第7話 窓際の勇者(?)

「ありがとうございました、ケーイチ。何とお礼を言っていいか……」

 ウィンディエルは深々と挨拶した。



 魔王は結局上機嫌で村を後にした。

 政治的主導権はこれで穏健派のエルフたちが主を占める取り決めとなり、万事めでたしめでたしというわけであった。


「あんた、ワシの王宮に来てもええんやで?」

 魔王から勧誘ともヘッドハンティングとも何ともつかない誘いを受けたが、一応田中は丁重に断った。

 妻子に逃げられた自宅に戻るのが最上かどうかはわからなかったが、異世界の王宮で生活を立てていくというのはあまりにも想像の範疇を超えることであった。

 なにしろ、魔王は気分屋である。ご機嫌を損ねれば、頭から食べられないとも限らない。あまりにもハイリスクな賭けである。



「いやいや、ウィンディエルさん、お礼など……」

 村では広場の後片付けが始まっている。例によっていろいろな格好の生物たち――ケンタウルスやら、フォーンやらがいそいそと働いていた。

 太陽は西に傾き始め、祭りの後の余韻を引きずりながらまた日常へと帰りつつあった。


「何か私にできることはありますか? そうだ、今晩も是非お夕食を召し上がってください!」

 シルフィアがノルマルの手を引いてやって来た。

「それがいいよ、ケーイチ! お祝いの会をしましょうよ!」


「いやぁ……」

 心地良い。ヒトに必要とされることがこんなに気持ち良いとは。

 しかし、気持ちのいいこの世界にずっと居続けることができないのも分かっている。

 シルフィアの顔を見ていると、娘の彩音を思い出す。もちろん、シルフィアほど美人でもないし、四十八歳であるわけもないのだが。


「おや?」

 片付けが進む広場のはずれに、ポツンと座り込んでいる人物を田中は見つけた。

「ちょっと、失礼します。すぐに戻ってきますから」

 田中は軽く会釈してその人物――山田のところに歩いて行った。


「山田!」

 声をかけられた山田は、ゆっくり顔を上げた。千々に乱れた頭頂部のバーコードは顔に簾のようにかかってさながら落ち武者の様である。

「ふふふ、こんな無様な姿を笑いに来たか、田中?」


「ははは、そんな筈はないだろう」

 笑っているじゃないか田中。という突っ込みは別にして、若干の優越感は持ってしまうのが現実的な人間というものである。


「やはり、土壇場の営業力……田中恐るべしだな。いつぞやはキンキン工業の新商品の取引で手酷くやられたっけ。」

 山田は残された矜持を誇示するかのように、ニヒルに笑った。この男、顔のつくりははっきり言って田中より数倍カッコいいので、スキンヘッドにするかすればよさそうなものである。とにかく風になびくバーコードはあまりにも気になるので何とかしてほしい。


「ふっ、そんなこともあったな」

 田中、格好よく手を差し出して山田が立ちあがるのを手助けした。


 まあ、なんだかんだ言って自分に酔っているオッサン二人である。


「昭子さんも、お前にとられたしな」


 妻の名前が出て、思わず心臓が縮み上がる田中である。


「そ……その件か」

「お前のどこがいいのかと思っていたが、心のどこかで分かっていたよ。ふっ、人間力か。その後、元気にしているのか? 娘さんがいたな。きっと、昭子さんに似て可愛らしいお嬢さんなんだろうな」

 ルックスはともかく、腐女子である。

「ま、まあな。それより、お前はどうやってこの世界に来たんだ?」

 話を誤魔化し半分、興味半分である。

 山田は純真なラノベ読者を騙す‘ぼったくり異世界ツアー’と中世文明の異世界人を相手にした悪徳貿易を企画していたのである。

 山田の言葉からすると、山田は異世界に自在に来れるということになる。でなければ異世界と商取引などできるはずがない。


「……おれ、実は左遷を命じられてな」

「なっ! お前が?」

 山田は取引先の開拓成績も抜群の男、髪の毛以外パーフェクトな営業マンの筈である。田中は心底驚いた。

「俺たち、バブルのあだ花はもう引退していく時代なんだよ。地方の営業所の所長待遇だがな。単身赴任さ。もう帰っては来れないだろう」

「そうか……」

「勢いと、人情と、コミュニケーション能力だけじゃあどうにもならないこの世の中なのさ。それで、毎日飲んだくれてたら、いつもあの魔族の娘の館に迷いつくようになった」

「はあ……それじゃ、自分の意志で来ているわけじゃないのか?」

「ふふ、あれはまあ、俺のハッタリもあるが、一発逆転のすごいビジネスチャンスだと思ったのは事実さ。そう言うお前はどうなんだ?」

「俺も酒に酔ったら小さいオッサンが見えて……」

「何だそれは? だが、お前も酒か……そうか、そうだな。お前もいろいろあるんだろうな。ひょっとしたらこの世界は、俺たち寂しい人間が行き着くところなのかもしれないな」


「……お前、どうやって帰るんだ?」

 さびしい人間か。田中は心の中でため息をついた。


「おれはあのグリシャムさんちの井戸の中に飛び込んだらいつも帰れるんだよ。お前こそどうやって?」

 田中は考え込んだ。いつも頭を強打して元に戻っているので、今回も強打すればよいのだろうか?


