アンジェラ・カノーヴァ(8)

 ヴァナー・エジモンドの核攻撃に始まる一連の事件は、実行犯の全滅という形でひとまずの収束を見た。

 最前線で獅子奮迅の活躍をした試運艦〝テオフラスト〟および二機の新型シングラルについては、主星近傍に留まっていたこともあり、軌道軍港のドックへ戻して数日がかりの点検・再整備を受けるのではないかと噂された。報道によれば、CJPO本部からもそのように打診があったという。警備態勢の不備を突かれた入管への批判を和らげるため、連邦政府が広報用の〝英雄〟を求めたのだと、事情に敏い者は気付いただろう。

 ところがミハイロヴィチ・ディミトロフ艦長の強い意向により、艦体の簡易点検と乗せ損ねた物資・人員の回収のみを済ませた〝テオフラスト〟は、当初のスケジュールに遅れることわずか四時間で再出航。何かに追われるように慌ただしく、星系内転移点マイルストーンから系外航路へ飛び出していってしまう。

 その直前、艦内でひとりの少女が怒り狂っていたことなど、世人は知らない。



「艦長! ……ディミトロフ艦長っ!」

「聞こえている、カノーヴァ三等哨尉。落ち着きたまえ」

「なんですか、あの報道は! あんな……でたらめで! 嘘ばっかりだ!」

「落ち着けと言っている。できなくとも、をしたまえ」

 噛んで含めるように宥められ、ようやくアンジェラ・カノーヴァは自分のしていることを省みるゆとりが持てた。

 呼び出しを受けて出頭した艦長室で、いきなり六階級も上の将官に食って掛かり、一方的に自分の言いたいことをまくし立てる。これだけで艦内独房に放り込まれてもおかしくない、明らかな軍規違反である。

 まして銀河貴族の家に生まれた身とあっては、たとえそのような意図がなくとも、権門の七光りを利用するも同然のふるまいとなる。ミハイロヴィチの瞳に映る赤髪のきらめきが、アンジェラに自らの立場というものを思い出させた。

「あ……その、すみません。私」

「準備もろくにできず、初の実戦出撃を経験してきた直後だ。疲れていようし、興奮するのもわかる。

 だが、極限状態でさえ自制を保ててこそ真の警兵だ。偶像の旗手たるをよしとした君には、誰よりそう志してほしいものだな」

 あくまで穏やかな老将の物言いに、アンジェラは心底恥じ入る思いがした。〝テオフラスト〟へ帰投する〝ノーバディ〟機内で、ふと気を抜いた瞬間に眠り込んでしまったことを思い出させられたのだ。

 結局、目が覚めたのは帰艦してずっと後、医務室のベッドの上。いくつか話したいことのあったルイスは探せど見つからず、とうに積荷の回収を終えて再出航したらしい艦内の慌ただしさに揉まれているうち、艦長室から呼びつけられたというわけだった。

 疲れていた。確かにそうかもしれない。けれど自分は、何の働きもできなかったではないか。

 なるほどエジモンドの記憶を引き出しはした。重要な情報が手に入りはした。心無い言葉を投げつけて、意図せぬ挑発を繰り返した結果だ。そうまでしておきながら、しかしアンジェラ・カノーヴァには、あの哀しい男を救えなかった。

 エジモンドの最後の凶行を止めたのも、望ましからぬ形とはいえ彼の復讐劇にひとつの決着をつけたのも、その後の刺客を退けたのも。すべてあの荒んだ目をした男、ルイスの功績である。

 こんなざまで、いったい何を誇れる。

 任務完了の報告もせぬうちに居眠りを決め込むほど、ぜんたい何に疲れたと言えるのだ――。

 鬱々とした自責に、ほとんど反射じみた無意識の動きで、右手がポケットを探る。ピルケースを掴み当てたところで、アンジェラはぐっと身体を固くし、習慣の誘惑に耐えた。

 EAMを一錠やれば、今すぐにでも楽になれる。わかっていても、そうするわけにはいかなかった。訊くべきことを訊き、言うべきことを言うまでは、自分ひとり感情を放り出して薬学的天国へ逃げ込むことなどできない。

