閑話『賢者の秘書』
レベルアップによって全身に力がみなぎり、気分が高揚するのを感じながら、わたくしは魔術の炎で焼き尽くした魔物の群れの死骸をぼんやりと見つめていた。
「クレア、どう?」
「ええ、ようやくレベル20ね」
この日もわたくしは空き時間を利用して、友人であり同僚でもあるフランこと大神官フランセットにレベリングを手伝ってもらっていた。
最初のうちは保有魔力と消費魔力の加減がうまくいかず、魔力枯渇で気絶することもあったが、レベル15を超えたあたりからそういったミスもほとんどなくなった。
なので、わざわざ手伝ってくれなくていいと言ったのだけれど、フランのほうでもちょっとした息抜きになるとかで、毎回付き合ってくれている。
「ねぇ、1回レベルダウンしてから20に戻したらさ、新しい
「さぁ? べつにわたくしは魔導師のままで問題はないけれど」
「へっへっへ……、いっちょ確認してみようよ」
「もう、フランたら……」
フランは公私の切り替えがはっきりしている。
大神官として振る舞う必要があるときは、まるで聖母のようにたおやかで厳かな雰囲気になるのに、プライベートだと出会った頃のやんちゃな少女のままだ。
わたくしはそのあたりの切り替えが下手なのか、昔なじみのフランに対してはそれなりに気安く接することができるものの、それ以外の人にはどうしても一歩引いた対応になってしまう。
フランはヤシロさまともすぐに打ち解けたようで、ふたりが親しげに話す姿を見ていると、ちょっとだけ羨ましく思えるのだ。
「よーっし、んじゃいくよー」
フランがわたくしの頭に手をかざす。
大神官が発する加護の光を受けたわたくしの脳裏に、適性のある
「あら……?」
「どしたの?」
「いえ、見覚えのない
「ホントに!? ねぇねぇ、どんなの?」
「えーっと……、賢者秘書……?」
**********
【賢者秘書】
賢者召喚に関わった者がレベル20に達した時点で適性を得る
「という
レベリングを終えてヤシロさまの執務室に戻ったわたくしたちは、新たに発現した賢者秘書について〈賢者の目〉による解析をお願いした。
「スキル封印? レベル1で固定!? いくらなんでもそりゃ無茶苦茶だわ」
明らかになった
「確かに。デメリットが大きすぎるな」
ヤシロさまもフランと同意見のようだ。
でも、わたくしは――、
「やります!!」
「「はぁ?」」
ふたりから驚き半分呆れ半分な表情を向けられ、少しだけ怯んでしまう。
でも、わたくしの意志はかわらない。
「お願いしますヤシロさま。わたくしを賢者秘書に任命してくださいませ」
わたくしはそう言って頭を下げた。
「クレア……、本気で言ってんの?」
頭を上げると、フランはどこか怒ったような表情を浮かべていた。
ヤシロさまは困ったように頭をかいている。
「せっかくレベル20まで戻したんだよ? ううん、それ以前に、100年以上かけて習得した魔術もスキルも使えなくなるんだよ?」
「ちょ、フラン……」
ヤシロさまの前で歳がバレるようなことは言わないでぇ……。
“100年以上”のところで、ヤシロさまの眉がピクって……気のせいかしら……?
「ちょっと! 呆けてないでなんか言ってよ!!」
そ、そうね……。
いまは歳のこととか考えてる場合じゃないわね。
うん、真剣に答えないと。
「何度でも言いますが、わたくしは賢者秘書になりたいのです。ヤシロさまのお力になりたいのです」
「でも、筆頭魔導師はどうするのよ?」
「フラハイトがうまくやってくれています。いまのところ問題はないようだし、このまま彼に任せようかと」
フラハイトというのは長年わたくしの補佐を勤めてきたエルフ族の魔導師です。
わたくしのほうがレベルが高く、魔術への適性も高いのだけれど、彼にはわたくしの倍以上生きた経験があるし、人に好かれる性格でもあるので、任せても問題はないと思う。
実際わたくしが不在であっても、魔道省は問題なく機能しているわけだし。
「筆頭魔導師には替わりがいます。でも、賢者召喚に携わったのはこの世界でわたくしただひとり。つまり、賢者秘書になれるのはわたくししかいないのです」
「ふむ。しかしクレアさん、“なれる”からといって“ならねばならぬ”とは限らないですよ?
