第6話 魔王の目にも涙

「ウィンディエルさん!」

 田中が振り返って叫ぶ。


「はっ! はい?」

 一連の顛末にどうしていいか分からなくなって呆然としていたウィンディエルは慌てて返事した。


「干し魚はありますね?」


「ええ、ここは内陸ですから、逆にあまり鮮魚は手に入りません」

「では、なるべく出汁が出る物。できれば、膨らんで体に毒があるような奴。それと、沼人ヌマビトとやらに、これこれこういう物を頼めますか?」


 ウィンディエルは慌てて妹のシルフィアを呼び、田中に頼まれた物を説明した。

 シルフィアは頷いて走り去っていく。


 山田はとりあえず広場の地面に置かれたままとなった。しかし、すぐ後ろがたき火なのでじりじりと背中が焼ける。待つ間もグリルが進む次第である。

 たまらず芋虫のようにくねって逃げようとしたが、オークの一人にあっという間に見つかって捕まえられてしまうのだった。


「その間、ウィンディエルさん手伝ってください」

「はい?」

「さっきのコメの酒を瓶に入れて、湯煎します」

「ああ、沼人のお酒ですね?あれはあまりこの辺りでは好まれないのですが……はい、わかりました」

 ウィンディエルはドレスの裾をたくし上げ、いそいそと手伝う。

 幸い火力はいくらでもある。鍋に湯を沸かし、その中に酒の入った瓶を入れた。


 しばらく待っていると、シルフィアとバスケットがやって来た。

 バスケットがシルフィアを追いかけるようについてくる。

 はじめ魔法でバスケットが飛んで来たのかと思ったが、そうではなく小さいおっさん――ビクミク族の小人たちが運んで来たのだった。

 田中は、ビクミク族は人や物を取り寄せる能力があるとシルフィアが言っていたのを思い出した。


 バスケットの蓋を取ると、頼んだ物が入っている。

「よしよし、いいぞ」

 田中は呟くと、枝二本を箸にして干物をつまみあげた。

 もともとの魚はかなり大きいものだったようだ。楕円形で、田中の狙い通りの種類の魚のようである。

 尾びれだけをちぎり、山田の背中を炙っていた焚き火で炙った。

 香ばしい匂いが辺りに立ち込める。


 次に、先程まで温めていたコメの酒を準備する。蓋付き茶碗の中に飴色に炙った尾びれを入れ、酒を注いだ。


 魔王もウィンディエルも、ギモリンもグリシャムも、果てはオークから来賓の異世界種族まで興味津々で田中の一挙手一投足を見守っている。


「さて、仕上げです。魔王様、ライターを拝借します」

「うん、何かね?」

 魔王は使いかけの方のライターを田中に渡した。


 茶碗の蓋をそっと開け、立ち上るアルコールに火をつけた。

「おおっ!」

 一同から歓声が上がる。

 一瞬立ち上るアルコールが青い火となったが、すぐに蓋を閉めたので消えた。


「蓋を取って、どうぞ。器が熱いのでお気をつけ下さい」

 田中はずずいと蓋付き茶碗を魔王の方に差し出した。


「あちち、ほんとに熱いね!」

 魔王が蓋をあけると、香ばしい魚の臭いが立ち上る。口で吹き吹き冷ましながら、魔王は酒を飲んだ。

「あっ! 何これ! 魚の出汁が出て、磯の香りがするね! お洒落じゃね! これ何ていう物!?」


「フグのひれ酒でございます」

 田中は眼鏡を押し上げた。

 眼鏡が陽光を受けて輝く。

 我が接待の術ここに成れり。


 田中の口元に不敵な微笑みが浮かんだ。


「はーっ! これいいね! 酒精アルコールが火で飛ばされて、優しい味になっとるね! お腹に優しいね! メル君、フーフーしてあげるから飲んでみ!」

 魔王は口で吹いて冷ましてから腹の魔獣に飲ませた。腹の魔獣はぴちゃぴちゃ音を出して酒を飲んだ。

