間章:〈万象庭園〉

「白い方が勝つわ」

 白と黒の巨人機たちが飛び交い、命を削り合う虚空の戦場。その光景を仮想視界いっぱいに映しながら、少女は得意げに告げた。

 傍らに立つ少年は何らの感銘も受けた様子なく、淡々と応じる。

「三対一の戦力差があっという間に一対一まで詰められるところを見ていれば、誰でもそう思うでしょうな」

 虚像の宇宙そらを背景に、ネオンライトめいた微光がさらりと揺れる。ほのかに紫光を放つ、なめらかな桃色の長髪。

 家紋形質〈傾星恋燈カブキネオン〉――その貴彩を冠する少女、ドレクスラー・コーポレーション最高経営責任者CEOフォルカステ・アーレブリュートは、つややかな頬を膨らませてみせた。

「もともと弱兵を送ったのだもの。結果なんて、あたくし初めからわかっておりましてよ、キム大監帥」

 外見相応、幼く愛らしい抗議のしぐさに、外見不相応も甚だしい色香が匂う。容姿とかけ離れた実年齢を窺わせる、甘く爛れた毒気。

 年経た矮星族ドワーフの女が放つ魔的な魅力に、外見だけなら年上の少年は、ただ慣れた様子で肩をすくめた。短く切り揃えられた髪の色彩は青藍。家紋形質〈藍玉要塞フォートインディゴ〉――大監帥セノ・マージェナーフリードリヒ・イトウ・キム、彼もまた武門を司る銀河貴族の老骨である。の媚態をわざわざ真に受けて動揺する、などという隙は見せない。

 実体を持ってきていれば数倍の緊張を強いられたであろうが、いまはドレクスラー本社地下のここに、主星から超光速回線を繋ぎ、低解像度の投影体を飛ばしているだけだ。銀河系最大の企業グループを率いる女帝との面会にしては、気楽なものだった。なにせ失言で女当主の機嫌を損ねるようなことがあっても、第七惑星から生きて帰れなくなる心配をしなくて済む。

「予言者の真似なら、せめて戦闘開始前になさるべきでしたな……しかし、本当によろしいのですか」

「可愛げのない子ね。で、なにがよろしくないの?」

「彼らをここで、永遠に黙らせてしまわなくともよいのか――という話です」

 口に手を当て、フォルカステは艶やかに微笑する。

「初手で盛大に読み違えた監帥会議の面子を、せっかく弊社が保ってさしあげようというのに。ご不満なのかしら」

 フリードリヒは冷たい愛想笑いを返す。表情ほどに余裕はない。畏怖と戦慄を悟られぬための沈黙。

 本当は、今日の事件すべてが、この女の掌の上で起きていたのではないか――そうも疑いたくなる。

 むろん被害妄想に過ぎない。ヴァナー・エジモンドの特攻は、主星系の誰にとっても青天の霹靂だった。フォルカステが事前に察知していれば、表沙汰になる前に攻撃計画ごと闇へ葬っているだろう。

 それでも現在、後手に回ったはずのドレクスラーは彼女の采配でリスク管理を回復しつつあり、CJPOへの発言力を強めるというリターンまでも得ている。結局は、一石で二兎を獲った形だ。

 鹵獲品の〝エスカリボール〟七機を即決で使い潰す果断さ、果たして監帥会議の誰に真似できようか。フォルグ星圏を即興アドリブで滅ぼした女の機転と実行力は、未だ衰えず怪物の域にある。

 一方で、禁制技術テロに乗じて蠢動する〝敵〟も、決して与しやすくはない。

「まあ、仕方ないわ。試運艦なんて利権の塊、うちの都合で積荷ごと沈めるとなれば、関係各社の恨みを買うもの」

 おそらく試運艦〝テオフラスト〟は、意図して多くの企業を利害構造に巻き込んでいるのだろう――面白がるような口調で、そうも示唆する少女。

 その点はフリードリヒも同意見だった。偶然にしては、あの艦をめぐる企業間のパワーバランスは釣り合いが取れすぎている。スポンサーの選定、受け入れ資材の配分、すべてが計画的であったはずだ。

 利害関係者が互いに牽制し合って生まれる政治力学的真空を、保身のためのバリアとして利用する。こうした小賢しい発想は、堅物のミハイロヴィチ・ディミトロフでは思いつかない。まず十中八九、トマス・カノーヴァの指し手であろうと察せられた。

