アヴェロエス・アストゥリアス(1)

 革命義勇軍〝ザナドゥ〟総旗艦、〈二百歳の男バイセンテニアル・マン〉艦内の一角――

 よく抑えられてはいるが、見る者が見れば乱れていると分かる足取りで、一人の少年が歩く。

 いでたちは、軍人にも革命闘士にも見えない。

 あまりに若く、細く、なによりでありすぎた。整った顔立ち。白皙の肌。最上の工芸品を思わせる銀髪、紅眼――さながら耽美派作家が夢想した地球時代アース・エイジの吸血鬼。しかもその魔貌は、遺伝子操作や外科的整形の一切を加えていない、生得の自然形質なのだ。暗色の〝ザナドゥ〟標準軍服を、ボタン一つ外さず着込んだ堅苦しい姿さえ、妖美であった。

 少年の名を、アヴェロエス・アストゥリアスという。

 十七歳という若齢にして、ニコラス・ノースクリフ直属の親衛隊を率いる身にまで取り立てられた、異才のシングラル・アクターである。

「おい、あれ――」

「誰かと思えば、か。また統仕者サーミナントにお呼ばれとは――」

「相変わらず良いケツしてるぜ――」

 艦内通路ですれ違う将兵のうち、少なからぬ者が白い眼を向け、舌打ちし、あるいは聞こえよがしに陰口を叩いた。もとは解放地域から〝ザナドゥ〟に志願した一介の孤児であるアヴェロエスが、実力で異例の出世を遂げたことに対し、嫉妬や不服を燻らせる輩は多い。その美貌を利用し、ニコラスに私娼として取り入ったのではないか――などと同性から邪推を受けるのも、日常茶飯事となって久しい。

 が、いまのアヴェロエスに、そのような雑音ノイズを気にかける余裕はない。

 忠誠を誓う主より直々に拝命したばかりの、新たな大役の重みが肩に圧し掛かっているからだ。

「ニコラス……なぜ僕に、こんな仕事ができると……」


 ――いっとき、親衛隊長の任を解きます。

 ニコラスからそう告げられた時、鏡の仮面に映る己の顔が、アヴェロエスにはひどく間の抜けたものと見えた。

 ショックを受けたのは最初だけで、聞けば〝信頼できる人物〟を集めた秘匿任務のための部隊を編成しているという。自分がその一員に選ばれたことは誇らしかったが、無邪気に喜んでばかりいられなくなったのはゆえ。

 新たに任じられた役職は、編成中の部隊の指揮官だった。

 親衛隊の隊長から、特務隊の隊長になっただけ――と言えば大した違いはないように聞こえるが、実際はまったくの別物である。親衛隊は第一統仕者プライム・サーミナントニコラスの指揮を受け、直掩機として最後の防衛ラインを形成するシングラルの数個小隊。対して新たな部隊は、専用の母艦と大隊規模のシングラルを擁し、拠点や艦隊から離れて長期行動し得るとなる。

 要するに、規模も職掌もまるで違う。いまでさえ若さと容貌を侮られがちな艦載機部隊のリーダーが、いきなりにされるというのだから、素人目にも無茶と分かりそうな話であった。

 その無茶を敢えて通す理由について、ニコラスは最大の殺し文句で少年の異論を封じた。

「艦長職や大隊指揮の経験などは、この部隊の責任者に求めていません。必要なものはです。何があっても私を裏切らず、秘密を漏洩せず、確実に報告を上げ、指示を実行する……そう確信できる人物として、すぐに動かせる中ではあなたが最善解だと判断しました」

