よたかが連れる風

魔神遭遇

 廃都はいとダマスカス。

 かつてシリアの首都だったこの街は、長い長い内戦の果てに死のみやことなった。実に住民の八割を死に至らしめた化学兵器の大量投入は、反政府軍はおろか独裁政府をも追い出したのである。

 そして今……十年以上も人が住まぬ不毛の廃墟と化した街に、轟音が響く。

 風化してゆくままのかつての栄華を、レッグスライダーの金切り声が突き抜ける。

 地図から消された都市は、あらゆる企業が極秘に新型レヴァンテインのテストをするには、もってこいの土地柄と言えた。

 だが、テストパイロットの仄暮灰児ホノグレハイジを今、支配しているのは……極度の緊張だ。


「クソッタレ! ライオット03! 04、05! 06も! 応答しやがれ!」


 ヘッドギアのレシーバーへとがなりたてながら、彼は人通りを忘れた往来を疾駆しっくする。

 混乱の渦中にあって、怒鳴り散らしながらも灰児は冷静だった。怒りを発散することで、操縦は正確さを増してゆく。汚らわしい隠語を吐き捨てつつ、彼は最後の僚機ライオット02との位置関係を確認した。

 ライオット小隊は六機編成で、模擬戦の真っ最中だった。

 灰児たちライオット小隊は、ディロン・インダストリィ社の試作型レヴァンテイン、ラクシャーサのテスト中だったのだ。だが、それは突然の乱入者で御破算ごはさんになった。企業秘密の新型は、次々と反応が途絶えて擱座かくざしている。

 この忘れられた都で、なにが?

 灰児には見当がつかない。

 そうこうしていると、回線の向こうで声が響く。


『こちらライオット02、ジョンソンだ。ハイジ、状況は! どうなってんだ!』

「ライオットリーダー、仄暮だ。俺に合流しろ、アクシデントだ。シリアの反政府軍残党かもしれねえ。それと、ジョンソン!」


 衛星とリンクしたナビを頼りに、位置情報を把握して僚機との連携を模索する灰児。彼は同時に、後方でモニタリングしている指揮車のスタッフへも連絡を取ろうとした。

 だが、無線は繋がらなかった。

 この街の外へと、電波が飛ばない。

 ジョンソンとの通話も、普段よりノイズが混じって聴き取りにくい。

 それでも灰児は、十字路の向こうにジョンソンの機体が見えると、叫ぶ。


「それとな、ジョンソン! 俺をその名で呼ぶんじゃねえ!」

『す、すまん、ホノグレ』

「全周警戒! 残ったのは俺たち二機だ」


 ジョンソンのラクシャーサと背中を合わせて、十字路の中央で目を凝らす。

 灰児の研ぎ澄まされた集中力が、異常な状況の中で警鐘けいしょうを鳴らしていた。

 ここはもう、戦場だ。

 先程とはもう、空気が違う。


『クソッタレ! 弱装弾じゃくそうだんしかねえんだ、こっちは!』

「落ち着け、ジョンソン! 多分、後方のバックアップチームも気付いてる。この異変に」


 模擬戦中だったため、二人の乗るラクシャーサに実弾兵装はない。四の五の言ってられない状況だが、控えめに言っても最悪だった。姿の見えぬ敵は、規模も装備もわからない。その上、こちらはほぼ丸腰と来ている。

 そして、最悪の状況は悪化をたどる。

 接近警報のアラートが鳴り響くと同時に、灰児は即座に機体をひるがえした。


「ミサイルだ、避けろジョンソン!」


 勿論、チャフやフレアなんか積んでいない。誘導性のないロケット弾の可能性もあった。だが、回避して舐めるように路面を這い回りながらも、オートバランサーで灰児はラクシャーサを立たせる。そのまま滑るように通りを奥へと走り出した。

 背後で爆発が起こって、ノイズの中に悲鳴が響く。

 ジョンソンの断末魔を聞きながら、灰児は己の不幸を呪った。


「クソッ、中東くんだりまで来て……えれえ転落人生だなあ? おいいっ! 独立治安維持部隊じゃ、エースとまで言われた俺がよぉ!」


 悪態をつきながらも、すぐにミサイルが発射された方角へとセンサーを向ける。

 だが、瓦礫がれきの山を遮蔽物しゃへいぶつにして身を沈めるラクシャーサの前にそれは現れた。

 十字路の中央で上半身を失い、崩れ落ちたジョンソン機へと、歩み寄る。

 その姿をカメラ越しに見て、灰児は戦慄する。


「なんだありゃ……あれが、レヴァンテインだってのかよ」


 一言で言うなら、それは悪魔だった。

 通常のすらりと細身なレヴァンテインのシルエットではない。肥大化して膨れ上がった装甲で、マッシブに各所が盛り上がっている。まるで、大昔の重甲冑を何倍も分厚くしたような重装甲だ。

