第15話 幸せ
運命の悪戯。そんな言葉がある。神が、その運命を変えるわけではない。神というものは、その運命をただ見送るだけの存在である。運命を導くのは彼ら人間。だから、運命の悪戯に僕たちは関与しない。それは、縁や、運とかそういう言葉の付くもので片付けられるだろう。そういう時に僕らは、こういうだろう。君は運が良いよ。とね。
「うう眩しい。陽が眩しい。って、えっ」
う、うん?ここが皆が皆言う天国というものなのだろうか。まっさら草原の上に、隣に彼もいる。そして、頭上には、白色の太陽が私たちを照らしている。朝霧が沈殿して、まるで雲の上にいるような気分だった。その朝霧に、白い光が照らされた幻想的な場所に私たちはいた。
「ちょっと、起きて司」
私は彼の肩を小刻みに揺らしてみた。だが、いくら揺らしたとしても、彼は微動だにしなかった。え、不審な感覚が脳裏をよぎった。「ちょっと、司起きてよ」、私は、勢いよく彼の肩を何度も、何度も、ゆすった。が、起きない。彼が目を覚まさない。「ほんとに、起きて、ねえ!司、起きてよ、ねえ!」私は必死だった。目は、あぶくのように涙が溢れ、止まらなかった。ねえ。本当に。目を覚まして。え、これが結末。何で、彼が、彼が目を覚まさないの。それから、私は何度も、何度も彼をゆすった。でも、結果は変わらなかった。いくら彼に呼びかけても、いくら彼の肩をゆすったとしても彼は一向に目を覚まさなかった。本当にごめんなさい。私が、こんなことをしたが為に。あなたが。ずっと、、ずっと好きだった。あなたと一緒なら、一緒に死んでもいいと思った。それなのに。何故。これが、人生というものなのか。残酷すぎるじゃないか。
「司、あなたのことが本当に好きだった」
私は、動かない彼の唇に—。
「んー」
えっ。
「っああ。ほんとうに。朝は眩しいな」
彼が伸びをして、私の方を向いて呟いた。
「ん?おはよう」
「司!」
私は咄嗟に彼の身体を抱きしめた。その勢いで彼の身体は後ろに傾き自然と倒れていった。私は彼の胸の中で泣いていた。よかった、本当に。
「どうしたよ。あかり?」
彼は、私の目を見て、とぼけたように聞いてきた。
「もう、起きないかと思った。一生目を覚まさないのかと、思っ、た」
その言葉を聞いて、彼は噴き出した。
「はっはっ。まさかな、俺ら助かったな?」
「えっ?」
「あの錠剤、薬局で処方される睡眠薬とかの一種だったのかな。もしかしたら」
もしかしたら、私の買った安楽薬はただの睡眠薬だったってことなの。
「そう。多分、悪徳なやつが、下手に銘打ってネットに売ったとか?それであかりが買った。そんな感じ?お前、それどこで買ったよ?」
「ネットの販売店だよ」
そして、彼女は世の中の誰もが知っているであろう商品サイトの名を告げた。
「普通はそんなところで買えるわけがねえんじゃあないのか。ネットの表サイトなんてのは公安の監視ロボットが終始見張ってんだからさ、気付かれるよ。だがな、全てが全て見抜かれるとは限らないから、中には本物が混じっていることもあるかもしれないがな」
「そうなの?」
なんか私はすべてが馬鹿らしくなって笑いがこぼれてきた。
「ていうか、もしかしたらあの薬が偽物って気づいてた?」
ん?とぼけたように目を向けた。
「いいや確証はないさ。でも、そう思ったんだ、ただそれだけ。でも、お前となら死んでもいいと思った。それなら、言わなくてもいいかなって。だから、言えば俺たちは運が良かった。ただ、それだけのことだよ」
「そう」
私の身体は天国に運ばれることなく、朝日の眩しさに目を覚まし、夏の夜の冷たさに身を冷やしただけだった。私も彼も生きていて世界は何も変わっていなかった。朝は眩しいし、右手は何事もなく動く、その肌は夏の寒さを感じるし、世界の始まりを告げるような鳥の声も聞こえる。彼の顔だって、かわらなくそこにあった。
「なあ今日がお前の人生の再出発点と考えるのはどうだ?リセット?いや違うな。リスタートだな。お前は今日限りで、新たな自分に生まれ変わったんだって。世界は変わらなくたってよ、お前が変わればいいんだ。すべてが振り出しに戻ったんだよ。それで、いいじゃねえか」
再出発ねえ。じゃあ
「一つ再出発をするにあたっての目標というものを作る」
「何だ。その目標って」
私は、
「あなたは言った。もし、二人してどこか遠いところに行けるのならば、二人で静かに暮らしたいって。その夢を叶えてみたいよ。あなたと一緒にいつまでも、いつまでも一緒にいたいと思った」
彼は柔らかく微笑んで、小さく頷いた。
「ああ。随分長期的な目標になるが、それを一つの目標点にしよう。約束するよ」
「うん。私も」
ずっと、地面の上で寝そべっていたからなのか、身体がものすごく痛い。ひねるごとに、身体からバキボキと音がする。それにお腹もすいていた。
「じゃあ、家に帰ろうか。行こう」
彼は私の手を取って、歩き出した。
「あ」
ん?どうした。彼が私の方を向き、目を眇めた。
「いやあ、私長い夢を見ていたって言ってたじゃない?ちょっと思い出したみたい」
「へえ、言ってみてよ。」
ふふ、実はね。私は照れて笑うように彼に語り掛けた。
「何だよ。その含み笑いは」
「ふふ。実はね。私、未来の司君と一緒に居たの」
「へえ、ってなんだよそれ。未来の俺?」