 誰より信じる者を指揮官に据えねばならないから、他ならぬ指名した――空前の英雄たる男にこうまで言われて、否やの言葉を出せようはずもない。

 結局、人事や装備に関する細々した調整を経て、アヴェロエスは正式にこの〝栄転〟を受け入れることとなった。


 またも不相応な昇進を果たしてしまった、という思いがある。正直に言えば、シングラルを操るしか能のない自分には、親衛隊隊長の地位でさえ過分だと思っていたところだ。

 しかし、アヴェロエス・アストゥリアスは知っている。

 環境は変わる。状況は動く。世界は人間ひとりの都合を忖度してはくれず、人が充分な経験を積むまで待ってくれる試練などない。

 ニコラスが必要だというなら、自分は役に立つべきなのだ。

「いいさ、やるとも……ニコラスの役に立てないなら、どのみち僕の命に価値は……」

湿気しけたこと言ってるねえ、若人わこうど

 知らず俯きながら歩いていたアヴェロエスは、独語を遮って掛けられたその声に、顔を上げる。

 正面数歩の距離に立つは、十歳程度と見える少女。

 艶のよい褐色の肌。きょうび珍しい眼鏡。なぜか羽織っている、裾を引きずりそうな丈余りの白衣。ポケットに手を突っ込み、腰を傾け、脚を開いて立つその姿勢からは、外見年齢を裏切る〝女〟の佇まいが垣間見えた。

 当然、〝ザナドゥ〟総旗艦内でただの子供に出会うはずもない。

 面識こそなかったが、アヴェロエスには心当たりがある。砂色の髪に、流れ波打つ独特の光沢パターン。人工形質〈漣風紋デザートウインド〉の所有者といえば、〝ザナドゥ〟が誇る英雄の一人。

 七十年前、それまで突破不可能とされていた致死性コピーガードを破り、ドレクスラーの低位汎用分子アセンブラをリバースエンジニアリングすることに成功した、伝説的科学技術者テクノロジスト――。

「……〝教授プロフェッサー〟ハシェオール殿とお見受けしますが」

「そうともさ! 本名じゃないけどね!」

 腕組みをしてふんぞり返る褐色の少女。およそ重要人物らしい要素は見て取れない。

 しかし彼女――〝教授プロフェッサー〟シェアリス・ハシェオールは、これでも百年以上の時を生きた矮星族ドワーフであり、革命闘争の黎明期を知る古株でもある。功績の偉大さを抜きにしても、敬意を表すべき長老格には違いなかった。

「お会いできて光栄です……が、なぜこんなところに? ニコラスと話しに来られたのですか?」

 距離感を測りかねつつ、どうにか慇懃に応対しようとするアヴェロエス。その懐にシェアリスはずかずかと踏み込み、見上げてくる。

「もう話してきたよ。三級闘士リベラトール・プレンティス、アヴェロエス・アストゥリアス……聞いてた通りの子だね。怖気をふるうような天然物のイケメンだけど、いつも暗い顔ばかりしてるってさ」

 アヴェロエスの表情が、目に見えて冷えた。

「僕のことをご存知とは、光栄の至りですね。ところで、これはお聞きになりませんでしたか――姿だと」

「お? それ初耳。ひょっとして、苦労したクチかな」

 顔色を変えぬまま、黙殺するアヴェロエス。少年の反応に気を悪くするでもなく、シェアリスはまた軽やかに歩を刻み、距離を取り直す。

「ま、言いたくないことなら詮索はしないよ。人間は私の研究対象じゃないからね」

「……御用がないのなら、失礼します。これから忙しくなる身ですので」

 いったい〝ザナドゥ〟の技術開発を主導する女が、こんなところで何をしているのか。たまたま行き会った若い男に絡んでいる暇など、ない立場のはずだが――そうした非難がましさが、抑えたつもりでも声に出てしまう。

 向けられた苛立ちを、シェアリスは苦笑で受け流し、立ち去りかけたアヴェロエスを制止した。

「まーまー待ちなって。用事はあるんだ。実をいうと、あたしも部隊に参加するんだよ。技術顧問テクニカルアドバイザーとしてね」

「はい?」

 きみの部隊、というのが、新設される秘匿部隊のことだと察するまでに数秒かかった。ほとんど名目上のこととはいえ、経験不足も明らかな自分が指揮官を務める部隊に、なにゆえ〝ザナドゥ〟有数の要人が編入されるのか?

