第10話 魔法科学校の問題生

 どこまでも闇の中を田中は転がり落ちて行く.

 人生の闇に転落して行く田中である,というのは言い過ぎか.田中の借金は住宅ローンのみなのだから.

 というと何だか格好いい?のだが,実際には昔話の‘おむすびころりんスットントン’に似た状態である.

 ごろごろズルズルと狭い隧道を転がり,スッポンと抜けて出たところは妙に明るい場所だった.

 外ではない.

 破れたズボンからはみ出した尻の感触は,冷たい鍾乳石であった.

 火ではない,不思議な緑色の灯りが部屋全体を照らしている.

 ヒカリゴケと土ボタルの一種である.壁全体が光っていた.

 幻想的な風景のその部屋は,ちょっとした広間になっていた.

 田中的に言えば,第一会議室と第二会議室を合わせたくらいであろう.

 痛む尻と頭をさすり,田中は立ち上がって辺りを見回した.

 何やら声がする.

 傍に転がっていた風呂敷包みと拡声器を拾い上げ,声のする方に田中は歩き始めた.


 「私達を,帰して下さい!」

 「うるさい! 俺の言う事を聞け!」

 「せんせー,怖いよう!」

 「大丈夫よ,みんな,安心して!」

 

 見ると,鍾乳洞のくぼみに鉄格子がはまっている.牢であった.

 牢の中には田中から見れば三,四歳くらいの小さな子どもと,中学生くらいの少女が立っている.

 少女は袖の膨らんだ服にエプロンをつけ,昔の西洋絵画に出てくるような――ミレーの晩鐘とか想像して頂きたい――農家の娘の恰好をしていた.

 みんな耳がとがっていて,足が大きい.

 異世界に鈍い田中でもさすがに分かった.

 リアムの眷族,さらわれたハーフリング達に違いない.

 牢の前には妙にペッタリした――ボリュームに欠ける髪の男が立っている.男は黒いマントを着け,神経質そうに牢の前を行ったり来たりしていた.

 長身で,痩せぎす.顔色が悪い.


 「はて,あいつが例の悪い魔法使いか?」

 田中はホルビタ村で,クルセイデルが炎に映し出して見せた顔を思い出した.

 いや,違う.あれは確かスキンヘッドだった筈だ.

 はて,この人は誰だろう.地底の管理人か何かかな?

 流石は鈍感王,田中である.


「俺の要求はただ一つ,簡単だろう!」

「だから,無理です! 私には婚約者がいるんです!」

「ぐぬう,リア充め! 俺を愛することもできないというのか!」


 男はギリギリと歯ぎしりした.


 「おお,若者の青春の悩みか.いいですなあ」

 田中は腕組みして,訳知り顔で頷いた.


 「はっ!」

 

 その時,男は田中に気付いた.

 やや遅い気もする.田中は姿を隠すこともせず,突っ立っているだけだったのだから.


 「こんにちは」

 「こんにちはって,お前,一体どこから入って来たんだ!」

 「いや,ゴロゴロゴロ,と,そこのトンネルを転がって落ちてきました」

 「うぬう! 迷い人か? それにしても,妙な格好……分かったぞ.お前,異世界からやって来た人間だな!」

 「ええ,おお,これは失礼しました.私,こういう者でございます」

 田中は慇懃に頭を下げ,名刺を差し出した.

 毎度の名刺交換ではあるが,クルセイデルの仕打ちを学習しなかったのだろうか.

 「あ,どうも」

 名刺を受取り,頭を下げる男.

 「うーむ,異世界転移がこんな所でも起きるとは……世界の根幹をなす物理法則がますます不安定になっているのだろうか?」

 「は? そう仰られましても,私には専門外のことはよく分かりません.何分,文系ですし」

 「フッ! 所詮,凡人には理解しようとするのが無理というもの.偉大なる魔道士である吾輩の英知をもってしても,この世界は謎ばかりなのだ」

 男はマントを翻しながら,カラカラと笑った.


