ミハイロヴィチ・ディミトロフ(7)

「……で、娘に聞かせたくない〝細かい話〟というのは、なにかね」

《あ、やっぱり分かる?》

 艦長室に残った二人、トマスとミハイロヴィチの視線が、幾光年もの距離を隔てて交錯する。

「計画の要となる、カノーヴァ本家の調略……肝心のそこがあの娘に丸投げで、本当に上手くいくとは思えんのでな。すでに協力の確約を得ているとか、有無を言わさず味方に引き込めるような手土産が用意してある、というのなら別だが……」

 降参を示すように、トマスが諸手を挙げた。

《残念ながらそんな交渉材料はないし、そもそも当主がアンジェラを本家へ呼びたがった理由も、あの子が可愛いからじゃない。向こうにはまったく別の思惑があってのことさ》

「娘の写真に当主が食いついたというのも、やはり嘘か。お前は本当に、呼吸するように人を欺く」

 長い付き合いであるから、トマスが自分を破滅させるような謀りごとを企んでいるなどとは、ミハイロヴィチも真実疑っていない。

 それでも、娘の前でべらべらと嘘八百を並べていたと言われれば、その人間性に呆れる思いがするのも無理からぬことであった。

《アンジーが何かの奇跡を起こして、シャーロット女史を口説き落としてくれれば苦労はないけど……まあ無理だろうね。

 現当主は確認できる限りでもの間、カルム経済圏の維持だけに汲々としてきた保守的な経営者だ。連邦政府、CJPO、星間企業や銀河貴族の腐敗を一掃できる立場にありながら、中立を謳って何もしてこなかったというがある。

 おまけに今、〈劫院クロノン〉の主導権を握る最大派閥のトップは、当主シャーロットの近しい友人でもあるそうだからね。ドレクスラー・コーポレーション最高経営責任者CEO、フォルカステ・アーレブリュート……親友を打ち倒そうとしてる僕らに、当主が色よい返事をくれるとは思えないな。

 要するに、カノーヴァの現当主も――実質的には、僕らの敵だ》

「待て……待て、トマス!」

 無造作に放り込まれる情報量の大きさに、ミハイロヴィチは友との会話で滅多に出すことのない大声を張り上げた。

「では最初から、説得や交渉でなんとかしようとは思っておらんのだな? それに、聞き違いでなければと言ったようだが……矮星族とて千年は生きられんはずだろう。本家の当主は、だ」

 、と問わなかったのは無意識の言葉選びである。しかしミハイロヴィチはこのとき、どこまでも得体の知れぬシャーロットという女が、少なくともただの矮星族ではないことを予感していた。

 果たしてトマスの言葉と、投影したデータが答えを示す。

《当主シャーロットの正体は、共通の遺伝子テンプレートから生まれた他人クローンの肉体を乗り換えることで、遥か離散紀ディアスポラージュから生き続けてきただ》

 映し出されたのは銀河標準暦以前、西二八五五年のタイムスタンプが付された一枚の画像。

 焔の輝きを赤髪に宿す、矮星族の女。世界のすべてを侮るように不敵な笑みを浮かべながら、そうすることが許される者の特権的自信を、全身に漲らせている。

 仮想タグに記された名は、シャーロット・フランシスカ・カノーヴァ。

 髪型と、衣装と、似ても似つかぬ表情を除けば――顔の作りから体格まで、すべてがアンジェラ・フィオリーナ・カノーヴァと同じ造形の少女だった。

《アンジェラが本家に呼ばれたのは、当主がそろそろと言っているからさ。わかるかな、ユーリ……あの子は〝業貨の魔女〟シャーロットの、次のに使われるんだよ》


「馬鹿な、人格アップロードは……」

 言いさして、ミハイロヴィチはやめた。

 精神の完全なデジタルデータ化。だ。そんなことはトマスも解っている。要するに、シャーロットはそれを使うことが許されるほどの逸脱した特権者である、というだけの話。

 そんなこともすぐに察せられないほど、自分は動揺しているのか。苦い自嘲が、ミハイロヴィチにいくばくかの落ち着きを取り戻させた。

「いや、だが……なぜお前の娘を呼び寄せる必要がある?

