第6話 放課後

「本当に彼らは仲が良いのね。どういう関係なのかな。ねえ知ってる?快人」

 司たちより少し離れた席から、私たちは彼らを見ている。彼と喋る彼女の横顔を見ると、私の心はずきずきと痛んでくるような気がした。

「全く知らねえ。なあ、未来。そんな奥手だといかないぜ。そういう時こそ、もうちょっとがっつりなれよ女だろ」

 快は肘をテーブルに付けながら、気だるそうに答えた。

「仕方ないじゃない。難しいのよ。」

 そんな彼女の姿に、快人はため息を吐き言い放った。

「言うが、俺はあいつをよく知ってるが。司は自分に自信が無いんだ。それは自意識過剰の真逆の極致だ。そんなものは既に、抱いていないんだよ。だから、あいつが気づくことはねえ。だからお前は、言いださない限りそれは伝わることはねえんだよ」

 私たちは、窓側のとある席で司と今朝転校してきた謎の女の子が喋っている姿をずっと見ていた。彼らがその席を離れるその時までずっと。何か一つ分かったことがあるとすれば、あの彼女が司にとって、大切なひとであるということ。恋人とは全く違うもの。彼らは深くつながっている。思春期の片想いなんかとは千差万別だった。そして、時折見せる彼女の微笑はどこか若干の悲壮感を帯びているというのが私にも微かに読み取ることが出来た。少し、いやな予感はその時からしていた。

彼女は、徐々に学校になれていった。周りの人間とも普通に仲良くできているようにも感じる。が、その節々にはぎこちないところも垣間見える。それは変わらない。


 水城あかり、彼女は万能だった。国数英社理、どの科目も万遍なく勉強出来、勉強がそこまで得意ではない僕は逆に彼女に勉強を教えてもらうことすらありそうだった。「こんなことも分からないの?」とよく彼女は言った。勉強ができるものは、できないことを疑問視する。わからないものは分からない、仕方ないのだ。僕はそう思う。また、運動神経も良く、かの50m走では、学年トップのタイムを誇り、その年の春の、運動能力テストでは学年3位に入った。彼女曰く前の学校では、陸上部に所属していたらしい。それは当然の出来事かもしれない。完璧な女の子と言っても過言ではない。容姿端麗で、成績優秀で、運動神経抜群。三拍子が揃っている。たちまち、転校してきた彼女は学年中で話題の的となった。それは、ただの山の中にある田舎学校には珍しい都会の芸能人のような存在にも見えていたのかもしれない。しかし、彼女が元住んでいた場所は僕たちが住んでいる場所より遥かに田舎だ。私たちが知らない都会という地から来た女の子というわけではない。でも、彼女の周りには神秘のベールのような神聖なオーラがあるようにも見える。あと、その表情だ。いつでも微笑んでいるかのようにも感じられるが、またそれは無表情のようも感じられる。でも、その笑みの裏には儚さが垣間見える。。感情というものに機敏な者なら見えるかもしれない。たぶん、僕は彼女の過去背景を知っているからそれが見えるのだと思う。彼女の造形はまるで人形のようだった。表情はいつも変わらない。それは人形の表情パーツのように、決まった表情が数種類存在するだけだった。


 春の日は、中旬に入った。校舎前の桜木はその身を薄紅に染め始めていた。桜は、僕たちに春を感じさせる。そして桜が散るのと時同じくして、春も終わりを告げる。春は時短し。そこからは夏に向かう。暑さは日に日に増していく。今の僕たちは、学校帰りだ。いつもどおりの日々を過ごし、部活の日を送らない僕たちは学校終わり、足早にしてその教室を後にして、学校を出ていった。そう、隣には幼馴染で転校生である水橋かおりがいる。


