間章:〝亡霊流舞〟
「――〝
ジェシー・ロックウェル・クシウスは首を傾げ、その耳慣れぬ響きを反芻した。
「普通の〝
「逆に訊くが、TIOとしてあれが〝普通〟に見えるのかね?」
ミハイロヴィチの簡潔な切り返しに、愚かな問いだったとジェシーは恥じ入る。
戦闘開始から間もなく、機体が
仮想スクリーンの中では、いまも〝ノーバディ〟が異様な軌道で宙を走り、残り二機となった敵部隊を翻弄し続けている。
誰が見ても明らかなことだった。素人でも解るのではないか。
あれが〝普通〟であるはずがない、と。
いわゆる〝
兵器としてシングラルが持つ強みの筆頭は、操縦の簡易さにある。
QFIによる神経直結制御。機巧の巨人を己が肉体として操らしめる、仮想の人機合一。動かすだけなら専門的な訓練は要らず、一般人でも即戦力にできるという、業界共通の触れ込みはあながち嘘でもない。低位技術圏の旧式兵器などが相手なら、たとえアクターが素人であっても、動かせさえすれば負けはないからだ。――精神が持つかどうかは、別として。
そうした初心者が直感的に機体を動かせるよう、操縦系に施された様々な工夫の一つが、リパルサー・キックと呼ばれる標準加速プロセスである。
見えざる足場を踏んで跳躍し、架空の壁を蹴って飛ぶ。機体の手足を使って虚空を押しやり、その反動で逆方向へ加速する。むろん実際に空間そのものから反動を得ているわけではない。それらは斥力場制御インターフェースの提供する仮想コントローラであり、イメージに過ぎない。だが人間は、もとより錯覚を介して異常に適応するもの。結果として、原理上は無用のひと手間を加えることにより、初乗りのアクターがごく短時間の簡易教練で空を泳げるようになるのだった。
格下の兵器が相手なら、基礎たるキックだけで事足りる。
では、同じ速度域で戦う
手足の動き、腰の捻り、顔の向き――敵機のそうした挙動から未来位置を予測することは、超高速戦闘の世界に順応した熟練アクターならば、さして難しくもなかった。難しくないということは、必定、敵も同じように読んでくるということ。
そうして読み合いの技術が発達し、対等の敵を出し抜くための様々な
TIOとなって四年。戦場で数多のアクターを
形なき力場を五体の延長として、思惟のみで直接に操る。そのためのイメージ形成技法は洗練され、無数の流派を生み出すに至っていた。
水や風を想起し、その流れに乗る〝
噴射する炎を思い描き、その仮想反動で飛ぶ〝
架空の重力源に向かって落下してゆく〝
長い歴史の中で分派、細分化を繰り返し、銀河全体でどれだけの流派があるかなどは、もう誰も知らない。ジェシーが知る確かなことは、制御イメージ次第で力場は働きを変えるということ。
数ある〝流舞〟派生技術のいずれにも固有の特性があり、それぞれが長所と短所を持つ。どの局面でどんなイメージを使うか。強みを活かし弱点を補うべく、どのように操機の技を組み合わせるか。そこには必ずアクターの人間性が表れるものだった。
だが、ルイス・ルービンシュタインの〝流舞〟は――。
「異質……いえ、異常ですね。敵弾はすべてギリギリで躱していて、ほとんど回避運動がない。まるで、一切の守りを捨ててるみたいな……」
自分の命さえ投げ捨てているような、と言いさして、ジェシーは気づく。ミハイロヴィチが告げた名の由来に。
動きの無駄を極限まで削ぎ落とすためであろうと、あのような紙一重の回避ばかりを続けていれば、わずかなミスが死に直結する。たとえ使えるとしても、あんな技を好んで使いたがるアクターなど、まともではない。
生者には通れぬはずの軌道をなぞる、死者の歩法――。
ゆえに〝亡霊流舞〟と、あれを呼ぶのだ。
「敵機の
流派と言っても、存命の使い手はおそらくルービンシュタイン一人しかおらん。……他の継承者がいない理由は、説明するまでもあるまいな?」
こくりと、ジェシーは頷く。
一人いるだけでも異常なのだ。むしろ現在まで使い手が死に絶えていないことこそ信じがたかった。
「奴は決して、最強のアクターではない……総合的な戦闘技能でルービンシュタインを上回る者なら、CJPOだけで何人もいる。あるいは死を厭わず戦える者というだけなら、それこそ〝聖人〟を使えば事足りよう。
だが〝
「彼をこの部隊に引き入れたのは、
「交戦レンジの
加えて、多少は人となりを把握できていたからでもある――」
単機で小隊を圧倒する男の戦いぶりを見ながら、ミハイロヴィチの目が焦点を過去へと結ぶ。
「以前、何度か私の指揮下で使ったことがあってな。切り込み役、陽動の囮、撤退戦の
死神と踊る男。その軌道を追って時を遡る老兵の表情に、ジェシーは自然と察した。
あの戦い方は最近始めたものではない。ルイス・ルービンシュタインはずっと前から、あんな特攻まがいの自殺行為を繰り返してきたのだ。
「自殺志願者……というよりは、スリルジャンキーの類ですかね……?」
ミハイロヴィチは首を振った。豊かな白髭が、ふさりと揺れる。
「さて、どうかな。あの男は決して臨死の戦いを愉しんでいるわけではなく……むしろ安全圏に生きてはならないという呪いを、おのれ自身にかけているように思えたが」
「呪い――ですか」
「強迫観念のようなものだ。あるいはその呪いこそが、〝適性〟の根幹であるのかもしれん」
それが実際いかなる欲求、衝動、妄執の産物かは計り知れんがね――そうも言って、ミハイロヴィチは過去への視線を瞼で閉ざす。
「エジモンドを独断で殺したあたり、警兵としては人格に問題があると言わざるを得ん。そもそも四百年の懲役を科された罪状からして……刑期算出の妥当性に疑問はあるが……あまりに人の道を外れている。
しかしどのような屈折、倒錯、精神異常があるのだとしても、奴がアクターとしてきわめて有能である、という一点だけは動かん事実だ。あとは私が、死なん程度に上手く使ってやればいい」
含みのある言い方に興味をそそられ、ルイスの罪状を調べようとするジェシーだったが、ミハイロヴィチの話が続いたことで機を逸した。
「最近はどうやら、ウォジェコフスキーのお気に入りだったようでな……彼奴の麾下から引き抜いてくるのに、トマスを通じてそれなりの便宜を図ってやらねばならなかった」
所望の手駒を得るために、銀河貴族すら動かしたことを仄めかす老将。それだけの価値が、戦力としてのルイスにはあったということ。
なるほど〝曲者揃い〟の部隊だ。悪名高き〈
そうした〝訳あり粒揃い〟の面子に、自分も含まれているのだと思えば、ジェシーが覚えるものはやはり不安と、ずっと大きな高揚感なのだった。
「とりあえずは、三対一でもルービンシュタイン氏が負ける心配はなさそうですねえ。アンジェラちゃんも安心、と」
頷くミハイロヴィチが目で促す。つられてジェシーがスクリーンに視線を落とせば、送られてくる戦闘記録映像の中で、早くも二機目の敵がフォトンドライバーに撃ち抜かれ、爆散するところ。
「分かり切っていた話だ。もう一対一になったぞ。通信ラグを考えれば、リアルタイムでの戦闘はとうに終わっているかもしれん。
こちらは粛々と、後方の面倒事に対処するとしよう――」
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