第7話 下見

「ただいま」

「おかえりなさい。ご飯できているわよ。もう食べる?」

「ああ。じゃあ、もらう。」

「じゃあ、私もご飯食べちゃおうかな。どう学校は順調?」

 僕と母はテーブル前の椅子に腰を掛け、夕食を食べ始めた。今日は早く退社したらしくいつもより早く夕飯が出来ていたのだ。私の家では、母が月水金、父が火木と料理を担当している。このように昨今の家庭では、母と父が交互に食事を作っているところが多いのである。これは、両親ともに働きに出ている家庭が殆どとなったからだ。今より昔、男は外に働きに出て、女は家で家事、洗濯、掃除などをするという図式が成り立っていたらしい。しかし今、その図式は破綻している。ともに働きに出ているため、女性が家の世話をすれば、労働以上の負荷が女性にだけ掛かってしまう。それは不平等だろう。昔から女性は習わし的に家のことに関しては須らく取り組むべきなのだよと言い張るものがいるかもしれない、だがしかしそれはただの妄言だ。過去の習わしは、過去のものでしかないのだ。勘違いしてはいけない。時代によって変わらないものはいくらだってある。昔だって、今だって人の考えるものというのは根本的に変わってはいないよ。しかし、時代は変わっていく。それに伴い生活様式、人の価値観というものは付随的に変わっていくものだ。それを踏まえず、ことを述べるのは筋違いも甚だしい。インターネットでついこの前拝見した記事では、夫婦関係というものがここ近年更に向上を喫しているというものを読んだ。その理由が中々面白いものだった。昔は女性が家事に一生懸命取り組んでいるのに、その傍ら何も手伝うことをしない男性に多くの不満が抱かれていた。これが過去何年も女性が男性に抱く最大の不満要因であった。むしろこの出来事が、夫婦仲というものを壊していた要因なのだ。しかし、ここ十年そういった不満要因はばったりと消えた。時代が変わり世にいる男性はむしろ献身的に女性を助けるようになっていったのだ。女性たちの不満が解消されたことにより、多くの夫婦は仲が円満化している。同じように離婚率も減少の一途を辿っている。やはり、ともに暮らす者助け合わないと生きてはいけないのだ。むしろ今にしてやっと本来の夫婦関係というものが出来上がったのだ。まあ、結婚率はどんどん減少を遂げているのだがね。勿論僕の家庭関係は良好だった。日により家事は役割分担がなされており、それに何不平不満を言うことなく過ごしている。そして、僕は今母の作ってくれた夕飯を母と共に食べている。

「うん、順調。先生も変わらないよ。クラスも変わらない。」

「やっぱりそうなのね。みんな元気にしてた?未来ちゃんとか、快人くんとか」

「うん。二人とも部活に部活で、とても忙しかったみたいだよ」

「へえ。あなたは部活動をやっていないから、気楽でいいかもしれないわね。ちゃんと勉強はしているのかしら」

「しているよ」じつはあまりしていない。

「あ、あと前僕が言っていたじゃない?水城あかりさん」

母の目がこちらを向いた。

「うん。それがどうかしたの」

「彼女が僕の学校に転校してきたんだ」

母は、目を見開いて驚いている。

「何であかりちゃんが転校してきたの?」

「何か色々理由があるみたい。でも一つ言えるのは彼女のお婆さんがお亡くなりになってしまったみたい。それでこっちに越してきた、らしい」

「それは気の毒ね」

「また今度ご飯に誘いましょう。彼女も喜ぶと思うわ」

 それから、学校のことについて、母の仕事の愚痴を二言、三言聞き、そして夕食を食べ終わった。「風呂はまだわいていないから、沸いたら声をかけるわ」と言われたので、その間に自室に戻り、未来と快人に連絡を取ってみた。

 僕は、トーキングアプリを起動し、彼らに「今週の日曜に沿道沿いの桜木の下で花見でもしないか」と送った。それから、十分も経たずして彼らから返信があった。どちらも来れるそうだ。「新しくクラスに転校して入ってきた水城さんもいるからよろしくね」と送ったところ、やはり彼女たちは吃驚とした反応を示した。それに「君たちと仲良くなりたいそうなんだ。だから、よろしく頼むよ」と再度返信をすれば、彼女から意外な返信があった。「ねえ、あの子とあなたはどんな関係なの?前だって、駅前で仲良く食べながら喋っていたし。あの子はついこの前この街に引っ越してきた女の子なのよ。あの子は、貴方にとってのどんな存在なの?」、「何でそれを?」と僕は問う。「私も部活が無いから、そのあたりを歩いていたの。そしたらあなたたちの姿を見つけたのよ」、少し怒りの感情を帯びているのが垣間見えた。「ああ。また話すよ」と返事をして、僕は携帯を置いた。それから風呂に入り、一時間ほど音楽に浸り、僕は寝床に着いた。