「どうだ、学校の方は。慣れたか」

 僕は、歩きながら初の言葉を紡いだ。

「うん。問題ないよ。慣れてきた、クラスも勉強も」

「なら、良かった。」

「毎日付き合ってもらってるね」

 彼女はうつむき加減にして言葉を口にした。

「全然。僕はいつも暇だし、安心して。いつでも付き合うよ」僕は笑ってそういった。

「うん」やや気落ちな返事が返ってくる。

「何だろう。やっぱり難しいわね。人と仲良くするのって」

「ああ」僕は静かに、彼女の継句を待った。

「あのね。私、問題は無いって言ったでしょう。でも友人が出来たというわけではないの。友達って凄い難しい関係でね。自分から仲良くなろうってできない私は、人に承認されないの。友人関係っていうのはお互いに承認しあって成立するものなの。片方が友人だと思っていたとしても、そのもう片方の人間が友人だと思っていない。この関係は友人関係とは言えないの。まあ積極的に仲良くろうって思えないから、何とも言えないのだけれどね。でも、新しい場所にきて、頼れる人間が一人しかいないってのも怖い」

「僕で不安?」

 その返答に彼女は首を大げさに振って否定する。

「そういうわけじゃない。まあ、端的に言うと君の友人を私に紹介してほしいと思ったんだ。あなたの友人となら、仲良くなれそうな気もする。なんかあったときにはあなたがいることだし。多分彼らなのだろうって予想はついてる。あの子たちなのでしょう」彼女は聞いてきた。

「まあ、そうだね。彼らだ。」僕は思案した。

 僕は視線を小川沿岸の淡色に向けた。いい感じに桜が咲き始めていた。

「今週の日曜はどう。空いてる?」僕は彼女に訊いた。

「空いてる」

「じゃあさ、君は、桜は好きか?」

「好きよ。幸せは気持ちにさせてくれる。桜は私たちが姿を変えるときにいつもそこに存在して、私たちを祝福してくれる。その時々の写真にはいつも桜が顔をのぞかせている。あと、桜は儚さというものも感じさせるから。私はそこも好きよ。桜の散り際は、人に刹那の悲しみを見せてくれる」

「うん。僕も好きだ。この今歩いている沿道とてもきれいに染まってると思わないか?」

 僕たちは小川沿道を寄り添って歩いている。その沿道の桜たちの殆どは今にも開花しようとしている。まさに満開の勢いである。彼女は目を輝かせて、その桜を眺めていた。

「ここは、この街名物の花見スポットでね。ここで、明後日花見をするってのはどうかな?君は桜が好きだと言った。ぴったりじゃないか」

「本当に良いの。こんなきれいなところで食事なんて私初めてよ」

 喜んでくれたみたいだ、僕も嬉しい。

「じゃあ、僕から彼らに連絡を入れておくよ。予定が空いているといいんだけどね。何か彼らに言っおいてほしいこととかはないかい?」

 彼女は何かを思い小難しい顔つきに変わったが、すぐに顔はもとに戻った。

「いや、やめておく。下手にネガティブなこと言ってしまうと、相手に気を使わせてしまうからね。新しくクラスに転校してきた子が来るとだけ一言入れてくれるだけで十分。お願いできるかな」

「うん。わかった。今日の夜のうちにメッセージを送っておく。そうだ、あかりの連絡先を聴いてない。教えてくれないか?」

「あ、うん。そうだったね。ユーザーコードを教えて?」

 僕たちは互いに連絡先を交換し、また歩き始めた。

「これだけは変わらないよな。時代がセイブをかけてるみたいだ。」

 僕は不思議に思った。

「携帯?確かに形は変わっているらしいけど、大まかなところは変わらないわね。それ以上のものがいらないんじゃない?もう、完成してしまったのよ、これ以上あえて増やすようなものがないんじゃないのかしら」