「あー、こりゃたまらんね! 磯の味やね。わしは海育ちやけんね! 懐かしい味やね!」


「あのー、魔王様、私たちも頂いてみて宜しいでしょうか?」

 周りで見ていたギモリン達もたまらなくなったらしい。


「んー、ええよ。‘らいたぁ’を大事に使うんやで」


 たちまち合図で来賓席に蓋付き茶碗が集められ、ひれ酒の宴が始まった。

「山の食べ物ばかりが多い山国では、これは御馳走酒になるな」

 ギモリンがうまそうに飲む。

「肉とは違う風味だな。おもしろい。酒を温めて飲むとは珍しい」

 オークが珍しがる。

「不思議な味ですね。グリューワイン(ホットワイン)とはまた違います。果物の味と言うより、スープの味です。」

 ウィンディエルが口に含み、頬を染めて言った。

「コメの酒もいろいろございます。是非これからも召し上がってください!」

 コメの酒を提供した沼人は得意そうだ。

 もともと葡萄酒や麦酒がこの世界の主流なのだろう。日本酒が海外で高評価されていくのを見るような気持なのかもしれない。


「けっ! 何であたしにこっちを教えないんだよ!」

 グリシャムは杯を空にして、地面に転がされたままの山田の尻を蹴飛ばした。

「ぐげっ!」

 グリシャムの一撃は、容赦なく山田のいぼ痔を襲った。


「それと、もう一品」

 田中はもう一つ用意して貰っていた物を、空いていた陶器のボウルに入れた。

 コメの酒があるならば、これがあると読んでいた。

 冷やご飯である。

 先程の干し魚の残り――身の部分をほぐして載せ、さらに、その上に茶を注ぐ。

 紅茶のように匂いが強くない。

 日本茶と異なり発酵茶葉であるが、烏龍茶に近い茶葉だ。


「どうぞ、魔王様」

「はぁーん? これ何?」

 魔王はすっかりほろ酔い気分である。


「お酒を飲んだら、〆の一品でございます」

 恭しく田中は一礼した。


「何これ、簡単そうやん、これでも料理? でも、わし、もうあんまりご飯は入らんよ? まあ、ええわ。スプーンで食うんかね?」

 魔王はボウルを受け取って不思議そうに首をかしげた。


「さらさらとお召し上がりください」

 再び田中の眼鏡が鋭く光る。


「さらさらやねー」

 魔王は茶漬けのボウルを持ちあげ、口にざぶざぶと流し込んだ。


「はっ!」


 魔王の動きが止まった。


「……何これ? あんた、何ちゅう物を食わしてくれるん?」

 一瞬非難の言葉とも取りかねない魔王の言葉に、異世界の住人達は静まり返った。

 しかし、次の瞬間彼らは目を疑った。


 魔王と腹の魔獣、メル君が泣いているのである。

 ダブルで四つの巨大な目玉からざあざあと流れ出る涙。魔王の足元には水たまりができ始めている。


「懐かしい海の味が、腹にどこまでも沁み渡っていく……この味や、わしが求めていたのは……山国で政治をせんならんなって、ずっと忘れとったこの味……毎日ビクミク族やら豚の丸焼ばっかり食べて疲れとった、わしの胃と心をどこまでも優しく包み込んでくれる……ふる里の味、おかーちゃーん!」


 魔王はおんおんと号泣し始めた。

 泣いている魔王など初めて見た異世界の住民は、呆気にとられていた。


「ウィンディエルさん、接待完了でございますな」

「はっ! えっ?」

 呆気にとられていたウィンディエルが我に帰る。


「前に言ったでしょう? 人の心を動かすもてなしの心こそ接待の心であると……」


 インポッシブルなミッション、これにて完了。

 気分はトム・クルーズである。


 格好つける田中の後ろで、餌になることを免れたビクミク族と山田が、手を取り合って泣きながら喜んでいた。

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