間章:〈万象庭園〉
「白い方が勝つわ」
白と黒の巨人機たちが飛び交い、命を削り合う虚空の戦場。その光景を仮想視界いっぱいに映しながら、少女は得意げに告げた。
傍らに立つ少年は何らの感銘も受けた様子なく、淡々と応じる。
「三対一の戦力差があっという間に一対一まで詰められるところを見ていれば、誰でもそう思うでしょうな」
虚像の
家紋形質〈
「もともと倒される前提で弱兵を送ったのだもの。結果なんて、あたくし初めからわかっておりましてよ、キム大監帥」
外見相応、幼く愛らしい抗議のしぐさに、外見不相応も甚だしい色香が匂う。容姿とかけ離れた実年齢を窺わせる、甘く爛れた毒気。
年経た
実体を持ってきていれば数倍の緊張を強いられたであろうが、いまはドレクスラー本社地下のここに、主星から超光速回線を繋ぎ、低解像度の投影体を飛ばしているだけだ。銀河系最大の企業グループを率いる女帝との面会にしては、気楽なものだった。なにせ失言で女当主の機嫌を損ねるようなことがあっても、第七惑星から生きて帰れなくなる心配をしなくて済む。
「予言者の真似なら、せめて戦闘開始前になさるべきでしたな……しかし、本当によろしいのですか」
「可愛げのない子ね。で、なにがよろしくないの?」
「彼らをここで、永遠に黙らせてしまわなくともよいのか――という話です」
口に手を当て、フォルカステは艶やかに微笑する。
「初手で盛大に読み違えた監帥会議の面子を、せっかく弊社が保ってさしあげようというのに。ご不満なのかしら」
フリードリヒは冷たい愛想笑いを返す。表情ほどに余裕はない。畏怖と戦慄を悟られぬための沈黙。
本当は、今日の事件すべてが、この女の掌の上で起きていたのではないか――そうも疑いたくなる。
むろん被害妄想に過ぎない。ヴァナー・エジモンドの特攻は、主星系の誰にとっても青天の霹靂だった。フォルカステが事前に察知していれば、表沙汰になる前に攻撃計画ごと闇へ葬っているだろう。
それでも現在、後手に回ったはずのドレクスラーは彼女の采配でリスク管理を回復しつつあり、CJPOへの発言力を強めるというリターンまでも得ている。結局は、一石で二兎を獲った形だ。
鹵獲品の〝エスカリボール〟七機を即決で使い潰す果断さ、果たして監帥会議の誰に真似できようか。フォルグ星圏を
一方で、禁制技術テロに乗じて蠢動する〝敵〟も、決して与しやすくはない。
「まあ、仕方ないわ。試運艦なんて利権の塊、うちの都合で積荷ごと沈めるとなれば、関係各社の恨みを買うもの」
おそらく試運艦〝テオフラスト〟は、意図して多くの企業を利害構造に巻き込んでいるのだろう――面白がるような口調で、そうも示唆する少女。
その点はフリードリヒも同意見だった。偶然にしては、あの艦をめぐる企業間のパワーバランスは釣り合いが取れすぎている。スポンサーの選定、受け入れ資材の配分、すべてが計画的であったはずだ。
利害関係者が互いに牽制し合って生まれる政治力学的真空を、保身のためのバリアとして利用する。こうした小賢しい発想は、堅物のミハイロヴィチ・ディミトロフでは思いつかない。まず十中八九、トマス・カノーヴァの指し手であろうと察せられた。
「それにね。いまさらあの艦を墜としても、意味は薄いの」
フォルカステの前に、数枚の投影窓が浮かぶ。
映し出されたデータは、進行中の事件に関する調査レポート。主犯ヴァナー・エジモンドの住所、生年月日、職歴といったありきたりの個人情報から、警兵リザレス・ネグリの供述などを元に組み立てた犯行動機、テロ計画の概要まで。現場の〝テオフラスト〟が様々な手段で集めたものと遜色ない精度の情報が揃えられている。フリードリヒが大監帥の権限で提供した捜査情報もあったが、多くはドレクスラー独自の情報網による成果らしい。
さらに、〝テオフラスト〟が未だ掴んでいないであろう事実への言及もある。
「
フォルカステがちらりと目を向けた先の窓には、エジモンドが星系ネットに潜伏させていた時限式ウイルスの解析結果が表示されている。
それはひとたび起動すれば、動画、音声、文書、全感覚記憶――様々な形式の証拠データとともに、ドレクスラー・コーポレーションの悪事を告発するようプログラムされたものだった。
「ウイルスそのものは検閲ワームで対処できる。けれど今回こちらがやったように、
結局、すでに情報は漏洩しつつある、という前提で対処するしかないのよ」
証拠の中には、当然〝ハロルド禍〟の真実も含まれる。
当時から現在まで、CJPO最上層部にすら共有されていなかった暗黒の機密。その詳細を暴かんとするデータは、エジモンドが何者であるかも同時に物語っていた。