 データ化された人格に適合する肉体さえあればいいなら、交換用の身体をひとつ、新規に培養するだけで済むはずだ。わざわざ他人の精神が入っているところに自分を押し込むなど、容量の無駄ではないか」

 トマスは力なく笑った。幼い顔に、凄惨な影が落ちる。

《ひとりの人間として、永い年月をルーチンワークの中で過ごしていると、倦怠感のあまり無気力になったり、発狂したりするみたいでね。銀河貴族の引退した古老の中にも、そういう人たちは多くいたそうだ。

 そうした精神的摩滅への対策として、彼女は〝他人の人生を取り込む〟ことで活力を維持しようと思いついた……さ。単なる記憶データのインポートじゃない。経験や技能も丸ごと含む、人格レベルでの吸収・同化だ。

 まともな人間がこんなことをやってたら、二回ともたず自我の混濁で廃人になりそうなもんだけど、記録を見る限りシャーロットは〝初代オリジナル〟の人格をほぼ完全に残している。何十人分もの精神を一方的に呑み下してきて、なお健在。それほど強大なエゴの持ち主ってこと――》

 化物だよ、と吐き捨てるトマス。実際には六十代の男と解っていても、幼子の貌に滲む昏い微笑が、ミハイロヴィチの目には痛ましいものと見えた。

《カノーヴァ家当主のために設計された遺伝同形体クローンは、脳だけじゃなく全身の骨格にまで補助脳の機能を持たせることで、記憶領域の飛躍的な拡張に成功している。人間の精神を余すところなくデータに落とし込んでも、数百人分は入るだろうって膨大なメモリスフィアだ。

 そういうわけで、アンジェラの身体を御当主様が乗っ取ることに、問題はないのさ》

 かく言うトマスの表情は陰惨なものだったが、絶望や諦めの色は認められない。本家の命令に大人しく従い、愛娘を差し出す覚悟を決めたわけではないようだ。

「……つまり、お前の娘による〝説得〟は失敗する前提として……があるわけだな」

《そう、こっちが本命――シャーロット・カノーヴァを、暗殺する》

 平坦な声で決然と、少年は言い放った。

《もちろんアンジーにやらせるつもりはない。バックアップも含め、はこっちで手配してある。

 首尾よく当主を始末したら、補助脳をジャックして本家のシステム掌握に必要な認証情報を頂戴する。もともと生体認証バイオメトリクスだけなら、いまのアンジーでも突破できるんだ――だからね。

 書類上、当主位の継承に際して人格の同一性を問う規定はない。第一種禁制技術が絡むんで、文書に残すのはマズかったわけさ。これまではシャーロットが、という形で悪用してきたけど……彼女の管理者権限さえ奪ってしまえば、あとは情報的にも遺伝子的にも、名実ともにアンジェラが新たな当主ということになる》

「自分の娘を、星間経済のに据えようというわけか」

 ミハイロヴィチの視線に胡乱なものを感じたのか、トマスが心外そうに釈明する。

《野心ありきの計画だとは思ってほしくないな。アンジーが警兵に志願する前は、どこか遠くへ逃がす方向で考えてたんだ。

 結局あの子には、重い荷物を背負わせてしまうことになるけれど……現当主の精神的養分として消化されるよりは、マシだと思ってるよ。

 いずれは当主に集中していた権限を分散して、本家の運営体制も変えていくつもりだ。心配しなくても、うちの娘に独裁者なんか務まらないさ》

「確かに、あの性格ではな」

 笑うミハイロヴィチをトマスが小突くも、低グレードの投影体では触覚フィードバックを得られず、突き出す細腕は警兵服をすり抜けるばかり。

 年甲斐もなく膨れっ面を作る友に、老将はふっと笑いやめて、静かに問うた。

「……何もかも、娘のためか?」

 粛清のリスクを押してでも有力者たちに接触し、長きにわたる〈劫院〉の支配を覆そうという大計画も。

 娘と同じ顔をした、生家の支配者を暗殺しようという黒い決意も。

 この小さな友にとっては、社会正義のためよりも、娘を救うためだったのではないか――そんな想像が、ミハイロヴィチの中で不思議なほどしっくりと腑に落ちる。

《……本家から、人工子宮を出たばかりの赤ん坊を押し付けられたときはね》

 しとり、と降る雨のように。

 星の海の彼方から、穏やかな声の雫が届く。

《当主のスペアボディの飼育係なんかまっぴらだ、ってのが正直な気持ちだった。もともと僕はシャーロットという人を、〝いつか殺さなきゃならない〟と思うくらいには嫌ってたからね。

