アンジェラ・カノーヴァ(7)

 アンジェラ・カノーヴァの眼前に、壁があった。

 心理学的象徴や比喩の類ではなく、物理的な壁である。前だけでなく、左右、頭上、足下――六方を閉じられた狭い空間にいる。

 まるで棺桶コフィンの中、と思った瞬間、鎖のように繋がる連想が現実認識を引きずり出した。操手槽コフ・ポッド人型全領域戦闘機シングラルの中。初実戦、同乗管制、投降勧告、記憶データ。

 すべてを思い出す。解釈が追いつく。

 脳が過熱し、胸から血が流れるような、の感触が戻ってくる。

 いつの間にか投影が解けていた仮想身体を再生成し、アンジェラは機外ネットワークへ飛び出した。

 眠っていたわけではなかった。気絶していたわけでも。ただ、朦朧としていた――過去を幻視する旅の中で触れた、ヴァナー・エジモンドの酷烈な半生に圧倒されて。

 ドレクスラーが仕組んだ場当たりの陰謀にすべてを奪われ、残ったものは技術犯罪の前科と、シャドウが戯れに与えた力だけ。運命を背負った復讐者になりきるほか、いったいあの男に何ができただろう?

 むろん〝正しい〟批判ならいくらでも出てくる。社会復帰できたはずだ、真っ当に生きられたはずだ、憎んだとしても思い留まる時間はあったはずだ――つい先ごろまでのアンジェラ・カノーヴァなら、きっと迷いなくそんなことを言いきった。

 なんと空虚な正論であったことか。もはや一言も吐けはしない。当人の記憶を追体験し、感情のエコーを浴びてしまった今となっては。

「だけど……それでも……」

 止めなければならない。

 星系内部に深く侵入しながら加速をやめないコンテナ船と、それに合わせて後退する〝ノーバディ〟が向かう先は、いまや明らかとなっていた。主星系第七惑星、ドレクスラー・コーポレーション本社〈万象庭園アーレブリュート〉――経営血族の名を冠した企業都市。林立する巨大ビルのすべてが社屋であり、社員だけで三億とも言われる人口が、交通の便を図って集住する企業統治領。

 軍事施設でもなく、大部分はただの事務所や集合住宅だ。核弾頭ならば、どこを爆撃しても死傷者は百万人を下るまい。それで

 警邏艇を沈めたときの映像から、エジモンドの残弾は推定七十発と目されている。全弾を人口密集地に叩き込めば、被害はたやすく億単位に届く。

 フォルグの虐殺を、同規模の血で贖うことができてしまう。

「間違ってる……そんなこと……!」

 仮想の四肢から抜けていった力がまだ戻らないことを、アンジェラは自覚した。正しさでは決して止まらぬ激情を、必ずや止めよと正しさが命じる。その不可能性に、全身の神経が気おくれている。

 怯懦に強いて抗えと、彼女は己の名を呼んだ。

「……しっかりしろ、アンジェラ・カノーヴァっ!」

 ドレクスラーが虐殺の裏で糸を引き、その利益を最大限に享受したからといって。

「私は警兵パトルディアになったんだ、見失うな……組織が正しくなくたって、命は、命だ!」

 間接的に恩恵を受けた社員らが、などということには、決してならない。

 かぶりをひと振りし、アンジェラは目の前の現実に集中せんとした。仮想視界の焦点を絞るように幾重ものフィルターをかけていき、星系ネットに錯綜する雑多なデータストリームを知覚の外へ払い落とす。

 残った光の糸は一本。あれが〝ノーバディ〟とコンテナ船を結ぶ回線。重なり合う双方向の流れが明滅し、いまもルイスとエジモンドが会話を続けていることが見て取れる。

 指向波束暗号通信ビームドサイファー復号デコードプロトコル、多面図形を象る氷錠に、光の指先で触れた。

 投影体の固有IDから伸びるハッシュ鎖を絡めれば、固く結晶していた量子鍵が水と溶け去り、開くは怨嗟に対峙する道。

 逃げたい。逃げない。背き合う心をともに抱えて、飛び込む。

 大気のない宇宙そらで、呼吸の要らぬ投影体からだに、あえて息を吸い込ませる――そうして声を上げる寸前、アンジェラは男の声を聴いた。

《――うん、うん。わかった。俺はやっぱり、お前を殺すよ、エジモンド》

 ルイス・ルービンシュタインの声だった。愕然とするアンジェラのログインに気付いていながら、まるで気にせぬ体で続ける。

《フォルグを滅ぼしたのはドレクスラーだった。お前の妻の仇も。だから復讐のターゲットはドレクスラー本社だけで、無差別攻撃じゃあない……と》

 応じるエジモンドの声には、追い詰められたような響きがあった。

《そうだ……主星ハル・シオンにも、CJPOの基地にも、手は出さない。僕はこの日のために攻撃計画を練ってきた。無関係な人間を巻き込むようなことは――》

《だから、お前の復讐はなんだ》

 容赦なく断じ捨てること。その冷たさに、アンジェラは吐き出しかけた息を呑む。無尽蔵とも思える憎しみを臓腑に抱えた、あの復讐者が怯む気配を感じたから。

《美学のない復讐はだ。仇を殺すために、他人を巻き添えにする奴は二流。仇が誰かも解っちゃいないが、とりあえず誰でもいいから殺したいなんて奴はド三流。そもそもこんなのは復讐じゃなく、八つ当たりか憂さ晴らしの類だろうよ。

