第2話 如菩薩降臨

「ウィンディエルさんが?」

田中は慌てて緩んでいたネクタイをしめなおした。

この絶世の美女に必要とされる。これほど男冥利に尽きることがあろうか。

いや、というか最近自分が必要とされること自体少ないのだ。

「何か事情でも?」


「ええ、それではこちらへどうぞ」

田中は案内されてドアを出た。

考えてみればこの家の店舗以外の場所に入るのは初めてだ。

廊下もフローリングで、窓枠も木である。

窓にはまっているのは透明な板だが、ガラスではないようだ。

窓の外は森だったが、木の向こうにメルヘンな感じの家が数軒建っている。


「エルフの村、‘静か森’よ。ここは村はずれなのであまり家はないけど」

シルフィアが解説した。


廊下を歩いて階段を下りるとそこは心地の良い居間だった。

大きな木のテーブルがあり、ダイニングキッチンのような作りになっている。

促されて田中がテーブルに着くと、ウィンディエルはポットを、シルフィアはカップを持ってきた。ノルマルはクッキーのような焼き菓子が入った木のボウルを運んできた。

ウィンディエルがポットの中身をカップに注ぐ。

カモミールティーだが、田中はカモミールティーなるものを知らない。何やらよい匂いのするお茶である。

三姉妹は田中を囲んで席に着いた。


「この前の妹の件は本当にありがとうございました」

ウィンディエルは深々と頭を下げた。

シルフィアがうなずく。

「全てはギモリンさんからのお手紙で事情を知りました。ケーイチがドワーフの方々の怒りを鎮めて下さったとか。感謝の言葉もございません」

ウィンディエルは美しい顔をゆっくり上げた。


「いやいや、当然のことをしたまでですな」

田中は少し恰好をつけて言った。


「しかしそれで、私を呼び出したわけとは?」


「実は、ケーイチに相談に乗ってほしいことがありまして……」

ウィンディエルがじっと田中の目を見つめる。


「こ……恋の相談は得意ではありませんよ」

「もうすぐ、というか、明日、魔王様の行幸があるんです」

田中のユーモア(おやじギャグ?)はあっさり無視して、ウィンディエルは語り始めた。


「魔王様?」

随分おっかない響きである。

ライトノベルにもRPGにも興味がない田中であるが、脳裏にはなにやら巨大な怪獣のようなものが浮かんだ。


「魔王様、っていうのは称号なので、実際には女の人がなったりもするんだけど。魔族やエルフ、ドワーフなんかのヒト族以外の種族を統括している世話役さんのことね」

田中のひきつった表情を見て何を連想したかを察したらしく、シルフィアが解説した。


「今年は私たちの‘静か森’にもいらっしゃるんですが、私がもてなし係ということになってしまって……」

ウィンディエルは困った表情を浮かべた。

愁いの美女。田中は鼻の下を少し伸ばした。


「村で一番きれいな娘がもてなし係をするのよ。すごく名誉なことなの」

シルフィアにとっては自慢の姉なのだろう。胸を張って言った。


「ですが、私は人前でそういうことをしたりするのが苦手で……」

ウィンディエルは頬に手をあててため息をついた。

「しかも、責任は重大です。粗相は許されません。魔王様のご機嫌次第で租税の徴収率も決定されますし、ビクミク族の人なんか食べられてしまいます。」


食べる……のか?田中の中の魔王のイメージは再び巨大な怪獣になった。

なるほど、それであんなに頼んでいたのか。昨夜のビクミク族の様子を思い出して田中は納得した。


「大丈夫、きれいな女の人がそばにいるだけで、男の人は機嫌が良くなるものよ。ねぇ、ケーイチ」

シルフィアが姉の肩を叩いて言う。


「いや、それはそう……」

頷きかけて、シルフィアの言葉に違和感を覚えた田中であった。

確かにそれは正しい。しかし、それはあまりにも浅い理解ではなかろうか。


田中の接待魂に火がついた。


「失礼ですが、美人は3日で飽きるという言葉をご存じですかな?」


「えっ!えっ?」

何か田中の人格が変わった。シルフィアは戸惑った。


「人を喜ばせる、人を饗応するということは、それほど容易いことではありません。そこには、感動がなくてはなりません。相手の気持ちになる、思いやりがなければならないのです」

