―2―
ふたりはたしかに愛し合っていた。だけどもそれを伝えない。表現しない。ふたりはあくまでふたりだけの研究を続けるために生活をともにしているだけ。しかし普段の生活、仕草、気遣いで嫌でもわかってしまう。ふたりは「好かれているな」と不安と自己愛と想う気持ちに揺れた。
研究所から逃げて気づいた。カルアたちが日ごろ身につけていたコートには小型GPSが付いていたようで、ふたりが身を潜める小屋に立て続けに便りが届いた。
『レヴン、今のうちに戻ってきてくれないか。君の力が必要なんだ』
『レヴン、まだ間に合う。考え直してはくれないだろうか』
『あんな子どもといて何になる。私たちといたほうが有意義だろう』
読まずに暖炉に放り投げられた手紙をカルマは隠れて読んでいた。必要とされているのはレヴンだ。自分ではない。有能な彼女の足を引っ張っているのは自分だ……。
「レヴン、研究所に戻ったほうがいいよ。みんな、君を必要としている」
一度そんなことを言ってみた時には頬を叩かれた。涙で視界がにじんだ。
「今さらそんなこと言わないで。それと、私宛ての手紙なんだから読む権利は私にあってあなたにはないわ。勝手に人のものに触らないでくれる?」
「ご、ごめん」
それっきりだ。カルアはチラチラと灰になった便箋を気にしているが、レヴンは見向きもしない。机に向かっていつものように勉強している。時折耳にする咳が心配でならない。
レヴンがカルアと逃げ出したにはワケがある。彼が会議から追い出されたあの日、レヴンはついに心を決めた。彼女はもともと出て行きたがっていたが、しかし権力者に揉み消されなかったことにされている。
「私はあんたらのために動き回る実験人形じゃないわよ……!」
苛立ちが増す日々。呑気に口説いてくる研究員。逆らえない上司。ストレスだった。
レヴンが研究所を出たい理由は、自分がやりたい研究と所の方向性に違いがあったから。研究所は動物を犠牲にしてもいいから人類のため、人類を救う方法を編み出そうと研究する。しかしレヴンはそんな犠牲を生まずに解決策が出せないものかと考えていた。
カルアと出会って彼の思考回路に夢中になった。カルアは人間性もあって動物たちを思う心優しい面もあれば、十五歳にして所に入った噂の天才だ。もう彼と一緒に出ていくしかないと思った。多少強引に連れて行くことも考えていたが、カルアは意外にもすんなりと受け入れてくれた。
それからは機材を見つからないよう少しずつ盗んでいった。さすがに大きなものは諦めざるを得なかったが、手軽なものはすぐカバンに詰めた。まわりに不信がられないようカルアとは極力関わらず、今まで通りに過ごした。まるで映画に出てくるスパイになったかのようで内心浮かれていた――。
真冬は去り、春を迎えようとしていた。レヴンはベッドに寝たきりで、なんとか命を繋ぎとめるだけで精一杯になっている。
「スープ作ってきたよ。……レヴン? レヴン!」
目を閉じている彼女を見て慌てて駆け寄るカルア。
「生きてるわよ。目を休めていただけ」
キッと睨むと、青ざめていた彼の表情は安堵に満ちた。「良かった……」と不器用な手つきでスープを飲ませてくれようとするカルアの気遣いに甘えることにする。レヴンはそっぽを向いて口を開けた。もうこんな日々が何日も続いている。レヴンとカルアは五歳ほど年が離れている。年上の自分が、と悔しい思いで心が揺れ動く――。
風邪だと思われていたものは、実はデトシシンだった。試しに血液検査をしたところウイルスの侵食は進んでおり、レヴンの筋力は――特に両腕は機能不全寸前の状態にまで陥っていた。
「もうじき歩けなくなる。お願い、行きたいところがあるの」
日に日に弱っていく彼女の手を握り、カルアは泣きそうになりながらもうんうんと何度も頷いてみせる。
人がいなくなって五年ほど経った街にやってきた。レヴンの案内を頼りに、体を支えながら前に進む。ふと、ショーケースが見えた。
「ここでいいわ」
丁度レヴンがそう告げる。目の前には純白のウエディングドレスが飾られているウィンドウがある。油汗をかいた彼女が目を輝かせる。微笑んでいる。ドレスとレヴンを交互に見て想像する。彼女が白に包まれている姿を。
「今、あなたと私は同じことを考えているはずよ。私も、いつかこれを着るために今まで生きてきたの」
靴底で雪をどけて座る。膝の上に彼女を寝かせてふたりでケースを見上げた。
「私……もっと何十年も早い時代に産まれてあなたと出会いたかった」
ただでさえなくなりつつある体力を消費してまで涙するレヴン。頬に手を添えてあげた。
「今のままでもじゅうぶん綺麗だよ」
最初は気を遣って泣き笑いを浮かべていた彼女も、だんだんと表情を歪ませていく。大粒の涙が地面の雪を溶かしていく。
「それに、今、見えたんだ。ドレスを着た君の姿。今も見えてる」
「なによ、それ。目の前にいる私はもういいの?」
「そういう意味じゃないんだけどな……」
「冗談よ」
カルアはレヴンの唇に口づけた。微笑んでみせると彼女は笑いながら泣いた。
「もう話すのはやめたほうがいいよ。帰れなくなる」
「必要ないよ」
「――え?」
彼女の儚げな笑顔が一瞬、悪夢に見えた。
近くの教会か、もしくは時計塔から鐘の音が聞こえる。掌に冷や汗がにじむ。されど笑い続ける彼女。笑えない。そんな冗談は笑えない。
君がいない部屋にひとりきり。時折漂う君の薫りに息が止まる。世界がなくなるのは時間の問題だろう。研究者のみんなは狂っていた。
焼かれた君が残した骨を削って、硬いところは希硫酸で溶かして花をつくった。それを君だと思って偶像崇拝し続ける僕を小馬鹿にしないでほしいよ。
骨花 愛川きむら @soraga35
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