「それにね。いまさらあの艦を墜としても、意味は薄いの」

 フォルカステの前に、数枚の投影窓が浮かぶ。

 映し出されたデータは、進行中の事件に関する調査レポート。主犯ヴァナー・エジモンドの住所、生年月日、職歴といったありきたりの個人情報から、警兵リザレス・ネグリの供述などを元に組み立てた犯行動機、テロ計画の概要まで。現場の〝テオフラスト〟が様々な手段で集めたものと遜色ない精度の情報が揃えられている。フリードリヒが大監帥の権限で提供した捜査情報もあったが、多くはドレクスラー独自の情報網による成果らしい。

 さらに、〝テオフラスト〟が未だ掴んでいないであろう事実への言及もある。

本社ここへの核攻撃が失敗した場合に備えての保険か、それとものつもりだったのか……いずれにせよ、こんなものが見つかった以上、同じような仕掛けが他にいくつあっても不思議はないわ」

 フォルカステがちらりと目を向けた先の窓には、エジモンドが星系ネットに潜伏させていた時限式ウイルスの解析結果が表示されている。

 それはひとたび起動すれば、動画、音声、文書、全感覚記憶――様々な形式の証拠データとともに、ドレクスラー・コーポレーションの悪事を告発するようプログラムされたものだった。

「ウイルスそのものは検閲ワームで対処できる。けれど今回こちらがやったように、活性化アクティベート前のファイルを第三者が解析してしまえば、データがどこまで流れていくか解らない。

 結局、すでに情報は漏洩しつつある、という前提で対処するしかないのよ」

 証拠の中には、当然〝ハロルド禍〟の真実も含まれる。

 当時から現在まで、CJPO最上層部にすら共有されていなかった暗黒の機密。その詳細を暴かんとするデータは、エジモンドが何者であるかも同時に物語っていた。

「まさかの現場に居合わせた当事者とはね……虚仮の一念、というものかしら」

「フォルグで死んだ十億の大半がで、そこに自分の愛妻まで含まれていたとなれば、一介の鉱山技師が復讐に狂いもするでしょうな」

 フリードリヒも二十二年前の〝高強度緊急危機管理手順カルネアデス・プロトコル〟発動を知りながら、今日までその悲劇的な必要性を疑わずにきた将帥の一人である。真相を知ったからとて、いまさらドレクスラーに楯突こうと考えるほど幼くはないが、嫌味の一つも言いたい気分ではあった。

 しかし――星間世界が恐れる〝虹沙の魔女〟フォルカステ・アーレブリュートに、及び腰の当てこすりなどは通用しない。

「ひどいことをおっしゃるのね。決して無駄ではなくてよ。

 

 平然とのたまう声を聴くフリードリヒの中に、義憤などは一片も湧き起こらなかった。彼はただ後悔し、自省しただけである――だったと。つまらぬ感情に浮かされて、愚かなことを口走ったと。

 この世に本当の無駄があるとすれば、人間の分際で怪物に立ち向かおうなどと思ってしまう出来心こそ、まさにそれだ。

「そんなことより……おわかりかしら、キム大監帥? エジモンド氏と接触した〝テオフラスト〟が、実際情報を手に入れたかはともかく、口封じが有効な段階はもうとっくに過ぎてしまっていたわけ。だったらこちらは、次善の策で情報防疫を図るまで……封じ込めに失敗したなら、。真実というミームに対するワクチンね。

 せっかくの〈劫院クロノン〉、こういうときこそ活用しなくては。あれは本来であって、有閑老人の会員制サロンではないのだから」

「……なるほど。そのためのでもあったと」

 ちらり、と。

 気を取り直したフリードリヒは、交戦空域に意識を向ける。

 残り一機となった黒の〝エスカリボール〟は防戦に徹し、逃走の隙を窺うかのような粘りを見せているが、実際は撤退など許可されていない。善戦して、少しでも多くの戦闘データを収集し、撃墜されるところまでがの仕事だ。

「初動のリカバリと事後処理の根回し。同時に済ませるための仕掛けと思えば、〝聖人〟とシングラルの二個小隊くらい、安いコストよ。

 そういうわけだから、CJPOは当初のシナリオで通してちょうだいな。それで万事、丸く収まるわ」

 主星系内に所属不明のシングラルが出現し、試験運用中の最新鋭機によって撃破される。その事実はヴァナー・エジモンドの復讐劇に異なる意味と価値を彩り、新たな解釈可能性を生み出してゆく。

