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彼はその、み月前の林との会合を思い出した。カソリクの安息日たる日曜日のことであった。二人はタイ古式マッサージ店に向かった後、書店に足を運んだ。表紙のデザインのみを基準に本を一冊選び、あらかじめ持ってきていた本共々彼のアパートで開いて読み進める。煙草と酒も持ち込み、黙読すれば朗読も交える。彼は古井由吉の小説を選び、林は『ソラリス』の惑星研究のくだりを何度も朗読した。買ってきた本の表紙は大抵どちらも抽象的な画になるきらいがあったが、ともかくひたすら読み進める。酒が入れば歩調も上がって浮足立ちながらページを滑る。林はセブンスターを、彼はハイライトをよく喫んだ。ウォッカやウィスキーをロックであおる。酒精と混じってがんじゃじみた甘い煙の間に、ケント紙の色をした地の上に舞いおどる黒い線分とコンピュータ・グラフィクスの虹色と偏差の赤い色彩が浮かび上がっては消えていき、Camponotus Japonicus大の陸軍兵士が床の上を這い回る。活字を追う。言葉が躍っている。魂の高まりを感じる。長い階段を駆け上がっていく感じがある。脳の奥で結晶が溶け出し、激しく反応しては周縁に余韻を残して消えていく。その頂点において、時間軸上に並べられた頂点を結ぶ線分は台地状を形成していた。
Klimaxの、一個の、plateau…………。
次の朝目を覚ますと彼はシャワーを浴び、スーツに着替えて仕事場へと向かった。林は彼より早くに起きて部屋を発っていた。そして、そのひと月後には林は第一の殺人に手を染めていたのである。
自分にできることは何かなかっただろうかと考えた。林はあくまで少女性愛を秘密にしていたが、打ち明けやすくするために、パイドロイドについての情報をそれとなく紛れ込ませることはできなかったか。あるいはそれとなく話を振ってみることは、本当に不可能だったろうか。それらのアイデアがどれも皆傲慢からくることをも、彼は承知しているのだった。
時たま酒を飲み、休日は読書会に参加し、何事もなくひと月が過ぎた。ただ煙草を喫む量が増えた。精神がささくれ立っているのを強く感じた。
根深いイロニーがある。いかに人間を模してパイドロイドが造られているところで、事実それは人間ではない。どれだけ似ているとしても、特に一度本物を知ってしまった人間は、その似て非なるものでもって十分な満足を得ることができないことがある。
全人類への全的な救済が欲しかった。互いを一切傷付けることなしに、めいめいがすべての欲を満たすことができたなら、それはどれほどまでに幸福なことであろうか? 己の思想がいかほどに理想主義的かは把握している。不可能事であるがゆえに理想であることも。
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