 理解不能の思いが、よほど分かりやすく顔に表れていたのか。

 にしし、と奇怪な笑声を洩らして、少女はアヴェロエスの眼前に一枚の画像データを投影する。

「きみが指揮権を握る部隊、編成されるのかくらいは聞いてるでしょ?」

 映し出されたのは、紅玉の装甲と四枚の〝翼〟を備える、楔形の艦。アヴェロエスは頷いた。つい先ほど、ニコラスに見せられたのと同じ画像だ。

を……アルケミスト級試験技術運用艦〝テオフラスト〟を、拿捕あるいは撃沈するための特務部隊であると。そのように、説明されています」

 連邦の試運艦に対し、〝ザナドゥ〟が追討部隊を出すのは珍しいことではない。

 データ収集という任務の性質上、試運艦は最新技術の情報を満載している。鹵獲できれば自軍の戦力強化に直結し、沈めるだけでも敵軍の技術開発を大幅に遅延させられる。そうした戦略上の重要性を双方が承知しているから、連邦は敢えて試運艦を囮に使うような作戦も仕組むし、〝ザナドゥ〟は罠のリスクを踏まえてなお試運艦の動向をマークするのである。

 とはいえ、追討それは純然たる戦闘要員の仕事だ。

「なにも貴女のような非戦闘員の要人が、危険を冒してまで前線に出ることは……」

 シェアリスひとりを失うことは、控えめに言っても一個艦隊の全滅にまさる損失である。そんな危険を冒すべき理由も、意味もない。

 少年が述べようとするまったくの正論を、幼相の女科学者は指を振って遮った。

「いやあ、それがねえ。コトによっちゃ、データだけ後方に送って解析してもらうのもリスクになるような、ヤバいもん積んでる可能性があるらしいんだわ、この艦。それで解析要員を同行させにゃならんのよ」

「……ヤバいもの、とは」

「第一種禁制技術兵器」

 ぞくり、とアヴェロエスの背中が粟立つ。

 テクノロジーの恩恵を万民に。技術規制の緩和を掲げて戦う〝ザナドゥ〟の闘士にとってさえ、の名は古いおそれを呼び起こす。

「詳細は分かんないし、ブラフの可能性も普通にあるらしいけどね。でも本当だとしたら、連邦はとうとう自ら定めた禁令を破ろうとしてることになる……つまりは我らがニコラスくんの戦略も、前倒しで最終フェーズに突入するってこと」

 シェアリスの細指が眼鏡を押し上げ、照明を照り返して一瞬、レンズが白光を閃かせた。

だよ、アストゥリアスくん。ひょっとするとあの艦はで、雪だるま式にどんどん大きくなる類の、事象の地平線イベント・ホライゾンを生み出す存在かもしれないんだ。

 だからこそ、〝こちらが気付いた〟ことを敵に気取られないよう、少数精鋭で追跡しなきゃならない。味方にも徹底的な情報統制を布けるよう、ニコラス・ノースクリフのためなら死ねるくらいの、絶対的忠臣をトップに置かなきゃならない。

