第3話 勇者に社会保障を求めるのは、間違っているだろうか

 抜け殻のようになった田中の手を引き、シルフィアは魔法店マジックショップに帰って来た。

 三姉妹の魔法店はエルフの村‘静か森’の郊外、街道から少し脇道に入ったところにある。

「ケーイチ、どうしたの? 体調が悪いの?」

「いや、少々胸が痛いだけですよ……」


 ウィンディエルの想い人が自分であると思い込み、妻子を捨てて添い遂げる覚悟を決めたところで、それが勘違いであると気づく。

 田中の心臓は十二ラウンドを戦ったボクサーよりも、マラソンを完走したランナーよりも激しく酷使されていたのである。これは言い過ぎか。


 エルフ年齢四十八歳(ヒト族年齢十六歳)の年頃の娘と手を繋いでいても、ギザギザハートは癒されない。家では1年くらい娘にまともに触ったこともない癖に、もう少し喜んで良いのではなかろうか。JKだぞ、贅沢者め。


 細くなった道の両側には、名も知らない白い小さな花が咲いている。

 路傍の名もなき花。

 ああ、それは自分、と幾分感傷的になっている中年オヤジ田中。


 店の入り口が見え始めたところで、後ろから良く知った声がかかった。


「こら! 駄目でしょう!」

 田中が振り向くと、腰に手を当てたウィンディエルが立っていた。

「あ! お姉さま!」

 シルフィアの耳が少し下に垂れる。

「留守中お店の番をお願いしてたのに、どういうこと!?」

 怒っていても、ウィンディエルは美しかった。

 とは言え、シンゴルと食事をしている時に比べれば随分角が取れている。

 それほどシンゴルとの会食が不快だったということだ。


「ごめんなさい」

 シルフィアは頭を下げた。

「しかも、ケーイチを呼び出したの? 一体何があったの?」

「実は……」

 田中が事情を説明しようとしたが、シルフィアが手を強く握って制した。

「ちょっと用事が出来て、ケーイチに相談してもらってただけ。お店はノルマルに任せたよ」

 姉の事が心配で、こっそり後をつけたとは言えない。

 姉の恋愛を気遣っていることを知られたくない、シルフィアの思いやりだった。ウィンディエルの性格からして、妹に心配をかけていると知れば、安心させるために、一層自分の想いを押し殺してしまうかもしれない……そんな美しい姉妹愛である。