 ちなみに,牢の中の少女――いや,女性は恨めしそうに二人を眺めていた.

 賢明なる読者諸氏はとっくに分かっているだろうが,この女性こそリアムの婚約者,マリエルである.

 そして,この長身の男こそ,白と黒の悪魔に魂を売ったと言われる闇の魔法使い,ダナシン(with ズラ)であった.

 マリエルも『助けて!』とでも叫べばいいものを,と思われるかもしれない.

 が,風変わりな格好と,やたらダナシンにフレンドリーな態度のせいで,マリエルは完全に田中をダナシン一味と思い込んでいるのである.


 「ほう! 魔道士! 高尚な響きですな! 私の知っている人にも,魔法使いがいますよ.これが,性格が悪いったらありゃしない」

 「フッ! そんじょそこらの魔法使いと一緒にしてもらっては困る.我こそはこの世界のあらゆる謎を解き明かし,光と闇の真理を究めんとする者!」

 

 おいおい,さっき謎ばかりって言ってたじゃないか,という突っ込みは置いといて,この男ダナシン,かなり自己陶酔型の人間であった.

 田中が言っている魔法使いとは,当然クルセイデルの事である.当代最高との呼び声も高いクルセイデルの事とはつゆ知らず,悪口言い放題の田中.田中の言葉に踊るダナシン.


 「いや,お見事! お若いのに,大したものですな」

 「若い? 俺はもう三十過ぎ……」

 「おお! 若いではありませんか! 人生これから,仕事もこれから! これから充実した薔薇色の人生が待っている年頃ですぞ!」

 「え,そうかな?」

 照れるダナシン.

 「お話から考えますに,あなたは学究の徒,研究者ですな.理想に燃えて今後の人生設計もバッチリというところでしょうか?」

 「うーむ,その点ちょっと問題が……」


 眉をひそめ,苦悶の表情を浮かべるダナシンである.

 若者の悩み.

 田中の妙なスイッチが入った.

 光る田中の眼鏡.


 「何でしょうか? ささやかながら不肖この田中,魔法は門外漢ですが,人生の先輩ではあります.相談に乗って差し上げましょうか?」

 「おお! 異世界の知恵というわけだな.なるほど,ではゆっくり語りを入れようではないか.うーむ.お主,異世界の人間にしては今日初めて会った気がしない.そうだ,俺の事をシンと呼んでくれ.俺の幼名だ」

 「おお,シン,シンちゃんですな! だーははは! 男二人で大いに語ろうではありませんか」


 いきなり馴れ馴れしい田中は,シンちゃんことダナシンと肩を組み,足取りも軽やかに奥の間へと向かって行った.

 牢の中のマリエルはますます恨めしそうな顔で二人を見送った.


 ***


 田中が連れてこられたのは,地底湖を見渡すテラス状のスペースであった.

 地底湖の天井にも薄ぼんやりと緑色の光が灯っている.

 また,天井の所々から水晶――魔法石の結晶なのだ――が突き出しており,神秘的な雰囲気を醸し出していた.


 「どうだ,ここは俺のお気に入りの場所なのだ」

 「おお! これは何と,絶景ではありませんか!」

 「そうだろう,そうだろう」

 「イケてるパイオツカーデーのギャルを連れ込めば,イチコロ! という奴ですな!」

 

 田中はなかば死語となったフレーズを連発するが,ダナシンには理解不能である.しかし,それがますますダナシンの中の異世界情緒をくすぐり,田中への期待が膨らむのであった.

 二人はどっかりと座りこんだ.


 「おお,まずは茶でも出そう.タナーカどの」


 テラスハウスと言えばカッコいいのだが,この二人が座っている限りオシャレ感は皆無である.

 ダナシンは魔法でちゃぶ台を出し,その上に茶碗を出した.

 ちゃぶ台はともかく,風情だけはある.


 「おお,いいですな.いや,待て,こういう時こそ,これを出しましょう」


 田中は,唐草模様の風呂敷を開けて,琥珀色に輝く二本の瓶を取り出した.

