第4話 登校

『君がなぜここにいるんだ』

『あなたに会いに来たんだ』

 はっ、と目が覚めた。目の前は薄明るかった。窓の外から優しい風が入ってくる。額を滴る汗が身体を密かに冷ましていた。レースのカーテンが小さく揺らいでいるのがわかる。僕は軽く伸びをし、ベッドの上にある携帯を手に取り、電源を付けた。六時十三分。まだ、早い。しかし、再び寝ようと思うほどの眠気はもう残っていなかったので、僕は寝間着を脱ぎ、学生服に着替えた。そのまま階段を下り、居間のテーブル椅子に腰かけた。

「おはよう。早いわね」

「おはよう。予想以上に早く目が覚めちゃったんだ」

 母は、朝食を作っていた。僕はテーブルの上に置いてあった朝刊に手を伸ばす。新聞を読んでも、ほの暗い気持ちが襲ってくるだけだった。そこには、気を明るくさせる情報なんてものは載っていない。しかしやることもないので、僕はページをぺらぺらとめくった。そこで、あるページに目が止まった。

「なあ、母さん。昨日言ってた女の子の苗字水城だったよな、確か」

 僕は顔を上げ、目を丸くさせて母に問いかけた。

「そうだったかしら。でもそうだったような気もするわ」

「やっぱり、そうだよな。」

その文面に自然と目が泳いだ。

「はい、これ。朝ご飯。どうしたの?」

 母はピーナッツトーストをテーブルの上に置いて問いかけた。

「いや、この記事。」

「ああ。昨日テレビでも言われてたよ。四月の初めごろの通り魔事件が起こったらしいね。ひどい話だよ。小さな田舎町の商店街でナイフを持った若者が、暴れてね。五人のくらいの方が無くなったんだっけ。」

「そう、なんだ。初めて知ったよ」

「遠くの街で起きた事件なんだけど、あんな田舎でもこんな事件が起きてるんだからさ。それはこの街で起きたとしても何ら不思議でもないかもしれないよ。私たちも気を付けなきゃね。」

「うん。気をつける、ようにするよ」

 通り魔被害者の名前に違和感を覚えたのだ。これは確かにあの子の苗字だった。それに、事件の起きている町が、彼女があれから移り住んだという町の名前と一致している。ただの推測にすぎないのだが、唯一の彼女の身よりだったお婆さんが無くなったのかもしれないと思ってしまった。


「ごちそうさま」

「あら、もう食べたの。というか、もう出るのね」

「うん。今日は早く出ることにするよ。初日だし。まあせっかく早く起きたんだ、早めに登校するのも悪くないかなってね」

「わかった。帰りはいつも通りよね。ちゃんと勉強しなさいよ」

「わかったよ。じゃあ行ってきます」

 僕は気だるく、玄関のドアを開けた。眩しい朝の光が、僕の視界を白く染める。僕は陽光を手で仰ぎながら、視界をちょっとずつ目に慣らしていく。久しぶりの学校だった。いや、久しぶりの朝だった。休みの日は、身体が休みのペースに入り、殆どの日を起床時間が昼過ぎに変わる。遅く寝て、遅く起きる。だから、朝の肌寒さというものも久しぶりに体感した。まだ四月の初旬だが、手のひらはその冷めた空気に触れ、赤みを増している。僕は両の手に軽く息を吹きかけ、ゆっくりとこすりながら温めた。学校は家から歩いて、三十分だ。いつもなら、自転車で登校するのだが、今日は朝が早くゆとりがあるので歩いて学校に登校する。耳にイヤホンを挿して、音楽をききながらゆったりと歩いた。学校へは、前の河川敷への散歩コースと一緒である。そのまま河川敷の橋を渡り、まっすぐ進むと学校が見えてくる。学校は丘の上にあり山々の緑に囲まれた昔からある中学校だ。僕は、いつもは自転車を押して歩く坂道を今日は歩いて上る。中学生、坂道、自転車というワードを並べてみるとあるアニメーション映画が頭に浮かぶ。あんなピュアな恋愛をいつかはしてみたいものだと思う。そんなことを考えていると、後ろから肩を軽くつんとたたかれた。