「まさか除染の現場に居合わせた当事者とはね……虚仮の一念、というものかしら」
「フォルグで死んだ十億の大半が無駄な犠牲で、そこに自分の愛妻まで含まれていたとなれば、一介の鉱山技師が復讐に狂いもするでしょうな」
フリードリヒも二十二年前の〝
しかし――星間世界が恐れる〝虹沙の魔女〟フォルカステ・アーレブリュートに、及び腰の当てこすりなどは通用しない。
「ひどいことをおっしゃるのね。決して無駄ではなくてよ。
わが社の利益に還元できたもの」
平然とのたまう声を聴くフリードリヒの中に、義憤などは一片も湧き起こらなかった。彼はただ後悔し、自省しただけである――こういう女だったと。つまらぬ感情に浮かされて、愚かなことを口走ったと。
この世に本当の無駄があるとすれば、人間の分際で怪物に立ち向かおうなどと思ってしまう出来心こそ、まさにそれだ。
「そんなことより……おわかりかしら、キム大監帥? エジモンド氏と接触した〝テオフラスト〟が、実際どこまでの情報を手に入れたかはともかく、口封じが有効な段階はもうとっくに過ぎてしまっていたわけ。だったらこちらは、次善の策で情報防疫を図るまで……封じ込めに失敗したなら、大衆の方に免疫を与える。真実というミームに対するワクチンね。
せっかくの〈
「……なるほど。そのための刺客でもあったと」
ちらり、と。
気を取り直したフリードリヒは、交戦空域に意識を向ける。
残り一機となった黒の〝エスカリボール〟は防戦に徹し、逃走の隙を窺うかのような粘りを見せているが、実際は撤退など許可されていない。善戦して、少しでも多くの戦闘データを収集し、撃墜されるところまでがあれらの仕事だ。
「初動のリカバリと事後処理の根回し。同時に済ませるための仕掛けと思えば、〝聖人〟とシングラルの二個小隊くらい、安いコストよ。
そういうわけだから、CJPOは当初のシナリオで通してちょうだいな。それで万事、丸く収まるわ」
主星系内に所属不明のシングラルが出現し、試験運用中の最新鋭機によって撃破される。その事実はヴァナー・エジモンドの復讐劇に異なる意味と価値を彩り、新たな解釈可能性を生み出してゆく。
マクロスケールで行われる、物語の
ほんの一瞬だけ、フリードリヒはエジモンドという男を哀れんだ。不幸な境遇を、ではない。〝正しさ〟の決定権そのものを握る相手に、正義で挑もうとした復讐者の、身の程を知らぬ愚かしさが不憫だった。
「いつもながら、一手で二矢三矢を放たれる御方だ。おかげでカノーヴァ派に、最後まで先手を取られずに済む」
「〝カノーヴァ派〟、ね――」
その名を繰り返したフォルカステの声に、かすかな屈託が混じる。薄い唇は歪んだ弓のごとく微妙な形で反り、拗ねているようにも、自嘲の笑みを浮かべているようにも見えた。
「
「そうお思いならば、定例会の議題にかけて、〈劫院〉全体の方針として排除を決めてしまわれては?」
「でも、シャーロットなのよねえ」
つまるところ問題はそこなのだ、と言わんばかり、フォルカステはその名に特別めかしたアクセントを置く。
「あの子が定例会に出てきてくれれば……いえ、せめてあたくしとの
「二百年前でしたか。当時の天律卿の一派が〈
ふん、と形のよい小鼻を鳴らし、幼形の女帝は嗤った。
「とっくに粛清された馬鹿のことなんか、あの子が気にしているものですか。
単に、あのとき方針が変わったのよ――同志たるあたくしたちに対してさえ、中立の姿勢で裏方に徹する。結果的にはそれが、経済を健全化することにもなるからと……神の手は見えざれかし、というわけ」
「脳ではなく、心臓の役割を買って出られた次第、と――。
しかし中立と申されるなら、それこそカノーヴァ上級邏将の行動は、本家の意向を逸脱しておりましょう。大義名分は立つと思われますが」
「〝思われますが〟――で分家を叩いて、それがシャーロットの財政プランを台無しにしてしまう行為だったら、あなた、どうなるとお思い? ことによると、冗談抜きに、銀河系が割れますわよ」
「……過大なリスクですな。唆すような発言、失礼いたしました」
謝辞とともにフリードリヒは頭を下げ、流れ落ちる藍髪で表情を隠した。投影体とはいえ、〈
この銀河に生きるすべての人々の命運は、突き詰めれば二人の老いた魔女によって握られているのだ――。
フリードリヒの口許が、自虐的な笑みを形作る。己が〈劫院〉の御用伺いに過ぎぬことを自覚していても、この世界観は度し難くナンセンスと思われた。
「焦る必要はないわ。分家の動きがシャーリイの