 でも、預かった赤子に冷たく接する僕を、妻は叱った――》

 そういえば、この幼児めいた男にも妻がいるのだ――とミハイロヴィチは今更に思い出す。実際に会ってさえいる。分家の屋敷を訪ねた際、紹介された女性だ。

 イルヤという名のカノーヴァ夫人は、子供の身体でもなく、髪や瞳に非自然の異彩を宿してもいない。銀河貴族の縁者ですらない一般市民だ。トマスは主星系で彼女と出会い、いかにしてか親子ほども離れた外見年齢差を越えて恋をし、そのまま娶ったという。

《あなたはこの子を、あなたが嫌う本家の人と同じにしたいのか……イルヤはそう言ったよ。当主のおぞましい嗜癖も、腕の中に抱いた子の正体も知らないのに、痛いくらい核心を衝く言葉だった。

 だから僕たちは、その子に〝天使アンジェラ〟と名付けたんだ。

 天使のように清らかな、善なる心を持つ人に育つように。まあ、おかげで僕も妻もちょっと過保護になったもんだから、アンジーはに育っちゃったわけですけど……それでもあの子は、シャーロットのようにはならなかった》

 トマスの小さな手が、固く握りしめられている。傷も汚れもない、つるりとした子供の手。

 それでも確かに、娘を想う父親の拳だった。

《アンジーが大きくなるにつれ、思うようになった……あの化物と同じ顔をしているのに、どうして少しも似ていないんだろう。なぜ、こんなにも愛おしいのだろう、と……。

 あの子をの運命から解き放ってやりたい。友や、愛する人や、子供たちと、アンジェラが生きていく未来に……少しでもマシな世界を残してやりたい。そのためなら、なんだってできると思った》

「よしんばプランBが上手く運んだとして、お前は、ということになる。そうまでして救いたかった娘に憎まれ、蔑まれ、生涯赦されることはないかもしれん。――覚悟の上か?」

 迷いもせず頷くトマスを見て、老将は眩しげに目を細める。

 ミハイロヴィチ・ディミトロフには妻子がない。

 愛した女はいたが、自分も相手も、家庭を持つより仕事に生きる道を選んだ。互いに納得ずくで、共に生きる未来を諦めたのだ。

 だから、妻に恋し娘を愛して、ついに世界を変えようなどと決意したトマス・カノーヴァの思いを、真に理解することはできない。

 できるのは、上官であり孫のようでもある友が打ち明けた心を、信じるか否か。選ぶことだけだ。

《不正を糺し、腐敗を焼き、この恒星間社会に、あるべきバランスを取り戻す。ただの建前じゃあないよ。ずっと若い頃、本家で〈劫院クロノン〉の仕組みと成り立ちを知ったときから、変えなきゃならないと思ってきたことだ。僕がカノーヴァの家に生まれた意味であり、使命だと……。

 でも、使命を果たすために踏み出す、最初の一歩の勇気をくれたのは……お父さん、と呼んでくれる子の声であり、まなざしだった。それは、否定するつもりもない事実だ》


 裁定を待つように、赤毛の少年が言葉を切る。

 しん、と訪れた静寂を、ミハイロヴィチの溜息が破った。

「……立場相応の動機とは言い難いが、理解はしよう。『権勢欲のために始めたことである』などと言われれば、私はお前を撃たねばならなかった」

 トマスの口許に、淡い微笑が浮かぶ。彼が本当にうれしい時はこのような顔をするのだと、ミハイロヴィチは知っていた。

「しかし、そういうことなら当主の肉体交換とやら、もう何年か後にしてもらいたかったものだな。時間さえあれば、お前の娘にも然るべき経験と地位を培わせることができたものを……」