 強いて呼吸を整え、少しでも冷静に見えるよう背筋を伸ばしながら、アンジェラは切り出す。

「……ディミトロフ艦長。報道はご確認なさいましたか」

「うむ。見たよ」

「CJPO本部の声明が出たあと、エジモンド氏が引き起こした今回の事件について、捜査情報の公開が行われましたね」

「ああ」

 気だるげな老艦長の反応に、苛立ちの火がアンジェラの胸底を焙る。

 的外れな感情だと解っていた。だから、ミハイロヴィチを責める口調にならぬよう、強く己を律した。疲れているのは誰よりも、最速で事件を解決させるために全力を尽くした、この人であるはずだ。

「では、発表を受けた主星系の大手メディアが、この事件をどのように報じているかも、ご存知ですね。

 ネンティス星邦の運送業者ヴァナー・エジモンドが、大量の反応弾ミサイルを主星系に持ち込んで、大規模攻撃を目論んだ……とか。

 それすらで、は第七惑星方面に出現したシングラル部隊による破壊工作だった……とか。

 侵入したシングラルの機種が〝エスカリボール〟だったことから、本件はであると推測され……実行犯で唯一身元が判明しているエジモンド容疑者についても、〝と思われる……なんて、馬鹿げた内容のニュースばかり……っ!」

 艦内をここまで小走りに移動する途中、星系ネットのニュース記事からスクラップしておいた画像や抜粋テキストを、ばら撒くように宙へと並べていく。

「〝ハロルド禍〟のことだってそうです。救援艦隊による虐殺を明らかにしながら、それが〝必要な防疫上の犠牲〟だったと言い、ドレクスラー社の関与については言及なし。責任はすべて行方不明のオーラシュトーノ氏に押し被せてる……。

 艦長、どうか本当のことを教えてください。私たちの捜査で得られた情報を、本部は握り潰しているんじゃありませんか?」

 エジモンド事件に関する著しい歪曲報道を目にして、アンジェラが最初に思い出したのは、すでにこの世にいない男の怯えた声。


 ――無理だ。勝ち目はねえ。ドレクスラーに勝てる奴なんか、この宇宙にいねえ。


 星間企業体群の中でも最強と言われる、かの企業ならば。CJPO上層部に圧力をかけて、自社に不利な証拠を揉み消すくらいのことは、やるのではないか。好んで人を疑うことのない少女をして、そう憶測させるような状況。

 しかしミハイロヴィチは、かぶりを振って否定する。

「そうならんように、本部へ上げる情報は絞っておいた。後送したログも報告書も、我々が〝ハロルド禍〟の真相やエジモンドの素性に関して知り得たことは、何ひとつ含んでおらんよ」

「へっ? あ、そう……ですか」

 予想外の答えに、束の間アンジェラはほうけていた。

「じゃあ、あの報道は……」

「察しの通り、ドレクスラーの意向だろうな。断片的事実から大掛かりなフィクションを作り上げ、〝公開可能な真実〟としたのだ。

 我々が各自迎撃した〝エスカリボール〟二個小隊も、そのための擬似敵アグレッサーだったと考えられる」

「擬似敵――」

 先の戦いを一瞬間に振り返り、アンジェラはかすれた呟きを漏らす。

「あれが、本物の刺客じゃなく……と?」

「あの攻撃で本艦を沈められるものなら、実際にそうしていただろう。だが暗殺任務を帯びた特殊部隊として、奴らは弱すぎた。

 おそらく攻撃の成否はどちらでもよかったのだ。二個小隊もの所属不明機が主星系内に出現し、交戦のすえ撃破されたという事実さえあれば、それだけでことにできる」

 ミハイロヴィチの絵解きが示す図柄は、アンジェラの頭が理解を拒む類のものだった。

 あまりに軽々しく、人間の命を使い捨てている。しかも命懸けで戦った自分たちは障害とすら看做されておらず、敵ははなから戦闘の先を見ていたという。

 だが結果を見れば確かに、いつの間にか〝シングラル部隊が主攻、エジモンドの核武装船が助攻〟という、ありもしない連携がでっち上げられている。事件の全体像が、実際とはまるで違う形に書き換えられてしまっていた。