「閉店にせずに? ……ノルマル? あの子はまだ小さいのよ? お店の番ももちろんだけど、人狼ワーウルフ人虎ワータイガーが来たらどうするの?」

 ノルマルはまだ二十四歳である。つまり人間年齢で約八歳。いくら平和なこの世界とはいえ、小学校二年生に店番はあまりにも無理であろう。

 ノルマルの事が心配になったウィンディエルは、足を速めて店に向かった。

 少ししおらしくなったシルフィアとシオシオのペーになった田中も後に続いた。


「誰かいるわ!」

「えっ?」

 ドアの前まで来て、二人(田中は屍になっているので勘定せず)は、中から声がするのに気づいた。

 キャッキャとノルマルの笑い声がする。

 ウィンディエルは慌ててドアを開けた。


「あ……」

 ウィンディエルはドアを開けたところで、立ち止った。

 まるで魔法にかけられたように、動かない。


 シルフィアと田中も、ウィンディエルの肩越しに店の中を覗き込んだ。

 店のカウンターの向こうに、背の高い男が立っている。

 男はノルマルを肩車して遊ばせていた。


 「あ、おねー様!」

 ノルマルが男の肩の上から嬉しそうに手を振った。


「ロキ……」

「ただいま、ウィンディエル。手紙は着いたかい? 思ったより早く静か森に着いたよ」

 男の声は爽やかで、草原を通る風のようだった。

 ウィンディエルの目は潤み、頬は紅潮している。心臓はその豊かな胸の下で早鐘のように打っているのだった。

「おかえりなさい……」

 ウィンディエルは目を伏せ、手で水色の髪を弄びながら、やっとそれだけを言った。それでもまだウィンディエルは足を踏み出さない。

 それ以上動けば、この幸せな瞬間が消えてしまうのではないか、と恐れているようであった。

 とどまれ時よ、いかにもお前は美しい(ゲーテ)、という奴である。


「おや、シルフィア、お帰りって言うのは変かな」

 ヒト族の勇者――ロキは、ひょっこり顔を出したシルフィアを見つけ、白い歯を見せて悪戯っぽく笑った。


「あ、ロキ、久しぶりね……」

 シルフィアはウィンディエルの脇をすり抜け、そのまま店の中に入ろうとしたが、いきなり強烈な力で手をつかまれたかと思うと、再び店外に引っぱり戻された。

「痛たた、ケーイチ、どうしたの!?」


 ドアの陰には眼を爛爛と嫉妬の炎に燃やす醜い悪魔、いや中年オヤジがいたのだった。

「あいつが、ロキとか言う奴ですか?」

「そ、そうよ。あの人がお姉さまの……」

 シルフィアはそこで言葉を止めたが、言わずとも見るだけで分かる。

 あんな乙女なウィンディエルは見た事がない。


「おーのーれー」

 ウィンディエルの陰からロキを覗き見る田中。完全に変質者である。


「すごく良さそうな人でしょう?」

「くーっ」

 すらりと高い身長に厚い胸板。

 少し跳ねあがった特徴のある癖っ毛は、すこし青みを帯びた黒である。

 やや童顔であるが二十代の前半だろうか。

 眼が大きく、整った顔立ちだ。

 それでいて、女性的ではなく凛々しい。

 眼の色が少し赤みを帯びているのが不思議だった。


「キャプテンめ!」

「きゃぷ?」


 高校のクラスでいえば、間違いなく田中と対極の存在。

 田中が陰であればロキが陽。

 田中がアマチュア無線部・科学部・アニメ研究会・漫画研究会であれば、サッカー部・バレーボール部・バスケットボール部のキャプテン。

 ちなみに実際には田中は卓球部(これも微妙か)の会計だったのだが、物の喩えと思って頂きたい。

 田中が少年漫画の主人公の友人その三なら、間違いなくロキは少女漫画の主人公の彼氏であろう。

 まぎれもないマイナー系男子の天敵。


 遥か遠い高校時代、ラブレターを出したクラスのアイドルが、体育館の裏でバスケ部のキャプテンとキスをしているのを目撃したあの時。

 今田中が受けている衝撃は、それと同じであった。


「なんて爽やかなんだ!」

 残念ながら田中にも見るだけで優しさ、人の良さが伝わってくる。

 好漢である。

 異世界でなくとも、またエルフでなくとも、間違いなく男女ともこの男を好きになってしまう。

 そんな事を瞬時に分かってしまう自分に、悔しくなってしまう田中である。


「そうでしょ? 何とかしてあの人と結ばれて欲しいと思わない?」 

 満面の笑みを浮かべるシルフィアであったが、嫉妬に狂う魔獣田中は首を振った。

「ええっ!?」


「いや、シルフィアさん。子供の目から見ればそうかもしれませんが、大人の目から見るとどうですかな? 面接官として培ったこの目で、彼をもう一度審査する必要があります。本当にウィンディエルさんを幸せにできる人材か否か?」


 田中の妙なスイッチが入った。

 もっとも、田中が入社したころはバブルの時期だったので、面接すれば入れるようなザル面接だった。田中が面接官だったのも随分前で、その後は暫らく閑職だったためあまりシビアな面接はしたことがない。

