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 彼の勤める会社は全国に点々と事務所を構えており、神奈川と東京、名古屋、大阪、岡山にそれぞれ位置している。彼が向かう神奈川の事務所は小田原城下にあった。

 城下といったところでその外れに位置した、表通りにあるでもない、瓦葺でもない、漆喰の代わりにコンクリートで固められた、いたって現代的な四角い箱型ビルである。六階建てビルの三階の事務所に入ると、彼の上司連がテレビに張り付いていた。

『女児三人殺害 犯人逮捕』

 奈良で行方不明になっていた小学生三人が発見され、三人とも内臓を傷めつけられた挙句絞殺されていることがわかった。犯人は早くに特定、逮捕されて、本人も容疑を認めている。

 痛ましい事件だった。同時に彼の働く会社に少なからぬ影響を与えかねない事件だった。

「新聞は何て?」

 一人が煎餅を飲み込んで言った。もう一人が応えて曰く、

「一面は与党の内ゲバ、ああ毎日は一面の下半分に載ってるのと、朝日は左脇から後ろに」

 ちょうど政局に大きく動きがあって、凄惨な殺人事件といえども一面に大きく載せる社は多くなかった。代わりにワイドショーでの扱いは非常に大きく、その凄惨さもあっていたくセンセーショナルに報じられている。いかにも通俗的で善良な調子だった。

 彼はそこで初めて犯人の顔を見た。名前だけならテレビのテロップか新聞の紙面かで何度か見て把握していたが、その人物の目鼻立ちをおさえるのはそれが初めてであった。そして正面からとられた無表情の一枚を目にして、彼は絶句した。

 ここで犯人の名を仮に林としよう(この犯人の――という名前はいたって一般的であるが、ここまでの慣例に従い伏せることとする)。学生時代、彼には姓名を同じくする同期がいた。その男は彼に「快楽的読書」のタームで徹底した乱読と詩を読む快楽を授けた男で、学科も学部も異なっていた二人がいつどのように出会ったのかはぼんやりとしか覚えていないが、爾来細々と交流のあった知己であった。その林は金遣いの妙に荒く、時たま彼に金を借りに来ることもあった。この男、金銭の貸し借りについては誠実なたちだったので彼の方もこれといって不満はなかったが、借りた金を風俗に使うことさえあるらしい。何度目かの無心に来た時、ふと聞いたことがあった。

「風俗の行き過ぎで金がないってこともあるんだろう? だったらちょっと控えてみてもいいんじゃないか」

「いや、こればっかりはどうしようもないんだ。申し訳ないが」

「どうして」

「人間に射精したいんだよ。手で、自分で慰めても空しいだけだ。人間の熱を感じながら射精したいんだ」

 彼はそんな林のありようがどうにも納得できなかった。林は戦闘的唯物論者を自称して、アブラハムの宗教をこの世から抹殺するのが夢だと語っていた。加えて妙なところで独我論者でもあったから、こういう思想になったのだろう。かもしれない。断言はできなかった。しかし彼は、この林の言葉に、他者への一切の顧慮を欠いた姿勢を看取せずにはいられなかった。人間に射精したいと言う林の言葉からは、他者は常に無名であり、顔を持たずして、一切の個性を剥奪されている、そんな風情が漂ってはいないだろうか? ……。

 そして今、目の前のテレビ画面には、その知己と全く同じ名前で、つい三月前に会った時とまるで同じ顔の男が映り込んでいる。とどのつまりが、彼の友たる林は殺人の咎で縄目の恥を受くることとなったのであった。

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