ハンス・フォン・ヴィンチェスター(3)

 眼前で出港する〝テオフラスト〟を見送り、軌道港で待たされること五時間。同じく乗り遅れた数十人とともに、人員回収用の連絡艇で主星を離れ、ハンス・フォン・ヴィンチェスターは〝テオフラスト〟に着艦した。

 格納庫で待ち構えていたヴィンチェスター社のエンジニアたちに、わざわざ出迎えとは殊勝なことだ――などと喜んだのも束の間。おざなりな一礼を寄越すや、彼らはハンスが運んできた戦闘支援ユニット〝ラフメイカー〟を貨物室から引っ張り出し、そのまま奥の区画へ運び去ろうとしていた。

 ふいに心細さを覚え、ハンスは戸惑う。その感情が、次の瞬間には恥辱と自嘲の混合物に変じている。

 ――ぼくはあのポンコツAIに慰めを見出していたわけか。親に愛されない子供が、おもちゃを友達に見立てた空想の世界で遊ぶように……。

「おい! 待てよ、お前ら……ぼくが着いたらどうするとか、聞いてないのか?」

 咄嗟に呼び止めると、社員の一人が若干の言い訳がましさを滲ませながら答える。

「はあ、その、坊ちゃ……ハンス様につきましては、〝機体に関わること以外で世話を焼くな〟と、オットー様から言われておりまして……」

 ハンスは絶句した。

 父は、そこまで疎んでいるのか。役立たずの末子である自分を。

 乗艦後の具体的なスケジュールについては、軍事的な情報であるからと、事前に聞かされていなかった。そこはいい。が、であるなら当然、現地で誰かが説明するものと思っていた。機体の運用スタッフも乗り込んでいることだし、ヴィンチェスターの社員の誰かが世話役を担当するのだろうと。

 いかに一族の中では不出来な器と言えど、家紋形質ファミリーマークを頭上に戴く銀河貴族の令息が、まさか何の接待アテンドもなく放り出されることなどあるまいと――まったく自然に、そう思っていたのである。

「なっ……じゃあ、ぼくはこれから、どうすればいいんだ?」

「ええ? はあ、さあ……とりあえず私たちはこいつを〝ストームブリンガー〟に組み込まないといけませんので。

 のちほどQFIの調整やなんかでハンス様にもご協力いただくかとは思いますが……お呼び立てするまではどうぞ、ご自分の判断で行動なさってください」

 一礼して、社員はハンガーへ向かう仲間の後を追った。

 冷淡な物言いのようだが、この社員は会社にもハンスにも最低限の義理を通している。

 余計な世話を焼くな、と最高経営責任者CEOが指示したのだから、具体的に〝艦長に挨拶しろ〟とか〝自室を確認しろ〟とかいったアドバイスはできない。しかし何をすればいいか全くわからず途方に暮れている様子の少年に、〝おまえはいま自分の判断で動いていいのだ〟とヒントは与えた。

 父は自分を憎むがゆえに粗略な扱いをするのだ――というハンスの被害妄想さえ抜きにして見れば、手出し無用の指示も、世間知らずの子供に単独行動の経験を積ませようという教育的判断である。

 実家では家族に従えばよかった。ハンスが何も言わぬうちに些事を片付けてくれる使用人たちもいた。かつて通ったブランスタッド大学では、許嫁や学友たちが勝手に振り回してくれた。

 これまで二十一年間の人生に、ハンス・フォン・ヴィンチェスターがほんとうの意味で独歩せねばならぬ生活というものはなかった。

 いま、ハンスは初めて独りで他人の中に立ち混じり、働きを以て居場所を確立しなければならない。曲がりなりにも大企業の経営者一族として育てられてきた男が、まったく畑違いの、軍事警察機構の中でだ。

 踏み出すべき第一歩は、おそらくシンプルだった。

 右も左もわからぬ。新任のエグザクターが、乗艦早々何をすればよいのか、まるで想像できぬ。自然である。人並みの社会経験もなく、常識に乏しく、言い含められた指針もない。何もわからなくて当然と言える。

 自分ひとりで考えてわからぬのだから、人に訊けばよかった。

 本来なら経営血族の威光で多少の無茶も利かせられたはずのヴィンチェスター社員は、CEOオットーの命令で助けになってくれない。されど、他の乗組員にまで手が回っているわけではないのだ。