むしろ見た目通りのパターンが問題ね。勝ち目がないのを承知していながら、はぐれ者や予備役まで集めて、第三勢力を形成する意図が解らない……」
「〝テオフラスト〟にはトマス・カノーヴァの娘も乗り込んでおりますゆえ、ハルニカへの寄港もあり得るかと。そのときはこちらの手の者を通じて、シャーロット殿に真意を問う機会も作れましょう」
「……トマスちゃんの、娘?」
首を傾げる少女。意外なところに興味を示されたことを訝りつつ、フリードリヒは続ける。
「
フォルカステの視線が、補助脳の描く幻天をさまよう。話しているうちに、急加速と急旋回を繰り返す〝ノーバディ〟を見失ったものらしい。
かつて前線で超高速度域の戦闘を指揮していた経験から、フリードリヒは辛うじて、白亜の機体が曳く光跡を追えている。それでも、ルイス・ルービンシュタインが〝
「とうに失伝したはずの
呟く少年の視線を追って〝ノーバディ〟を再捕捉したらしいフォルカステが、異様な軌道を描く白影から目を離さぬまま、訊いた。
「――その、アンジェラって子の資料、見せてくださる?」
本来なら、個人情報の閲覧は正当な理由なくして許可されない。しかしこの場合、〝正当な理由〟とはすなわち目の前の女の意向だ。フリードリヒは否やもなく、CJPOのデータベースからアンジェラ・カノーヴァの情報を取得し、フォルカステのローカル
「あら――」
投影窓に、燃え立つ赤髪の少女が映った瞬間。
「あらあらあらあら。うふふふ――」
フォルカステの頬が、崩れるように緩んだ。
熱を帯びて仄赤く染まる、恋を見つけた乙女のような微笑み。可憐であった。無邪気と見えた。これまでにフリードリヒ・キムが見てきた人間の表情で、最も恐ろしい貌だった。
「そう――そういうこと――ああ、ええ、わかるわ。とても合理的。たしかに、現体制を打ち倒そうというなら、それが最善手――」
不穏なことを呟きながら、小さな魔女が顔を上げる。紫電の色で仄光る髪を右へ左へ打ち振り、〝ノーバディ〟の飛跡に視線を這わせていた。そうしていれば、白光の中に焔の赤が透かし見えるとでも期待するように。
「けれど――けれどね。不可能なのよ、トマスちゃん。その
くすくす、くすくす――
時ならぬ寒気にフリードリヒがじっと耐える中、軽やかな笑声をひとしきり鳴らしたフォルカステは、急に機嫌を良くして言う。
「……もう、いいわ。いちおう〝テオフラスト〟の監視は続けて。でも、きっと深刻な脅威にはならないと思う」
「それは……カノーヴァ派の目論見が読めたということでしょうか?」
「計画だけじゃなく、結果までね。〝テオフラスト〟がハルニカまで無事に辿りつけたとしても、彼らが体制を揺るがすことは決してない、と保証するわ」
あまりに飛躍した断言。根拠について説明される気配がないのを感じ取り、フリードリヒは敢えて深く訊かないことにした。余計な秘密を抱え込まないのは、面倒事を避けるために学んだ処世術の一つだ。
それでも、フォルカステが詠うように呟く言葉は、不吉な響きを伴って仮想の聴覚に滑り込んでくる。
「可哀想な子たち。あたくし以外の誰も、シャーリイと対等ではないというのに……」
シャーリイ、と旧友の愛称を口にするとき、フォルカステの声にはいつも恍惚の吐息が混じる。その理由の一端を、フリードリヒはこのとき洞察し得たような気がした。
数多ある禁制技術のうち、最も汎用性が高く、最も危険な技術の一つが分子ナノテクノロジーだ。その管理者たるドレクスラーの女帝は、確かに銀河貴族の中でも一線を画した地位にある。
事実なのだろう。彼女と対等であり得る者など、この銀河のどこにもいない。――ただ一人、〝業貨の魔女〟シャーロット・フランシスカ・カノーヴァを除いては。
「さあ、もうじき余興も終わるわ。後始末の方をよろしくね。あたくし、大統領から緊急連絡があった件で、このあとも忙しいの」
情報伝達は済んだ。愚痴も自慢話もたっぷり聞かせて気が済んだ。もう用はないから、仕事に戻れ――概ね、そんな意味である。
一礼して通信を終えようとする瞬間、フリードリヒの横顔を光が打つ。向ける目の先、消えゆく投影界が最後に映した像は、フォルカステが予言した通りの光景。
「……アクターはともかく、機体の方に特筆すべき点は見当たらんようだが」
――エル研はあの〝ノーバディ〟で、いったい何をテストしようとしているのだ?
三機目の〝エスカリボール〟が大剣に貫かれ、そのまま内側からの光子砲撃に灼かれて散滅する。戦果としては非凡でありながら、完全に予定調和の決着だった。
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