第3話 おっさんとワーエイプ

「おら! ウィンディエル! 出てきやがれ!」

 可愛らしい店の雰囲気に似合わない野太い声が響いた。

「ジャイゴモン!」

 シルフィアがピンと耳を立てた。ノルマルが姉にしがみつく。


「はい、ただいま参ります」

 ウィンディエルは小走り男の前に立った。

「この店は効かないポーションを売りつけるのかよ?」


 ジャイゴモンと呼ばれた男は、ガラス瓶を床にたたきつけた。高い音を立てて瓶が砕ける。


「キャッ!」

 シルフィアが小さく悲鳴を上げた。


 田中は恐る恐る店の入口の方を覗いた。

 身長2mはある大男が立っている。

 どういうわけかアメリカンフットボールのようなプロテクターをつけている。しかも、異様に毛深い、プロテクターの合間から黒い剛毛が生えている。もじゃもじゃだ。


「これを使えば、モテモテだって言ったじゃないかよ!」

「これは真実の恋の薬です。惚れ薬であると説明した覚えはありません」

 ウィンディエルは気丈に答えたが、声が震えていた。


「何だか随分毛深い奴だな」

 田中が眉をひそめた。

「だって、ワーエイプだもの」

 ノルマルが答える。

「ワーエイプ」

「うーんとね、お猿さんとヒトのあいのこ」

「つまり、猿人?」

 そう言われると、田中の頭には昔夢中になった猿の惑星が思い浮かんだ。

 あのどこまで見ても終わりのない……続猿の惑星、続々猿の惑星……最近そういえばリメイクがあったっけ。

 なんだ、SFのマニアか。全く大人げない。


「お姉さまに気があるから、ああやっていつもちょっかいを出してくるのよ」

 シルフィアが猿人男を睨んだ。


「何と!」

 田中はメガネを押し上げる。

「クレーマー客だな」

 まったく、しょうもない奴もいるものだ。

 それに引き替え、毅然と対応する店長?ウィンディエルさんの美しいこと!


「このお店は、私たち三人だけでやっているから、舐めているんだと思う」


 田中はシルフィアの言葉にうなずいた。

 女性三人、しかもこんな小さい子も一緒に切り盛りしている店にクレームをつけるとは、ろくでもない奴だ。

 健気な子たちだ。

 きっとご両親が早くに亡くなって、一生懸命店を守って来たに違いない。コスプレは感心しないが……


「ちょっと、私は行ってくるよ」

 田中はシルフィアとノルマルをカウンターの陰に押しやり、つかつかとジャイゴモンに近づいた。


「ケーイチ! これは私たちの店の問題ですから、大丈夫です!」

 ウィンディエルが言う。


 年下の娘に呼び捨てされるとはなんだかくすぐったい気分だが、ウィンディエルの美しさに免じて良いことにした。

 ウィンディエルとジャイゴモンの間に割って入った。

 背中でウィンディエルをかばう状態だ。

 と言っても、今気づくとウィンディエルの方が背が高かったのだが。


「君! 客には客の礼儀というものがある。その態度はいかがなものだろう?」

 営業一筋20年、数々の修羅場をくぐりぬけて来た。ある時は土下座し、ある時は懐柔し、ある時はゴマをすり……

 クレーマーの一人や二人、何をかあらんや。


「貴様! 俺様が何者かわかっているんだろうな!」ジャイゴモンは田中を見下ろしながら顔を近づけてきた。


 獣臭い鼻息が田中の顔にかかる。口からは尖った犬歯が覗いている。顔は完全にマウントゴリラだ。喋るゴリラ。最近の特殊メイクはすごいなあ。


「どけ! 俺はお前に用事があるんじゃない!」

 ジャイゴモンの巨大な右腕が田中を弾き飛ばした。田中の体は軽々とカウンターを越え、顔から床に激突した。


「はっ!」

 田中はまたまた気づいた。

 痛い。

 これは……そうか、夢だ!

 そもそも夜だったのに、昼なのはおかしいじゃないか。

 美人三姉妹に囲まれる夢なんて、調子が良すぎる。

 そうか、そうか! 夢なんだ。

 田中は立ち上がり、ひびの入ったメガネを押し上げてカウンタ―をひらりと……飛び越えられなかったので、普通にカウンターについた木戸を通ってジャイゴモンの前に立った。


「貴様! またか! ひねりつぶすぞ!」

「ケーイチ! 大丈夫?」

 シルフィアとノルマルが叫ぶ。


「そのような態度は、恐喝ですよ!あなた、しかも私に暴力をふるいましたね!法的には、圧倒的にあなたの立場は悪くなった!」


 何を言っているのかわからない、というようにウィンディエルとジャイゴモンの動きが止まった。

 二人とも目が点である。


「貴様! 一体何者だ! どけ!」

 ジャイゴモンは腰に差していた短剣を抜き放って振り上げた。


「きゃあ!危ない!」

 ウィンディエルが叫ぶが、田中はひるまない。どうせ夢なのだ。 


 「私は!」

 サラリーマン一筋28年、鍛えに鍛えたこのスピード!