 たかが一艦を指揮して、よくわからない艦を追い回すだけの仕事だけどね。ちゃんとわけよ。戦略とか、歴史とか、世界みたいな、大きなものにさ……」

 いつの間にか、子供の見た目に引きずられたような軽薄さは消え失せて。

 老獪な矮星族の女、銀河系のミリタリーバランスを激変させた怪物的科学者が、深淵めいた瞳でアヴェロエスの紅眼を覗き込んでいる。

「責任重大だけど、心配はいらないよ。ブランスタッドで教授やってた頃の人脈コネも使って、きみを支える補佐役にを何人か引っ張ってきてある。

 自分よりキャリアも能力も上の部下たちをうまく使いながら、きみ自身の経験を積ませてもらうといい。統仕者サーミナントニコラスの狙いも、たぶんそこにあるんだろうし」

「僕は……やっぱり僕には、こんな任務……」

 ――重すぎる。

 連邦の対レジスタンス戦略に決定的な変化が生じつつあり、その兆候が〝テオフラスト〟であるなら、これは単に試運艦を襲って最新技術を奪うだけの作戦ではない。情報の見極めに失敗すれば、ニコラスは重大な戦略上の〝機〟を逸する。そのまま戦局が敗勢に傾くことさえ、あるかもしれぬ。

 やはり、能力本位で最も優秀な指揮官を選び直した方がよいのでは――不安が逃避願望を生み、慎重論という名の責任転嫁へと理性を誘惑する。

 そんなアヴェロエスの懊悩を、ころりと少女の顔に戻ったシェアリスが、一笑に付した。

「……ま、指揮官があんまりヘボだとうちの跳ねっかえり娘どもに実権奪われて、ただの連絡役にされちゃうかもだけどね! そんときは定期報告で鏡張りニコ仮面に怒られてしょんぼりするといいよ! にゃはは!」

「編成が整う前に、指揮官をプレッシャーで潰そうとしてるんですかっ!?」

「きみは潰れないさ。ニコラスが選んだリーダーだもの」

 女科学者の顔と声が、またスイッチを弾いたように切り換わる。アヴェロエスはぐっと押し黙った。

 態度は際限なくふざけているようでも、彼女の言葉は正しい。

 戦争の帰趨を左右するかもしれぬ作戦。成功させられるなどとは、到底信じられない。しかし、アヴェロエスが作戦を成功させられると信じたから、指揮を執れと命じたはずなのだ。

 自分とニコラスの意見が食い違っている。どちらを信ずるべきか。

 ――決まっている。

「……そうですね。僕が使命を投げ出せば、言い訳のしようもない形で、ニコラスの信頼を裏切ることになる。

 ――戦って死ぬならいい、部下に背中を撃たれるのも構わない、けれど――僕が、僕の意思でニコラスを裏切ることだけは、

 アヴェロエスの紅い双眸が映す世界に、ニコラス・ノースクリフより正しいものは存在しない。常識も、倫理も、自分の心も、すべては彼の王道に比べれば、些事である。

 など必要ない。だけがあればいい。

 歯車が噛み合い、世界がクリアに澄み渡る。成すべきを成す力が、四肢に漲ってくる。

 これが正解だという確信が、少年の繊麗な口許に、薄く笑みを象らせる。

 ため息とともに、シェアリスがかぶりを振った。

「狂信さえ美しいってのは、もはや呪いだねえ。イケメンくん」

 面と向かって己を揶揄する少女に、今度は厭な顔ひとつ見せず、アヴェロエスは頭を下げた。

 自分の中にある、不動の軸を思い出させてくれたのだ。感謝しかない。

「保身に駆られて、いちばん大事なことを見失うところでした。ありがとうございます、〝教授プロフェッサー〟。これで僕は、何とだって戦える――」


 この日――〝ザナドゥ〟によるアンドルブ私領解放から一夜が明けた、銀河標準暦一〇一四年、四月七日。

 第一統仕者プライム・サーミナントニコラス・ノースクリフの命により、機動部隊タスクフォース〝ハリティウス〟の編成が正式に、しかして秘密裏に開始された。

 隊長に任命されたのは若き天才アクター、アヴェロエス・アストゥリアス。麾下には〝ザナドゥ〟きっての大科学者シェアリス・ハシェオールをはじめ、名の知れた怪物たちが銀河系各域から召集されている。

 部隊の任務は、同日主星系を発った試験技術運用艦〝テオフラスト〟の追討。

 禁忌の介在が疑われる〝積荷〟を確保、それがかなわぬときは――艦も、人も、もろともに星の海へ沈めることである。

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