第9話 帝国の悪臭
田中たち一行が振り向くと,そこにはべったりと整髪剤で髪を後ろになでつけた中年の男が立っていた.
緑色の服に白いタイツ,口髭がピンと油で固められて跳ね上がっている.
「お前たち,ここに何しに来た! 去れ!」
「何しに来たって,何アルか. あんたも変態の仲間ネ!」
問答無用,リューリューは突撃して熊猫拳で攻撃しようとした.
この六人の中で一番血の気が多い.
だが,男はサーベルをすらりと抜いてリューリューの鼻先に突き付けた.
「無礼者! 野蛮人の小娘め,ここから去るがいい!」
なかなか鋭い剣捌きである.リューリューもすばやくかわすが,それ以上に早い.同程度の武術の技量であれば,武器を持っている方が有利なのは当たり前であった.
「やるアルね! それにしても,アンタ臭いね!」
「臭い? 失礼な.お前たちも変な臭いがする.乳臭いぞ,小娘!」
「キーッ! 言うに事欠いて,牛乳の臭いとは何アルか! 確かに,クルセイデルよりは胸はあるけど,レディに言う言葉ではないアル! 変態!」
「お前のどこか
山出しカンフー娘ではあるが,リューリューの言うことは若干正しかった.
男の体からは,何とも強烈なにおいがする.
体臭ではない.コロンの臭いだ.
おそらく,整髪剤にも髭にも,そして服にもたっぷりとかけられているのだった.しかもそれぞれ違う匂いなので,入り混じった臭いは鼻を突きぬけて脳天を直撃しそうだ.兎に角,隠密行動は絶対に無理であろう.
「こら,リューリュー,待つんだ.この人が敵と決まったわけではないだろう?」
冷静な声がした.例によってロキである.
黒魔術ロリッ娘ブリッコ魔女,爆裂拳法娘,夢見る美少年,そして中年男.
このパーティー,まともな人間はロキだけなのだろうか.
おっと,ハーフリングのリアムが唯一まともか.
いずれにせよ,普通のRPGではありえないメンバーであった.というか,こんなパーティー組んだらクエスト一個クリアできずに全滅ですな.
リューリューは右拳前の構えのまま――ただし,左手で鼻をつまんで,じりじりと後ろに下がった.
謎のひげ男も,剣を引く.
「私はロキ.あなたは,誰ですか? 何故我々の行く手を阻むんです? 私たちはこの先に潜伏している,ダナシンという魔法使いを討伐に行くところです.彼は,ハーフリングの子供たちを誘拐したのです」
ロキの口調は平和的だが,あくまでいつでも剣が抜ける姿勢である.腰が少し落ち,左半身を保っていた.武術の心得のあるものなら,それと分かる.
「ほう! 勇者ロキ殿とは! これはお初にお目にかかる! 私はケロナック」
「ケロナック卿……故アメリア帝国の親王が,なぜこんなところに?」
男は,格好はともなくやんごとなきお方なのであった.だが,亡国の親王というのは,微妙な立場である.
「私の名を知っていましたか.さすがはロキ殿だ.私もそのダナシン殿に用事があって参ったのですよ.どうか,このまま引いて,彼の身柄は私に譲ってもらえませんか? 何,子供たちはあなた方にお返ししましょう」
ケロナックは左手で口髭の先を整えた.
「おお,なかなかいい話じゃありませんか.私たちは危険を冒さずに,あの臭い……いや,臭いが少々きつい人が代わりに子供たちを取り戻してくれるんですな?」
警戒心ゼロの田中が,ひょっこりと顔を出す.
アンタの加齢臭も,相当な物よ,と呟くクルセイデルである.
「いえ,ケーイチさん.これで,彼らを通すわけにはいかなくなった」
「えっ!?」
バブル世代,ノーリスク・ハイリターンに惹かれる田中は驚いた.
世の中そんなにうまい話が転がっているはずはないぞ,田中.