 ジャパニーズウイスキー,竹鶴アンド駒ケ岳である.

 竹鶴は御存じの方も多いであろう.ニッカの名品ですな.

 しかし,ここで田中が出した駒ケ岳10年という奴,激レアである.

 信州のマルス蒸留所で作られていたもので,既に生産終了している.

 筆者などは昔,松本のバーでバーテンダーにおねだりして買ったことがあるが,以後蒸留所に行っても(実際に行ったのだ)手に入れることは出来ぬ.

 正月に親戚で飲みつくしてしまったが,今となってはプレミアが付きまくってしまった.マルスウイスキー,本坊酒造と言えば分かりやすいか? 国際コンクール受賞歴が凄いのだが,これは皆さん勝手にググってくれたまえ.

 おお,こういう適当なのがいけないのか?

 いやいや,この話は酒の蘊蓄を語る話ではないのである.


 脱線した.失礼.


 「何だ,それは?」

 「我々の世界の,最高の酒です」

 「さ,酒……?」

 「おや,シンちゃんは下戸でしたか? これは失礼しました」

 「い……いや……俺は,実は酒という物はほとんど飲んだことがない……」

 「あらら,それは何故?」

 「魔道の儀式で酒を飲まなければいけないことはあるのだが,大して美味くないし,ああいう物は魔道を究めるうえで障害になるだけのものと思ってきた」

 「ほう?」

 「街の酔っ払いなど,見苦しいばかりだろう? あれは,学究の徒の態度ではない.学院の学生でも,夜通し飲み歩いている奴もいたが……」


 学院というのは,もちろんウェスティニアの魔法院のことである.日本の大学生とか,フランスのカルチェ・ラタンなんかの雰囲気を想像してくれ.いや,二つを並べるのは無理というものか? カルチェ・ラタンはフランス革命の議論なんかしてたもんな.日本の大学生と来たら……いや,それは言うまい.


 「うーむ,この世界の酒……」田中は昨夜飲んだ渋苦い葡萄酒を思い出した.「昨日の奴は,旨くなかった.しかし,酒をそういう物と決めつけるのは如何でしょうかな?」

 「と,言うと?」

 「これは異世界の酒ですぞ.あなたの知らない未知の神秘がこの中に広がっているかもしれない.酒を飲めない,飲まない.それは人生の楽しみの一つを知らないと言っても過言ではありますまい」

 「うーむ」

 「異世界の酒を究めるのも,学究の徒の使命ではありませんかな?」

 「おお! そうか.これもまた,研究だな! タナーカ,俺に注いでくれ!」

 「うーむ,できればグラスが良いのですが……」

 「おお! じゃあ,これでどうだ!」

 ボフン! と,ちゃぶ台の上に煙が起こり,茶碗が重厚なカットグラスに変わった.

 「お見事!」

 「フッ,ささやかな魔法だ」


 田中は鮮やかな手つきで駒ケ岳10年の栓を開け,トクトクとグラスに注いだ.

 「おお! 何だ,この芳香は!」

 「分かりますかな? シンちゃん.このオークの香り.いや,フルーツの香りと言った方が良いでしょうか? そして,この美しい琥珀色」

 「の,飲んでみていいか?」

 「もちろん」


 田中は自分のグラスにも注ぎ,うっとりとそれを眺めつつ乾杯した.

 ちびちび飲むことを知らないダナシンは,グイッとそれを空けようとした.

 「お待ちなさい,シンちゃん.ゆっくり,少しだけ口に含んで余韻を楽しみなさい」

 言う通りにするダナシンである.

 「かーっ! 何だ? 口の中いっぱいに香りが広がり,鼻へと向かって……これは,何と言えばいいのだ?」

 「花開く,とでも申しましょうかな.もう一度一口飲んでみましょう.どうですか? 中央アルプスの豊かな自然が見えてきませんか?」

 「お,おお?」


 中央アルプスなんて,異世界の人間には分からないのであるが,田中はお構いなしだ.