 それはともかく何はともあれ、結婚したいなら俺の屍を乗り越えて行け、という父親?の様な気持ちになっている田中である。


 呆気にとられるシルフィアを店の外に残し、背筋をしゃんと伸ばした田中は高速の横走りでウィンディエルの横をすり抜け、ロキの前に立った。

 お辞儀は四十五度である。

「私、ニコニコ商事 課長補佐代理、田中恵一と申します! 以後お見知りおきを!」

 田中はいつものように名刺を差し出した。


 初めて見る不思議な儀式に、ロキは眼を丸くしながら、紙片を受け取った。

「あ、初めまして。ヒト族のロキです。勇者と呼ばれています」

 ノルマルを肩から床に下ろし、右手を頭の横に立てて騎士の挨拶、敬礼をした。

 

 敬礼が不似合いと思われるかもしれないが、実は兜のバイザーを上に押し上げる動作の名残だと言われている。従って、これは目上の者に対する敬意を示したものであった


 良く分からなかったが、軍隊ごっこのノリで田中も敬礼を返すと、ロキはさらに左胸に手を当てて答礼した。

 何だかますます好青年である。

 チッ!好きになってしまうじゃないか。

 胸の奥で舌打ちする醜い田中。

 とりあえず第一関門、‘目上の人への態度’は完璧である。文句のつけどころがなかった。


「これはあなたの名前を書いたカードですね。私がお預かりしてもいいんですか?」

「どうぞ、どうぞ」


 田中は知らないが、‘魔術’の概念からすれば、自分の名前を人に託すという事は、その人物に自在に操られる、生死をも握られるという事になる。古来日本でも忌名を使って本当の名前を呼ばないようにしたりしていたのはそういう意味だ。


「分かりました。私があなたの信用に足る人間でありますように」

 ロキはもう一度深く頭を下げた。

 何だ、こいつめー!

 なんていい奴なんだ!

 会社でも家でもこんなに最近大事にされたことはない。妻子に、そして橘川にも見せてやりたいくらいだ。田中は嫉妬やら優越感やら何やらでごちゃまぜの気分になっていた。


 そんなロキの様子を、ますますうっとり眺めるウィンディエルである。

 シルフィアは気を利かせた。

「お姉さま、今日はごめんなさい。あとは私がお店の番をするから。ロキと一緒に休んでて!」


「えっ! いや、駄目よ。今日はこの後、スプリガンたちがタカラソウを買いに来るんだもの。タカラソウは調合の事とか、処方の仕方、難しいところがたくさんあるでしょう? あの人たち気難しいし、まだあなたには無理よ。とにかく、長旅で疲れているでしょうから、ロキを奥に案内してあげて」


「え! でも……分かったわ。おいで、ノルマル」

 どうやら本当にシルフィアでは難しいお客らしい。

 田中はシルフィアとノルマル、そしてロキとリビングダイニングに向かった。

 ロキは床に置いてあった大きなリュックサックを肩にかけ、さらに軽々とノルマルを肩車している。

 ノルマルは大喜びだ。

 シルフィアは少し残念そうに、姉の方を振り返った。

 ウィンディエルは店のカウンターに入ると、両手を顔に当てていた。熱くなった頬を手で冷ましているのだ。


 ***


 三姉妹の家のダイニングテーブルは、八人掛けで広々している。

 今は亡くなってはいるが、両親と三人の娘達、そして客人が皆で座れるように作られたものであった。もちろんムク材、職人手作りの逸品だ。といっても、この異世界ではこれが当たり前なのである。

 シルフィアはロキと田中を残してキッチンにお茶を入れに行った。ノルマルも手伝いと称してついて行ったので、ダイニングには二人の男、一人の勇者と一人のおっさんが残された。