 非正規の一時配属とはいえ、新人警兵の相談に乗っていけない理由はない。誰ぞ話を聞いてくれそうな者を見つけて、かくかくしかじか、どうすればよかろうかと、恥を忍んで訊けばよかった。

 ただそれだけのことが、ハンスには不可能だった。

 生まれながら、貴人であるはずの己が。凡俗ならば無条件でこうべを垂れて然るべき、禁制技術守護者の末裔たるこの身が。

 なにゆえテクノロジーのでしかない一般庶民に、無知な子供のごとくものを訊ねなければならぬのか。

 そんな貴族的傲慢さえ定かには自覚し得ぬ、混乱した思考の中でハンスは決断する。

 

 しばらく様子を見ていれば、何とかなるだろう。誰かが気付いて声をかけてくるはずだ。

 当主位を継ぐ予定のない末弟とはいえ、ヴィンチェスター財閥の御曹司である自分にとって、情報とは与えられるものではなく、捧げられるべきもののはずである。そのような結論に至って、彼は〝行動しない〟言い訳を己に納得させた。

 待っていれば状況が好転するかもしれぬ。しなくとも、行動しないのだから責任は己にない。失敗も挫折もなく、悪いのは常に他の誰か。それが、自らも知らぬまま形作ってきた、ハンス・フォン・ヴィンチェスターの処世術。

 問題解決の役には立たない。現実を変える力は何ら生み出さない。しかし幼いままの心ひとつだけは、かろうじて守れる。

 否定されることに慣れ切ってしまった子供が、成年を過ぎてなお世界との間に纏う、諦観と無気力の殻であった。


 果たしてハンスのもくろみ通り、救いの手は向こうからやってきた。ただし、まったく嬉しくない形で。

「よぉーう、坊主ゥ。こんなとこで何やってんだ? 迷子じゃねえよな?」

 突如、背後から大声で話しかけられたと思うや、ハンスは二本の太い腕で持ち上げられていた。

 泡を食って振り向けば、目に入るは黒い肌、金髪、サングラス。白い歯を見せて笑う巨漢の不審者。周囲が作業服や警兵服のクルーばかり行き交う中で、筋骨隆々たるアロハシャツの男が子供に絡んでいる。少なくとも見かけ上はそうである。不審どころではない。官憲に通報すべき事案だ。そもそもこの艦こそ、天翔ける官憲の城ではあるのだが。

 大声を出すか、緊急救難信号を発信するか。真剣に悩むも、プライドが邪魔をした。

 なぜ自分が助けを求めねばならないのか。

 むしろ周囲の者が貴人の危機を察して、自発的に助けるべきではないか。

 恐怖と屈辱の板挟みになって動けぬハンスを、黒人の男は気づかわしげに床へ下ろした。叫びもせず硬直してしまった白髪の少年が、どうやら真剣に怯えているらしいと察したのだ。

「あー、その、すまん。そんなにビビると思ってなくてなあ。

 俺ぁエドワード・ローレンス。傭兵で、シングラル・アクターだ。この艦には実戦試験機操手エグザクターとして乗ってる。坊主は何もんだい……」

「ば、だ、誰がビビってるんだよッ! ぼくだってエグザクターだ!

 所属はヴィンチェスター・クリークス・マティーリエ、手続きは会社から通ってる! 確認してみれば、わかることだ!」

 見透かされた羞恥を怒りで押し隠し、ついでにハンスはこのローレンスなる男に然るべき行き先への案内をさせようと試みた。

 どうやら〈眩雪スノーブライト〉を知らぬらしいとはいえ、銀河貴族を蔑ろにする度胸はあるまい。自分がヴィンチェスター家の係累であり、正規のクルーとして乗り込んでいることを確認すれば、艦長なり直属の上官なりに報告ぐらいはする。そこまで話が行けば、あとは責任者が勝手に飛んでくる。

 悪くないプランだ、と自画自賛する。やはり文明の枢機を担うべく生まれた一族の者は、自分があくせく働くのでなく、人を働かせる術こそ磨かなくては――。

 などと思っていると。

「ほーん、フゥム、なるほどねぇ……? 素人のお坊ちゃんを送り込んできたとなると、機体の方に仕掛けがありやがるな。あとは政治のあれやこれや、か……よォし、わかった」