フル回転で回り始めた田中の弁舌に、シルフィアは呆気にとられた。


「花は花として美しいが、人の花は咲かせるもの!花を咲かせるのは‘ひとのこころ’でありましょう!」

「わーい!」

ノルマルは田中の節回しが面白かったらしく、大喜びだ。

圧倒されるシルフィア。

呆然とするウィンディエル。



こうして、田中の魔王接待大作戦が始まったのであった。


「まず、衣装ですけど、これで良いでしょうか?」

ウェンディエルは椅子から優雅に立ち上がり、スカートの裾をつまんで左足をひき、軽く膝を曲げて会釈した。

彼女は西洋絵画で農家の娘が着ているような白いワンピースを着ている。

元が元だけに、清楚で美しい。可憐な野の花のようだ。

しかし、これでは店で着ている魔法使いの服と五十歩百歩だ。普段着の印象が拭えない。


「いけませんな」

首を振る田中。

「えっ!駄目ですか!」

ウェンディエルが驚いた。


「‘ハレ’の服ではありません」

「だから、それは私もお姉さまに言ったのよ。お母様が昔お城の舞踏会に着て行ったドレスがあるんだから、それを着なさいって。あと、髪もそのままじゃね」

シルフィアが言った。


「そうですね。せっかくの美しい素材が隠されてしまっては意味がない。肩や背中、胸を強調すべきです。髪は夜会巻きにして下さい」

眼鏡の奥の田中の目が鋭く光った。

「夜会巻き?って何ですか?」

「こう、髪をあげてアップに……」

「ああ、なるほど。動きやすそうですね」

「私も手伝うね!」


ウェンディエルはいそいそと2階の自室に戻り、シルフィアもその後を追った。



しばらくするとウィンディエルは着替えて階段を下りてきた。

「いかがでしょう?」

恥ずかしそうに少し頬を染めている。


「はうあっ!これは何と!」

後光が差すようだ。

背中と肩が開いた、マーメイドドレス。

ウェンディエルの豊かな胸―下品な言葉でいえば爆乳から、ほっそりした腰に流れる美しい曲線が強調されていた。

デコルテと背中は透き通るように白い。

さらに、うなじに生えたおくれ毛の愛らしさ。

着替えを手伝ったシルフィアも横で満足そうに腕を組んで頷いている。


バブルの頃若社長に連れて行ってもらった、銀座のクラブのNo1。

いや、これは、姫。

いやいや、女王。

いやいやいや、女菩薩―観音様が降臨なされた。

びゅわっと感涙が目から溢れる。

「ありがたや~」

田中は思わず手を合わせた。


「完璧です。文句のつけどころもございません」

ウェンディエルは田中の言葉でますます真っ赤になった。


ちなみに、田中を遊びに連れまわしていた若社長は、後に会社の金の使い込みで失脚したのだが、これは余談。


さてさて、次のレッスンである。


ノルマルを魔王役に見立てて、ウェンディエルにお酌をさせてみた。

「魔王様、どうぞ」

片手でカラフェに入った山ぶどうジュースをテーブルに置いてあるグラスに注ぐ。

コポコポ音を立てて赤紫の液体がなみなみと満たされる。

「うむ」

ノルマルは魔王になったつもりで重々しくうなずく。

見守るシルフィア。それなりに様になっている気がする。


「違う!違うなー!」

首を振る田中。

「え!ええっ!」

「だ……駄目なんですか?」


「注ぎ口がグラスに垂直になっていません。それに、グラスの口に当たっていない。そのせいで、葡萄ジュースの泡が立ってしまった。横に座って、相手の顔を見て、笑って、器壁を伝わせるように、静かに両手で注いでいきましょう」

「はっ、はい!」

慌てて座るウィンディエル。胸の谷間が強調されてしまう。


「ビールなら瓶のラベルを上に、初めは少し泡を立て、最後はゆっくりと満たして泡で蓋をする感じが理想的ですが」


「あっ!歓迎会のお酒はビールとワインです!」


ビールなんて異世界にはそぐわないと思う読者諸兄もいるかもしれない。

しかし、ビールは世界最古の酒の一つで、メソポタミア文明でも(ストローで)飲まれていたくらいなのだから、異世界にもあるに決まっているのだ。きっとそうだ。

だいたい冒険に持っていく酒はワインでいいのか?