 「おお……何だか,見えて来たぞ.美しい尾根の冠雪した神々しい姿が……」


 ノリのいいダナシンである.


 「見えるのは,霊峰駒ケ岳ですよ.孤高の山が静寂の地にそびえる.清流のせせらぎが,聞こえてきませんか? そのせせらぎは,雪解け水です.冠雪がゆっくりと溶け,麓へと向かって清らかな水をもたらすのです」

 「お,おお,おお……これは,大天使ミカエルの羽根である! これが,異世界の味!」

 「まさに,真理を究めんとする研究者にふさわしくはありませんか?」

 「おお! 叡智を感じるぞ!」


 何だかすっかり別の物語のようになってきた.

 だが,蘊蓄をどれだけ述べても,味なんて個人の感じ様なのだ.

 すっかり上機嫌のダナシンは,あっという間にウイスキーを飲み干した.


 「ささ,飲みなさい,飲みなさい.ちなみに,氷と水,それから炭酸水があったらもっといいのですが……」

 「そんなもの,任してくれ,タナーカ!」

 ノリノリになったダナシンは,ちゃぶ台の上に次々注文の品を出した.

 魔法とは便利な物,と感心する田中である.

 「ナッツと,チョコレートも欲しいなあ」

 「タナーカ殿! チョコ何とかは分からんが,食べられる木の実なら,出せるぞ! これが,異世界の神秘! もっと俺に神秘のご教示を! タナーカ様!」


 クルミとカシューナッツ的な物も出て来た.

 こうなれば,男二人の宴会は盛り上がらざるを得ない.

 田中とダナシンは,差しつ差されつ,ジャンジャンとウイスキーを注ぎ始めたのであった.


 ***


 「それで,そろそろ本題に入ろう,シンちゃん」

 「おう! タナーカ! 聞いてくれ!」


 ストレート,ロック,水割り,ハイボールと一通り楽しみ,すっかり二人はへべれけになっていた.

 ここで漸くダナシンの身の上話開始である.


 ダナシンは子供の頃から神童と言われ,地元の期待の星であった.

 ウェスティニアの魔法院に現役で合格したのも,ダナシンの地元の村では初,快挙であった.五浪,十浪は当たり前,一生受け続けても通らないことがあるという難関である.

 末は博士か,大臣か,と村の期待を一身に背負ったダナシンは,入学後も懸命に勉学に励んだ.

 遊び呆ける学生もいる中,雨の日も風の日も,蛍の光・窓の雪,学生寮のルームシェアメイトが呆れるほどの熱心さ.

 同学年の生徒のなかでも,一際優秀な生徒となった.


 「だが,どうしても一番にはなれなかったのだ」

 「ほう……」

 どこかで聞いたような話であるが,酒により正常な判断能力を失った田中は,渋い聞き役(自称)に徹するのであった.

 「では,シンちゃんはそれが悔しかったんですな?」

 「いや……それは,首席を取れないのは,悔しいと言えば悔しいのだが……」

 酔っ払いシンちゃん,いや,ダナシンは苦笑した.


 「あのような天才には,敵う筈ない」

 「ほう! シンちゃんほどの人が,天才と言うとは!」

 「フッ. タナーカ,学問の勝ち負けなど,問題にならない.と言うよりも,俺はその時,別の物の奴隷になってしまったのだよ」


 格好つけ,ニヒルなつもりで笑うダナシン.その有様は,ただの酔っ払いである.


 「というと……?」

 「そう,恋の奴隷!」

 「おお!? 青春ですな!」

 「一目見て,俺は女神に会ったと直感したのだ.ああ,あの冷たい眼差し.燃えるような美しい髪,凹凸の少ない身体……そして,天才的な頭脳」

 「はて? 女性には凹凸が多い方が良いような気がしますが,まあ,個人の好みですな.その女性の天才魔道士さんが,首席だったんですか?」

 田中はウィンディエルの爆乳を思い出していた.