 マクロスケールで行われる、物語の上書きオーバーライド。大衆にカバーストーリーを押し付けられるだけの信用と権力を持つ者でなければ、そもそも実行不可能な力業。だからこそシンプルに、同等以上の力でしか対抗できない。真実のでは、ミームのを凌駕し得ない。

 ほんの一瞬だけ、フリードリヒはエジモンドという男を哀れんだ。不幸な境遇を、ではない。〝正しさ〟のそのものを握る相手に、正義で挑もうとした復讐者の、身の程を知らぬ愚かしさが不憫だった。

「いつもながら、一手で二矢三矢を放たれる御方だ。おかげでカノーヴァ派に、最後まで先手を取られずに済む」

「〝カノーヴァ派〟、ね――」

 その名を繰り返したフォルカステの声に、かすかな屈託が混じる。薄い唇は歪んだ弓のごとく微妙な形で反り、拗ねているようにも、自嘲の笑みを浮かべているようにも見えた。

保守本流あたくしたちと、いわゆる〝パデレフ派〟に次ぐ、第三の派閥……分家の暴走という確証が取れれば、すぐにでも潰してしまってよいのだけど。カノーヴァが現体制を否定する理由はないわけだし……」

「そうお思いならば、定例会の議題にかけて、〈劫院〉全体の方針として排除を決めてしまわれては?」

「でも、なのよねえ」

 つまるところ問題はそこなのだ、と言わんばかり、フォルカステはその名に特別めかしたアクセントを置く。

「あの子が定例会に出てきてくれれば……いえ、せめてあたくしとの直通回線ホットラインだけでも残してくれていれば! ひとこと確認を取るだけで、話は済むのに」

「二百年前でしたか。当時の天律卿の一派が〈解放星団リベレーション・クラスター〉と結託し、ハルニカを襲撃したというのは……ずいぶん根に持たれているのですな」

 ふん、と形のよい小鼻を鳴らし、幼形の女帝は嗤った。

「とっくに粛清された馬鹿のことなんか、あの子が気にしているものですか。

 単に、あのとき方針が変わったのよ――たるあたくしたちに対してさえ、中立の姿勢で裏方に徹する。結果的にはそれが、経済を健全化することにもなるからと……神の手は見えざれかし、というわけ」

「脳ではなく、心臓の役割を買って出られた次第、と――。

 しかし中立と申されるなら、それこそカノーヴァ上級邏将の行動は、本家の意向を逸脱しておりましょう。大義名分は立つと思われますが」

「〝思われますが〟――で分家を叩いて、それがシャーロットの財政プランを台無しにしてしまう行為だったら、あなた、どうなるとお思い? ことによると、冗談抜きに、

「……過大なリスクですな。唆すような発言、失礼いたしました」

 謝辞とともにフリードリヒは頭を下げ、流れ落ちる藍髪で表情を隠した。投影体とはいえ、〈万象庭園アーレブリュート〉の当主に呆れ顔を見せるわけにはゆかぬ。

 この銀河に生きるすべての人々の命運は、突き詰めれば二人の老いたによって握られているのだ――。

 フリードリヒの口許が、自虐的な笑みを形作る。己が〈劫院〉の御用伺いに過ぎぬことを自覚していても、この世界観は度し難くナンセンスと思われた。

「焦る必要はないわ。分家の動きがシャーリイの行動計画アジェンダに組み込まれたものなら、最終的には、あたくしたちに有害な結果は招かない。

 むしろ見た目通りのパターンが問題ね。勝ち目がないのを承知していながら、はぐれ者や予備役まで集めて、第三勢力を形成する意図が解らない……」

「〝テオフラスト〟にはトマス・カノーヴァの娘も乗り込んでおりますゆえ、ハルニカへの寄港もあり得るかと。そのときはこちらの手の者を通じて、シャーロット殿に真意を問う機会も作れましょう」

「……トマスちゃんの、娘?」

 首を傾げる少女。意外なところに興味を示されたことを訝りつつ、フリードリヒは続ける。

三等哨尉ルクトール・ティアート、アンジェラ・フィオリーナ・カノーヴァ。艦外から閲覧できた範囲の作戦ログによれば、まさに今、あの機体――〝ノーバディ〟に同乗しているはずです」