「だろうな。でも、今の時代には古いとは感じないか。はるか昔に存在したガラパゴス携帯がレガシーシステムになったのと同じように、スマート端末もレガシーになってもおかしくはないだろう。技術スピードによっては電子コミュニケーションじゃなくて、テレパシーコミュニケーションみたいなものが出てきてもおかしくはなくないか。それともそれは完成すらしていないのかな。構造的には実現可能っぽくも見えるんだけどね。まあ素人の考えだが、脳にチップを埋め込んで、そのチップが脳の電気信号を読み込んで相手に送ればいいだけの話だろう。疑似テレパシーみたいなのはできそうだけどね。やっぱり危険性があるのかな。脳がウイルス感染とかなっちゃう可能性みたいな。フィクション漫画みたいだけど、そこまでの世界には進んでいないのかな。それもわからないのだけれど。」

「まだ、危険性が未知数だから、一般流通できないんじゃない?そのうちするんじゃないかしら。でもこれ以上よりよくする必要があるのかなって時々思うわ。今だって、これで困ることはないし。既に十分に実用的だし、これ以上のものは要らないとさえ思えるの。それにテレパシーなんて怖いじゃない?そう思わない?」

「それはあるかもしれない。脳って言ってしまえば人間に内蔵されているコンピュータみたいなもんだ。コンピュータは非常に繊細だ。下手にいじって壊れてしまうよか、何もつつかない方がいいのかもしれないな。まあ、僕たち一般人には関係のない話だね」

 僕たちは、彼女が転校してきたその日から毎日一緒に帰りを共にした。十年の時経て出会えた彼女は変わっていた。いや、変わらない人間なんて者はいないのかもしれない。僕はあの頃の彼女しか知らないのだから、それは当たり前のことだった。そう、あの頃から十年も経ってしまっているのだから。顔つきだって大人になっているし、背だって僕と変わらないほどに成長している。目線の位置だってもはや僕と変わらない。でも、やはり心は子供のままだ。それは、壊れやすく脆い硝子細工のよう。

「日が落ちるのが遅いから。いつまでも喋っていられる」

 僕たちは河川敷に座って二人して対岸を眺めながら話していた。空はまだ淡い藍色だった。

「あなたは、これまでどんな人生を送っていたの。私が君といなかった間に」

 彼女は前をただ見つめながらふと呟いた。

「普通の人生だよ。それは変わらない。君があの家を去ったのと時同じくして、僕も家を引っ越したんだ。そして、あの家に移り住んだ。とてもきれいな家だ。家族三人で住むには大きすぎるかもしれない。自分だけの部屋を持てたというのが一番よかった。それから僕はこの街にある小学校に入った。この河川敷をまっすぐ進んでいけば見えてくるよ。あの小学校。遥か昔は、この街にも三つも小学校があったらしいんだけどね。もう一つしかない。その小学校に入って彼らと出会ったんだ。一人は、春日未来。君のクラスで、僕の隣に座っているあの女の子。勉強はそこまで得意ってわけではない。特に数学が苦手みたいでね。テストの際には君も勉強を教えてやってほしいくらいだ。でも、彼女は運動が得意でね。それは昔から変わらない。小学校の頃から学校の部活動で陸上を習っててさ、だから足もすごい早いんだ。運動会では毎回一番。最後の運動会では女子でありながらもリレーアンカーも務めたんだ。今ではあんな女の子って感じだけど、昔は髪も短かかったんだよ。女の子っていうよりかは、男の子って感じだった。昼休みなんて、僕たちに混ざって一緒に鬼ごっこをして遊んだりもしたかな。よく捕まえられたのを覚えてる。そして、僕の斜め後ろに座っている男の子を覚えてる?あの子は加藤快人。彼はサッカーが頗る上手い。話を聞けば部活でも彼は常にレギュラーらしい。運動が全くと言ってできない僕は彼を羨ましく思ってる。それに彼、かっこいいじゃない?それになぜか勉強も出来ちゃうんだよね。天は二物を与えないとかよく言うよね。彼、彼女は二物以上のものを持っている。それに性格もいいんだ。本当に彼らを見ていると悲しくなっちゃうんだ。何でなのだろうってね。何でこんなにも世の中は不公平なのって。僕は性格も良くない。ひねくれ者だし。人のことを憂いて、自分を傷付けちゃう。こんなんだから、どんどん性格も卑屈になっちゃって。容姿も良くない。勉強もできる訳じゃない、運動もできない。何にもできないんだ。本当に彼らが友人でいてくれてよかった」