 「そうだ.俺は狂わしい愛の虜となってしまったのだ! だが,彼女の目には俺など映らない」


 ダナシンが回想する.

 恋する人の,とんがり帽子の臭いを嗅ぐダナシン.

 魔法の杖を,笛をそっと咥えるダナシン.

 体操着と上履きを盗もうとするダナシン.

 わざと遅刻して,角でぶつかろうとするダナシン.

 小雨のそぼ降る中,子猫を可愛がっているところを見てもらおうとするダナシン.


 「切ない恋だねえ」

 「そうだ,分かるか,この切なさ! 流石タナーカ!」

 若干変態が入っている気がするが,ダナシンは言葉を継いだ.

 「俺に唯一あるものは,学問だ.それで,俺は一層学問に励んだ.彼女以上の成績が取れなくても,二番でもいい.肩を並べるだけでもいい.例え言葉をかわせなくとも,その冷たい視線を注がれるだけでも良い……」

 「おお,それで,さらに勉強に励んだと!」

 「そうだ.彼女に振り向いてもらうために,必死で成績を上げた.だが,どうしても彼女は俺の事を振り向いてくれない……そして,俺はついに……」


 禁呪に手を出したのであった.

 白い悪魔と呼ばれる闇魔法の使い手を師と仰ぎ,黒い悪魔と呼ばれる死人使い(ネクロマンサー)に死霊術を学ぶ.

 それは,正統魔法を自称し,悪魔の召喚・契約を禁じる魔法院の戒律を完全に逸脱する行為であった.

 しかし,こうしてダナシンはすっかり闇魔法のエキスパートになったのである.


 「東ニシロイ悪魔イレバ,ミチヲオシエテクレロトイイ,西ニクロイ悪魔イレバ,イッテチョットソレオシエテヨトイイ,南ニ死ニソウナ人ガイレバ,恐レナクテモ,ゾンビニシテアゲルトイイ,ヒドリノトキハナミダヲナガシ,サムサノナツハオロオロアルキ……」

 「おお,詩人!」

 「これで,今度こそ彼女に振り向いてもらおうと思ったのだが……魔法院を追放されてしまった.奴らには,先鋭的な闇魔法の世界が理解できなかったのだ」

 「うーむ,理解されない,トップランナーの哀しさですなあ」


 適当に調子を合わせる田中.

 いや,それは規則を破ったのだから,退学は当たり前だろう.

 だいたい,勉強ができても年頃の女の子にはもてないものだ.サッカーができるとか,爽やかとか,優しいとか,顔がいいとか,そんな物の方がモテ属性であるに決まっているのだ.仕事ができてモテる様になるのは,社会人になってから.だが,学生のうちは,それが分からないものである.


 「それからは,流浪の人生だ.金を受け取って闇魔法を振るう毎日.しかし,疲れた俺はここにたどり着いた.そして,見つけてしまったのだ」

 「何を?」

 「この辺に住んでいる,ハーフリング達だ」

 「ああ,あのちっこい人たちですね」

 「俺の想い人の面影があった……」

 「ふーむ.面影.いい言葉ですなあ」

 

 おい,そろそろ田中気づけよ,と言いたいところだが,田中の大脳はアルコールが駆け巡り,まともな思考能力は皆無である.


 「だが,駄目なのだ.あいつらを切り刻んで,合成しまくって好きなパーツを寄せ集めてみようかとも思ったが,やっぱり彼女にはならないのだ.愛っていう物が無い」


 当たり前である.変質者+犯罪者にすぎない.まだ死体を集めた方がましである.


 「第一,奴らは胸がでかすぎる」

 「おう?」

 「くーっ,あのなだらかな,断崖絶壁のような美しい胸板!」


 ダナシンは,ついに駒ケ岳の最後の一滴を空けた.最後は瓶から直にである.

 何ともったいないのだろう.


 「それ,男じゃないですよね?」

 「当たり前だ! 俺は,そっちの趣味はない! ああ,だが狂おしいこの想い,どうすれば消えるのだ!」


 ダナシンは真っ赤な顔で絶叫し,テラスの中央にひっくり返った.

