第5話 捜索

 あんなに素敵な人は初めて見た、と数日前に目にした二枚目俳優を評し、デパートの受付嬢は頬を赤らめた。

 一部の隙もなく凛々しく髪を結い上げ、化粧を施した妙齢の職業婦人が、女学生のような表情をするのは特別な趣きがあり、愛らしかった。



「今日はどこで撮影をしているかご存知ですか? 見たところ、この辺には撮影隊はいないみたいですが」



 横山の質問に、彼女は口惜しげに首を横に振った。



「さあ。この辺で撮るシーンは終わってしまったみたいです。分かったら、私も早引きして見に行きたいくらいですよ」



 仕事を早引きしてまでして、見に行くような男ではないだろうと思うのは、旧友故の僻み目だろうか。

 西洋人の血が混ざっているだけあり、日本人離れした美男子であるのは認めるが、兎に角べらべらよく喋り、大声でけたたましく笑う。

 黙っていれば、ハーバード大に留学した経歴に見合う知的な顔立ちをしているのに、残念だが、あの男が黙っていることはない。

 好意的に捉えれば、底抜けに明るい奴だが、正直に言えば、長く同じ部屋に二人だけでいるのは頭が痛くなりそうなくらいにうるさい奴だ。

 おまけに女癖が非常に悪い。


 新しい手がかりはなさそうだと諦め、案内嬢に礼を言って去ろうとした時だった。


 婦人雑貨売り場係員の制服を着、商品の入ったボール箱を抱えた40代半ばくらいの小柄な女性店員が、ずいと案内カウンターの中に滑り込んできた。

 彼女は中年女性特有の図々しさで、ウブな後輩に耳打ちした。



「アラン様本人がいるかは知らないけど、長井に住んでいる子が、今朝早くに、漁港の近くで撮影の準備をしているスタッフの人たちを見たって言ってたわよ」



「え?」



「休んじゃだめよ。みんな生で男前侍見たいのだから」



 闖入者に呆然としている二人をよそに、女性店員は言いたいことだけ言うと、忙しなくバックヤードの方角に早足で行ってしまった。



「長井漁港か……」



 既に西日が差し込む夕暮れ時、早朝から準備をしていた撮影隊が、まだ現地に留まっている保証はない。


 しかし、行ってみなきゃ分からない。


 現場百遍、靴底をすり減らしてこそ刑事、じゃなかった、探偵だ。

 受付嬢にもし、俳優に会えたらサインを貰ってくると約束し、横山は急いで駐車場を目指した。




 長井漁港は横須賀市で一番の規模を誇る漁港だ。

 唐澤も気が向くと、早起きして自家用車を転がし、朝市で水揚げしたばかりの海鮮をたらふく食べると自慢していた。だから肥えるのだ。


 夕日に染まる海岸沿いの道を走り、適当な空き地に車を止め、外に出た途端、強い磯の香りが鼻腔をくすぐった。


 コンクリートの防波堤、定置網などの漁具が干してある漁師小屋に、天日干しされているしらす。


 目に飛び込んできた、昔ながらの漁港の風景に、息を飲んだ。


 ここはあそことは離れた別の街なのに。

 あの日と変わらない彼女が、すぐそこの電柱の影とかから飛び出し、『愼也さん、おじさんになったね』と屈託無く微笑む、というのは都合の良すぎる妄想だ。


 きっと、自分なんぞに、海のように深い愛情を捧げてくれた彼女は、恨み節は口にしない。でも、描いた幸せな未来が永久に失われてしまったことは、悲しんでいるだろう。


 久々に、後悔と悲しみに胸が締め付けられ、いかんと自分自身に喝を入れる。


 今は感傷に浸っている時ではない。


 頭のネジが数本飛んでしまった旧友のため、生まれつき頭のネジが明後日の方向に飛び出ている旧友を探すのが先決だ。


 彼女のことを思い出すのは、次の休み、あの街に墓参りに行く時にしよう。男の付き合いにも寛容な女だったので、大丈夫だろう。



 そんなことを考えながら、漁港の敷地内に足を踏み入れるとすぐ、そわそわした様子で、うろついている漁師風の中年男に遭遇した。

 彼の視線を追うと、撮影機材を積んでいると思しき数台のトラックが駐車し、その隙間にテントが張られているのが認められたが、俳優やスタッフの姿は見えなかった。



「こんにちは。ここで映画の撮影をやっていると聞いたのですが、もしかしてお父さんも見にいらしたのですか?」



 しきりに背伸びをして、トラックの向こう側を覗こうと試みている男は、いきなり話しかけられ、飛び上がった。



「何だよ、驚かせるなよ。なんかさ、あっちの倉庫の中で、撮影やってるらしいんだけど、関係者以外立ち入り禁止で見れねえよ」



 撮影車両とテントのさらに奥、指差す先には、水揚げした魚介類を仕分けしたりするのに使うと思われる、潮風で錆びたトタン屋根の大きめの倉庫があった。



「驚かせてしまって、すみません。誰が来ているか分かります?」



 さあ、と漁師は日焼けした顔をしかめ、首を捻った。



「女どもは騒いでいたけど、知らねえ奴だよ。何だっけ。外人みたいな名前の奴。アレンじゃなくて……」



「もしかして、アラン・黒崎ですか?」



 試みに、あの男の芸名を口に出してみると、男は柏手を打って頷いた。



「そうそう! 確かそんなの! え? そいつ有名なの?」



「元は大陸で活動していたそうですが、最近日本に拠点を移したそうです。どこが良いのか分かりませんが、女性人気は凄いみたいですよ」



「へえ、詳しいね。お兄さん映画好きなの?」



「まあ、多少は」



 撮影中か。まるで熱心なファンのようで、悔しいが、出待ちをしていれば、いずれ本人と会えるかもしれない。

 でも、できれば早いところ、接触は済ませてしまいたい。積もる話もあるし、唐澤も家で待っている。怒られるところまで『立ち入り禁止』を破ってやろう。



「あ、ちょっと、奥は立ち入り禁止だって」



「中に南方戦線時代の戦友がいるかもしれないのです。怒られたら戻りますので、お構いなく」



 べらんめえな態度の割に、気が小さいらしい男の制止を受け流し、横山は一直線に倉庫を目指す。


 無人の撮影車の脇をすり抜け終えたところで、撮影助手風の若者に止められた。


 が、その時には、ちょうど倉庫の脇に設置された便所から出てきた、長髪のかつらにド派手な衣装の男と目が合っていた。



「アニキ? アニキじゃないか! どうしたんだよ、こんなところに。2か月ぶりじゃないか! え? もしかして陣中見舞い? 嬉しいなあ。あはははははは」



 10年前からちっとも変わらぬ、無駄に大きくてうるさい高笑いが夕方の漁港に響き渡った。


 上海からやってきた日本人とアメリカ人の混血の黒船俳優、アラン・黒崎本人のご登場だった。

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