第23話 月に願いを

 今夜は中秋の名月だ。たまには月を眺めながら一杯飲むのもいい。

 俺はロックを傾けながら、アリサ・ケイの音楽をかけた。美しい月には美しい歌声が似合う。

 このアリサ・ケイという歌姫はテレビには出ないのはもちろん、ライブも滅多に行わない。写真集やジャケットには姿を出しているから、実在するのは確かだが、人前では歌わない。

 もし、ライブに行ったという者がいたとしたら伝説になるのではないだろうか。

「君が目の前で歌っていたら、どんなに美しいだろう」

 俺はつぶやく。だが、ジャケットの中で彼女は微笑むだけだ。目の前で歌って欲しい、彼女を手に入れたいとすら思う。

 今夜は中秋の名月。この月に願いを捧げればそれが叶うという。

「この美しい声の主を抱きたいものだ」

 半信半疑ながら願い事を口にする。今夜はとことん美しい月と美しい歌姫に酔いしれよう。


 そんな夜を過ごしたのも忘れていたある日、俺はピンチに陥っていた。

 ホテルの一室。バスルームからはシャワー音。曇りガラス越しでもわかるふくよか過ぎる身体。

 バーで飲んでいたら酔いつぶれていたらしく、そこをあのデ……ふくよか過ぎるあの女がここへ連れ込んだらしい。

 マズイ、逃げないとならない。しかし、女は用意周到に財布と服を隠していた。探したがどこにも見当たらない。もしや、バスルームに持ち込んでいるのか。

 ピンチだ、このままだと非常にヤバいことになる。

 ふと、このホテルにカラオケが付いていることに気づいた。そうだ、この歌をキー変更無しで歌えないやつは抱けないとでも言って言い逃れできないだろうか。アリサ・ケイの音域はかなり高く、歌えた奴はほとんどいない。

 すがるように、カラオケを操作し、アリサ・ケイのイントロが流れる。よし、この曲ならば大抵の人間は歌えない。

「あら、アリサ・ケイの歌ね」

 背後から女の声がした。女のシャワータイムは終了したようだ。俺はなるべく冷静を装って答えた。

「俺はこのアーティストが好きでね。これを歌いこなせる女性でないと抱かないと決めているんだ」

「まあ、良かった。私、歌えるわ」

 そして、歌い始めたその声はあの声。

「ゴーストシンガーってご存じ?」

 にたあと笑う女の顔に、こないだの願い事の真実を悟った。

 そう、確かに俺はと願ったのだ。

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