「今日は、歩いて登校?珍しい。家遠いのに」

 肩を叩いた彼女が僕の隣に顔を出した。僕はイヤホンを外しながら横に顔を向けると、彼女の目は、僕の目とちょうど水平の位置あった。だから彼女と話していると、よく目が合う。女子にしては高い身長を持つ彼女は、僕と背の高さがまるで変わらない。

「ああ。ちょっと気分転換かな。」

「どうだった?春休みは。どっか遊びに行ったりしたりした?」

「いやあ、全く。何もない。いつもと変わらないって感じだ」

「ふーん。そうなんだ。私は毎日部活&空手、って感じだったかな。学校が無いからってママが張り切っちゃってね。まあ、私はそれが授業&部活に変わって寧ろ逆に緩くなってくれるから嬉しい。それより、楽しみだね。新しいクラス。今年も一緒のクラスになれるかな」

 彼女は笑ってこちらに同意を求めている。

「どうだろうなあ、今年は。これでクラスが一緒だったら何年一緒なのかね。相当長い付き合いになるよな」

「そうだよ。私たちもう八年だよ。長いよ。小学校の一年生の時から一緒なんだよ。だからええっと、確率的には…」

「いや、確率もくそも無えだろ。一クラスしかねえじゃねえか」

「そうれもそうだね。まあ、同じなのはうれしいよ」

 彼女のブラウンの髪が凪いている。

「ん。どうかした。」

「いや、何もないよ」

「つ、司はさ。高校とか、どうするの。」

「まだ考えてないなあ。未来は」

「わ、私。うん、私も。まだ、考えてない。」

「もう、僕たち、高校生になっちゃうんだよな。早いよな。何か寂しいな」

「何、いってるの。受験なんてまだ先だよ。高校なんて、さらに先よ。私たちは今を楽しまなきゃ。時間なんてさ、つべこべ考えてとしてもさ、結局皆同じように過ぎちゃうんだから。それならさ、その時々を楽しく過ごそう。嫌なことでも、楽しいことでも平等に時は過ぎていくんだから。そうは思わない?」

「うん。まあな」

 僕は彼女と、しゃべりながら学校までの道のりを歩いた。彼女はいつも楽しく話した。家で飼っている犬の写真を僕に見せ、可愛いと歯を見せて笑った。誰々が誰々と付き合っているんだってと、詳しく僕に話してくれる。僕は内心興味は無いが、笑って話を聞いていた。僕には無関係な話だから。聞いたってなにも思わない。情報通でもある彼女は何でも知ってる。また男女ともに友人も多く、勉強はあまり得意ではないが、誰とも話せる朗らかさ持ち、ルックスもいい。そんな彼女には絶対に良い彼氏がいるんだと思う。僕なんかとは正反対の。

 クラス発表は校舎前にある学内掲示板に毎年張り出される。が、皆が想像するような盛大なクラス発表とかではない。それは、ただの情報伝達のようなものだ。地方は子供の数が少なく、複数クラスを作れるだけの子供はいない。言えば、絶対的にクラスは一つしかないのだ。地方で生まれた子供たちは、その地を離れることが無い限り、ずっと一緒なのだ。幼稚園から、小中高と変わらない。だから、皆たいていは顔見知りだ。