 仮想視界で何かを操作していたエドワードが、今度は片腕でハンスを抱え上げる。

 そのまま矮星族の短躯を小脇に挟んで、ずんずんと格納庫の一角へ歩き始めた。

「はあッ!? おい、どこ行く気だ――」

「お前さんがアクターなら、まずは同僚と親睦を深めなきゃあな!」

 もちろん、それはエドワード・ローレンス独自の流儀に過ぎないのだが、このときのハンスにそんなことを指摘できる分別も度胸も、あるはずはなかった。


 そうして操手アクター控え室へ連れ込まれて、しばし。

 ようやく乗り込めた艦を、ハンスは早くも降りたくなっていた。

「戦闘ログは見させてもらったよ。なるほど〈屠人鬼スローター〉なんて仰々しい二つ名がつくだけのことはある。たいした射撃の腕だった」

「おたくの方もな。あのイカレた〝流舞ドリフト〟、人に教わったもんじゃねえだろ。死ぬか殺すかの戦いを、飽きるほどくぐって研ぎ上げた技だ」

 ハンスの前ではエドワードともう一人の男が互いを称え合い、しかしどこか剣呑なまなざしで互いの器量を探り合っている。さらにその様子を、向かいの壁際に男が、微笑んで見ている。

「で、実際のとこ、どうなんだい……あんたホントはあの反応弾、どんな軌道で撃ってこようと、全弾落とせたんじゃないのかね。もしくは一発目を撃つ間も与えず、船の方をやっちまうのだって簡単だったはずだ」

「さて、どうかな……できると思っていても、リスクを避けるに越したことはない」

「はっは。否定はしねえ、と。俺ぁてっきり、可哀想な〝ヴァーニイ〟に情けを掛けてやったのかと思ったんだがね」

「しょぼくれたテロリストのおっさん一人に、手の込んだゲームまで持ちかけて、わざわざ死出の花道を用意してやったって? 買いかぶるなよ。そこまで情の篤い人間だったら、グラディアトールなんぞに堕ちてやしないさ」

 ――駄目だ、ここは。まともな人間がぼくしかいない。

 ハンスは早くもそう結論付けた。手前の二人は、実家でときおり見かける裏社会あがりの警備員と似て、暴力に慣れた人間の刺々しい威圧感を放っている。奥の男は表情こそ穏やかだが、拘束バンドで全身巻かれた上に両手を電子手錠で固められているとなれば、その静穏さはいっそ不気味だ。

 そんな連中が、今回の航海で〝テオフラスト〟に乗り込んでいる実戦試験機操手エグザクターであるという。ハンスとともに最新鋭の実証試験機を駆って戦う、〝同僚〟であるという。

「今回襲ってきた連中、〝聖人〟にしては手ぬるい攻め方だった。何かの時間稼ぎか、戦闘データの収集あたりが目的じゃないかと思うんだが」

 薄汚く目つきも悪い懲罰特務兵グラディアトール、ルイス・ルービンシュタイン。

「ありそうな話だ。主星系で鮮度の高い実戦データが取れることなんざ滅多にない。ドレクスラーが黒幕だとするなら、存外この艦の現行スポンサー連中にもログを売りつけてるかもな」

 なにやら不穏な異名を持つらしい傭兵、エドワード・ローレンス。

「二個小隊の刺客も、戦闘用の〝聖人〟としては明らかに低スペックの個体ユニットでしたね。この艦を本気で沈めるつもりなら、もっと戦闘経験を積んだ個体や、人格矯正以上の強化改造を受けた個体が差し向けられたでしょう」

 明らかに危険物の扱いを受けている〝聖人〟、ヘルマン30シルアーティ

 ――なんだ、この面子は。うまくやっていけるはずがない。

 来るのではなかった。自分はなぜこんなところにいるのか。ハンスは身を縮めて、存在感を消そうと努めた。シングラル・アクターなど、所詮は殺人のための兵器を扱う職業。いかにも野卑で胡散臭いこの連中を、仲間などと呼べる日が来るとは思えない。

 今後を思い、暗澹たる心地に沈むハンスをよそに、三人の男たちはなにやら艦の緊急発進に絡むらしい話をしている。

「……しかし送ってきた刺客が見せかけだとするなら、ドレクスラーはどうやって〝ハロルド禍〟の真相を隠蔽するつもりなのかねえ。赤毛の嬢ちゃんが引っ張り出したって記憶データ、ありゃ相当の爆弾だぜ」

「そんな爆弾を、よりにもよってミハイロヴィチ・ディミトロフに持たせたまま、何の措置も講じないわけはない。最低でも、起爆できんように湿くらいのことはするだろう。問題はその、具体的な手段だが……」