 男という物は、女の人ほど会話が上手でない。ましてや異世界人、年齢も世代も性格もルックスも何もかもが違う。二人はしばらく沈黙していた。


「あの……」

 初めに話しかけたのはロキの方だった。

 初めの挨拶もそうだが、この男は勇者というだけに、この世界のあちこちに出かけていて、異文化との交流に慣れているのである。

 否応にも際立ってしまう両者の器の違い。

 こう書くとますます勇者の魅力が増してしまうのは、仕方がないところだ。


「ケーイチさんは魔王歓迎の儀式で活躍されたとか。異世界から来られた方ですね?」

「あ、はあ」

 この言葉で田中はやっと自分が異世界に来ているのだと納得した。ロキの言う通り、彼らからすればこちらの方が異世界なわけだ。

「噂になっています。今、魔族とドワーフが発火装置を作って普及させようとしているそうですよ」

 ライターの事だった。

「噂に……?」

「ええ」


 噂になる男。

 そうか、俺もそこまで来たか。

 噂になりたいと思っていたが、ついぞ向こうの世界ではなかったなあ。

 しばし感慨にふける田中。


「最近、魔族にも一人異世界人が来ていると聞きました」

「あ、それは山田ですね。私の知り合いです」

「世界の隔壁が薄くなっているのでしょうか? 何か異変が起こりつつあるのか、ご存知ですか?」

「さあ……?」


 そんなワールドレベルの話にはついていけない田中である。

 またしばらく沈黙が続いた。


「勇者というのは、どんな仕事なんですか?」

 今度は年長者の威厳をもって、田中から話しかけてみた。何、昔の面接の事を思い出せば大丈夫。そう言い聞かせる田中である。それに、ウィンディエルの夫としてふさわしいか判断せねばならない。


「そうですね。竜や魔獣が暴れた時に、依頼があれば退治したりするのが仕事です。あとは、迷宮を攻略して宝物を手に入れたり。悪い魔法使いを倒したりとか」


「ほう……危険な仕事ですね」

「ですが、困っている人たちを助けなければいけません」

 高潔な考え方ではある。しかし、ここで田中は、はたと気づいた。


「それ、保険はどうなってるんですか?」

「ほけん? 怪我はまあ、魔法使いや医術師が治してくれますけど……」

「何? じゃあ、無保険? 労災や通勤災害手当、危険手当は?」

「それは良く分かりません」

「働けなくなったら、家族はどうするんですか?」

「うーん……俺は天涯孤独なので分かりませんが、皆商業ギルドに貯金している預金を切り崩して生活しているんじゃないでしょうか?」


 何てブラックな企業、業種だろうか。田中は戦慄した。では、この男が死んだらウィンディエルさんはどうするのか?


「じゃあ君、給料がすごく良いのかね?」

「時と場合によりますね。報酬はない時もありますし、倒した魔獣の体や魔石、貴重なアイテムが高く売れることもあります」

「え、じゃあ、君ぃ! 固定収入はないのか?」

「ええ……まあ、仕事がない時もありますし。その方が平和で良いですよね」

 ロキはにっこり爽やかに笑った。


 しかし、田中の中では完全に彼を見る目が変わっていた。

 こいつ、フリーターか!