「してやられたよ。死んでから仕事をする類の噛ませ犬かもしれんと、解っていても対応せんわけにはいかなかった。

 エジモンドの犯行意図を読み違えた幕僚会議の面子も、ことで、なんとか保たれたというわけだ――これでますます、ドレクスラーはCJPOへの発言力を強めることになる」

「……艦長が、こうなることを予測されていたのなら」

 話しながら必死に思考を回し、アンジェラは複雑化した現況をなんとか見極めようとする。

「当然、上に報告しなかった情報の使い道というものを、考えておられたことと思います」

 今回の事件が〝ハロルド禍〟の真相と繋がっていることは、ドレクスラー側も把握している。だからネグリを暗殺し、刺客を差し向け、エジモンドをテロ組織の一員に仕立てた。

 CJPO本部はその意を受けて動いており、公式発表をもとに報道を行うメディア各局も、間接的にドレクスラーの影響下にある。

 しかしミハイロヴィチの言った通り、本部への報告にを含めなかったのであれば、それがになるはずだ。

 エジモンドから受け取った追体験リプレイファイルは真正性の検証が完了しており、編集や改竄を経ていない生の記憶データであることが証明できる。これは刑事事件における証拠能力の要件を満たし、世間一般においても〝動かぬ証拠〟として通用する水準の信頼性を持つ。

「機構本部とマスコミが、どんなに嘘の情報を流したところで、いま真実を握っているのは私たちです。しかもそのことを、向こうは知らない。つまり……」

 言い募るアンジェラを、神妙な面持ちのミハイロヴィチが見ている。先を促されていると解釈して、少女は続けた。

「……本件の、を、これから公開するんですね? 最適なタイミングで、すべてをひっくり返すために」

「せんよ。当面はな」

「えっ」

 ふたたび予想を裏切られ、アンジェラは混乱の度合いを深めた。だったら何のために秘密を守っているのだ、という思いが顔に出てしまう。

「どうしてです? そんな、だって……ヴァナー・エジモンドは単独犯で、動機は妻とフォルグの人々を殺したドレクスラー社への復讐、核兵器の出どころはシャドウが供与した〈詩片ノート〉! 艦長が勘でつかんだ細い糸から事実を手繰り寄せて、やっと全部が繋がったところじゃないですか!」

「カノーヴァ三等哨尉。それを、どんなルートで公開できると思う?」

 静かに問い返された言葉を、すぐには理解しかねた。

 どんな手段でも取れるのではないか。テレビジョン、新聞、ネットニュース――もちろん、ドレクスラーの息がかかった報道機関などは避ける必要がある。それでも、真実を知りたいと願う人々がいる限り、こうもあからさまな捏造を隠し遂せることなどできないはずだ。

 と、アンジェラは本気でそう思っていたのだが。

「たとえばマスメディアについては、そもそもフォルグ崩壊で利権を得た星間企業体群が最大の出資者だ。に従わねば干されるだけであるし、ペンの滑りが良くなるよう、スポンサーは相応の稿をばら撒きもしているだろう。まず間違いなく、放送も出版も差し止められると見ていい。

 星系ネット。いったん放流された情報はなかなか消えないという印象もあろうが、公に悪性ミーム指定された案件なら話は別だ。市民が目にするものは検閲ワームの喰い残しと、御用コメンテーターが太鼓判を押した官製フェイクニュースに過ぎん。