「――これが、そうなのでは?」

 ヘルマンがその場の全員に見えるよう投影したウィンドウには、ハンスも知る大手ニュースサイトが映し出されていた。当然、星間企業の息がかかった御用報道機関である。

 なにやら緊急特別報道企画が組まれているらしく、毒々しい色と派手なフォントの見出しが画面から飛び出してくる。リンクに触れれば個別記事に飛ぶのだろう。

 見出しをざっと流し読んでみたが、やはりハンスには文脈がよくわからない。


 【白昼戦慄! 空前の禁制技術兵器テロ、未然阻止さる】

 【核武装船はおとり 本命は七機の人型全領域戦闘機シングラル

 【エジモンド容疑者 十数年にわたる密輸常習犯か】

 【共犯のネグリ容疑者 取り調べ中に自殺】

 【着任初日で凶悪テロリストを撃破 〝銀河貴族〟お手柄女性警兵】


 つい先ほどまで起きていた事件の情報統制が解除され、報道が始まったということらしい。

 が、そうかと思えばずいぶん昔の事件に触れていたり、星間企業の名前が出てきたりもする。


 【二十二年前の悲劇〝ハロルド禍〟の真実!】

 【〝高強度緊急危機管理手順カルネアデス・プロトコル〟発動 非情の決断は妥当か?】

 【消えた責任者、オーラシュトーノ氏の行方は】

 【ドレクスラー社 事実無根の中傷には断固たる措置との表明】

 【活発化する陰謀論 反社会的勢力のプロパガンダに警戒を】


 反応に困ったハンスは、〝同僚たち〟の顔を掠め見た。

 蓬髪のグラディアトール、ルイスは苦々しげな笑みを。巨躯の傭兵、エドワードは呆れ半分、感心半分といった微妙な表情を。袋詰めの〝聖人〟、ヘルマンはまるで内面の読めない微笑を。それぞれ浮かべて、ぽつぽつと意見を交わしながら、記事や動画を追っている。

「オイオイオイ……こりゃ、いいように踊らされたか?」

「ドレクスラー以外の主要な企業からも、次々と声明が出ていますね。犠牲者に哀悼、テロへの不服従、遺憾の意……みな、本部のシナリオに乗ったようです」

「いくらなんでも企業連の根回しが速すぎる。裏にな。

 しかし……〝黄金石オーラシュトーノ〟とはまた、パブリック・エネミーにお誂え向きの名前じゃないか。なにやら運命を感じるよ」

「……なあ、ちょっと、誰か説明してくれよ。これ何なの? アクターが気にしなきゃいけないことなワケ?」

 ついに焦れたハンスが、誰にともなく噛みつくように言う。

 三白眼に面白がるような光を閃かせ、ルイスが応じた。

「シングラルに乗って戦うだけが能でよければ、ニュースなんぞ気にしなくてもいいがね。仮にもエグザクターとして、星間企業の製品を預かってる以上は、自分の浮いてる流れくらいは読めた方がいいさ。

 で、お前はなんだ。まだ自己紹介を聞いていないぞ」

 切り返され、墓穴を掘った気分になるのも一瞬。ハンスはこの無礼な刑徒への反感と意地を支えに、渾身の気力で名乗りを返す。

「……ハンス・フォン・ヴィンチェスター。〝ストームブリンガー〟のエグザクター。、銀河貴族だッ!」

「んなこた家紋形質ファミリーマークを見ればわかる。〈眩雪スノーブライト〉だろ、それ」

 いかにも興味なしと言わんばかり、即答するルイス。かちんとくる前に、まずハンスは唖然とした。

 ――こいつは馬鹿なのか? 死にたいのか?

 こちらがヴィンチェスター一族の者と認識している。ならば銀河貴族のを、知らないわけではなかろうに――。

「ついでに言っとくと〝銀河貴族〟ってのは、もともと禁制技術管理者の無体すぎる特権を諷刺する意図で、一般庶民が呼び始めただ。いまじゃ気にする奴も少ないが、本来なら自称するもんじゃない。

 ……ああ、そうそう。この報道が何なのか、説明してほしいんだっけ?」

 ハンスの困惑を見透かしてか、否か。

 皮肉めかして歪めた唇から、ルイスは彼なりの〝要約〟を吐き捨てる。

「そうだな。事情を了解してないお坊ちゃまにもご理解いただけるよう、一言でまとめると、こいつは――

 ってやつだよ」

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