 フォルカステの視線が、補助脳の描く幻天をさまよう。話しているうちに、急加速と急旋回を繰り返す〝ノーバディ〟を見失ったものらしい。

 かつて前線で超高速度域の戦闘を指揮していた経験から、フリードリヒは辛うじて、白亜の機体が曳く光跡を追えている。それでも、ルイス・ルービンシュタインが〝亡霊流舞ゴースト・ドリフト〟の使い手だと事前に確認していなければ、とても自分の目を信じられなかっただろう。

「とうに失伝したはずの機動術マニューバだが……どこぞに眠っていた戦技資料でも掘り起こしたか。酔狂なことを」

 呟く少年の視線を追って〝ノーバディ〟を再捕捉したらしいフォルカステが、異様な軌道を描く白影から目を離さぬまま、訊いた。

「――その、アンジェラって子の資料、見せてくださる?」

 本来なら、個人情報の閲覧は正当な理由なくして許可されない。しかしこの場合、〝正当な理由〟とはすなわち目の前の女の意向だ。フリードリヒは否やもなく、CJPOのデータベースからアンジェラ・カノーヴァの情報を取得し、フォルカステのローカル領域スフィアに転送した。

――」

 投影窓に、燃え立つ赤髪の少女が映った瞬間。

――」

 フォルカステの頬が、崩れるように緩んだ。

 熱を帯びて仄赤く染まる、恋を見つけた乙女のような微笑み。可憐であった。無邪気と見えた。これまでにフリードリヒ・キムが見てきた人間の表情で、だった。

「そう――そういうこと――ああ、ええ、わかるわ。とても合理的。たしかに、現体制を打ち倒そうというなら、それが最善手――」

 不穏なことを呟きながら、小さな魔女が顔を上げる。紫電の色で仄光る髪を右へ左へ打ち振り、〝ノーバディ〟の飛跡に視線を這わせていた。そうしていれば、白光の中に焔の赤が透かし見えるとでも期待するように。

「けれど――けれどね。不可能なのよ、トマスちゃん。そのは、最後の最後で失敗する。なぜなら、シャーリイは……」

 くすくす、くすくす――

 時ならぬ寒気にフリードリヒがじっと耐える中、軽やかな笑声をひとしきり鳴らしたフォルカステは、急に機嫌を良くして言う。

「……もう、いいわ。いちおう〝テオフラスト〟の監視は続けて。でも、きっと深刻な脅威にはならないと思う」

「それは……カノーヴァ派の目論見が読めたということでしょうか?」

「計画だけじゃなく、結果までね。〝テオフラスト〟がハルニカまで無事に辿りつけたとしても、彼らが体制を揺るがすことは決してない、と保証するわ」

 あまりに飛躍した断言。根拠について説明される気配がないのを感じ取り、フリードリヒは敢えて深く訊かないことにした。余計な秘密を抱え込まないのは、面倒事を避けるために学んだ処世術の一つだ。

 それでも、フォルカステが詠うように呟く言葉は、不吉な響きを伴って仮想の聴覚に滑り込んでくる。

「可哀想な子たち。あたくし以外の誰も、シャーリイと対等ではないというのに……」

 シャーリイ、と旧友の愛称を口にするとき、フォルカステの声にはいつも恍惚の吐息が混じる。その理由の一端を、フリードリヒはこのとき洞察し得たような気がした。

 数多ある禁制技術のうち、最も汎用性が高く、最も危険な技術の一つが分子ナノテクノロジーだ。その管理者たるドレクスラーの女帝は、確かに銀河貴族の中でも一線を画した地位にある。

 事実なのだろう。彼女とであり得る者など、この銀河のどこにもいない。――ただ一人、〝業貨の魔女〟シャーロット・フランシスカ・カノーヴァを除いては。

「さあ、もうじき余興も終わるわ。後始末の方をよろしくね。あたくし、大統領から緊急連絡があった件で、このあとも忙しいの」

 情報伝達は済んだ。愚痴も自慢話もたっぷり聞かせて気が済んだ。もう用はないから、仕事に戻れ――概ね、そんな意味である。

 一礼して通信を終えようとする瞬間、フリードリヒの横顔を光が打つ。向ける目の先、消えゆく投影界が最後に映した像は、フォルカステが予言した通りの光景。

「……アクターはともかく、機体の方に特筆すべき点は見当たらんようだが」

 ――エル研はあの〝ノーバディ〟で、いったいテストしようとしているのだ?

 三機目の〝エスカリボール〟が大剣に貫かれ、そのまま内側からの光子砲撃に灼かれて散滅する。戦果としては非凡でありながら、完全に予定調和の決着だった。

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