 郵便では拡散が遅くて決定打にならん。集会はすぐに解散させられるか、一網打尽で逮捕。司法手続は――だな。

 わかるかね。このように、現状ではあらゆる告発ルートが潰されるのだ。たとえ手の中に真実があっても、彼我の力の差が大きすぎれば、嘘の前に敗れることはある」

 巨悪への反攻を予感し、高揚しかけていた気持ちが、その不可能性を懇々と説かれる間にしぼんでゆくのを感じた。

 ミハイロヴィチの言うことが、すべて事実かどうかは解らない。しかし少なくとも、彼はいますぐ行動しないことの論拠を持っている。アンジェラにそれを否定する材料がないのは、確かな事実であった。

 それでも何か代わりの手がないか、と考えてみる。ミハイロヴィチが思いつかないような、自分の専門分野に近い方法――。

「あ……検閲ワームが自動巡回のターゲットにするのは、検索エンジンが索引インデックス化してる表層領域サーフェスフィアだけですよね? サーチ範囲外の深層領域ディープスフィアで、暗号化されたファイルを共有する分には行けるんじゃ……」

「……だ、そうだが。情報戦の専門家としては、できるのかね、クシウス」

「んー。アンジェラちゃんの知識は、まだ教科書レベルですねえ」

 突然名を呼ばれて、アンジェラは驚きのあまり呼吸を忘れた。

 声の方を振り向くと、左手四歩ほど前、誰もいなかったはずの空間に一人の女性警兵がいる。

 外見年齢は若く、十七歳ほどだろうか。色の薄い金髪、白い肌、暗青色ダークブルーの瞳。くたりと脱力した姿勢で椅子に背を預け、優しげにも眠たげにも見える微笑が、雲に触れるような淡い印象を投げかける。

 投影体ではない。実体だ。ずっとそこにいて、姿も音も匂いも知覚できぬよう隠蔽されていたのを、いま無造作に解いた――そういう現れ方だった。

「光学迷彩!? あなたは……」

「ジェシー・ロックウェル・クシウス。二等哨尉ルクトール・セーチ。これからアンジェラちゃんの指導役トレーナーになる先輩だよー。

 あとねー、これ光学迷彩じゃなくて。視覚ログにはちゃんと映ってるから、あとで確認してみて。同じこと、アンジェラちゃんにもできるようになってもらうから、よろしくー」

 なんとなく、この人は自分が艦長室に入る前から隠れていたのだろう、と推察する。

 知らぬ間に観察されていたと思うと、若干の決まり悪さはあるが、不思議と嫌ではなかった。歳の近そうな同性ということもあるが、もともとアンジェラにとって、馴れ馴れしいくらいの距離感が性に合っているのだ。

「よろしくって……いえ、失礼いたしました、先輩」

 動揺も困惑も呑み込んで、アンジェラは頭を下げた。とりあえず礼に適う挨拶ができるのは、育ちの良さゆえか。

 応じてジェシーが頷き、独特の間延びした口調で説明を引き取る。

「ほんじゃあ艦長に代わってお答えしますとー、確かに常時巡回型の検閲ワームはネットの浅いとこしか見ないんだけどね。特に危険性の高い悪性ミームに対しては、もっと強力な標的指定型のワームを使うことがあって、これはログインが必要な会員制サイトとか、初めから独立レイヤに構築された仮想閉域網VPNみたいな、深層領域ディープスフィアにも容赦なく潜り込んでくるんだなー。軍事機密扱いで、もち非公式だけど」

「し……市民のプライバシーは……?」

「ないよーそんなもん」

 衝撃を受けて固まるアンジェラをよそに、ジェシーは新たな投影窓を一枚開く。

 表示されているのは追体験リプレイ投稿サイトのようだが、レイアウトや広告の文言がどうにもアングラ臭い。あるいは意図してそのような雰囲気を演出したものか。

「まあその手の上位ワームでも一瞬で灼かれちゃうような、ガードの堅い暗黒領域ダークスフィアなんてのもあるこたーあるんだけど。そういうとこにはもっとアナログな方法で対策を打ってるわけでして」

