第4話『敵陣視察』

 ヤシロが目を覚ますと、自身を見下ろすクレアの顔が目に入った。

 彼女を肩にもたれさせたまま彼自身眠ってしまったようだが、いつの間にかクレアに膝枕をされていたようだ。

 クレアは穏やかな笑みを浮かべてヤシロの頭を優しく撫でており、それがいいようもなく心地よかった。

 そのまま再び目を閉じそうになったが、このままダラダラと眠ってもしょうがないと思い直し、ヤシロは身体を起こした。


「あら、もう少しおやすみになってもいいのに……」


 起き上がったヤシロを見ながら、クレアは口元に笑みをたたえたまま、名残惜しそうに眉を下げる。


「もう充分やすんださ」


 そう言いながら立ち上がったヤシロは、軽く身体を伸ばした。


「むぅ……。ソファで寝てしまったせいか、身体がギチギチだな……」

「まぁ。わたくしの膝枕では寝心地に不満があると?」

「ああ、いや、そういうわけでは」


 慌てて言い訳をしたヤシロだったが、クレアがいたずらっぽくほほ笑むのを見て少し呆れたように息を吐く。


「クレア、あまりからかわないでくれ……」

「ふふ、ごめんなさい」

「ふぅ……。風呂に入って身体をほぐしてくるよ」

「はい、ごゆっくり。あ、お背中流しましょうか?」

「……だからそういうのをやめろと」

「うふふ、冗談です。あ、でもヤシロさまがお望みでしたら――」

「食事の準備をしておいてくれ!」


 やれやれと頭を振りながら、ヤシロはバスルームへ入った。


 入浴と食事を終え、ふたりは庵から外に出る。

 庵内で半日以上を過ごしたが、外の世界では数秒が経過した程度である。

 ヤシロたちが日に何度休憩を取ろうと、庵内での経過時間はカウントされない。

 おかげで彼らは一日中休みなく歩き続けるのと同じペースで進むことができるのだ。

 身体能力の低さからくる歩みの遅さを、時間で補うというわけである。

 また、レベルは1で固定されているものの、歩いた分だけ筋力や持久力などは成長するらしく、日を追うごとにふたりの歩くペースはあがっていった。

 そして出発から5日後、ヤシロとクレアは魔王領最初の砦に到着したのだった。


「ここは確か、ジャラザーク砦といったか」

「はい。魔王軍との戦争が始まり、防衛拠点として急増されたものですが、残念ながら陥落し、奪われたものです」


 魔王に侵略された土地には似たような経緯で作られ、そして奪われた砦が星の数ほど存在した。

 本来は魔王領側からの攻撃を防ぐためのものなので、人類圏から攻め込む際、ほとんどの場合は砦の背後を突くかたちになる。

 そしてこの手の急増された砦の多くは、前面のみ、よくても側面に対して防壁やほりを設けているが、背面は防御施設が手薄になっている事が多い。

 その対策として、魔王軍は砦の後背――魔王軍から見れば前面――に、ゴーレムを中心とした壁役の魔物を多数配置していた。

 このジャラザーク砦も例に漏れず、100を超えるゴーレムがヤシロたちの前に立ちはだかった。


「悪いが通らせてもらうよ」


 しかしヤシロとクレアには〈賢者の法衣〉がある。

 襲い来るゴーレムの攻撃を無視し、立ちはだかるゴーレムもいつの間にか道を開けてしまう。

 ゴーレムが足止めをしているあいだに他の魔物が集まって侵入者を排除するシステムらしく、ヤシロたちがゴーレムと接触して少し経ったころから、飛行系の魔物が上空から攻撃を仕掛け始め、さらにゴーレムの隙間や脇を抜けて様々な魔物が襲いかかってきた。