《――それがね、そうも行かないんだよ》

 赤髪の少年が返してくる声に、実家や娘の話をしている時とは別の、硬質な緊迫が混じった。

《実を言うと、本家の意向がなくても、事を始めるのはがタイムリミットだった。体制の立て直しが十年も遅れれば、もう

 CJPO上層部の大半の者が、聞けば笑い飛ばすだろう悲観的な予測。しかしミハイロヴィチは笑わなかった。

 充分にあり得る、と思ってしまったからだ。

《革命家ニコラス・ノースクリフという偉大なカリスマのもと、〝ザナドゥ〟は年々勢力を増し続けている。人口や支配領域の広さだけじゃなく、兵の練度や技術力といった質の部分でもね。

 監帥連や〈劫院クロノン〉主流派は、まだ彼らを過小評価している……従来の〈解放星団リベレーション・クラスター〉なんかと同じ、有象無象だろうと。軍需をほどよく喚起してくれる、制御可能な紛争だと……馬鹿な話さ。なんて、〝ザナドゥ〟以前にはなかった。向こうには在野の科学者・技術者が多く流入していて、銀河貴族たちが利権の源として独占してきた禁制技術を、市場や戦場からどんどんリバースエンジニアリングしているんだ。

 このまま放っておけば、技術力の差を埋めた〝ザナドゥ〟が連邦の現体制を崩壊させるか……あるいは追い詰められた〈劫院〉が、あらゆる禁制技術兵器の封を破り、この銀河をテクノロジーの地獄に変えるか。ほとんど確実な二択になる。

 どっちも嫌なら、数年以内に連邦の意思決定プロセスを改組して、一枚岩にまとめる必要がある。それから〝ザナドゥ〟との停戦交渉なり、本腰を入れた掃討作戦の準備なりを始めなきゃならない。

 さっきまで話してたことは、その大いなる前哨戦でもあるんだよ》

 言うまでもなく、恒星間利害調整カルテルの分断・掌握だけでも、史上最大のクーデター計画である。それをと表現する発想のスケールに、ミハイロヴィチは認識を改めた。

 己もまた、過小評価していたのかもしれない。赤毛の友と、彼がこれほどまでに警戒するニコラス・ノースクリフという男を。

「交渉の余地があるなら、むしろお前の計画に利用するという手はないのか?

 技術力こそ突出しているが、反連邦勢力の中ではむしろ、〝ザナドゥ〟の方針は穏健なものだ。〈劫院〉の現主流派を倒すとなれば、利害の一致を見る可能性はありそうなものだが」

《確かに、話は通じるかもしれないけど……借りを作りたくないんだよ。

 情報部の調べじゃ、第一統仕者プライム・サーミナントニコラスは民意を尊重しつつも、民主主義という形式そのものにこだわりはないらしい。連邦の改革に彼の手を借りてしまうと、再編後の統治機構にどんな影響が出るか、まるで予測がつかない。

 最悪の場合、正しいプロセスを踏んだ民主的投票の結果として、が始まってしまう可能性すらある》

「高すぎるカリスマ性は、味方につけるのも危険というわけか――」

 事ここに至り、ミハイロヴィチは前途の多難を見渡して、宇宙的スケールの目眩がする思いだった。

 神々のごとき銀河貴族たちと権謀を争い、返す刀で不世出の英雄たる革命家と対峙せねばならない。勝算は不明、困難な戦いであることだけが確か。いかにCJPOが軍と警察の権能を併せ持つと言えども、本来あるべき警兵の職掌から逸脱すること甚だしい。

 それでも――往くべきと信じた道の上にある限り、引き返す足を持たないのが、ミハイロヴィチ・ディミトロフという人間であった。

 粛然と警兵帽を正し、彼は告げる。

「……方針は理解した。結局、やることはいつもと同じだ。タスクが巨大であるなら、分割して順に片付けるしかない。

 本艦の、次の仕事について聞こう。目的地、接触すべき人物、注意点。必要な情報を、すべて寄越せ」

 老将の覚悟を翠玉めいた瞳で受け止め、少年は頷いた。

《ありがとう。それじゃ、最新の情報を加えて策定した、〝テオフラスト〟隊のセカンドミッションを伝えるね。

 君たちには、を、侵略者から守ってもらいます!》

「……………………なん、だと?」

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