「そうですね……。でもわたくしには責任があります。ヤシロさまを無理やりこの世界に喚び出し、無理難題を押し付けたという責任が! ならば、わたくしにできることは何でもしたいのです!!」
「うーん、そう言われると……、ねぇ……」
フランは半ば諦めるようなかたちで納得してくれたようだけど、ヤシロさまは穏やかな表情を浮かべ、首を横に振った。
「クレアさん、前にも言ったが、私は元の世界でおそらく人生を終える身だった。その私に新たなチャンスとやりがいのある仕事を与えてくれたあなたに対して、感謝はあっても不満はなにひとつない。私に対して負い目を感じる必要などないのですよ?」
ああ、そうだ。
この人はこういう人だ。
いまさら取り繕ってもしょうがない。
「ヤシロさま、わたくしはあなたのお
そのとき、視界の端にフランが息を呑む様子が見えたが、気にせず続ける。
「わたくしはヤシロさまのお話を聞くのが楽しいのです。ヤシロさまのお手伝いをできることが嬉しいのです。おねがします。ずっとご一緒させてください」
ふたりが驚いたような表情を見せた。
「ふーん、そっかそっか。そういうことなら仕方ない……かなぁ?」
フランがなんだかいやらしい笑顔を浮かべているけど、無視無視。
「ねぇヤシロ、クレアがここまで言ってるんだからさ、いいんじゃない?」
わたくしは顔が熱くなるのを感じながら、ヤシロさまの目をしっかりと見て、彼の返事を待った。
「ふふ……、そうか」
ヤシロさまの口元がほころぶ。
「つまり、クレアさんもリストラに興味が湧いてきたということですね?」
「はぁっ!?」
フランが素っ頓狂な声を上げる。
わたくしも思わず声を上げそうになったけど、なんとか耐えた。
表情も、崩れてない……と、思う。
「ふむ、そこまでの情熱があるのでしたら、秘書になっていただくというのも悪くありませんな」
「ちょ、ヤシロ! アンタ大きな勘違――」
「ええ! 是非に!!」
わたくしはフランの言葉を遮った。
気持ちは嬉しいけど、たぶんヤシロさんにそういう話は通じないと思うの。
「ヤシロさまの語る経済や産業のおはなし、本当に興味深いんですもの。ニホンのおはなしも参考になることばかりですし、お近くでもっと勉強させていただきたいです!!」
なら、こっち方面で攻めるしかないわよね?
「クレア、あなたねぇ……」
フランが額に手を当て、呆れたように呟いていたけれど、わたくしは気づかないふりをして、ニコニコと笑顔を浮かべた。
決して無理して作った笑顔じゃない。
だって、ヤシロさまのおそばにいられるんだもの。
それからわたくしは国王や宰相に話を通し、フラハイトを後任として筆頭魔導師の座を正式に退いた。
「では、クレアさん。あなたを賢者秘書に任命する」
その言葉を受けたわたくしは、自分が賢者秘書に
レベルが1になったことで身体能力が大幅に下がり、これまで当たり前のように使えていた魔術を含むスキル類に関しては、その知識はあるものの使い方がまったく理解できなくなった。
不便なことこの上ないはずだが、わたくしは嬉しくてしょうがなかった。
「ではクレアさん、これからもよろしくお願――」
「ヤシロさま?」
「――ん?」
「わたくしはあなたの秘書ですよ? これからは呼び捨てに。あと、敬語も不要です」
「む……、そ、そうか……」
ヤシロさまが困ったように顔を逸し、ポリポリと頭をかく。
ふふ……、可愛い。
「あー……、コホン」
ほどなく彼は、軽く咳払いをしてわたくしに向き直ってくれた。
「では、あらためて。クレア、これからもよろしく」
「はい、よろしくお願いします」
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