「おーい! 山田!」

 山田を呼ぶ声がする。

 振り返ると、魔族の娘グリシャムが立っていた。

 もうタイツ風の魔族服に着替えている。ラノベの表紙とかにある妙に露出度の高い実用性の低そうな甲冑といえば読者諸氏にはわかるであろう。


「帰るぞ!お前もついてこい! 馬車が出る!」


 グリシャムの後ろには黒いグリフォン――田中の目には全て怪獣に見えるのだが――に牽かれた馬車が待っている。御者にもやはりグリシャムと同じヤギの角がついていた。


「あ、私もご一緒していいんですか?」

「何を言ってるんだ、今回の負けは負け、次回の魔王様歓待の儀で勝てばいい!」

 結構サバサバした娘の様だ。というか、この世界にはどうも本当の意味での悪人がいない気がする。いや、ひょっとしたら自分の住んでいる世界だって、そうなのかもしれない。だが、みんなが善人でいられない事情があるのだろう。そんなことを田中は考えた。

「それより、次回来る時も手土産持って来いよ。あたし、あの茶色いお菓子、チョコレートだっけ、が沢山入っているのがいいなあ。あ、でもクッキーっていうのも美味しかったし」

 どうやらグリシャムは田中の手土産に夢中なようである。

 それなりに楽しくやっているのかもしれない。

「じゃあな、田中! アディオスアミーゴ! あっ!」

 山田は手を振って去るのかと思うと、また小走りに戻ってきた。

「今回の借りは、いつか必ず返す。オブリガード!」

 なぜラテンのノリなのかわからないが、今度こそ本当に山田は走り去っていった。



 田中が来た道をもとに戻っていくと、ウィンディエル達三姉妹の隣にビクミグ族の小人たちが立っていた。石畳の上なので分かるのだが、草の地面だったら完全に隠れてしまう大きさだ。

「ケーイチサマ!」

 小人たちは躍り上がって手を振りながら田中を迎えた。

「ビクミク族の人たちがお礼を言いたいそうだよ」

 長老と思しき髭の小人が、シルフィアの肩に乗っている。彼らの声は基本的に高くて小さいので、シルフィアが言ってみれば通訳というか、拡声器役なのだろう。

 ビクミク族は何度も何度も頭を下げた。

「それと、お願いがあるんだって」

 長老はボソボソとシルフィアの耳に何かを話している。

「ケーイチは何族か教えてほしいって。ヒト族だけど、異世界のヒトだから種類が違うようだって」

「私?」

 日本人、とか地球人というのはどうも違うようだ。

 社畜?

 仕事人間?

「……うーん、窓際族かな」

 田中は頭をボリボリと掻いた。

「マドギワ族! マドギワ族ノ勇者、ケーイチ!!」

 足元の小人たちは絶叫した。といっても、猫が鳴く程度の声だが。


「ま、窓際族の勇者?」


「ソウ、マドギワ族ノ勇者! 我々ハ、今後永遠ニケーイチノ偉業ヲ讃エルタメ、ソノ名ヲ頂キタイ!」

「どういうことですか??」

 田中はシルフィアと長老の顔を見比べた。長老はまたボソボソとシルフィアの耳に言葉を囁いた。


「ケーイチの勇気を讃えて、ビクミク族の名前をこれからマドギワ族に変えたいって。いいかしら?」

「えー、意味が……ちょっと良くないかもしれませんが」

「エサ、っていう意味のビクミクより良いと思いますよ。マドギワ、何だか強そうな語感で素敵じゃないかしら」とウィンディエルがにこやかに言った。

「強そう……ですか?」

「ワー、マドギワ族万歳、マドギワ族万歳!」

 ビクミク族改め窓際族は喜びを込めて唱和した。


「マドギワ族!」

 末の妹ノルマルも面白がって唱和している。

 

 まあ、何だか良いことにした田中だった。


「それで、彼らも是非お礼がしたいって」

 長老がシルフィアの言葉にうなずく。


「でしたら、元の世界に帰してください」

「え!?もう?」

 三姉妹は驚きの声を上げた。

 田中は頷いた。

 

 そうだ、自分は窓際族の勇者なのだ。

 あの世界で戦っていくべきなのだ。

 冷たい会社の同僚や後輩たち。

 カンカンに怒った妻の顔。

 サイテーと言い放った彩音の顔。

 隣県の大学なので、最近家に帰ってこない恒治。

 ローンの残った家。

 そのすべてが、愛おしく懐かしい。


「はい」

 田中は頷いた。


 マドギワ族たちに再び頭を殴られ、目を醒ました田中は居酒屋長次郎の店内だった。

 すでに入口の向こうは明るくなり始めている。

 今日は休日だ。

 田中は長次郎の引き戸を開け、鍵をかけて郵便ポストに放り込んだ。

 夜が明ける。

 もうすぐ始発の電車が出る時間だ。

 朝の冷たい空気を吸いながら、田中は駅に向かった。


「窓際族の勇者、田中か」

 田中はつぶやくと背筋をしゃんと伸ばして足取りも軽やかに歩いて行った。


 そんな後姿を、オッドアイの黒猫が見つめていた。

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