第2話 おっさんとエルフ

「わぁ! ちょっと、あなた、大丈夫ですか!」

 元気の良い女性の声がして、田中は目を開けた。

 目を開けると、若い女性―というよりも、少女が心配そうに自分を見ている。


 気付くと田中は木の床にひっくりかえっていた。

 頭がずきずきと痛む。おかしい。どこかの家の中の様だ。しかも、明るい。太陽の光が窓からさんさんと差し込んでくるのを感じる。


「あ、あの……す、すみません」

 なんだかよくわからないが、随分迷惑をかけた気がする。田中はとりあえず謝って体を起こした。

 この家の床に大の字になって寝ていたようだ。


「気づくとここに倒れていたんですよ。怪我はないですか?」

「あの、私……どこ……」

「あそこの勝手口のドアから入って来たんでしょう?時々お客さんみたいに入ってこられる方がいますよ」少女はそう言いながら戸の方に向かい、木戸を閉めた。


 客?何のことだ?田中は鼻までずり下がったメガネを押し上げ、目をごしごしとこすった。

 「え!?」

 オール木造の家の中だ。

 柱も床材も壁も、全部木だ。天井はなく、山小屋や北欧の住宅のように梁がむき出しになって高い屋根を支えていた。

 オール木造の注文住宅。 間違いなく田中の家より高いと見た。


 しかも、店舗らしい。

 カウンターと、その向こうに様々なものが並べられた棚がある。店と感じるのは、棚に並べられたものが分かりやすく整理整頓されて陳列されているからだ。

 それぞれにポップアップのような札と値段らしきものが書いてある。

 しかし、どういうわけか全く読めない。

 どこの文字だろう。

 店内全体の雰囲気は女性向けの可愛らしい雑貨店に似ていた。


「これどうぞ。酒精の臭いがしますから。少し飲みすぎましたか?」

 さっき声をかけた少女が戻ってきて木のコップを差し出した。コップの中には薄い緑色の水が入っている。

「ありがとう」

 受け取って飲み干すと、爽やかなミントの臭いがした。何か酔い覚ましになる清涼飲料水だろうか。


「ん?」

 改めて少女を見て、田中の目は点になった。


 年のころは彩音と同じくらい、十五、六だろう。通った鼻筋に、白い肌。間違いない美少女である。

 いや、美少女は問題でない。

 髪の毛が、髪の毛の色が……緑色なのだ。目の色も変だ。虹色をしている。

 いったい何人なのだろう。

 耳もとがっていて、髪の毛の間から先をのぞかせている。


「き……君は……?」

「あ、初めまして。私の名前はシルフィアです。姉さんと、妹と一緒にこの店をやっています」

 田中の疑問と全く別のことを少女は答えた。


「あ、いや、そういうことじゃなくって……」

「あちらにいるのが、姉のウィンディエルです」


 シルフィアが手で示した先には、水色の髪の女性が立っていた。カウンターの向こうで、軽く会釈する。背が高くすらりとしていて、胸が豊かだ。こちらも随分な美女で、耳がとがっている。


「ノルマル、ごあいさつしなさい!」

 カウンターに隠れながらこちらを覗いている小学生くらいの女の子がいる。ぺこり、と頭を下げる。こちらは髪の色がピンクである。


 三人とも、西洋の童話に出てくるような恰好をしている。

 薄い色のブラウスに、ロングスカート。丈の短いローブを羽織っている。

 スカートとローブには細かい刺繍が施してあり、手触りのよさそうな生地で出来ていた。


「はっ!」

 田中は気づいた。これは、娘がいつもやっている奴だ。コスプレとかいう。

 この三姉妹はこういう恰好をしてアニメのグッズか何かを販売しているのだろう。


「あなたたちはその、‘腐女子’ですか?」

「は?ええ、女の子ばかりですから、婦女子ですけど、そういうふうに言われると何か変ですね」

 シルフィアがくすくすと笑った。


「なるほど……」

 それで納得した。しかし、いつの間にこんな店に入り込んだのだろう。


「こちらは何を売っているんですか?」

「ええ、魔法具店マジックショップです。」

「ほほう、手品店マジックショップですか……」

 フィギュアとか、同人誌ではないらしい。

 しかし、それにしては陳列棚に妙なものが多いな。

 何かいろいろな色の薬品のようなものがガラス瓶に入っている。


手品マジックですか。私も少しできますよ」

「まあ!あなた、魔道士さんですか。道理で変わった格好をしているはずですね!」


 魔道士?変わった格好?

 そういえば、少しスーツが着崩れているかもしれない。

「それで、お名前はどう仰るの?」

 水色の髪の女性が空になったコップを受け取りにやって来た。

 近くで見るとまさに絶世の美女だ。

 田中の行く店のキャバクラ嬢など、足元にも及ばない。

 直接会ったことはないが、芸能人やモデルはこんな感じなのだろうか。

 甘い香りがする。

 思わず臭いを鼻いっぱいに吸い込んでしまった。


「田中恵一と申します」

 少しスーツの襟を直しながら、慌てて立ち上がった。

「ケー……イチ?変わった名前ですね」


 小学生くらいの女の子、ノルマルが声を立てて笑う。


「ノルマル、失礼よ」

 ウィンディエルがノルマルをたしなめた。

「だって……」

 シルフィアもくすくすと笑っている。


 何がおかしかったのだろう。


魔法マジックって、どういう?」

 ウィンディエルが尋ねた。

「簡単なもので良ければ、見せていただけますか?」にっこりと笑った。


「喜んで」

 どの子も可愛い。うちの娘もこのくらい愛嬌があればなあ、そう思いながら田中は腰を落とし、両ひざ頭を両手でつかんだ。

「はい!」

 素早く両手を動かし、膝を内外に入れ替える。

「膝が入れ替わりました!レッグマジック!」


 しーん。

 反応がない。

 ノルマルだけがキャッキャと喜んで真似をしている。


「ええ、それじゃあ、紐をもらえますか?ああ、ここにあった。これをいただきますね。あ、はさみもお借りします。」

 田中はカウンターに置いてあった道具を拝借した。

「こうやって、手の中を通して、ずたずたに切ります!」

 はさみで輪状になった紐を細かく切り刻む。

「はい!」

 勢いよく紐を伸ばした。

「元通り!」


 しーん。

「わーい、レッグマジックレッグマジック!」

 ノルマルが膝を入れ替えて遊んでいる。

 動きが気に入ったらしい。


 何やら、昨年の忘年会の時に披露したよりも冷ややかな空気が流れていた。

「……」

 田中はよれよれになったハンカチをポケットから取り出し、汗をぬぐった。


「えーっと、魔法マジックと言いますと……」シルフィアは懐から短い指揮棒のような杖を取り出して、軽く宙で振った。

 杖の先から光の輪が現れ、蝶に変化すると窓の向こうに羽ばたいて出て行った。


「おおっ!」

 田中は素直に驚いた。

「これは私のつたない芸をお見せして、恥ずかしい限りですな。すみません」

 頭をぼりぼりと掻いた。


「えー……ケーイチはどこから……」

 ウィンディエルが口を開いたとき、店の入り口がバタンと開いてドアベルがカラコロと音を立てた。


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