第3話『賢者の庵』

「ヤシロさまはいつお休みになられているのです?」


 それはヤシロが召喚されて半月と少しが経ったころのこと。

 ヤシロは図書館での書物読み込みを終え、執務室で資料の読み込みを始めており、賢者の召喚の影響でレベル1に下がったクレアは、フランの手伝いでレベル10程度に戻していた。

 そしてそのあたりからクレアはヤシロの補佐を始めていたのだが、彼は常に働いており、休んでいる様子が見られなかった。


「もしやこれまで休みなく働いておられるのでは?」


 その問に、ヤシロは苦笑しながら軽く首を振った。


「はは、まさか。睡眠不足は効率的な作業の敵ですからね。充分な睡眠はとっていますよ」

「しかし、わたくしはこれまで、ヤシロさまがおやすみにならっている姿を見たことがないのですが? 寝室を利用されたご様子もないようですし……」

「それはそうでしょう。休息には〈賢者のいおり〉を使っていますからね」

「〈賢者の庵〉?」


 最初に鑑定紙を使ってもらったとき、ヤシロに告げられたスキルの中にその〈賢者の庵〉というものがあったことをクレアは思い出した。

 しかし具体的な効果については未知のままである。


「そうですね、作業も一段落付いたし、少し疲れも出てきたのでひと休みさせてもらいましょうか」


 そう言ってデスクから立ち上がったヤシロが何もない空間に手をかざすと、シンプルだがどこか厳かな木製のドアが突然現れた。


「これが……?」


 それを見たクレアが目をみはる。

 魔導師としてこの世界の魔法やスキルの知識には自信のあったクレアだが、なにもないところに扉を出すようなものは見たことも聞いたこともなかった。


「では失礼」


 ガチャリとドアを開けたヤシロは、それだけ言い残して中に入っていった。

 そしてそのドアは閉まると同時にその場から消えた。


「え、ヤシロさ――?」


 慌てて声を発したクレアの前に再びドアが現れ、ガチャリと開く。


「おはようございます」


 中から、すっきりとした顔のヤシロが現われた。

 少し乱れていた頭髪や衣服もシャキっとセットし直されている。


「えっと……ヤシロ、さま?」

「ひとつ尋ねますが、私が庵に入ってどれくらい経ちましたか?」


 戸惑い、何か問いたげなクレアに対し、ヤシロが逆に問いかける。


「あ、その……3つ数える間もなかったかと……」

「そうですか。私は庵の中でぐっすり8時間は眠りましたよ」

「ええっ!?」


■ □ ■ □ ■ □ ■ □ 

〈賢者の庵〉

 賢者は庵で英気を養う。

■ □ ■ □ ■ □ ■ □ 


 それは賢者のみが入室できる居住スペースで、広さや設備は賢者の思うままに設定可能。 庵の中は時間の流れが異常に速くかつ不安定となっており、庵内で数日が外の世界の一瞬から数秒に相当。物を持ち込むことは可能だが、一度持ち込んだものを外に持ち出すと、庵内で経過した時間の影響が現れる。