 ジェシーが指を鳴らすと、周囲の風景が艦長室から一変した。

 足下には、遥か消失線へと伸びる格子光グリッドの地平。頭上には角度や座標、無数の変数パラメータを乗せてゆっくりと自転する、巨大な状態ステートリング。

 全感覚記憶だ。三人まとめて、一瞬で仮想空間に放り込まれた。使っている技術が高度すぎて、ジェシーがどうやって自分のアカウントをログインさせたのかも、アンジェラにはわからない。

 タイトルとタグからして、どこかの公共仮想空間で演説する政治活動家を、観察していた者の視点らしい。正面には演壇があり、その上に立つ活動家のアバターは、浅黒い肌に黄色い襤褸ぼろを纏ったデザイン。胡散臭さと神秘性が際どいバランスで両立するような佇まいの、仙人めいた老爺であった。

 白髪を振り乱し、落ち窪んだ両眼をカッと見開いて、老人が語り出す。

《わたくしイスキリは……みなさまに残念な真実を、お伝えしなくてはなりません。

 それは誰もが知る大企業、ドレクスラー・コーポレーションが二十二年前に犯した、大いなる犯罪についてであります……》

「まさか」

 思わず、アンジェラは投影窓に顔を近づける。

 これはもしや、エジモンドが探してもついぞ見つけられなかったという、彼の〝同志〟なのでは――。

 演説は続く。

 イスキリなる人物の語りは、徐々に熱を高めていく。

《かつて、辺境の星間国家・フォルグ星圏を滅ぼした、あの〝ハロルド禍〟について……つい先ほど、CJPOが新たな情報を出してまいりました。いまさら、であります。しかも! 真実を開示するかのごとき口ぶりで、なお虚偽を垂れ流しておるのです!

 広報官は言う。恐るべき人造病原体の、全銀河規模の感染拡大を防ぐべく、救援に向かったはずの艦隊は現地住民を鏖殺する羽目になったのだと。……否、否! なんたる恥知らずか! 事実はまったく違う!

 あめつちの狭間に生きる、万民よ聴け! フォルグ十億の民は誰ひとり、死ぬ必要などなかった!》

「おお……!?」

 救世主を見つけたような面持ちで、アンジェラはその熱弁に見入った。

 自分たちのように、当事者の記憶を覗き見たわけでもあるまいに。市井の身でここまで掴んでいるとは、並大抵の情報力ではない。やはり、居るところには人物が居るものだ。

 是非とも、このイスキリという活動家にコンタクトを取らねば――などと思いつつ、この投稿記憶を見せてくれたジェシーに感謝しようと視線を向ければ、本人はなにやら微妙な苦笑いで演壇を指し示している。

 続きを見ろ、ということらしい。

《……ドレクスラーは! フォルグ星圏で発見されたレーンシウム鉱床の利権を欲した! それを独占し……さらには星間国家ひとつを企業統治領として乗っ取るために、旧きナノテク兵器〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉を! 

 簡単な話だ。最初からすべて、自作自演だったのだッ!》

「……んん!?」

 そんな話ではなかったはずだ。首をひねるアンジェラの疑念に、横合いからミハイロヴィチが答える。

「覚えていることと思うが、〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉の出どころは離散紀の隠し武器庫か何かだったと言われている。それを鉱夫たちが再起動させてしまったのは完全な事故であって、この点は検証も済んだこと。ドレクスラーは後から便乗しただけだ」

「です……よね?」

 齟齬を抱えたまま、イスキリの告発はなおも続く。

《そうして救援艦隊に除染と称した虐殺を実行させ! フォルグの人民をほとんど絶滅させたドレクスラーは! いけしゃあしゃあと救済者を気取って復興事業を差配するようになり、名実ともに星圏の支配者となったのであるッ!