「どう。私は1組だよ。司くんはどうだった」

 僕は、掲示板の前で目を凝らし、自分の名前を確認する。楠木司と。

柿原大地、木ノ下由紀、楠木司と名前が並んでいる。この名前の羅列がある組は、

「一組。つうかそれしかねえがな」

「また、一緒だね。うれしい」

 彼女は瞳を輝かせて、喜んでいる。

「良かったな、未来。よろしく」


 クラス確認という、今は意味なき作業を終えた僕たちのそばに、彼女の友人が現れた。

「ねえ、未来。花壇の水やりを手伝ってくれない?先生に頼まれてたんだけど、寝坊しちゃってさ。時間がないの。だから、お願い!」

「それは大変。手伝うよ。ぱぱっとやっちゃお!」

 そう口をひらいた瞬間、その友人は未来に手を合わせ『ほんとにありがと』と言いながら、そのまま未来の手を取り校舎裏の花壇に連れていこうと足を踏み出し始めた。

「あ、ごめんね。また、教室でね。大丈夫だよ、まどか、自分で歩くから!」

 彼女は友人の手を優しく振りほどき、少し駆け足で友人と共に校舎裏に消えていった。

 クラブの副部長を務めている彼女は、同級生からの信頼も厚く、さらに後輩にも慕われているらしい。三年になれば彼女が部の部長になるだろうという噂も聞いたことがある。まどかさんという方は、部活の友人だった。でも一つ思ったことは、未来と一緒にいれるっていうのは少しうれしい。やっぱり、彼女といるのは楽しいし、一緒に話してて心地がいいからかな。

「お前ら、ほんとに仲いいのな。」

「そうかあ。」

 僕は首を後ろに傾け、何事もないように答えた。

「うん。そう見える。あんなぐいぐい来る未来はお前と喋ってる時しか見たことないよ。俺はそう思うがな。」

「ふうん。そう。」

 僕は適当に返事をした。

「ほんと、変わらないな。お前は」

 加藤快人。僕の古きからの友人の一人。古きといっても小学校の一年生の頃からである。だから、今年で十五を迎える僕にとっては六歳からの付き合いなので九年の付き合いになる。それは、前述した彼女も一緒だ。僕たちは三人で仲が良かった。

 僕たちは、掲示板を後にし、校舎に入り三階に上がった。三階の廊下は喧噪で溢れていた。皆新しいクラス、新しい生活に胸を躍らせているのだろう。中学三年生は行事が盛りだくさんだから、どれも学生最後の行事になるだろうし。どの行事も学校生活一番の思い出として、良き思い出リストにランクインしていくのだろう。皆それを期待しているのだろう、その顔は輝かしい未来に溢れているようにも感じる。外から見た彼らは皆が皆、一様に幸せに見える。

「ここの教室だ。入ろうぜ。」

 僕たちはドアを開け、教室に入っていった。もう、殆どの生徒が揃っていた。まあ、皆自分の座席が分からないので適当な椅子に腰をかけたり、机に座ったりして談笑している。だから、僕たちも適当な椅子に腰かけた。

「今日は何読んでるの」

「犯罪小説さ。この小説ジャンルはやっぱり読み飽きないんだ。犯罪者心理というものは正常人間である僕たちには絶対に分からないものなんだ。でも、最初はみんなノーマルな人間なんだよ。僕たちの人格は経験や環境が作り出していくもので、もともと僕たちの心は白紙そのものであるのと同じようにね。それがいつしか異常な人間性に変わっていく。言うなれば、もしかしたら今はふつうの人間である僕たちも、あらゆる時と条件が重なれば彼らの側に立ち入ってしまうということ。でも、思うんだ。犯罪者の心理っていうのは、その人の心に新しき悪しき考えが誕生したというよりかは、私たちの心にある潜在的な部分が肥大した結果っていう感じだと僕は思うんだ。犯罪小説を読むことで、僕たちの心の潜在部分を微かながら感じることが出来る。でもそれはすごく抽象的で分かり難いものなんだ。だから、その本を読んだって全てが分かるわけではない。でも、だからこそ面白い。犯罪小説は人間の深淵を見つめることが出来る。それは深く、大きな危険を持つ。こんな本を読んだって、自分が犯罪者に変わるわけではない。でも、微かながらでも犯罪者心理を探求することによって犯罪者の考えに近づける気がする。彼らに近づくことによって、彼らの気持ちが分かる。まあ、言ってしまえば自分には無いものに触れるっていうのは楽しことだよなってことだ。それって凄い面白いことじゃない?」とまあ、いつの間にか彼に熱弁していた。

「ふぅん。よう分からんな」

 机に肘を付け、頭をその手に垂らすように、彼はそう答えた。


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