「つまりその庵にはヤシロさましか入れないのですね?」

「そのようですね」


 その答えに、クレアは少しだけ残念そうな表情を浮かべたがすぐに態度を改め、一転して怜悧な面持ちとなる。


「たとえばその庵を物資の運搬に使うということは可能でしょうか?」

「不可能ですね」

「なぜです?」

「私が外にいる間も庵内の時間は経過しているからです」


 たとえば庵内に物を持ち込み、それを残したままヤシロが庵の外に出るとしよう。

 その状態で仮に数日が経過した場合、庵内では数十年、下手をすれば数百年どころか数千、数万年が経過していることになるのだ。

 再びヤシロが庵に入った時点では、まだ持ち込んだ物がその時間の影響を受けるということはないのだが、庵から持ち出した時点で時間経過の影響が現れ、朽ち果ててしまう。


「試しにオリハルコンのかけらを持ち込んでみたのですがね」


 オリハルコンとはこの世界に存在する希少金属で、経年劣化に強いため不滅の金属と呼ばれているものだ。


「2日経った時点で持ち出してみると、ボロボロに崩れ去りましたよ」

「そんな……」


 おそらくこの世界にオリハルコンより劣化に強い物質は存在しない。

 つまり、〈賢者の庵〉を使った物資の運搬は不可能だということになる。


「逆に持ち出さない限り劣化することはないようなので、庵の中でなにかを使うぶんには問題ないようですがね。まぁこれは私が効率よく休むためだけのスキルなのでしょう」


**********


「ふぅ……、そろそろ休憩しようか」

「はぁ……はぁ……そう、ですね……」


 額に汗をかき、少し疲れた様子のヤシロから提案され、息を切らせながらクレアが答える。

 彼らは徒歩で魔王領を目指して歩いていた。

 ふたりの身体能力は平均的な成人男性、あるいは成人女性に相当する程度で、とくに健脚というわけではない。

 しかもその身体能力の基準となるのは、こちらの世界の成人ではなく、どちらかといえば日本の値に近いだろうか。

 なにせふたりともレベル1で固定されているので、レベルの恩恵を受けることができないのだ。


「しかし、ダンピーラというからにはヒト以上の身体能力を持っていると思っていたが、君は存外体力に乏しいな」

「戦士などの肉弾戦を得意とする、職業クラスで過ごしていたのでしたら、地の筋力も多少はついていたのでしょうが、わたくしはずっと魔導師でしたから……。にしてもレベルの恩恵がなければこれほどひ弱だとは……。我ながら情けない限りです」


 少しばかり息を切らせながら、不甲斐ない様子でクレアが答える。

 偉そうに言うヤシロのほうも基本的には頭脳労働がメインなので、同程度には疲れているのだが。


 元帥グァンのいた砦を出発して丸1日が経とうとしているが、ふたりは2~3時間に一度のペースで休息を取っていた。

 徒歩で旅を続ける彼らは、途中何度も魔物に襲われることになったのだが、ふたりには〈賢者の法衣〉がある。

 遅い来る魔物たちの爪も、牙も、すべてが無効化された。

 中には立ちはだかって通せんぼしようとする魔物もいたが、スキルのお陰でなんの抵抗もなく押し通ることができた。

 多少目障りではあるものの、賢者と秘書の歩みを止められるものは存在しない。

 しかし、だからこそ彼らは徒歩以外の移動手段をとれなかった。

 移動速度を考えれば馬などの騎獣にのるか、馬車を引かせるかしたほうが速いにきまっているのだが、〈賢者の法衣〉は本人以外に適用されないのだ。

 仮に優れた騎獣を手に入れたとしても、ほどなく魔物に襲われて失うだけだろう。

 それがわかりきっていたので、ヤシロとクレアは最初から徒歩を選択したのだった。


「まぁ無理をしても意味はない。休息はこまめに取ろう」

「そうですね」


 ふたりの前に扉が現われた。

 〈賢者の庵〉である。

 秘書となったクレアもまた、庵に入れるようになっていたのだった。



 扉の向こうは高級マンションもかくやという、居心地の良さげな空間が広がっていた。

 20畳はあろうかというリビングダイニングには、革張りのソファやガラス製のテーブルがあり、キッチンにはコンロや冷蔵庫、電子レンジなど必要なものは一通り揃っている。

 こういった設備関連も思いのままに設置できるようだ。

 メインのリビングとは別に、畳敷きの六畳間が一室、さらにヤシロとクレアそれぞれの寝室も用意されていた。

 バスルームには広い湯船が設置されるにとどまらず、“せっかくだから”とミストサウナやマイクロバブルなども追加されている。

 トイレは無論シャワー機能付きで、男性用の小便器も併設されており、クレア用に完璧な防音を施した女性用の個室も新たに設置した。

 あとは、物資をいくらでも収納できる物置部屋があり、そこには王都で調達した食材などが保管されている。

 ふたりが1年はゆうに暮らせるだけの用意はあった。


「しかし、クレアに料理の才能があったとはな」

「昔取った杵柄ですわ」


 食卓にはパンや麺料理、肉料理などが並べられていた。

 クレアは長い人生の中で、一時期料理にのめり込んだことがあったらしく、スキルを失ったいまも知識や経験は残っているので、ヤシロの知識と合わせて多様かつ上質な食事を用意することができた。

 さすがに王宮の料理人には遠く及ばないものの、家庭料理としては充分に満足の行くものであり、ヤシロにとってクレアが用意する食事はこの視察旅行における随一の楽しみとなっていたのだった。


「ふぁ……」


 食事を終えたあと、ヤシロと並んでソファに身を預けていたクレアが小さなあくびを漏らした。

 そしてほどなく、彼女は隣に座るヤシロに頭を預けるようにもたれかかった。


「おい、クレア。寝るのならベッドへ行け」

「んぅ……」

「こんな格好で寝ても疲れは取れないぞ?」

「……すぅ……すぅ」


 ヤシロの忠告も虚しく秘書は上司に身を預けたまま、寝息を立て始めた。


「まったく……」


 そう呟いたヤシロだったが、起こすのもかわいそうだと思い、そのままにしておいた。

 自身にかかる彼女の重みが心地よかった、ということもあったのだろう。

 ほどなくヤシロもまた、まどろみに任せて意識を手放すのだった。

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