「うん。そう。格好良かったよ。未来の私たちは幸せだった。もしかしたら、君は今の私、いやその頃は過去の私かな。に遭遇するかもしれないよ。だから、そんな事態が起きても、吃驚しないでね。多分これは確定事項かもしれないから。その時をお楽しみにね」私は笑った。
「面白いSFだね。まさか、そんなことがね」
彼は全く信じていないようだった。まあ、その時がきたら真実が分かるさ。
「楽しみにしておくよ。また、君に出逢えることをね」
彼は再び私の手を強く握りしめ、その手を離さなかった。彼の思いは硬かった。だから、私もそれに答えるように、彼を信じたい。彼の隣をその最後まで歩んでいきたい。ただ、それだけ。それだけで十分。私には勿体なすぎる出来事だ。私は彼の手を強く握り返した。
「ただいま!」
彼の静かな家に、声がこだまのように響き渡った。
「おかえりって。司!あんた、いい加減にって。あ、あかりちゃんじゃない?」
彼の母は、びっくりしたように私の顔を見た。
「おはようございます。お母さん」
「おはようって。え、もしかしたら、司、あかりちゃんの家に泊まってたとか無いわよね?」
彼は母の問いに、あきれたように首を傾け、その言葉を否定した。
「なわけねえよ。一回家に帰ってきたさ。そして彼女からメールを受け取ったんだ。お金が底をついて、死にそうだっていうメールをね」
「まあ、それは大変。じゃあ、一緒にご飯を食べましょう。また今度家に呼ぼうと思ってたのよ。ちょうど良かったわ、来てくれて。あなたのお顔も見れて良かった。うふふ、随分幸せそうね。まさか、あなたたち二人付き合ってたりするの?」
私の顔は紅潮し、彼はその言葉を慌てたように弁解した。
「いいや、まだそんなんじゃねえよ」
「まだって何?いいわよ、私はあかりちゃんなら。可愛いし、賢いし、何より付き合いが長い。あかりちゃんになら何の不安もなく司を任せられる。寧ろ、いつだってあなたはここに来てもいいのよ。遠慮しないで。お腹がすいたら、家に来なさい。温かいご飯をいつでも作ってあげるから」
「あ、ありがとうございます」
頬に滴が伝る。何だろうな。温かい、やっぱり、優しい人たちばかりだ。
「さあ、ご飯を食べましょう。朝だから、卵焼きに、鮭に、ご飯に、お味噌汁。さあ、身体を温めなさい。外は寒かったろうからね。お替わりはいくらでもあるから、いつでも言ってね」
「それじゃあ食べようぜ、あかり」
「じゃあ、お言葉に甘えます。いただきます」
こんなに温かいご飯を食べたのはいつぶりだろうか。おいしさが口の中に広がっていく。本当においしい。でも、少ししょっぱいや。何なんだろう。あまり、うまくご飯が食べれない。こんなに美味しいのに。そんな私を見て優しく彼が笑った。だから、私も笑い返した。涙で染まった精いっぱい笑顔で。
「うーん」私は腕を頭上に伸ばし軽くストレッチをした。
随分長い間眠っていた気がした。
「おかえり」彼が笑って、そうつぶやいた。
「た、だいま?って何かおかしい気がするけど。うん?おはようだよね」
「いいや、おかえりであってるさ」
何かよくわかんないけど、まあいいや。そんなことを思っていると、彼が後ろから抱き着いてきた。くすぐったい。
「わああ、もう何だよ。びっくりした」
「ははは。ごめんね」
私は彼の手を振りほどき、軽く後ずさった。何かにやついている。なんか怖い。
「ん?何にやにやしてるの?気持ち悪いなあ」
「いいや、今の君もかわいいと思ったんだ。変わっていないね」
かー。何こいつは年甲斐もなく恥ずかしいこと言ってんだ。照れるわ。ばか。
「君はいつか言っていたじゃないか、夢を見ていただとか何とか」
うん?確かにそんなことも言っていたような気もする。けど。
「それが、どうかしたの?」
「ふふ。実は、昨日まで君は十四歳の君だったんだよ。信じられないでしょ?」
ええ。何そのSFは。タイムリープとかいうやつですか。
「信じられない。でも、確かにそんなこともあったような気もするし、無かったような気もするし、うーん、覚えていないや」
「夢の中だと言ってたよ。夢物語だ、すぐに忘れてしまう。覚えていないだろうね。でも、そんなことがあったんだ。ああ、楽しかった。昔の君もかわいかったよ。純粋無垢ないい子だったさ」
まるで今の私は純粋じゃないみたいだ。
「でも、そんなことがあるとはねえ。よく分かりませんね」
「そうだな」
「そうだ。聞きたかったことがあったんだ。今の君に聞きたかった。ずっと聞けてなかった。恥ずかしくて、照れくさくて聞けてなかったのかもしれない」
彼が改まって何かを言いたいらしい。何だろうか。
「今の君は幸せ?それだけを聞きたかったんだ。君の口からね」
そんなの、言えることは一つしか存在しない。
「幸せにきまっている」
「良かった」
彼がまた私に抱き着いてきた。それを見越した私はすっと華麗なステップで彼を避け、彼は後ろのソファに倒れ込んだ。
「いったいなあ。ひどいよ、君は」
「ふふ」
私は歩いて彼に近づき、次は私が彼を抱きしめた。優しく強く彼を両の手で包み込んだ。そして彼は、右の手で私の髪を優しく撫で下ろし、左の手を身体に回し、私を優しく包み込んでくれた。
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