血婚

桜井一樹

第1話

 鉛1ひとたまは、心臓より重い。だから人は心臓を撃たれたぐらいで死んでしまうのだ。進化論にある「動物がその環境に合わせてその姿を変えていく」ことが本当にあるのならば、銃社会が当たり前になり毎日のように人が心臓を貫かれていくこの世界で、人は心臓を守る身体へと進化しないものだろうか。例えば皮膚の下を厚い鉄分の結晶で覆い体を守ったり、再生能力が飛躍的に上がったり……。

いや、きっとそんな進化を遂げる頃には人類は絶滅してしまうのだろう。猿から人間への進化さえ、1億年の歳月がかかっているのだから。結局のところ、人間は「自分の身は自分で守る」を文字通り死ぬまでやり遂げなくてはならない。世の中がまだこんなにも混沌とする前の時代よりも、ずっとずっと用心深く。そして強くなければならない。


朝、目が覚めると呻き声が聞こえた。鶏が朝を伝える鳴き声などでは無く、痛みに悶え苦しむ人間の声だ。普通の人であれば動揺するようなそれは、僕にとって日常的な雑音であった。夏でも朝は布団の中とは違い肌寒く、身震いしながらも僕は机の引き出しにしまってある銃を取り出した。歯磨きよりも日課となった銃を磨く。弾丸の1つ1つも丁寧に。時折火薬のにおいが鼻腔をくすぐった。


2階から降りると、まだ呻き声が聞こえた。場所は台所から。洗面台に向かうついでにちらりと目をやると、赤い液体が流れていた。仕方がない、僕が処理してあげよう。銃を後ろのポケットにしまって雑巾を手に取り、ゆっくりと近づく……。

倒れていたのは母だった。

「お母さん、また足の小指を角にぶつけたの?」

母は足の小指を抑えて呻いていた。横にはキャップが空いたままのトマトジュース。

「もう歳なのかしらね?痛くて立ち上がれないのよ。代わりにこぼれたトマトジュース拭いておいてくれる?」

「オッケー」

倒れたトマトジュースを冷蔵庫にしまい、慣れた手つきで雑巾で拭く。母は毎日のように何かしらの場所で足の小指を角にぶつけるのだ。しばらくすると母はなんとか立ち上がった。

「今日は隆司と遊んでくるから」

「そう、わかったわ。片付けありがとう。殺されないようにね」

「わかってるよ。行ってきます」

家のドアを開け走り出す。何か物騒なフレーズが母から聞こえてきたかもしれないが、そんな会話さえも日常的な事なのだ。もう元通りにはなりそうもない、残酷な世界。


 世界はまさに世紀末の様相を呈していた。とはいっても隕石落下や宇宙人の侵略などと言ったハリウッドめいたものではない。ただ人殺しが蔓延るようになっただけで、それ以外はいたってだ。人々は100年前と同様に会社に通い、買い物をして食べて寝る生活をしている。動物園にだって行くしトマトジュースも飲む。

問題は『Slayerスレイヤー』と呼ばれるようになった殺人者が世界中に増えまくった事だ。それは無差別に人を殺す殺人鬼、武装集団、そんな奴らから身を守る自己防衛として人を殺す者まで種類や集団の人数は様々。現在人口8000万人の日本の中では600万いると言われている。だいぶ大雑把だが、人を1人殺せばその瞬間誰でもスレイヤーなのだから正確な計測は困難だ。元々は中東に突如出没した武装集団が爆発的にその勢力を強め、僅か2年で複数の国を無理やり繋ぎ合わせ独裁国家を築き上げた事から始まった。その後その国は滅んだが、彼らのカリスマ性と「世界を変える」という中二病じみた精神思想に惹きつけられた人々が銃を手に取り叫び始めたのだ。塵も積もれば山となる。初めは焚火程度だった火種はじきに誰にも止められないほどの山火事へと変貌した。やがて民間の銃の所持が認められていない日本にさえ手が伸びてしまった。日本政府は大勢の人々の逮捕と銃規制に踏み切ったが、やはりネズミ算の如く増える犯罪を抑えきれなかった。さらには正当防衛の解釈の緩和を皮切りに、戦闘になった場合「殺されそうになったから殺した」と言ってしまえば免罪になる異常事態に陥った。その後日本が不毛地帯へと変わってしまったことは言うまでも無い。どこの国も似たような状況である。