「暗黒帝国アメリア.民衆の生き血を啜り,周囲の国家をことごとく滅ぼした独裁国家.亡国の臣が,闇の魔法使いに会う理由は一つ!」
ロキは,背中の剣を抜いた.
「お前の目的は,アメリアの復興だな.その後ろに隠れている奴,出てこい!」
ケロナックはロキの気迫に押され,びくりと肩を震わせた.
「……やはり,ケロナック風情では相手にならぬか.勇者ロキ」
岩陰から,黒い仮面を被った男が現れた.長身に,黒いマント,黒い甲冑.黒づくめである.仮面により,彼の言葉はややくぐもって聞き取りにくい.
一目でケロナックとは格が違うことが分かった.
ケロナックには鼻をつまむ余裕があったリューリューが,思わず後ずさりしている.
「
「ダナシンは,俺たちに譲ってもらおう.ふん.見たところ,お前のパーティーは寄せ集め.剣を持った二人に勝てるかな?」
闇騎士は,赤く光る剣ではなく,黒く濁った銀色の剣を抜いた.柄と鍔には精巧な細工が施してある.
「闇騎士,去れ!」
「ならば,剣で通ってみよ!」
ロキの鋭い剣撃を,シ○の暗黒卿,おっといや,闇騎士は受け止めた.
たちまち戦端が開かれる.
ロキの体は白熱に光り,闇騎士の体はその光を吸収してしまうようだ.
高速の剣が互いの急所を狙い,闇の中でぶつかって火花を散らした.
ケロナックはその戦いに割って入るように,鋭い突きをロキの横腹めがけて放って来た.強すぎるコロンとは裏腹に,剣の腕は一流だ.
慌ててリューリューがカバーに入る.
鼻をつまみながらではあるが,飛び横蹴りでケロナックの頭を急襲した.
「く! 匂いはともかく,実力は本物よ!」
「猪口才な! 小娘め!」
その間に,クルセイデルは呪文の詠唱を開始していた.
「ロキ,リューリュー,頭を下げて! 我が杖に宿れ炎の蜥蜴,サラマンダーよ! 出でよ炎の竜! メガフレーマ!」
クルセイデルの杖から放たれた炎の竜は,闇騎士とケロナックの頭を薙ぎ,ついでに田中の尻を焼いた.
「あちちちちち!」
「あ,田中恵一! 邪魔よ! どいてなさい!」
ケロナックの肩はわずかに焼けたが,闇騎士は微動だにせず片手で炎を弾き飛ばしていた.もちろん,ロキの剣を受け止めながらである.この男,只者ではなかった.
田中はあわててジルベールの陰に逃げる.こんな真面目な展開になるとは全く予想していなかった作者,いや田中であった.
ジルベールは無能田中と違い,毎度おなじみ後衛で回復呪文の準備をしているのであった.杖に緑色の光が集まっている.
「なぜあんなにきつい香水をたくさんつけているんですかね? ジルベール君? どう思います?」
「ああっ! また,田中さん! 集中していたのに,話しかけるから回復呪文の力が……」
緑色の光は切れかけの電球のように,消えてしまった.
学習しない田中とジルベールであった.
「あ,すみません……」
「でも,確かにすごく強いにおいですね.実は,僕もさっきから頭が痛くて……」
ジルベールは美しく通った鼻筋をつまんだ.
「鼻栓が要りそうですな」
「くうっ! これほどの腕とは! 棍か剣が欲しいアルよ! 空手奪刀,厳しいネ!」
リューリューは必死でサーベルを躱していた.上体を折り曲げ,飛び,体を開く.アオザイに似た衣装はあちこちに切れ目ができ,素肌が覗いていた.
「大体,こういう奴は自分の体臭が気になるから,誤魔化している奴ね! 女の子的には,臭くってどこかに逝って欲しい中年オヤジネ!」
「失敬な山猿め! 私の剣の錆になるがいい!」
「体臭! ……そうだわ!」
ロキと闇騎士の対決は激闘であるが,ロキがすぐに倒される危険はない.