 おんおんと泣き,眼から滝のように涙を流している.


 「愛を下さい……ですか.フッ……青春ですネ」

 

 田中は赤い顔のまま,グラスを傾けた.

 氷がカランと小気味よい音を立てる.

 気分は七十年代の,喫茶店マスター.恋の伝道師,失恋レストランである.

 バーテンダー姿なら格好もつこうが,今の田中は尻の破れたスーツ姿なので,お忘れなく.

 

 「そんなあなたに,それでは,次の一杯を開けましょう」

 

 田中は竹鶴を取り出した.竹鶴ピュアモルト二十五年,正真正銘の高級品であった.

 

 「どうですかな? この琥珀色は?」


 ダナシンは寝転がったまま,ウイスキーのボトルを見た.


 「うーむ,俺には違いが分からん.それは何だ?」

 「では,飲んでみなさい」


 田中は早速栓を開け,ダナシンのグラスに注ぎこんだ.当然味が混ざらないように水で軽く濯いでいるのである.


 「ふーむ,何やら,コクと深みがあるにもかかわらず,柔らかく飲みやすい」

 「おお! 何と繊細な感覚! シンちゃん,流石ですぞ!」

 「へへへ? そうか?」

 「分かりますか,二つの魅力がこのウイスキーの中で溶けあっているのです.ニッカウヰスキーの創業者の名前を冠したこの逸品!」

 「二つの魅力が……」

 「そうです.かつて,遠い北の国に万年筆一本とノートだけで酒造りの秘密を学びに行った若者がおりました.若者はかの地で生涯の伴侶と出会い,自分の故郷へと戻ったのです」

 「おお! 浪漫だ!」

 「妻は,自分の故郷から離れた遠い国に移り住んで,慣れない慣習,文化に耐えつつ,一生懸命夫を支えたのでありました」

 「くーっ,泣けるなあ」

 おいおい,とダナシンは再び泣き始めた.


 「やがて,我が国の北限の大地で,二人は困難に遭いながらも素晴らしい酒を作り上げました.夫の情熱と,それを支える妻の愛,その二つが溶け込んだ逸品こそ,この竹鶴でありましょう!」

 

 田中節が炸裂し,ダナシンの目からブワッと涙があふれ出た.

 ホントの事を言うと,竹鶴政孝が‘竹鶴’を作ったわけではないのである.ニッカさんのフラッグシップウイスキ―だから,名前が付いているだけなのであるが,まあ,田中的にドラマチックだからそういう事にしておいてあげて下さい.


 「うおおお,俺は今,猛烈に感動した! タナーカ,いや,タナーカ先生,僕はこの思いの丈を,どこにやればいいのでしょうか!」


 涙でビチョビチョになったダナシンは,田中の手を取って叫んだ.


 「フッ……こんな時は,海に向かって,叫ぶんですヨ」

 「海?……おお,うみがそこに!」 

 

 ダナシンは,泣きじゃくりながら湖に向かって叫んだ.


 「好きだー! 好きなんだー!」


 鍾乳洞の中で,ワンワンと声が反響する.


 「いかん,まだ何か足りない気がする.タナーカ先生,どうすれば?」

 「これをお使いなさい」


 田中はここまで大事に(?)腰にぶら下げて来た,拡声器を取り出した.


 「これは,何ですか?」

 「ここの取っ手を握って,ボタンを押しながら叫ぶと声が大きくなるのですよ,ホレ.」

 『アー,アー,本日は晴天なり』

 田中は真っ赤な顔で,やって見せた.いつの間にかネクタイが頭に移動しているのであった.

 「おお! これは凄い! 異世界の魔法ですね! お借りします」

 完全に酔っぱらったダナシンは恭しく拡声器を受け取り,さらに景気づけにウイスキーをストレートで一気飲みした.

 ああ,もったいない.


 『ウウン……ピー』

 ダナシンがボタンを押すと,ハウリングが起きた.