 いかん、これはいかん。

 ウィンディエルさんは騙されている。

 人間の良さは分かったが、それだけでは現実世界では食っていけない。

 このままでは完全なヒモ状態になるに違いない。

 第一、そんな肉体労働、歳を取ってからどうするのだ。

 田中の脳裏には、四畳半一間のアパートでこの男が働きもせずに寝転がり、妻子――ウィンディエルを殴って働かせるDV夫となる未来予想図が出来上がっていた。


「悪い事は言わない、定職に就きなさい」

「定職? というと……町で働くとか?」

「そうそう、何でもいいから、毎月ちゃんと給料が出て、各種手当や年金がつくような仕事に就きなさい」

「いやあ、俺には無理ですよ」

 少し打ち解けたせいか、ロキの第一人称は私から俺になっていた。


「無理じゃない! まだ若いんだ、あきらめちゃいかん! 今からでも人生はやり直せる!」


 田中が力強く説得しようとしていたところに、シルフィアが帰って来た。

「はーい、ロキ、お疲れ様。ハーブティーだよ」

 ノルマルが手伝ってティーカップを並べ、シルフィアは順番にポットの茶を注いでいった。クッキーに似た焼き菓子の入ったボウルも出て来た。

「ああ、ありがとう。頂きます」

 ロキは物腰柔らかにカップを取ると、うまそうに飲んだ。

「生き返るなあ」

「今回は死ななかったの?」

「ああ、おかげさまで」

 ロキが悪戯っぽく笑うと、シルフィアとノルマルが楽しそうに笑った。


 いかん、騙されてますよ、君達!

 この男はプータロー、根なし草ですぞ!

 田中もズズッと茶をすすり、ロキに警戒の視線を送った。


「それで、シルフィアさんは、どう思うかな? ロキ君がずっとここにいて、毎日きちんと決まった時間に出社、もとい、仕事に出かけて帰ってくるというのは?」


 シルフィアは眼を瞬かせた。

「それは……いてくれるのは嬉しいけど、勇者だからそれは無理でしょう」


 えーっ納得してるの!?

 田中は内心の叫びを押し殺し、話を続けた。

「例えばそれは……勇者をやめて、魔王さんの王宮に勤めるとか」


「はははは!」

 何かの冗談だと思ったらしい。田中以外の全員が笑った。


「今の魔王は穏健派だから平和ですが、基本的に勇者は魔王殺し、魔王に対する天敵ですからね。働かせてはもらえませんよ。一般の魔族は俺の事を恐れています」

 

 そうなのか? この、一見普通にしかみえない青年は、そんなに強いのか?

 田中は巨大な魔王の事を思い出した。

 山田を調理しようとしたオークも思い出す。

 ついでに魔族の娘、グリシャムのセクシードレスもちらりと思いだした。

 あんな化け物みたいな連中が恐れるとは一体……?

 ならば、若いうちにスポーツ選手のようにバンバンお金を稼いでおいたらどうだろう?


「じゃあ、その、競技会みたいなので優勝しまくったらお金が稼げるんでは?」

「例えば、傭兵としてということですね?」

 

 おいおい、どうしてそんなに危険な方に行くんだ。それこそ生命保険が出ないような仕事じゃないか。


「いや、もうちょっと普通の勤め人的な……人間の王様の家臣とか」

「俺は……普通の人たちとは一緒に暮らせません。勇者とは、勇者になるというよりも生まれつくものですから」 


 そう答えた時、ロキはこれまでと違って少し淋しそうな表情を浮かべた。

 そう言えば、さっき天涯孤独と言っていた。快活な青年だが、実はいろいろ苦労しているのかもしれない。

 くそお、何だ。そんなところまで女の子をキュンキュンさせてしまうじゃないか。暗黒面に流れた考え方しかできない残念な田中である。

 ふと見ると、シルフィアとノルマルまで切ない顔でロキを見ている。

 そんな二人の頭を、ロキは優しく撫でた。


「生まれつく?というのは?」

「俺は、生まれつき人間としては異常なんです」


 これはちょっと田中には理解できなかった。おそらく読者諸氏の方が理解しやすいのではないだろうか。勇者、勇者とRPGだのライトノベルだので連発されているが、あんな化け物みたいに強い人間とは一体?

 エスパー? 

 超人? 

 人間兵器?

 そもそも人間なのか??