 『あの子は彼の何なんだろうか』気になる。気になって夜も寝付けない。いきなりこっちに引っ越してきて何なの。私の方が、昔から彼のことをよく知っているのに、よくわかっているのに。あんなに仲睦まじくお話しなんてしちゃって。その姿をわざわざ追いかけて見たのは私なんだけどさ、ちょっと腹が立つ。司も司だし、何も気づいてはくれない。私の気持ちなんて、全くわかっていない。さらに、その子と一緒にご飯を食べましょうだって、やっていられない。何の目的なの。だけど、彼女にも何らかの事情はあるはずか。それが知れるのなら、行く価値はある。それに、久々に学校の外で彼と会えるというのはうれしいことだ。齢が上がるにつれ、どんどん一緒に遊ぶ時間も、暇もなくなっていったから、そういう時間ができたっていうのは良かったと思う。どうせなら、二人桜の下で一緒にお茶をしたいなんて思うのだが、今回は私たちがゲストのようなものだろう。主役は、彼女。でも、決して悪い子ではないと思う。それに友人になりたいらしい。私はあまり勉強が得意ではないし、彼女は勉強が大の得意そうだし、友人になればテスト前に彼女に教えてもらうなんてことも可能になる。悪くはないかもしれない。でも、何か目的があるのは間違いないかもしれない。


 土曜日は殆ど何事もなく過ぎていった。僕は昼まで寝て過ごし、それからむくりと起き上がり、遅めの朝食を兼ねた昼食をとった。そうして、何もやることが無くなった僕は中学三年生ならばやる奴はもうやっているという受験勉強。というものには目もくれず、小説に目を落とした。今読んでいるものがあと百ページくらいで終わりを迎えるので、それで一時間半くらいは時間をつぶせるだろうと高を括っていた。その小説が読み終わったところで、ちょうど一時間半が経過したところ時刻は午後三時を指していた。小休止に紅茶を一杯入れ、それを飲んだ。飲み終わり、何もやることが無くなれば、恒例のお散歩だ。こうした一日をみてみると、実に定年を迎えたお年寄りのような生活をしているようにも見える。活気あふれる十五歳の休日にはまるで思えない。気に入った文庫本を一冊、ポケットに入れ外に出た。春には、皆良く掃くだろうカーゴパンツというカジュアルパンツがある。これが実に便利ということを皆は知っているだろうか。このパンツ六つも大きなポケットがついているのだ。その大きさはちょうど文庫本の本が一冊入ってしまう。さすがに六冊も持っていくような人はいないだろうが、一冊じゃ物足りないという人はいるだろう。さらに男がそうだと思うのだが、バッグを持つのが煩わしいと感じることはないだろうか。実は僕がそうだ。バッグを持つのは面倒で、できることなら財布一つ、身一つで外に出かけたい。しかし、文庫本一冊は手に持ちたい。しかし、ポケットが小さくて入らない。じゃあ、仕方のない。バックでも持ち歩くほかないのかという結論に達してしまう。そんなときにカーゴパンツは便利なのだ。何冊でも、六冊までならいくらでも本を持つことが出来る。読書家必須アイテムの一つと言っても過言ではないだろう。ぜひこれは皆に知ってほしいものだ。

 僕はカーゴに本を一冊忍ばせ、その身一つで外に出た。天気は快晴。雲一つと無い青空がその一面を覆っている。歩いて、明日花見をする場所の下見もかねて河川敷あたりまで顔を出す。その際に、未来とばったり出くわした。その顔は少し不機嫌だった。僕は彼女に話しかけた。

「部活帰り?」

「ええ、そうよ。他校との合同練習がであったの。最後の最後の場面でミスしちゃって負けちゃった。で、その帰りってわけよ。司は何してるの?下見?」

「あたり。ちょっとね。一番きれいな場所はどこか探しておかなきゃならないと思って」

「どこも綺麗だよ。でも、この場所明日早くに来ないといい場所取れないよ。そこらへんはちゃんと、考えてる?」

「いや、まったく。初めてだからさ。何にも分からない」

「はあ」僕の計画性のなさにため息をついたのかもしれない。

「明日は、休日でさらに日曜日よ。この街一番の花見スポットなんだし、人が馬鹿みたいに集まるのは自明でしょう。ほら探すわよ」

 僕たちは、それから二人して春の陽光が優しく漂う桜並木を歩き回り、明日花見をするにべストであろう場所を血眼になって探し回った。桜並木はその川のずっとずっと先まで続いており、結果としてはどの場所も同じように綺麗でその中でも随一と二人して納得できた場所を一応は探し求めることが出来た。僕たちはそこに目星をつけ、一括りを得た。

