第6話 男前侍part2
「いやあ、『男前侍』おかげさまで大ヒットしてさ。2作目撮ってるの。今回は予算も増えたから、全編横須賀ロケ。あっははー。ここは海も山もあって、ご飯も美味しいし良いところだね。アニキは観光?」
防波堤の上に腰掛け、芸名アラン・黒崎は、隣の横山が口を挟む間も無く、機関銃のようにまくし立てた。
甲高い笑い声に耳がキンキンする。
先刻、漁港で旧友の姿を目ざとく発見したアランは、もう少しで終わるから待っていてくれと一方的に告げ、倉庫に帰った。
それから待つこと1時間、メイクを落とし
、侍の扮装からニューヨークマフィア風の私服に着替えた俳優が出てきた。
本人曰く、無事にクランクアップしたので、今からフリーらしい。
打ち上げは参加しなくて良いのだろうか、と思ったが、依頼達成のため、横山は敢えて黙っていることにした。
「俺は仕事のような、友達付き合いのようなだな」
「へえ。俺は全部仕事。今日で撮影終わりだけどね。1週間いたのに、全然観光できなかったよ。えっと、今何だっけ? 藤沢? あいつのとこにも行きたかったのだけど、住所や連絡先分からないし、時間ないしでさ。アニキ知ってる? 知ってたら教えてよ。実はどぶ板にいい感じのバーを見つけたんだ。ジャズバンドの生演奏聞けるし、綺麗なお姉ちゃんも沢山来る。進駐軍もいるけど、陽気で良い奴らだ。今晩3人で行こうよ。ほら、昔、銀座のダンスホールやバー行ったみたいにさ、ぱーっと。俺たち3人なら、まだまだいけると思うんだよね」
映画俳優は、終戦時、上海に駐在しており、そのまま終戦直後の混乱に巻き込まれ、帰国しそびれた。
昭和20年8月17日を最後に音信は途絶えてしまい、去年の暮れ、横山が気まぐれに見た駄作映画のスクリーンの中で発見するまで、生死不明であった。
こちらの心配なんぞ知りもせず、根明の元同僚は、ちゃっかり現地で映画俳優として成功していた。父親はアメリカ人であるため、日本国籍であることは隠蔽していたそうだ。
けれども、中国大陸では、いよいよ国民党軍と八路軍の内戦が激しくなり、今度こそ逃げそびれまいと日本に活動拠点を移すことに決めた。
その足掛かり的な作品が件の駄作映画『男前侍』である。
空前絶後の駄作のくせに、何故だか大ヒットを飛ばし、主演俳優の人気も知名度もうなぎのぼりというのは、映画好きとしては許せない。
銀幕の中に生死不明の同期を見つけた後、横山はすぐさま、アラン・黒崎なる俳優の所属事務所に連絡を取った。
そして、正月休みに東京で開いた元同僚たちとの新年会では感動の再会と相成った。
もっとも、敗戦前と変わらぬ軽薄な笑顔と対面するなり、その場に会した元同僚一同で、挨拶がわりに、一発ずつ殴ってやった。
元気でやってるなら、生死の連絡ぐらいしろよ、馬鹿野郎、という想いをこめて。
宴席では、唐澤が(無論、本人は欠席である)横須賀にいるという話は少しだけ出たのだが、どんな状態かというところまでは、誰も言及しなかった。
彼のこと以上に重要な懸案事項があったし、アランとホルモン屋が中盤以降、泥酔して大騒ぎし、昔の仲間の近況をしみじみ語り合うような状況ではなくなったせいということもあった。
「ああ、唐澤のことなんだが……」
「藤沢じゃない、唐澤だった! あは、間違えた。本人の目の前じゃなくて良かった」
「うん、十年前から言っているが、人の話は最後まで聞こうな。唐澤のことなのだが少し長くなるけど、話していいか?」
逸れかけた話題を軌道修正し、会話の主導権を取り返す。
「ごめん、今でもよく監督とかに注意されるよ。で、唐澤がどうしたの?」
「まず、唐澤に会いに行ってくれる気でいるのは、非常にありがたいのだが、どぶ板のバーには行けない。俺と一緒に奴の家に行こう。繁華街には、あいつの心が適応できない」
「え?」
アランの彫りが深い横顔から笑顔が消えた。
「心が適応できないって、どういうこと? 聞いてないんだけど。あいつのことだから、物凄く巧妙な仮病とかじゃないか?」
通常より、2オクターブは低い硬い声で聞き返された。
「新年会の時は、別の重要な話をしなければいけなかったし、貴様は途中からベロンベロンだったから、話す機会を逸してしまった。否、言い訳だな。兎に角、話すのが遅れてすまなかった。奴は終戦の年の秋を境に、心が壊れてしまったんだ。詐病は一番に疑ったが、残念ながらあれは本物だ」
「……」
出来る限り要点を絞って話そうとしたが、結局、伝えなければならないことを全て話し終える頃には、すっかり日が暮れてしまった。
心地よかった初春の海風も冷たくなり、オレンジ色の海も、暗く深い黒一色の夜の海に様変わりしていた。
曇り空のため、灯りは街灯と遠く岬の向こうの灯台だけだ。市街地のネオンは、岩山が邪魔をし、ここからは望めない。
コンクリに直に座っていたため、冷えで尻や腰が鈍く痛んだ。
そんなに長く話していたのに、明るくお喋りな同期は一切笑わず、質問の一つも発せず沈思しているかの如き面持ちで、横山の話に耳を傾けていた。