 ドレクスラーの資本投下により先進技術特区となったの地で、いま何が行われているか、みなさまはご存知であろうか? 虐殺によって民の怨念が染み込んだ星系空間に、集められた移民たちの役割は何であろうか?

 ……モルモットだ! いまやフォルグ星圏は、あらゆるおぞましき禁制技術の実験場と化した! 当地の住民は知らぬ間に、企業群から諸々のテクノ・ハラスメント攻撃を受けている。食品や水道水への無認可薬物混入! 医療機関での無許可神経制御チップ埋め込み! 自然災害に見せかけた気象兵器・人工地震・バイオ兵器などの威力テスト!》

「これは――」

 いま自分を鏡で見たら、さぞや蒼ざめた顔をしているのではないか。そんな思考の断片が、麻痺しつつあるアンジェラの脳裏を擦過した。

《技術特区で開発された暗黒のテクノロジーは、すでに連邦政府、企業連、さらにその上位にあるAI秘密結社イルミナティの手に渡り、全銀河で人類を脅かしつつある。

 あなたは最近、前触れもなく突然の頭痛に襲われる経験をしてはいないだろうか? 注意せよ! それは三百人委員会が仕掛けた人間性への侵略である。電磁波や超音波による精神攻撃で人々を弱らせ、思考盗聴を行いやすくする悪魔的謀略の初期段階である――》

「アンジェラちゃん、無理に理解しようとしなくていいからね」

「あっはい」

《権力者たちの精神検閲をこのまま許せば、収集されたビッグデータによって最適化された洗脳電磁波が、やがて支配のネットワークとなって宇宙を覆うこととなろう。そうして人類は自由意思を最後の一片まで剥奪され、知らぬ間に心もたぬ機械知性の奴隷となって、肉の歯車たるに甘んじるであろう!

 ……わたくしはその未来を、二十六次元世界に住まう〈存在〉たちからの啓示によって幻視いたしました。行動せねば確実に訪れる、それは運命であります。

 しかし邪悪な禁制技術の支配力には、物質界を超越した真なる科学の力で打ち克つことができる……今日はみなさまに、宇宙意識の叡智が発明せしめた精神防護システムをご紹介したい――》

「ドレクスラーと〝ハロルド禍〟の話はどこ行ったんでしょうか?」

「イルミナティうんぬんの前置きだったんじゃないかなー。にしても口調が安定しないね、この人」

《この装置は虚次元ヒルベルト波動ジェネレーターといって、内側の線のところまで水を入れておくだけで、サブプランク量子界に障壁力場を形成してくれる優れモノであります。思考盗聴を常に防ぐほか、電磁波攻撃や放射能、アストラル侵入に対しても完全な耐性を提供し、さらにピュアナチュラルプラズマイオンの血液浄化作用によって、病気予防・老化抑制の効果までも発揮するのです!

 先着百五十名までに、特別にこの装置を販売する用意があります。残念ながら無償とはまいりません。それは物質界の法則では計り知れぬ高次の波動経済原理により、対価なく購われた真科学製品には本質の力が宿らぬからです。しかしお値段は、いまならなんとたったの……》

「こっから先はただのネットショッピングだから、切るね」

「あっはい」

 ジェシーが再び指を鳴らすと、黄衣の翁と抽象的な天地の幻像ヴィジョンは消え去り、アンジェラはもとと変わらぬ艦長室の景色に取り巻かれている。

「いまの演説、ポイントはわかった?」

 アンジェラは黙って首を振る。

 初めのうちは、真実に限りなく肉薄する言説の鋭さを感じ取れるような気がした。〝ハロルド禍〟の真実にたどり着き暴かんとする、在野の有志かと期待を抱いた。

 だが途中からは、事実と異なる説明に混乱し、ただ雑然と流れてくる奇怪な用語の情報量に圧倒されてばかり。最後は加湿器めいた物体を売りつけようとするに至って、理解の意思も失せた。残ったのは、肩透かしの失望感だけだ。