 田中はスーツのポケットから名刺を取り出し、抜き放った。

 お辞儀の角度は45度、自分の名前が隠れないように両手で丁寧に、相手から読みやすいように差し出す。


「こういうものでございます!」


 ビシッと決まった。完璧だ。一瞬時が止まったようにさえ感じる。田中の口元がニヤリと歪んだ。


 ジャイゴモンの動きも止まった。

 「あ……」どうしていいかわからないようだ。「あの……ども……」

 ぎこちなく頭を下げ、短剣を握った手で、名刺を受取った。


 「今だ!」

 シルフィアの声がしたかと思うと、ジャイゴモンの頭上に突然巨大なハンマーが出現し、落下した。ジャイゴモンはたまらず昏倒した。


 「お姉さま!大丈夫?」

 シルフィアがさっきの杖をジャイゴモンに向けながらノルマルと一緒に恐る恐る近づいてきた。どうやら彼女の魔法とやらでハンマーを出したらしい。

  ジャイゴモンは床に大の字になって倒れている。こうしてみると、随分巨大だ。

  今になって田中の膝が震えてきて、腰が抜けた。

  膝ががくがくと笑う。

 「わあ! レッグマジック!」

 ノルマルはすっかりお気に入りになった動きを田中の前でやって見せた。


 「ははは、私はいらないことをしたかな?」

 田中の声が震えている。こんな化け物みたいなやつに名刺交換なんて、夢の中とはいえバカなことをしたもんだ。


 「いいえ! そんなことはありません! ケーイチが彼の動きを一瞬止めてくれたから、シルフィアは魔法が使えたんです。呪文の詠唱には時間がかかりますから」

 ウィンディエルが田中の肩を抱いた。豊かな胸が二の腕に当たり、田中の鼻の下が少し伸びる。


 「そうだよ! すごい技だった。いつ護符カードが出て来たか見えなかったもの! あれは、何?」

「いや、普通の名刺交換で……」

「メイシ? ああ、これね」

 ウィンディエルがジャイゴモンの指に挟まっていたカードを取り上げた。

「これ、何て書いてあるの? 読めませんけど……」

「あ? それは、私の会社と私の名前ですよ」


「えっ!」

 ウィンディエルとシルフィアは驚きの声を上げ、顔を見合わせた。

「なんてこと! これは、あなたの分身というわけですね!」

「自分の身分と名前の入ったカードを渡すなんて! 捨て身の攻撃?」

「つまり、自分の魂を込めた護符を渡して、いかようにでもしろと……なんて恐ろしい攻撃。相手に自分の命を奪うまでの覚悟があるのかを問うわけですね!」

「それは動きが止まるね!! すごい勇気!」

「すごいね!」

 何もわかっていないらしいノルマルも田中のことを褒め称えている。


 田中にすれば、なんで褒められているのかよくわからない。


「ありがとう、ケーイチ!」

「ありがとう!」

「ありがと!」

 三姉妹はお礼、と言わんばかりに田中を抱きしめた。

 店のカウンターに背中がぶつかる。


 ああ、何か幸せ……そう思った瞬間、田中の頭にカウンターから落ちてきた薬瓶が直撃した。


「もしもし、早く家に帰りなさい。こんなところで寝ていると風邪をひきますよ」


 気付くと田中はビールケースの山の中に転がって寝ていた。

 声をかけてくれたのは顔見知りの警察官だった。近所の交番に努めている若い警官だ。

 慌てて頭を下げ、ビールケースを片付けながら起き上った。


「やれやれ、夢か。それにしても変な夢だった」

 体についた土埃を払って、家路に向かう。スーツをひどく汚してしまった。クリーニング代のことでまた妻に怒られるに違いない。

 一体何だったんだろう。妙に生々しかった。ゴリラ男はリアルだったし、三人姉妹の美しさははっきりと覚えている。ウィンディエルさんの胸の感触まで……

 思い出すと鼻の下が伸びる。


 バカだな、俺も。娘の彩音のコスプレなんかに影響されて、妙な夢を見ちまったらしい。

 気が付くと自宅の前に立っていた。あと20年のローンが残った家。

 門燈だけは点いている。田中は家に入る前に、もう一度スーツの埃を払った。


「おや……?」

 スーツに何か光るものがついている。

 それは、水色に光る長い髪の毛だった。

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