そんな世界の中で僕は「身を守る為に人を殺す」のカテゴリーに入るスレイヤーをしている。「Guardガード」というらしい。日本の600万のスレイヤーのうち80%はガードだ。ただ通常のガードと少し違うのは、守るのは自分だけでなく自分の身の周りの人間も含まれるという部分だ。大抵の人間ガードは自分の命だけ助かればいいというある意味生物本能的に正しく当然の利己心で、戦闘の際は自分を守るためだけに動く。戦況不利と判断した時は殺さないまま逃げる事もある。誰だって自分の命は惜しい。

しかし僕は違う。隣に友達がいれば避難させて殺す。友達が目の前で刺されそうなら後ろから狙撃する。自分の命も大事かもしれないけれど、僕はそれ以上に大事にしたいものを知ってしまっているのだ。いや、もしかしたら皆知ってはいるけれど忘れているだけなのかもしれない。


公園に着くと、既に隆司は一人で遊んでいた。野球のボールを高く上げ背面キャッチを試みていたが、何回やっても頭に当たってしまう。うちの母といい隆司といい、どこか僕の周りの人間は皆どこか鈍くさい。加えてスレイヤーではない「Normalノーマル」と呼ばれる一般人だ。僕が助けてやらなければ、今にも額面からがらがらと落ちていくパズルのように脆い。

命も、僕の日常も。

「隆司、そんな風にびびってたら一生入んねえぞ」

「おお、桐生おはよー」

「うん。おはよ。昨日大丈夫だったか?」

「危うく死ぬところだったな。お前のおかげで助かったよ」

高く上がり太陽と被さる白いボール。まるで死を間近にした次の日とは思えないような笑顔を見せる隆司。その言葉に、僕は素直に頷けなかった。

昨日は学校にスレイヤーが侵入した。相手は大人2人組で、携行タイプの機関銃を携えていた。校庭からの乱射により窓ガラスは割れ廊下に飛び散り、ガラスを貫通した弾は複数の生徒の身体にも命中し数名死亡した。殺されそうな状況になってしまえば、もう生徒も先生もない。スレイヤーの僕以外はパニックになり逃げ惑った。改正された法律により消火栓の横に設置することが許可された銃を手に取り、ガードである僕は応戦した。隆司もかずまも山崎も加藤も佐々木もみんな死なせるわけにはいかない。校庭に面する廊下に向かって乱射する相手とは違い、僕は1発1発狙いを澄まして打ち込む。5発目、僕が弾を放った瞬間、相手の頭が後ろへと倒れ込んだ。

よし!倒した!

しかし次の瞬間、まだ撃ってない隣のスレイヤーも頭を打たれ倒れ込んだ。

「あ、あれ?」

困惑する僕の隣で、笑いながら近づいてくる足音が聞こえた。

「君、なかなかセンスあるね。僕に比べればまだまだだけど」

話しかけてきたのは、長身の先輩らしき男だった。手には見た事の無い細長の銃を持っている。周りにはどうやら僕と彼の二人しかおらず、鳥の鳴き声とガラスが落ちる音だけが聞こえた。

「誰ですか?」

「俺は三年の山中、朝山中のエーススナイパーだ。自称だけど。君のことは知っているよ、天才・桐生真斗君」

「はぁ」

「おいおいそんな不信感漂わせた顔するなよ。俺は君と話がしてみたかっただけなんだ」

不信感を抱くなという割には、試すようなニタついた顔が、お前も殺せるぞと言っているようだった。恐らく彼は「Berserkerバーサーカー」。人殺しを趣味とするタイプの人間だろう。厄介な人に出会ったと第六感が呟く。

僕の消えない眉間のしわを感じたのか、ふーっと息を吐いて彼は僕を見つめた。

「とりあえず、屋上で話そう。もう学校から他の奴は避難したみたいだがどこで誰がみているかわからない。君もスレイヤーであることはみんなに隠しているだろう?」

そう、僕は親友である隆司以外にはスレイヤーであることを隠していた。母にもだ。僕が頷くと、彼は軽い足取りで屋上へと向かって行った。


 屋上に入るのは初めてだった。なぜかというと単に校則だから。僕はきちんと社会のルールを守ることには従事していた。みんなスレイヤーがみんな頭のおかしい奴ではない。目の前を歩く彼に関しては、まだ良く分からないけれど。屋上は僕が少し抱いていたワクワク感を打ち消すかのように殺風景だった。曇天の空と、薄汚れたコンクリートの床。きっと不良の先輩達が残していったのであろうスプレーの落書き。「Kill you」と書かれている。

