワシの家にいきましょう。長旅でお疲れでしょうから」


 しわだらけの顔を笑顔にして、村長は歩き出す。その歩みはしっかりしたものだが、背中は酷く小さく見えた。

 道行く先々で、村人たちは頭を下げてくれる。

 皆が民族衣装で暮らしており、数百年前から同じ生活を続けているようだ。

 礼に礼で応じて歩けば、肩を並べた大介が声をひそめてくる。


「武藤さん、美人が多いッスね。でも、資料によればこの地域のウイグル族はですよね? あの、顔や髪を出してる女の人ばかりスけど」


 イスラム教徒の女性は、人前で姿をさらすことを禁じられていることが多い。だが、この村の女性達は皆、色とりどりの服装で顔も顕だ。

 大介の声が聞こえていたらしく、村長は笑いながら振り返った。


「ワシらは、世界一戒律かいりつゆるいイスラム教徒と呼ばれておりましてな。故に他の宗派からは風当たりが強いのですじゃ。ワシらは昔から羊を追い、歌と踊りで暮らして、時には酒も飲む。しかし、それでもアラーの神を信じてあがめる気持ちは同じでしてなあ」

「申し訳ない、村長。ほら、大介! お前なあ、勉強不足だぞ」

「すんません! 村長さん、俺ぁ別に……あ、でも、普通のイスラム教徒の方もいるんですね。ほら」


 大介が後半は声をさらに潜めて、半ばつぶやくように顎をしゃくる。今度は村長には聞こえなかったようで、自然と明も視線を滑らせた。

 そこには、黒尽くめの女性がこっちを見ていた。

 恐らく、村の外の人間は珍しいのだろう。

 季節感を感じさせる周囲の村人と違って、この暑い中でも黒衣で全身をおおっている。そして、顔はニカーブと呼ばれる独特な頭巾ずきんをかぶっているので、目元しか見えない。

 だが、明は妙な違和感を感じた。

 その女性の目を、どこかで見たことがあるような気がするのだ。

 平和な村にはあまりに場違いな、鋭く尖った緊張感……双眸そうぼうに輝く光は、無言の緊張感を滲ませていた。まるでそう、鍛え抜かれた戦場の兵士のようだ。

 その女性は明の視線に気付いて、行ってしまった。

 そして、彼女と入れ違いに村の大通りを、体格のいい青年たちが歩いてくる。その姿に思わず、明も大介も驚きを隠すのに苦労した。彼らの中央で、リーダーらしき若者が声をかけてくる。


「探したぜ、オヤジ! ……なんだ、こいつらは? 外の人間がなんでいる?」

「これ、カシム。客人に挨拶をしなさい。すみませんのう、これはワシのすえの子で……それにしてもカシム。どうしてワシの言うことが聞けないのだ」


 村長は困った顔で一同を見渡し、大きく深い溜息を吐いた。


「カシムや、昼間から若者たちに銃を持たせて歩くとは何事じゃ」

「オヤジ、俺らは自警団じけいだんだぜ? 漢民族から村を守るんだよ!」

「あの鉄巨人てつきょじんもお前たちがか……まったく、困ったもんじゃなあ。ワシはそんなことばかりするために、お前を北京ペキンの大学に行かせた訳ではないというのに」

「レヴァンテインがあれば、村を守れる! 自治の拡大だって! なあ、みんな! いずれは独立を勝ち取って、ウイグル族の国を作るんだ」


 血気に逸る若者たちが、そうだそうだと気炎きえんをあげる。

 明は暗鬱あんうつたる気持ちに心が沈んだ。

 戦場記者にとって戦場は稼ぎの種、職場にして仕事場である。だが、誰もが戦場を望んでなどいない。仕事と言うには生々し過ぎる悪徳と悲劇だし、生業なりわいとしても家業としても収入が目的ではやってられない。

 それは多分、隣の大介も同じだ。

 戦争の悲惨さ、残酷さを伝えたい。その一心で皆、ペンとカメラを武器に危険へと飛び込むのだ。そういう人間に昨今の市民、特に日本人は冷たい。自己責任論や、国の渡航禁止勧告を無視したことへの非難、更には誹謗ひぼうと中傷をも受けねばならない。


「なんかめてますね、武藤さん。……武藤さん?」

「ん? あ、ああ。大介、彼らのことも一枚っておいてくれ。ウイグル族は自分たちの言語での高等教育が禁止されている。つまり、大学に行くには必ず中国語を習わなければいけないんだ。それに、この土地を出て勉強ができる裕福な若者は、限られているのさ」


 カシムたち自警団の若者は、村長の言葉もどこ吹く風で行ってしまった。

 申し訳なさそうに振り返る村長が、困り果てた顔でわびてくる。


「みっともないところを見せてしまったのう。お客人、気を悪くされんでくれ。あれは小さい頃に姉を亡くしてましてな……娘は独立運動の真似事まねごとなぞやってましてのう。都会のデモに参加して当局に殺されてから、もう三年になります」

「やはり、当局は秘密裏に弾圧を強めているようですね。しかし、世界のほとんどの人が現状を知りません」


 明の言葉に、再度村長は溜息を零す。

 もともと新疆ウイグル自治区は、ウイグル族が暮らす独立した地域だ。それが歴史の中で、王朝から共産党支配の政権へと移行する中、取り込まれてしまったのだ。そして中華神国の中央政府は、今もこの土地を『』にしようとしている。

 対外的には日本の過去の侵略を責める一方で、少数民族を迫害しているのだ。

 再び歩き出した村長に続きながら、明は前だけを見て大介にぽつりと零す。


「よく見ておけ、大介。これが昔から続く民族浄化みんぞくじょうか……だ」

「エスニック、クレンジング……聞いたことあるッス。ロシアのチェチェン問題や、中東にアフリカ、そして南米。一つの民族を不当な弾圧で根絶やしにすることですよね? 古くは日本のアイヌも、結果的にはそうだったッス」

「そうだ。彼らは先祖代々のこの地で、アラーの神と共に暮らしたいだけなんだがな。だが、中央政府はここを中華神国にして、漢民族だけの土地にしたいのさ」

「何故ですかね? 中華神国は海洋進出も以前から強めてるスけど」

「理由は沢山ある、が……あとは自分で調べてみろよ。人から聞いて済ますと、聞いた側から忘れていくからな」


 そうこうしていると、歩く先に一軒の屋敷が見えてきた。レンガ造りの質素な住まいで、見た目が広く見えるのは家族や親族全員で住む家だからだ。

 村長は玄関の前で振り返ると、無理に作った笑顔で話す。


「ワシの家ですじゃ。散らかっとりますが、ゆっくりしてくだされ。すぐに茶の用意をさせますからのう」


 礼を言って、ふと明は空を見上げる。

 晴れ渡る蒼穹そうきゅうに雲は高く、遠くから雑多な機械音が小さく響いてくる。メカニカルなノイズを散りばめたそれは、レヴァンテインの駆動音だ。恐らく、来る途中にバスから見た機体で、訓練でもしているのだろう。先程のカシムたち自警団が調達してきたものだと推察できた。

 明は胸中に、不安が広がってゆくのを感じる。

 この土地はまだ、戦場ではない。

 しかし……その火種は既に、燃料への着火を待っているように思えた。

 しかもそれは、争いを望まぬ者の子、自由と尊厳を求める者によって準備された悲劇だ。善意からくる正義の心が今、戦火を呼ぼうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る