「予備知識があっても、正直実際に会ったら驚くと思う。昔の奴と比べて、絶望的な気分にもなるかもしれない。けど、あれが今のあいつで、一生あのままで良いのかはともかく、本人は現状に満足していて、幸せなんだ。だから、あいつの前では、難しいことは考えず、いつもみたいに馬鹿っぽく笑っていてやってくれ。口には出していないが、あいつも貴様に会いたがっているんだ」
日程を限った急な呼び出しに、まるで横須賀市内を一周させるような買い物ルート、多めの食料品。
今回の依頼の不可解な点の下には、『映画の撮影で地元に滞在している旧友を探す出し、家まで連れてきて欲しい』という真意が隠されていた。
どぶ板のパン屋の話は、嘘ではなかったが、偶然発生した事件を利用した口実だ。繁華街に入れない以上、自力で撮影隊を市内各所、隈なく探すのが困難なため、横山に買い出しついでに捜索させようと目論んだのだろう。
人気急上昇の俳優がロケに来ているという噂で、海辺の地方都市の話題は持ちきりだ。地域密着型の便利屋の耳に入らない訳がない。
アランの無事は横山が知らせているので、知っているが、再会は未だできていない。
つい2ヶ月前に生存が確認された旧友が自分の住む街に滞在していると知り、居ても立っても居られなくなったのだろう。
だが、自分では探しに行けない。
結局、唐澤は、横山が自分の言いつけ通りに買い物をしているうちに、その噂を聞き、本当の依頼内容を察するのを狙うことにした。
大量の食料品は、自分と横山とアラン、3人で宴会を開くためだ。
小洒落たバーに案内することはできないが、せめて自宅で旨い地の物を食べさせ、歓待したいと考えているに違いない。
素直にアランを連れて来いと言えば良いものを、変なところで見栄を張ってしまったのだろう。
言動に一貫性がないのは、彼が壊れている証であり、病気ではなくわがままと済まされてしまう理由でもある。
横山はアランが、『うん、分かったよ』と空笑いをしながらも、首肯してくれるのを期待していた。
しかし、俳優は固い表情のまま、静かに拒否の意を表した。
「笑えないよ。いくらなんでもさ。何だよ、原因不明で病気ですらないのに心が壊れたって。何があったんだよ、俺がいない間に」
「側にいた俺たちにも分からない。きっと、戦争のせいだと思う」
最早、常套句と化した誤魔化しを口にしてみたが、二枚目俳優は引き下がらなかった。
彼は、不意に防波堤の上に立ち上がると、ぼんやりと霞んだ下限の月を見据え、厳しい口調で
「戦争のせい? 都合の良い言葉だよな。誤魔化すなよ。貴様、何か知ってるだろ。否、察しているのか。それで隠そうとしている。どうせ正月に言ってた、彼女に関係することなんだろう。どんな結末が待っていようと、何が何でも真実を暴き出すのが猟犬の矜持じゃなかったのか?」
鋭い追及に、横山は肝が冷えた。緑がかった瞳がこちらをじっと見下ろしていた。
「デカなんて十年も前に辞めたよ」
咄嗟に出てきたのは、情けない屁理屈だった。当然、一蹴される。
「探偵だって同じだろう。悪いけど、訳がわからないまま、へらへら笑ってあいつには会えないよ。納得できる説明ができないなら帰る」
一見、軟派で、楽な方へ楽な方へと流されるお調子者に見えるのに、この男の芯は強い。
意にそぐわぬことは、例え損をしようと、絶対にやらない。
自分に嘘はつかない奴だ、今も昔も一貫して。
「頼むよ、会ってやってくれ。確かに俺はそれっぽいことを察してはいるが、確証はない。そんなあやふやな段階で、口に出して良いような話じゃないんだ」
「じゃあ帰るよ。付き合ってられない」
こちらのやむにやまれぬ事情を分かって欲しくて、懇願したが、ぴしゃりと跳ね除けられた。
そんな状況じゃないのに、思わず短い笑いが横山の口から漏れた。
「どうしたの? 特におかしいことは言っていないつもりだけど」
憮然としているアランに、己の不躾を詫び、訳を話す。
「いや、悪い。仙台の眼鏡は『戦争のせい』で納得してくれたんだけどな。貴様はそう一筋縄にはいかないなと思って」
「いくわけないだろ。あの単純一本気馬鹿と一緒にするな。なあ、俺もあんたもあいつらと違って、神経は相当図太くできているんだ。ここは図太い者同士、腹割って話さないか? 他の奴らに聞かれたくないなら、二人だけの秘密にすればいい。これでどうだい? 山本のアニキよ」
映画スタアは、正義の味方男前侍にあるまじき、露悪的な微笑みで提案してきた。
全く、とうに捨てたスパイネームでわざわざ呼んでくるなんて、人が悪い。
探偵もにたりと、映画に登場する不良警官の如き笑みを浮かべ、仕返しをしてやった。
「なら話しても良いが、聞いて後悔しても知らんし、絶対誰にも喋るんじゃねえぞ、小泉」
錆びた街灯が対峙する二人の男を、スポットライトのように照らしていた。
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