「これはねえ、〝免疫形成〟っていう心理作戦の一種で――」

 ジェシーの語るところ曰く。

 最初はいかにも真実の告発者らしい切り口で語りだし、徐々に検証可能な誤謬を織り交ぜていき、最後は荒唐無稽な陰謀論や、見るからに胡散臭いセールスに話を持っていく――こうすることで聴衆は、初めに仄めかされた真実をも信じなくなるのだという。

「どうもね、エジモンド氏が星系ネットのあちこちにを残してたみたいで、その対策っぽいんだ。先手うって『〝ハロルド禍〟の虐殺はドレクスラーの陰謀だ!』とか言い出す人への不信感を根付かせておけば、たとえ本物の証拠データや告発文書が流出しても、大衆の偏見で圧し潰せるわけよ。『どうせまた詐欺師だろう』ってね。

 このイスキリって人は、政治系陰謀論とスピリチュアル界隈を跨いでちょっとした有力発信者インフルエンサーみたいになってる地下活動家なんだけど、まず間違いなく正体はドレクスラーの情報操作エージェント。ついでに言うと、コメント欄で口汚く罵り合ってる否定派と肯定派も、たぶんセットの仕込み。要は『関わると面倒な話題』って印象を第三者に与えるのが狙いだね」

 ようなものだ。古い童話の邪悪なパロディを連想し、アンジェラは身震いした。

「うわ……。あっ、でも、星系ネットの暗黒領域ダークスフィアは広大ですよ。この人ひとりの影響力では、さすがにカバーし切れないはず――」

「知ってる範囲だけで、こんな感じのが何十人もいるけど? 有名どころだと〝大統領死ね死ねおばさん〟とか、〝爬虫類人レプティリアンおじさん〟とか、〝ジョン・タイター五十五世〟とか……みんな一日中没入ジャック・インしたまんまで、一人一人がいくつもアカウント使い分けてる。プロの電脳工兵だよ」

のが……他にも……」

 情報戦と言えば、データや文書といった情報そのものを巡る戦いのこと――そのような先入観が、アンジェラの中にはあった。

 いかにセキュリティホールを衝くか。いかに機密を守るか。エルフェンバインの講義で教わった内容は、ある意味シンプルなルールに律せられたゲームだったと言える。

 ジェシーが見せてくれたこれは、ひとつ以上次元の違う話だ。

 情報を受け取り、解釈し、なにが真でなにが偽かを決める、人間という最終処理端末エンドポイントをハックするためのメタ情報戦。その扉が、いま自分の前に開かれている。

 光学迷彩ではなく認識阻害。見えていながら認識できず、目の前に隠れていたジェシー。

 復讐ではなく自殺のため。エジモンドの戦いを再解釈し、その意味を書き換えることで、行動までも操ってみせたルイス。

 彼らが垣間見せた技巧の遠い延長線上に、ドレクスラーの壮大な情報統制プロジェクトが聳えている。真実さえも単なるミームの一つに貶め、虚構の中に埋没させてしまう、正義なき異形の合理。

 勝てない、と悟った。

 いまの自分にできることは、何もない。

 このときようやく、アンジェラは敗北を認めたのである。

「……わかり、ました。捜査情報は、まだ公開できない。

 でも、だったら……! になれば公開できるんです? 状況が変わらなかったら、私たちはこのまま秘密を抱え込んで、犠牲者はこれからもずっと泣き寝入りですか!?

 そんなの、納得できませんよ……それじゃあ私は、何のために警兵になったのかさえ……!」

「私とて無念に思う。しかし、それが今の世界だ」

 大儀そうに首を鳴らし、ミハイロヴィチは溜息のような口調で言う。深く落ち着いたその声には、半泣きのアンジェラをも冷静にさせる重さが込められていた。

 予感と呼ぶにはあまりに強い直感が、少女の神経に囁く。

 本題なのだ、と。

「では、問題を認識してもらったところで――をしよう」

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