間章:大いなる遊戯

 主星系を遠く離れた、銀河系内某所。転移航路網を成す結節点ノードのひとつ。

 広漠たる恒星間空間をゆく、一隻の船がある。

 長径およそ二千キロメートル。人類宇宙に現存する、最大級の人工物のひとつ。かつて六百年続いた流亡の時代――離散紀ディアスポラージュにおける、播種船団文明の中核だった〝主船〟である。

 長征の果てに見つけた現主星系を新たな本拠地と定め、統一銀河連邦が発足した後も、この巨大な都市船コロニーシップは銀河人類にとって、であり続けた。それは永き艱難の旅路を耐え抜いた、歴史の重さゆえでもあるが――最大の理由は、ここがいまもの中心地であるからに他ならない。

 すなわち暗号通貨〝カルム〟の発行・管理を行い、その価値の源泉たる超光速通信の中央交換局を併設する、星華シンファ銀行の総本店が置かれた恒星間機動都市。

 そして、多くの連邦市民が知らぬことながら、星華グループを経営する銀河貴族・カノーヴァ本家の所在地でもある。

 その船の名を、天航都市ハルニカという。


 ハルニカ深部。甘い花香で満たされた、広大な温室にひとり。

 焔のきらめきを頭上に戴く、赤髪の少女が立っている。

「――〝テオフラスト〟が主星系を出たようね、空是クゼ

 葉陰から音もなく姿を現すは、黒装束の男。

 目元以外を覆い隠す、暗殺者アサシンの戯画めいた剣呑ないでたちとは裏腹に、柔らかく音楽的な声が答える。

「いかように、処されますか。出迎える、あるいは」

「手出しは無用。観察と記録を続けて」

「明らかにであっても、静観してよいと」

 空是クゼと呼ばれた男が問う。それが〝テオフラスト〟危険であるのか、あるいは別の含みがあるのか。曖昧な問いの意味を、すべて諒解しているのだと示すように、少女は頷く。

彼らが危険であっても、介入は許可しない。……そう言えば、充分かしら」

「御意に」

 いらえは凪いだ水面のように穏やかだったが、少女は未だ意思の疎通が不充分と感じたのか。浮かび漂う鉢植えの一つを手に取り、凍星花スターフリーズの透き通るフラクタル花弁を眼差しででながら、独白めいた言葉を継ぐ。

「空是、わたくしはね……差し手プレイヤーとしてゲームに参加することが許されていないの。

 観客として見守るか、仕切役ゲームマスターとして盤面をデザインするか、二つに一つ。そして、よほどが見えていない限り、わたくしは傍観者でいることを選ぶ……」

 黒衣の男、空是は答えない。身じろぎ一つしない。

 それでいい。少女は知っている。あるじの言葉を聞き落とすなど、〝彼ら〟に限ってはあり得ぬこと。

「いま、数多の力ある差し手プレイヤーが並び立ち、各々の思惑で〝大いなる遊戯グレートゲーム〟を戦っている。この局面で彼らの邪魔をするなど考えられないわ。どう転んでも、誰が勝っても、もの」

 赤髪の女、シャーロット・フランシスカ・カノーヴァは思いを馳せる。

 去来する面影は、最高の戦争ショーを見せてくれるであろう役者たち。

 革命家、ニコラス・ノースクリフ。

 銀河貴族、フォルカステ・アーレブリュート。

 警兵、ボリス・ヴァシリエーヴィチ・パデレフ。

 科学者、ロギエル・ロートヴァンク。

 そして、主星系を発った〝テオフラスト〟の背後に見え隠れする、同じ〈焔髪ファイアブロンド〉の異端児――トマス・ベルナルド・カノーヴァ。

 他にも続々、見所ある差し手たちが控えている。すでに銀河系は群雄ひしめくエネルギーの渦。そのダイナミズムこそ、シャーロットが求めたもの。

 千年の倦怠を破り、いま〝歴史〟が目覚めようとしている。

「贅沢な時代ね。長く生きた甲斐があったというもの……あら?」

 空是の視線が上へ動くのを察し、シャーロットはその先を見やる。

「しばらくぶりですこと、。貴方もメインプレイヤーとしての扱いをご所望かしら」

 誰何の必要はない。セキュリティに見咎められることなく、この温室に〝出現〟できる者など、空是とその配下を除けばただ一人。

 宙に浮かぶ、四次元立方体の展開図。

 磨き抜かれた床にラテン十字の影を投げるは、投影体でも無人機ドローンでもない。〈超越教皇ハイアーポープ〉サルヴァドール――機械化さえしていない、である。

【余はピースに過ぎぬ。われらが差し手は常に〝神〟なれば】

 八つの立方体からなる超十字架が発する音は、抽象的アブストラクトな外観からすればあまりにな、重々しい老人の声。

 星導派キリスト教会最高指導者、その異形と権威にいささかも怯まず、シャーロットは愉悦の笑みを返す。

「〝悔い改めよ、天の国は近づいた〟……貴方がわざわざ出向いてくるということは、なのね。意外と早かったわ。

 結構よ。神がエントリーしてくれるなら、混沌カオスはいっそう深く豊かになる。わたくし、ゲームは複雑な方が面白いと思うの」

しゅの来臨を迎えた盤上で、ゲームが成立すると……? なんびとも、救済から逃れることなど、できぬというのに】

 嘲弄するでもなく、純粋な疑問の響きを帯びた〈超越教皇〉の問い。

 容姿相応の幼い気軽さで、魔女は答えた。

「どうかしら。対人戦には不慣れかもしれないでしょう。

 ――

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