 無論、ふたりにとってはなんの意味もないことだが。


「ヤシロさま、ひとつ伺っても?」

「なんだ?」

「魔物の攻撃を無効化できるのはわかるのですが、通せんぼをしているものが道を開けるのも〈賢者の法衣〉の効果なのですか?」


 賢者の秘書となり、スキルを共有できるようになったクレアだったが、賢者本人ほどにはスキルの詳細を把握できていないらしい。


「ふむ。それはおそらく〈賢者の歩み〉の効果だな」


■ □ ■ □ ■ □ ■ □ 

〈賢者の歩み〉

 何ものも賢者の歩みを妨げることはできない。

■ □ ■ □ ■ □ ■ □ 


「これは我々の歩みを止めようとするものを、最小限排除するものだ。たとえば立ちはだかるゴーレムをほんの少しだけ動してよけてもらう、といった具合に」

「なるほど」


 そんな会話を交わしながら、ヤシロとクレアは群がる魔物のただ中を、平地を歩くのと同じペースで進む。


「なので、こういったものも無意味だな」


 ヤシロが進行方向へ顎をしゃくる。

 そこにはうずたかく積み上げられた岩の山があった。


 ここは急ごしらえの砦であり、愚直に前進してくるだけの魔王軍を足止めするために造られたものなので、背面部分には簡易な木柵しか設置されていなかった。

 そこで魔王軍は、背面の防御設備としてただ岩を積み上げただけの小山を並べて防壁の代わりとしているのだった。

 なんとも大雑把な防壁であるが、なかなかに厄介なものである。

 ただ無造作に積み上げられているだけなので、下手に岩をどけようとすると小山が崩れてしまい、その崩れ方次第では軍に多大な被害が出る恐れもある。

 山なりに積み上げられているだけなので、傾斜になって入るぶん登りやすくはあるのだが、大人数が乗れば重さで崩れる可能背が高く、またある程度の人数が上ったところをねらって崩すということも可能だ。

 ちゃんとした防壁や堀を越えるのに比べれば幾分か楽だろうが、にしても越えるにはそれなりの犠牲は覚悟しなければならないだろう。


 そんな岩の小山を前にしてもヤシロの歩みは止まることをしらない。


「例えばこのように道を塞ぐ障害物があったとしても――」


 そう言いながら歩み続けるヤシロは、やがて岩の中にめり込んでいった。


「え? ヤシロさ――あれ?」


 その様子に驚きながらも、ヤシロを信じて立ち止まらなかったクレアもまた、岩の中へと入りこんだのだった。


「ずいぶん、あっさりと……」


 岩に当たった瞬間ちょっとした抵抗はあったが、それを超えたあとは特に問題なく歩き続けることができた。


「なんでもかんでも壁をすり抜けられるというわけではないが、私たちが障害だと認識すればこうやってすり抜けることも可能なわけだ」


 ちなみに岩の中の景色だが、半透明で周りの様子が見えるという状態だった。

 おそらくこれには〈賢者の目〉が作用しているのだろう。


 岩の小山を通り抜けたふたりは、そのまま砦の中を歩き続けた。

 無論、魔物による妨害や進行を遮る壁や扉もあったが、〈賢者の法衣〉と〈賢者の歩み〉で無効化し、ずんずんと奥へと進んでいく。

 そして砦中央の、元々司令室があったであろう石造りの部屋の中に、目当ての存在を見つけたのだった。


「む? やたら騒がしいと思っていたが、人が迷い込んでいたのか」


 一見すれば、それは浅黒い肌の偉丈夫であった。

 ただし、3メートルを超える長身とそれに見合った筋肉質の体躯を持ったそれは、明らかに人ではなかった。

 半開きの口からは鋭い牙が見え隠れし、額には大きな角が生えている。

 肉体を自慢するかのように半裸の格好をしているそれが身につけているのは、おそらく魔物の革を加工して作ったであろう手甲とすね当て、腰当てのみだ。

 元の種族はオーガに連なるものだったのだろう。

 しかし魔王の出現によりなんらかの進化を遂げ、いまは魔人となっている。

 

「ふむ。どうやら言葉はわかるようだな」


 本来魔人が話す言語を人が理解することはできない。

 その逆もまた然りである。

 しかし賢者のスキルである〈言語理解〉により、ヤシロはこの巨躯の魔人が語る言葉を理解できた。

 そしてヤシロの話す言葉もまた、魔人に理解できるのだった。


「ほう、人間風情が不遜にも我らの言葉を発するとはな」


 魔人は人であるヤシロが自分たちの言葉を話すことに、不快を顕わにした。


「で、人間がなにをしにここまできた? わざわざ死ににきたのか?」

「はは、まさか。ここまで無傷で来られたことに少しは疑問を持ったらどうだ? 君ごときにやられはせんよ」

「ふんっ、ぬかせっ!!」


 言うが早いか魔人は傍らに置いてあったメイスを手に取ると、ヤシロの脳天めがけて振り下ろした。


「ひっ……!!」


 その巨大なメイスはヤシロにとどまらず、クレアをもその攻撃範囲に加えていたが、無論その攻撃によってふたりが害されることはない。

 いまだ〈賢者の法衣〉の効果に慣れないクレアは思わず悲鳴を漏らして身を縮めたが、ヤシロは眉ひとつ動かさず、魔人を見上げていた。


「むぅ……?」


 渾身の一撃がなんの衝撃もなくただ止められたことに、魔人はわずかに顔をひきつらせ、首を傾げた。


「わざわざ足を運んでやったのだ、そう邪険にすることもないだろう。お茶の用意くらいはしてくれてもいいんじゃないのか?」

「……貴様、何が狙いだ?」


 そう問いかけて訝しむ魔人に対し、ヤシロは不敵な笑みを浮かべた。


「せっかく言葉が通じるんだ。ちょっと話でもしようじゃないか」

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