「ここはもう俺しか使ってないよ」

そう言うと山中はケースに入れ担いでいた銃を屋上に置いた。どうやら彼は学校に居る間、屋上にこの目立つ銃を隠していたようだ。

「話ってなんですか」

「うん。前から君のことは気になっていたんだ。知らないかもしれないけれど、君はここら辺のスレイヤーの間では有名人だ。小4の頃から銃を扱い、僅かな弾数で敵を撃ち殺すガード。さらには通常のガードとは異なり自分の身辺の者もガードしているって話だ。多分さっきの2人組は君を狙って襲ってきたんだと思う」

「……じゃあ俺のせいで皆が撃たれたってことなのでしょうか」

「わからない。今のは憶測だし、仮に本当だったとしても君が病む事では無い。ってそんな話がしたかったんじゃないんだ。俺が聞きたいのは――」

その時サイレンが遠くから鳴った。パトカーのサイレンだった。赤いライトを回して数台がこちらに近づいている。

「まいったなあ。自己防衛であの2人を殺したのは誰が見ても明白だし俺らが罪に問われることは無いだろうけど、事情聴取なんて面倒だ。周りに正体スレイヤーバレるのも面倒。というわけでさあ逃げよう!」

早口でそう言うと彼は足早に階段を降りて行った。僕もそれに続く。今日は金曜日だから、また月曜に会おうと言われたが僕はごめんだった。


 隆司とのキャッチボールは30分も経たないうちに向こうが飽きてやめてしまい、その後10打席勝負をして僕が圧勝したまま今日の遊びはおしまいになった。罰ゲームで奢ってもらったアイスを、駄菓子屋の日陰で食べる。近づく夏休みとともに暑さもついてきたようで、戦闘で負けなくても暑さには敵わなかった。

「敵はどんな奴だった?俺ちゃんと見てなくてさ」

お互いのカップアイスが柔らかくなった時、隆司はワクワクしたような目で聞いてきた。

「機関銃持った2人組だった。技術が無いかららんしゃで押すタイプだね」

「ふーん。何発で倒した?1度桐生の戦闘見てみてぇな」

「……5発。友人が人殺してるところなんか見たいの?」

あーそれは嫌だな。と屈託のない笑顔で隆司はカップアイスの最後の1口を頬張った。その後も、山中のことを隆司に話すことはできなかった。


「100年前、日々世界で20万人が生まれ15万人が死んでいた時代。膨れ上がる世界の人口・地球の温暖化・資源の枯渇・食糧不足・南北国家間の経済格差、人々はより良い暮らしを目指したが為に地球を壊し飢えに苦しむものをいたづら増やしていた。だが現代、その問題は解決している。それはなぜか。答えは簡単、人々がスレイヤーにより大量に殺されたからだ。人が減ればそれだけ分け与えられる食べ物は増える、無駄に私腹を肥やす者がいなくなれば格差は無くなる。その昔ある男が提唱した理論を、世界中の人々が実行してきた結果だ」

暑いのに、背筋が凍る感覚がした。僕はその見かけは正論のようでいて無茶苦茶な理論を、テレビのワイドショーで聞いた事がある。その理論を提唱していたのは他でもない、100年前世界転覆を目指した武装集団「Army軍隊antアリ」のリーダーである。月曜の昼休み、山中が待ち合わせに選んだ屋上は金曜とは違い快晴だった。

「怖い顔するなよ。俺はあの頃のイカレ集団とは違う。俺は自分がクズだと思った奴だけを殺すのが信条なんだ。将来、腐りきった政治をやっている政治家ぶたを殺すつもりだ。簡単なことじゃないが知っての通り腕には自信がある」

「……なにが言いたいんですか?」

「ああすまない話が逸れたな。君には聞きたい事がある。大きく3つだ。まず2つ、スレイヤーになったきっかけは?銃は人から教わった?」

「……小4の頃、父は帰宅途中にスレイヤーに轢き殺されました。悔しさと今まで能天気に暮してきた自分への怒りで何度も泣きました。それから銃は独学で学び始めて、親友の隆司を襲った通り魔を撃ち殺しました。それが初めてです」