 しばらく待って,ダナシンは思いっきり叫んだ.


 『クルセイデル―! 愛してるよー! 好きだー! 大好きだー!! 君が好きだー!!!』


 鍾乳洞の中に,音が爆発する.

 地底湖の上にぶら下がる鍾乳石と魔法石の結晶が,ぱらぱらと砕けて水面に落ちた.

 反響が反響を呼び,鍾乳洞中に音がこだまする.

 ダナシンの愛のメッセージは,流されっぱなしの闇魔法兄弟の頭上を越え,オタク魔道士ズッキーニの頭上を越え,半径一キロほどに響き渡った.

 蝙蝠達が住処から一斉に逃げ出したので,鍾乳洞の外では近隣の占いオババが不吉の前兆という予言を出しまくっていたのだが,田中もダナシンも知る由も無しである.


 ダナシンはやりきった感たっぷりの顔で,後ろに倒れ込んだ.

 口元には幸せそうな笑顔を浮かべていた.もちろん,死んだわけではない.


 「愛じゃよ,愛……あれ,クルセイデルって,誰だっけ」

 田中は何故か涙ぐみ,うんうんと頷いていた.


  ***


 「な,何ですって!」


 音の大反響が収まってしばらく.

 呆けていた田中の耳に,聞き覚えのある声が聞こえて来た.

 ムクリとダナシンも起き上がった.

 慌てて声のする方を見る.

 地底湖の対岸に,ロキ達一行が到着していた.

 真ん中に,真っ赤な顔をしたクルセイデルが立っている.

 魔法院の魔女装束,黒いワンピースに身を包み,燃えるような赤い髪.

 凹凸の少ないその体,眼は怒りに燃えていた.


 「ちょっと,さっきの何よ?」

 「あ……あ,クルセイデル……さん」

 ラブリーハニー,最愛の人が目の前に現れて,夢ではないかと頬をつねるダナシンである.

 痛い.

 現実であった.

 「うっぎゃあ! 恥ずかしい! 俺を地底の底に埋めてくれぇ!」

 ダナシンはうつ伏せに倒れた.

 「駄目だ,シンちゃん! 勇気を出すんだ」

 人生の先輩として,熱いまなざし――酔っ払いだが――を送り,ダナシンを助け起こす田中.眼鏡がきらりと光った.

 「タナーカ先生!」

 「さあ,言ってごらん.友達から,お願いします……と」

 「分かりました!」

 再び体を起こし,地底湖の対岸に向かって叫ぶダナシン.手には異世界の神器,拡声器を握りしめている.

 『クルセイデルさん!』

 「頑張れ,シンちゃん!」

 田中が肩を叩いた.ダナシンは目をつぶり,叫んだ.

 『ずっと前から好きでした! 友達から,お願いします!』

 「あたし,あんたなんか,大嫌い! キモイ!」

 返事まで,一秒とかからなかった.


 「はんぎゃー!!」


 ダナシンは血を吐いて卒倒した.

 大音響で愛の告白をしてしまった自分への恥ずかしさ.

 さらに速攻で交際を断られてしまった衝撃.

 クルセイデルの言葉が刃の様に突き刺さる.

 ダナシンはヒクヒクと痙攣した.


 「あー,あれはちょっと無いアルよ! クルセイデルも,あんなのに好かれて御愁傷さまネ!」


 リューリューの言葉はチクチクと釘の様に突き刺さる.

 ダナシンの体は小刻みに震え始めた.


 「うっわああああああ!」

 ダナシンは頭部のかぶり物――ズラをかなぐり捨て,絶叫した.半ベソである.

 「あーっ! あんた,悪い魔法使いの!」

 ここに来て,やっとシンちゃんの正体に気付いた田中であった.


 「畜生! どいつもこいつも! こうなったら,皆殺しにしてやるうううう!」


 酒が入りブチ切れ度が倍増したダナシン.

 さて,勇者たち(+田中)の運命やいかに?

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