「とてもよく思ってるんだね、あの子たちを。あなたが良く思っているなら安心できるよ」

 彼女は優しくつぶやいた。

「うれしいよ。君は大切な友人を持っているんだ。それに私はそんなこと思わないよ。君は性格だっていいし。顔だって悪くない。勉強や、運動なんて頗るできる必要なんて全くないさ。全然問題ない。友達を大切にできる君は、綺麗な心を持っている。優しいんだ。悪く思わないで。私なんかより全然いい。私なんて友達すらできたことが無い。君が思っているより、君は素敵な人だ」

 何でだろう。不意に涙が頬を伝った。僕は必死に隠すように手で拭った。

「口に出したとしても仕方のない悩みは自分の中で抱え込むしかないんだよね。でもそれは君が思っている以上に大きなものじゃない。だから、そんなに思わないで。君の友人ならそんなことなんて全くと言っていいほど思っていないはずだよ」

「恥ずかしい。」

「恥ずかしくなんかないよ。つらいときの涙はため込む必要なんて無いんだから。涙は流して、すっきりさせた方が気持ちが良いんだ。私もよく涙を流していたさ。涙はきれいなものなのだから。皆抱えている。でも、それでも生きているんだ。それを頑張って封じ込めてね。じゃないと、やっていけないからかな」

「君はどうだった。あっちに行ってからさ。どんなところに住んでいたの」

 彼女の表情が寂しい顔に変わった。

「大丈夫だよ。つらいなら無理に話さなくてもいい。」

 僕は咄嗟に訂正した。彼女の顔が鈍色に変わったのが気にかかったからだ。

「いいや、大丈夫。さっき言った通りなの。友達いないって言ったじゃない?そうなの。私も君と同じひねくれ者だよ。陸上やってたのも、独りでいれるから。一人で一生懸命やってたら、人は誰も話しかけてこないじゃない?それが気楽でさ。実をいうとあんまり、教室というものにも慣れなかったんだ。だから前の学校でもずっと一人だった。でも、言ってしまうと、自分で一人の空間を作っていたんだ。自分で自分の殻に閉じこもってさ、だから成長していないんだ。私まだ子どもなの。背丈だけこんなでかくなっちゃって、まだ中身は子ども。私は欠陥ものだよ。気にしないで。あなただけじゃない。だから、あなたの気持ちも十分に分かる。その辛さも同じように理解できる」

 そして彼女はその背を緑に茂る野につけて言った。

「一つ言えることがある。私は幸せだよ。君に出逢えて。神が私たちを世界に産み落としたのだとすれば、この広大な世界であなたと出会えたというのはとても小さな、それは限りなく小さいものなのだから。私は幸せなの」

 空もその色を赤く染め始めている。

「日が落ち始めているね。明日はゆっくり休むわ。この一週間はとても大変だったから」

 僕たちは、学生服が汚れるのも気にすることなしに横たわり空を見あげ話し続けた。

「そうだな。でも、本当に良かった」

「私の台詞よ。ここに来てよかった。こうやって空を見上げるのはとても気持ちがいい」

「僕もそう思う」

 僕たちはその空が暗みを増していくその時まで、空を見続けていた。言葉を発することもなくただ静寂に沈む紅く染まった夕焼けを眺めた。時に互いに言葉を発し、その言葉に優しく呼応しあいながら、時に微笑みあいながら、それは陽が完全に西の地に堕ちるそのときまで続いた。それはとても柔らかく、空に浮かぶ雲のように僕たちの心は軽くすこやかに溶けていった。

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