そう読んだクルセイデルは,リューリューを援護してケロナックを倒すことが先決と判断した.戦力を集中させるのである.
クルセイデルは先に使った縫いぐるみ人形を取り出した.
背中にコントローラーがつながっている,田中操り人形だ.
「マブヤー,マブヤー,ウーティキミソーリ! 魂よ宿れ!」
マブイグミ,おっと沖縄弁が出てしまった.魂込めの呪文により,再び田中の魂は人形の中に封じ込められたのである.
「一番上手なのは,あんた,リアムね! これを!」
リアムは両手でコントローラーを受け取った.
左手に十字ボタン,右手にABボタン,すでに慣れた物である.
再び田中の体が垂直に跳ねた.
現実世界の我々にはあの曲がどこからともなく聞こえてくる.
オーバーオールを着た髭のイタリア人が,姫を救う奴ですな.
石筍と軽くぶつかったが,田中に文句を言う権利は与えられないのである.
「うひゃー!」
田中は手足を操られ,空中で革靴を脱がされた.
両手に革靴,両足に黒い靴下.
その恰好のまま,ケロナックの上空高くに舞い上がる田中である.
舞い上がるといえば格好いいのだが,想像してごらん.
背広姿の中年男が,両手に革靴を持って鍾乳洞を跳ねる姿を.
まあいいや.
田中は,そのままケロナックの頭上に墜落した.
いや,墜落と言うよりも,コントローラーの操作に慣れてしまったリアムの力で,見事足裏がケロナックの頭に着陸した.
ひっくり返るケロナックだが,今度は顔に足裏が接地する.
ゲーム男子の技,お見事というものである.
「ほんぎゃあああああ! 臭い! 臭い! 鼻が曲がる!」
ケロナックは剣を放り出して苦しみ始めた.
田中の油足の臭いをたっぷり吸い取った靴下は,ケロナックの鼻に会心の一撃を与えたのであった.
「そんな,失礼な. 靴の方が臭いですぞ」
田中は少し自分で嗅いでみた.
うーむ,我ながら臭い.
だが,少し腹が立ったので,鼻先にぐりぐりと革靴を押しつけてやった.
「ふぎゃあああああ!」
ケロナックは泡を吹いて失神した.
「やった!」
「よくやったわ! リアム! 見事なコントロール!」
「臭い者同士の対決,最低アルネ!」
「うう,僕,吐き気がする」
女子以上に女子らしいジルベールは,口を抑えてえずいていた.
大活躍? の田中は,誰にも褒めてもらえないのであった.
「ちょっと,待ってくださいよ,私の立場と言うものが……」
あわててオタオタと革靴を履きなおす田中である.
足が臭いと思っていたが,ここまで言われるとは心外であった.おまけに完全に小娘クルセイデルには道具扱いされている.
「あ! 田中さん,後ろ!」
「危ない!」
リアムとジルベールが叫び,田中は後ろを向いた.
「うわっ!」
そこにはベ○ダー,じゃなかった闇騎士の巨大な背中が迫っていた.
ロキの剣圧に押され,田中の方に下がって来たのである.
田中の後方で,剣のぶつかり合う鋭い音がする.
どうしたらよいか分からない田中は,闇騎士と背中合わせになりながらたたらを踏んだ.
「ぎゃっ!」
田中は思い切り突き飛ばされた.
ロキの体当たりが闇騎士を吹き飛ばしたのである.
目の前には,細い隧道――鍾乳洞の枝道があった.
「うわああああああああああああ! あーれー!」
「ケーイチさん!」
「田中恵一!」
「オッサン!」
「ケーイチ!」
仲間の声を遠くに聞きながら,田中はどこまでも暗い穴の中を転がり落ちて行った.
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