 初代仮面○イダーだったか、水道の蛇口をねじ切ってしまう場面があったが、一般人と同じ生活は難しいだろう。

 もし勇者が近所のコンビニの店員になれば……

 溢れるMPとHPが暴走し、バーコードリーダーのレーザーは商品を切り裂き、フライヤーは火を吹いて、肉まん蒸し器は爆発するに違いない。

 店の外でたむろするヤンキー座りの青少年は、伝説の剣で一刀両断である。


「決めつけてはいかん! 社会というものは、例えどんな人でも、一人くらい受け入れてくれる度量があるものだよ! すぐに服を脱ぐとか、痛いのが好きとか、例え何か特殊な趣味でも……多分、大丈夫だ!」


 そうそう、お前みたいな奴でもな、田中。そう言いたいのは読者諸兄であろう。完全に異常と変態とを取り違えている。


「俺を狙う奴もいます。普通の人間の町や村に定住したら、必ず周りの住民に迷惑をかけるでしょう」

「悪い魔法使いとかもいるしね」

 シルフィアが頷く。

 これも道理である。隣近所に巨大化を繰り返すヒーローが住んでいるようなものである。いつ足の下でペチャンコにされるか分かったものではない。

 こう考えてみると、物語の最後で平和が訪れたときに、勇者が隠遁生活に入ってしまうのも、納得できるところだ。


「うーむ、なるほど、それで流浪の生活か。しかしそれで、結婚などできますかな?」

 田中の眼鏡が少々意地悪に光る。


「け、結婚?」

 若者らしく、勇者はひどく赤面した(太宰)。

 口に含んでいたハーブティーを思わず吹き出している。


「例えば、普通の人間の娘が無理ならば、エルフ――の娘さんとかだとしても」

 田中はずり下がった眼鏡を軽く押し上げた。 


 ロキは慌ててシルフィアと田中の顔をしきりに見比べた。

「こ、これは!? シルフィア、どういうことだ?」

「お姉さまの事に決まってるでしょ! だって、二人の想いは通じ合っているのよ! だったらどうして結婚しないの?」

「そーだよー!」

 シルフィアが可愛らしくロキを睨むと、ノルマルも姉を真似して同じ顔をした。

「参ったな……」

 赤くなったロキはうつむいて、少年のように頭を掻いた。

 一方、笑顔を浮かべる田中の表情は、黒板に相合傘を書いて同級生カップルをからかう小学生男子に似ていた。


「お姉さまは、きっとロキが言いだすのを待っていると思うよ。だって、もうすぐ弓張祭ゆばりさいだもの」

 雅やかな言い方である。

「ゆばり? 何ですか? それは」

「それはね……」


 シルフィアは田中に解説した。

 この地方のエルフは一生を月に例えて呼び、その節目を祝う。

 生まれた時を朔、一生の中間点(百五十歳)を満月、そして上弦の月、つまり弓張月――弦月とも言うが――は七十五歳のお祝いをするのだという。人間でいえば二十五歳にあたる大事な節句なのだ。


「男の人は仕事を一人立ちさせる目標の年齢で、女の人はお嫁に行く節目の年なのよ。裕福な家だと、三日三晩お祝いをしたり、そのまま結婚式を挙げる人もいるの」


 ロキは当然それを知っていると見え、口を真一文字に結んで黙っていた。


 話を聞きながら、田中は部下の橘川の事を思い出していた。

 三年待たせて二十五歳になった彼女にプロポーズせず、仕事の節目にプロポーズしようとしていたら、見事に振られてしまった哀れな男。


 しかし、若者の悩みとは世界に関係なくどこでも同じなのかもしれない。


「そう単純じゃないよ……子供には、まだ分からないこともあるから」

 ぽつりとロキは呟いた。

 照れもあるようだが、真剣な口調ではある。


「もー! 子供扱いして! 私の方が年上なのに!」

 シルフィア四十八歳はむくれた。

「ほら、ケーイチも言ってよ! 二人がうまくいくように、協力してくれる筈でしょ?」


「うーむ」

 田中は迷っていた。

 この男、良い奴ではある。

 性格は残念ながら文句が付けられない。

 ルックスはチクショー、完敗である。

 ウィンディエルの事もちゃんと好きなようだ。

 姉妹とも仲が良く、面倒見が良さそうだ。

 カッコよく、『彼女が欲しいなら俺を倒してみろ』と言いたいが、それは自分の瞬殺であろう。

 従って、腕力の事は問うまい。

 これで将来性がしっかりしていれば、断腸の思いでウィンディエルとの仲を取り持ってやっても良い。

 あとは資産かな。天涯孤独と言っていたが、両親から相続した遺産とかはないものか?