ポートワインか蒸留酒でなければ長持ちするわけないではないか!

あ、話がそれた。失敬。


「あ……!本当だ、泡が立ってる」

シルフィアがグラスを観察して驚いた。


「それに、注ぎすぎです」

「いっぱいじゃいけないの?」

ノルマルが不満そうに尋ねる。この特訓でジュースがたくさん飲めるのは役得だと思っているのだろう。

「では、それを飲んでみてください」

ノルマルがグラスを取ると、縁に溢れかけたジュースはこぼれてしまった。

「あー、手が汚れた」


「それです」

「でも、ノルマルはまだ子供だから。魔王様は大人だからもっと上手にグラスを持つんじゃないかしら?」

シルフィアが納得できない、というように尋ねる。

「その気遣いすらさせないのが、真のおもてなしというものですよ。それに、魔王様がだんだん酔ってきたらどうなりますかな?」

「そうか、なるほど!」


皆の話を横眼で聞きながら、ノルマルは葡萄ジュースを平らげる。

コップをグラスに戻した瞬間、すぐにウェンディエルはグラスを満たした。


「ストップ!」

「はっ!」

「そこで何を考えましたか?」

「え?いや、飲み物が無くなったから……」

「これは練習ですが、ノルマルちゃんにたくさん葡萄ジュースを飲ませるとどうなるでしょう?」

「ご飯が食べられなくなって、お姉さまに叱られる」

「えー!大丈夫だよ!」

シルフィアの言葉に、ノルマルが頬を膨らませた。


「相手の酔い具合、飲み物の欲しいタイミング、お腹の膨らみ具合を常に考えて注がなければなりません」


「はぁー!」

ウェンディエルは頬に両手を与えて考え込んでしまった。

「難しすぎる……私、昔からちょっとおっとりしていて鈍感というか、気が効かないって言われてましたから……」


‘天然さん’なのか。それでももてたんだろうな……

いやしかし、だったら惚れた男の気持ちにも気付かないっていうことか。 

なんて罪作りなんだ……

田中は腕組みして感慨にふけった。


「そうだ!ケーイチ、私と一緒に歓迎式典に出て下さい!私にこっそり合図を出してもらえませんか!」

ウェンディエルはポンと両手を打ち鳴らして言った。

「それならきっと間違いありませんわ!是非お願いします!」


「えぇーっ?」


何だかそういうことになってしまった。



その夜、田中は三姉妹の心温まる手料理の歓待を受けて床に就いた。

一番初めに目が覚めた部屋が両親の部屋だったようだ。よく見るとベッドはハリウッドスタイル、つまりシングルサイズを二つくっつけてならべたものだった。

寝具は軽くやわらかで、絹製である。太陽と樹の匂いがした。


三姉妹の父親が着ていたという肌触りのよい綿の寝巻を借りている。

父親はかなりスリムで長身の男性だったらしく、裾はダブダブ、腹は丸出しであるが。


スーツは魔法の洗濯とやらで、明日には綺麗になっているらしい。


「ああ……満ち足りるなあ」

窓の外からフクロウの鳴く声がする。

この何年か、こんなに心が満ち足りた事があっただろうか。


「このままずっとここにいようかな」

田中の脳裏にふと家族の姿が浮かぶ。

もし自分がいなくなったら、皆困るだろうか。

昨夜の昭子と彩音の顔を思い出す。


……家のローンと子供の学費か。

でもそれは俺が死んだことになれば、生命保険と住宅保険で何とかなるよな。

ここにいれば、皆に必要としてもらえる。


そんなことを考えながら布団に潜りこむと、田中は次第に心地よく深い眠りの中に落ちて行った。

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