 背には巨大なジェネレーターを背負い、右肩にキャノン砲、左肩にミサイルポッドがあった。取ってつけたような装備で、それは手に持つ異様に長く太い砲身も一緒だ。

 異形のレヴァンテインは、ジョンソン機の完全破壊を確認しているようだ。

 この時点で既に、灰児に交戦の選択肢はない。

 相手は見たこともない重武装のバケモノで、こっちは新型の試作機、しかも丸腰だ。格闘用のフェンサーブレードですら、模擬専に使う判定用の棒きれでしかなかった。


「くそっ、あれもどこかの試作機なのか? だが……姿を晒したのは失敗だったな。どんな手品も、タネがわかりゃこんなもんよ! それにっ!」


 瞬間、灰児は機体を躍動させた。

 制式採用を夢見た白無垢ホワイトのラクシャーサが、物陰から躍り出る。

 同時に、手にしたアサルトライフルから火線がほとばしった。

 弱装弾が虚しく悪魔の装甲表面で着弾を奏でる。


「効かねえのは百も承知っ! でもよぉ、そんなデカブツで……こいつの脚についてこれるかぁ!?」


 この僅かな短期間で、灰児はテストを任された機体を掌握していた。

 それは天性の才覚で、高度な技術に裏打ちされた彼の能力だった。昔から、レヴァンテインに乗れば灰児は独創性を表現してきた。誰も灰児には追いつけない……勝てない。

 その自負があって、一見無謀とも思える作戦にも躊躇がない。

 灰児は迷わず、ラクシャーサを最大戦速で突っ込ませた。ラクシャーサは汎用型の量産機を目指した機体ながら、下半身のバランス性能や安定性、そして新型レッグスライダーでの加速力に優れていた。それが灰児にはすぐにわかっていた。

 当然のように、悪魔は全ての火器を灰児へ向けてくる。

 だが、撃たない。

 撃てないのだと灰児は知っていた。

 そう仕向けたのは、自分だから。


「距離を詰めれば、火器は使えねえ! そしてっ!」


 ライフルを捨てるや、ラクシャーサは限界を超えたスピードを発揮する。

 フルスロットルを叩き込む灰児は、ぐんぐんメインモニタに迫る悪魔をにらんで叫ぶ。


「この手の機体はウスノロって、相場は決まってんだよぉ!」


 悪魔は、両手で腰だめに持った砲身も、両肩の火器も撃たない。

 そして、灰児はすれすれの距離まで肉薄して、その横をすり抜けた。

 計算通りの機動で、悪魔の中に人の動揺が見て取れた。

 だが、灰児には全く迷いも躊躇ちゅうちょもなかった。

 ただ逃げることだけを考えていた。


「三十六計逃げるに如かず、ってなあ! あばよ、バケモノ! こいつの脚に、追いつけるものかよぉ!」


 レッグスライダーが最大トルクで地を蹴った。

 ランダムな回避機動を織り交ぜながら、ラクシャーサは悪魔の脇を擦過し、そのまますり抜ける。逃げるためにあえて敵へと吶喊とっかん、火中の栗を拾う危うい操縦だった。

 だが、型破りなその動きに、悪魔がその場で振り向く。

 悪魔が超信地旋回ちょうしんちせんかいで砲身を翻した時にはもう、ラクシャーサはフル加速で遠ざかっていた。後部警戒用のカメラに小さくなってゆく姿を見て、灰児は安堵する。


「ハッ、やってられっかよ! こんなとこで俺ぁ、死ねねえんだよ。だから……ッ!?」


 その時だった。

 戦慄が走って、灰児は己の目を疑う。

 背の巨大に過ぎるジェネレーターユニットをパージし、全ての火器を捨てて……突然、悪魔が走り出した。なげきの絶叫にも似た駆動音を響かせ、瞬発力を爆発させる。まるで悪い冗談を見ている気分だ。巨体は点から点へと、瞬間移動するように近付いてくる。

 黒塗りの巨躯は、あっという間に背後に迫った。

 禍々まがまがしい魔神デーモンのように、ツインアイの瞳に光が走る。


「クソッ、嘘だろ!? こっちは最新鋭の……ええい、クソッ!」


 直後、接触の衝撃にコクピットが揺れる。

 地獄の使者にも似た漆黒の両手が、背後からラクシャーサに組み付いた。そのまま、両腕の中に華奢きゃしゃな機体を圧縮してゆく。コクピットが外から圧搾されてゆく恐怖に、灰児は言葉も出ない。きしむ機体はゆがんでゆき、コクピットもイジェクトされない。

 恐るべきパワーで悪魔は、そのまま豪腕のパワーでラクシャーサを沈黙させた。

 ボルトが吹き飛び、モニターや計器を覆う硬化プラスチックが砕ける。

 同時に、激しい揺れと共に衝撃が突き抜けた。

 なにが起こったのかわからぬまま、狭く小さく潰れたコクピットの中で……全身を強かに強打した灰児は、最後に聴く。

 朦朧もうろうとする意識は、確かに女の声を聞いた。

 懐かしい日本語で、まだ若い声音だった。

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