ルイス・ルービンシュタイン(5)

 ルイス・ルービンシュタインは迫り来る敵小隊に目を凝らした。

 機身を律するクオリアフィードバックインターフェース操手アクターの意思に応え、光学映像のズームアップと、星系/戦域ネットからの情報取得を重点的に行う。

 拡大ウィンドウに、敵影が映った。黒い〝エスカリボール〟が三機。戦場で幾度となく相対し、葬ってきた機種だ。

 追加装備オプションの電磁シールドを構えた機体が先頭となり、整然と隊列を組んで接近してくる。数の優位に慢心せず、教本通りの定石で仕掛けてくるあたり、素人ではなさそうだが――

「……いや、連携がな?」

 アクターの個性がまったく感じられぬ、画一化された動き。とはいえいかに機械じみて見えようと、無人機などはテロリストですら忌避する以上、あれはドレクスラーが汚れ仕事のために買い込んでおいた〝聖人〟であろう。

 穢れたユーモアの感覚を刺激され、ルイスは笑った。誰にも聞こえぬ声と、〝ノーバディ〟の動かぬ顔貌で表現された、形而上の憫笑。

 敵戦力の弱小を嗤ったのではない。やはりヴァナー・エジモンドをあの場で死なせてやったのは正解である、という救いのない確信を得たがための笑いだった。

 仮定の未来。生きて裁判にかけられ、すべからく〝聖人〟に改造されたエジモンドを、ほかならぬドレクスラーが落札する可能性は大いにあった。そうなれば彼も、〝ハロルド禍〟の真相を隠蔽するための暗殺任務に投入されたかもしれぬ。いま向かってくる刺客たちのように。

 これが初めての動員ということはあるまい。様々な手の隠滅工作が、ずっと続けられてきたはずだ。エジモンドが同志を得られなかったのは、彼の自閉傾向のためばかりではなく、真実を知った・気付いた者が声を上げるたびに消されてきたからでもあっただろう。

。それだけが問題だ。人殺しの大根役者にしちゃあ、お前の死に方は上等すぎたよ、エジモンド……」

 殺した敵に贈る、はなむけのごとき羨望。

 らしくもない物言いと、自覚はしていた。つまるところ、グラディアトールにとっての敵とは、殺せば点数スコアになる餌でしかない。それでも思うところがあったのは、あの〝大根役者〟が生きた物語じんせいから。


 ――ルイス。人間にはね、物語が必要なの。


 いましも殺し合いを始めようという零度の戦場で、似つかわしくもない声を思い出す。

 それはなつかしく温かく、罪の響きを帯びた音色。


 ――神様や、国や、思想や愛……価値や善悪の指針を与えてくれるもの……そうした虚構フィクションのフレームワークがなければ、人は社会を形づくれないし、世界の無意味さに負けてしまう……。


 がそう語るのを間近で聞きながら、自分は何ひとつ理解していなかったのだと。いまにして、思う。

 かつてひとりの少年が神を呪い、国家を憎み、イデオロギーを嘲り愛を唾棄した。優しく穏やかにそれらを〝虚構フィクション〟と断じたに、追いつく想像力を持てない子供だった。度し難い痴愚。いつまでも悔いた。

 救いが、そこにあったというのに。


 ――人の心を解りたければ、その人が生きている物語の設定や筋書きを、正しく読めなくてはいけないわ。だからね、ルイス……。


 仮想視界の中で、敵機を囲うカーソルの色と形が変わる。フォトンドライバーの実効射程に入ったのだ。

 むろん、条件はあちらも同じこと。示し合わせたように急転、彼我の機体が目まぐるしい乱数機動を始める。見えざるダンスホールで死を投げ合い、躱しそこねた者から星となって退場してゆく、殺界舞踏の幕が開く。


 ――本を読みなさい。時の試練に耐えて磨き抜かれた、文学の名著たちを。あなたが佳き読者であれば、時代を超えて織り継がれる人間性の基調パターンが、テクストの底から読み解けるようになる……。


 死神の衣擦れを、近くに聴いた。

 傍らのくうを貫く光弾。一笑し、歓迎とともに聞き流す。擦過したフォトンドライバーの射線を遡るように飛び、〝ノーバディ〟は敵編隊へ向かって加速する。

 仮想戦域に撒かれるデコイ。仕掛けられた電脳戦ロジカルコンバットに付き合わず、ルイスは自機を回線自閉状態スタンドアローンに移行させた。どうせ孤立無援スタンドアローンで戦うのだ。味方と通信できなくなるリスクなど、はなから考えずともよい。

「誰もが自分の人生の主人公、とはよく聞くが――」

 ルイス・ルービンシュタインは超能力者ではない。

 人の思念を読めるわけでも、操れるわけでもない。

 ただ勝手にを読んで、無責任に解釈するだけ。それとて、誰が相手でも好きなように読める、便利な異能などではなく。

 想像し・共感し・仮想し・没入する――ヒトが持つ当たり前の能力。ゆえにこそ、尺度たる己からかけ離れた異質者、理解不能な物語にんげんのことは読めない。

 ならば、ヴァナー・エジモンドの物語のぞみを読めてしまったのは。

「――つまりは誰もが、人生の脇役端役だ」

 真実を暗殺すべく放たれ来たドレクスラーの走狗たちに、故なくささくれ立つこの苛立ちは――。

「人生の主演権すら奪われた〝聖人〟には、蹴散らされる雑魚の役こそ似合いだ。だからさ……お前らも、ここで……」

 ――畢竟ひっきょう、死ぬために戦い続けたエジモンドという男が、己によく似ていたこと。ただそれだけが、理由なのだろう。

「俺にとっての端役らしく、無為に死ねッ……!」

 三機分の火力で布かれる熱閃の槍衾。一瞬ごとにその間隙へと機体を踊らせ、ねじ込み、火の海を泳ぐ怪魚のごとく、ルイスは火線をすり抜けてゆく。

 戦って死ぬ。他人事とはいえ、なんと甘美な最期に思えたことか。

 だがではない。いまが己の番ではない。死すべき佳日は、なお遠く。

 ならば為すことはいつも通り。殺してスコアを積み上げるだけ。

 機内回線の向こうへ締め出した少女の声が、混線するノイズじみて、よぎった。


 ――ふざけるな! 死んで救われる命なんか、あるもんか!


「あるよ、カノーヴァ。死ななきゃ救われない命は……」

 誰にも届かぬ声はジャンクデータの光塵と化し、散じ去った。その間にも、彼我の相対距離は一方的に縮められ続けている。〝ノーバディ〟が速すぎるのだ。

 最小の回避半径。最短の接近軌道。数の優位を活かした射撃戦で削り勝つつもりだったであろう敵部隊は、白きシングラルの飛翔をいささかも妨げること能わず。

 盾を掲げた前衛機が、触れる刃も見えぬ瞬閃に盾もろとも両断され、駆け抜ける機体の重力衝撃波に撥ねられて、爆火と消えた。

 加速。離脱。反転。再突入。死線の上を走り、以て一合一殺を成し遂ぐ最速の白兵迫撃。余人を絶して久しいその戦闘機動術こそが、操手アクター、ルイス・ルービンシュタインの真価。

 咎人の演ずる殺陣はかくも軽々けいけいと、頭数まさる敵に尽滅の運命さだめを布告する。

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