「一応はここにしておきましょう」

「明日は何時から場所取りをするつもり?」

「いや、まったく。考えてねえな」

「考えて無過ぎよ。じゃあ、六時くらいから場所を取っておくわよ。多分、ここはこの桜並木沿線の中で最も良い場所よ。みんな狙ってるかもしれない。もしかしたら、これでも遅いかもしれない。でも、早すぎても、大変よね。だから、このくらいの時間でいいわ。明日の、六時にこの場所に集合しましょ。撮られてたらまたそのときに考えるわ。どう?」

「ああ。了解。ありがとな。何から、なにまでやってくれて。全く考えていなかったよ。僕はてっきり、十二時くらいに集まって、適当に座って食べればいいな、なんて考えてた。」

「転校生さん呼んでるんでしょう。この街一番のロケーションで楽しませてあげましょ」

「ありがとう。ちょっとここらへんで休憩しよう。あの近くのベンチに座ろう」

「うん」

僕たちは近くにあった桜下の小さなベンチに二人して腰かけた。

「未来は何か飲みたいものはあるか?近くの自販機でなんか買ってくるよ」

「ああ、じゃあミルクティーをお願い」

僕は少し小走りにして、近くにあった自販機で彼女のミルクティー、自分に緑茶を買い、戻っていった。

「はい」

「ありがとう」

「久しぶりじゃない?こうやってみんなで遊ぶの?」

 彼女の顔は懐かしき黄昏を憂うような、また久しぶりの交遊を慈しむような双方の色を帯びた笑みを浮かべていた。

「みんな忙しくなっていったからな。早いよ。本当に」

 空は徐々に紅く染まっていってる。目の前には桃色の桜、その後ろに空が見える。赤い空が川面に反射してゆらゆらと赤く静かに揺れている。

「あなたはそんなことなさそうだけどね」

 彼女は土手に生えた雑草を右手で無性にむしっている。

「まあ、それもそうだけどな」

「まえ、ここで遊んだのっていつかな?」

 彼女は顔を上げて呟いた。僕は身近な記憶を追想した。そうしてる間に、彼女は継句をつなげた。

「中学入る前の春休み。みんなで一緒にここで昼ごはん食べたの覚えてる?新しい中学校生活に期待を寄せて、みんなして楽しそうに喋りあってたよ。どこの部活に入ろうかだとか、誰々が私立の中学に行っちゃったから、会えなくなるんだよな、とか寂しがったりしてさ。そうやって、僕たちはおんなじ学校に進学して良かったなんて笑いあっちゃってさ。本当に変わらないよ。昔だって、今だって。僕たちの仲は変わらない。このまま変わらなくあってほしい。それだと嬉しいな」

「うん」

「ねえ、司。ひとつ、聞いてもいいかな」

彼女は一呼吸置いて、改めてことばを紡いだ。

「何」

「新しくクラスに入ってきた転校生。彼女はあなたの何なの。わたし何で私たちと仲良くしたいのかもよくわからないの。見たところ、貴方と彼女は何か密接なつながりがあるようにも感じる。答えたくないのなら、答えなくていい。でも、もし教えてくれるのなら、教えてほしい。あなたたちのことを」

僕の答える言葉は決まっていた。

「多分、それは明日彼女の口から直接聞けると思う。今はそれだけしか言えない」

彼女の口から話すと言ったのだ。僕はその言葉をただ待つ。ただそれだけ。彼女は「分かった」と一言呟いた。ミルクティーが空になったのか、スチル巻を横に振り、「あなたは、飲み終わった?」とだけ言った。僕は「飲み終わったよ」と返し、その缶を横に振った。僕たちは、そのまま立ち上がり、二人してその並木道を再び歩き出した。この街に、遊ぶところはなかった。だから昔からこうして三人でただ喋りながら、川沿いの沿道をひたすら歩いていた。その日々は楽しかった。そう、今でも変わらないかもしれない。

「ほんとにそう。こんな日が一生続けばいいと思うんだ。私と、快人、そして司。三人で、なにかあったときには河川敷で喋りあってさ、時には笑いあったり、泣きあったりして、そして、また歩き始めて、皆して顔を合わせながら笑いあう。それだけで幸せ」

「ああ。僕もそう思う」

「じゃあ、ここでいいわ。明日は、あの場所付近に六時集合ね。わかった?遅れないようにね」彼女少しだけ駆けて僕の前に出てそのまま振り返り、笑ってそう言った。

僕はそのまま彼女に背を向けて帰ろうとした。


「ねえ」

彼女が後ろから、大きな声で僕を呼んだ。

僕は振り返った。

「本当に大丈夫だよね。私たちの日常は壊れたりしないよね。ほんとうに、一生続くんだよね」彼女が、擦り切れた声で叫んだ。

「ああ大丈夫。続くさ」

僕は一心に笑いかけた。そして再度背を向け歩き出した。

さっきまで僕を覆っていた赤い空は、雲に包まれていた。

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