「ガードになる人のきっかけは大抵そういうものだね。……3つ目、君がスレイヤーをする信念はなんだ?」

「大切なを守るためです」

「大切なものとは?自分の命かい?」

「それも大事ですけど、家族や友人の命も大切です」

「君はみんなを守るヒーローになりたいのかい?」「違います」

「……即答だね。ありがとう。これではっきりしたよ」

彼は唐突に銃を構えた。僅か3秒の間にケースから銃を取り出し弾を装填、銃口を僕の頭の真ん中に向ける早ワザだった。眼光は僕を突き刺すように鋭く、僕は念のため裏ポケットに隠していた銃を取り出すのに焦った。

「君は僕の嫌いなタイプ、クズだと判断した」

「……どういうことですか?」

「君は自分の本心に関してまるで何もわかっていない。きっと感覚がマヒしているんじゃないかな。君は恐らく俺と同じで自分の腕に自信がある。実際何人も人を殺して守って来たんだ、それは当然だろう。でもそんな腕を持ちながら助けるのは自分の身辺の人間のみで、同じ学校の同じ学年の奴でも名前を知らなければ助けることはない。それはなぜか。お前が本当に守りたいのは『皆の』じゃなくて『皆と暮らすお前の楽しい日常』だからだ。生きていく上で味わう幸福感。それは大抵自分の見知った人との暮らしの中で感じるものだ。それを守るためにお前は戦っている。皆の命をなんて言いつつも結局は自分の利己心で戦っているだけだ。自分の身だけ守っている普通のガードよりよっぽどたちが悪い!そんなお前に助けてもらっている奴らは不幸だ。お前の満足感ために生かしてもらっているとは気づきもしないんだからな」

「……じゃあ俺にどうしろって言うんですか」

「ヒーローになれ。自分の損得を考えず赤の他人まで助けるヒーローに。中途半端に助ける人間を選別する自分勝手なお前のやり方は間違っている。もし今のやり方をこれからも続けていくのなら勝手にすればいい。だがその場合、俺は今ここでお前を殺す」

依然彼の銃は僕の頭を射していた。まだ僕は弾が体に当たったことがないけれど、彼の言葉はそんな痛みよりもずっと強い痛みを僕に与えた。そうだ。確かに自分は今まで助けられたのに知らない人だからと助けなかったことがあった。隆司を襲った通り魔を殺した時、実は通り魔は隆司の前に他の人も襲っていた。だが僕は隆司が襲われた瞬間を狙って殺していた。助けてやろうという感情が湧かなかったのだ。この人を助けたところで特にメリットはないと。僕は冷酷だったのだ。今彼に指摘されてようやくわかるだなんて……。

「選べ。見ず知らずの赤の他人まで助けるヒーローになるか。それとも俺を殺して、そのまま今のやり方を貫くか。そして俺に殺されるか。3択だ。1番目の答えを選ぶのなら俺は銃を下ろそう」

暑い中ずっと立ち続けているはずなのに、僕の心臓は冷たく鼓動していた。きっと今のこの選択は、自分が生きていくうえでゆるぎないものになっていくのだろう。僕は自分の心に問うように、僕は、僕は、とささやいて、一番初めに出た答えを彼に吐き出すことにした。

「……4番目。勝負をします」

「勝負?」

「どれを選んだとしても、もしここであなたに殺される程度の実力なら僕はこれから先みんなを守り続けるのは不可能でしょう。自分の力を見極めたいんです。それに……」

「今の自分勝手を貫く、か?」

「はい。色々と考えましたが、やはり自分の気持ちには抗えそうにありません。僕は助けたいです。我ながら人間失格ですね。あなたの言うように俺のやり方は間違っているかもしれませんが、それに気づいているのはあなただけです」

「……わかっていたよ。君はその答えを出すだろうと、やっぱり俺の思った通り、君はバーサーカー向きだ」

お互い銃を構える。距離20m風は無し、視界良好。狙いは相手の頭。


パァン


血痕は晴れ渡る空と屋上にこびり付いた。

らくがきのKill youが笑う。

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血婚 桜井一樹 @Kusamari0420

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