 何故か上から目線の田中である。


「正直言って、ウィンディエルさんをお任せするのに、不安がないと言えば嘘になります」

「えーっ! そんな! どこがいけないの!」

「ケーイチ、いらない!」

 味方になってもらう筈だった田中の予想外の言動に、シルフィアは驚いた。

 それにしても、ノルマルの言葉は全くその通りである。


「それは何故でしょうか?」

 勇者にも内心思い当ることがあるようだ。ロキは田中の眼をじっと見て真摯に尋ねた。


「失礼ですが、御両親から受け継いだ遺産などはありますかな? 不動産とか株式とか、生命保険とか」


「は?」

 どうやらロキの予想していた質問とは全く違っていたようだ。眼を白黒させている。


「えー!? そんなの関係あるの?」

「かんけいなーい!」


 反発するジョシーズ(女子+複数形)に構わず、人の良いロキは正直に答えた。

「えーと、俺が幼い時に二人とも死んで、師匠――先代の勇者に育てられたので……実の親からはわずかに身の回りの物を引き継いだだけですけど……」


「はー! それはいかん、いかんですよ!」

「と、言いますと?」

「プロポーズの光り物は、給料の三カ月分ですぞ! ですが、君は固定給がないからなあ……」

 田中の言っている言葉の意味が全く理解できないロキとシルフィア、ノルマルは顔を見合わせた。


 ***


「申し訳ありません! こちらに炎の勇者、紅蓮の勇者ロキ様がいらっしゃると伺いました……!」


 田中達の馬鹿話を中断させる真剣な声の主がダイニングに入って来た。

 小柄な中年男性である。

 身長は中学生の子供くらいで、小人というほど小さくはない。体のわりに足と耳が大きいのが特徴的だ。

 必死の形相であった。


「ロキ……こちらは、ハーフリングのホルビタ村の村長、サモンドさん。緊急のご用事だそうよ」

 一緒に部屋に入って来たウィンディエルは、少し不安そうな表情である。


「お休みのところ、また突然のお願い、誠に不躾とは存じますが、どうか私どもの願いをお聞き入れ願えませぬか?」


 ハーフリングの男はその場にひざまずいて頭を下げた。

 見ると、シャツのあちこちがほつれて破れていた。一部は切り傷を受けたらしく、血がにじんでいる。

 ロキはダイニングの椅子から立ち上がり、ハーフリングの側に歩み寄ると、自ら膝をついて手を貸し、彼を立たせた。


「どうか顔をお上げ下さい。サモンドどの。何があったんですか?」

「おお、勇者様……村の一大事です。悪魔に魂を売った魔法使いが、子供達を連れ去って行ったのです! どうかお助け下さい!」

 

 さっきまで人懐っこかったロキの顔が一変して険しくなった。

 鋭い眼光は、猛禽のそれに似ている。瞳の色が一層赤みを帯び、奥に炎が灯ったように輝いた。


「おねえさま、こわい……」

「大丈夫よ、ノルマル」

 子供がさらわれたという言葉に怯えるノルマルを、シルフィアは抱きしめた。


 想い人がまた危険のただ中に飛び込んでいく……

 折角会えたのに……それもほんの束の間なんて……

 でも、行かないでなんて言えない。

 そんな人だと知っているから……

「ロキ……」

 心配と淋しさで、ウィンディエルは一瞬表情を曇らせたが、気丈にそれを隠した。

 

 炎の勇者……?

 紅蓮の勇者……?

 格好いいじゃん! チクショー!

 田中はというと、颯爽としたロキの姿にますます嫉妬の炎を燃やすのであった。

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