 俺は言ったぞ。報復すべき仇と、そうでない他人を峻別してこその復讐だと》

《僕こそ、言ったはずだ! 爆撃するのはドレクスラーの本社ビル群だけ。それも当時の意思決定に関わった、経営者層のいるエリアを狙うと……!》

 どうやったものか、そこまで吐かせていたらしい。舌を巻くアンジェラが流れを読めないうちに、ルイスは嘲笑を返す。

《反応弾なんぞ使って、お偉いさんだけをピンポイントで狙撃できるわけはないだろう。何も知らないただの平社員が、何千万人、何億人死ぬやら。

 〝本当の悪〟を討つための、とでも言うつもりか? ? それとも被害者サマの中じゃ、ドレクスラーの膝元にいる時点でなのか?》

《それは……!》

 言葉に詰まり、洩らした息が、男の苦悩を雄弁に物語った。

 無関係な者など一人もいない、あそこにいる誰もが死ぬべきだ――そう口に出してしまえるほど、狂人の理屈に己を染められず。

 されど、陰謀の存在すら知らぬドレクスラー社員たちに、何の罪もなしと思い割り切るには、抱えた憎悪が巨大すぎた。

 なぜ、貴様らが生きているのだ――。

 罪の意識はないのか――。

 もっと後ろめたそうにしているべきではないのか。生きていて申し訳ないと思うべきではないのか。レナと、十億の民の死に呪われて、ドレクスラーにまつわるすべての地が・施設が・人が・星が、苦しみながら懺悔し、未来永劫赦されぬまま、死にゆくべきではないのか――。

 叫びは胸の奥にしまい込まれたまま、誰の耳にも届くことがない。

 畢竟、ヴァナー・エジモンドはぎりぎりの一線で、復讐鬼に堕ちきれなかったのだ。思えど言えぬ生成りの狂気。その感情を垣間見てきたアンジェラには、想像できてしまう。

 見てきたから、葛藤の限界点で彼がどんな道を選ぶかも、もう知っている。

 あの船は止まらないだろう。どんな正論をぶつけても、情に訴え揺さぶっても、最後には沈黙しながら滅びの火箭かせんを射放すだろう。止められぬ心のままに。

 お前を殺す、とルイスが言ったのも、ほかに方法がないと解っているからだ。重く透明な納得が胸に落ち、悲しみとともに、アンジェラはそう理解した。

 結論から言えば、間違っていた。

《同罪とは言わない……でも、じゃあ、他にどうすればよかったって言うんだッ!

 あの無念は、この怒りは! どこにも叩きつけないまま終わりになんか、できない!》

《ああ、だからさ……よ。戦おう、ヴァナー・エジモンド》

「へっ?」

 戦って、実力行使で止めるしかない――予想通りの展開であるはずなのに、アンジェラは何かがおかしな方向へ転がり出している気がした。ルイスの声に込められた調子が、まだ話は終わっていないと暗示するかのように思えて。

《これが本当に復讐のつもりだったら、お前は度し難い三流のマヌケ野郎だ。

 虐殺の計画を立て、指示を出した具体的な人物の、数も名前も居場所も絞り込めていない。確実に殺せる準備もできていない。中途半端、見切り発車、機を待てず暴発しただけの早漏。何も成し遂げられないまま、自己満足ひとつ抱いて死ぬ、惨めな敗北者……》

「ルイス、もうやめ――」

 こんな挑発に、今更なんの意味がある。遮ろうとして、アンジェラは自分の音声データが発信されないことに気づく。入力だけに絞られて、出力を落とされていた。いったい、いつの間に。

《でも、違うだろう? 復讐に狂ったフリをしてたって、お前は馬鹿じゃない。こんな杜撰な計画で、仇を討てないかもしれないことくらい、わかっていた。

 それでも決行に踏み切ったのは、ドレクスラーへの復讐なんか、はなから真の目的じゃなかったからさ》

《……何を、言ってる?》

《無自覚の本音ってやつを、教えてやろう。お前はね、エジモンド――今日まで生きて、ここまで来たんだよ》

 莫逆の友に、打ち明け話でもするような。

 静かで確信を持ったその声に、聞くもの二人が呑まれていた。

《〝ハロルド禍〟のあと、本当はすぐにでも妻の後を追いたかったんだろう? だが自殺なんかできなかった。と言われたから。と、願いを託されたから――》

《やめろ》

《生きなきゃならない。でも、あの人のいない生の空虚さに耐えられない。それで、仮初めの理由を作った……生きるべき物語を。復讐者という役割ロールを。

 ついでに、本音じゃどうでもいい十億人の死を上乗せして、大義の重さで慣性をつけようとした。刑務所ムショに入って、釈放されて、もと犯罪者として独り生きていく、永くて虚しい時間のための……》

《やめろと、言った……わかったような口で……!》

 わななく声が、アンジェラには声と聞こえなかった。

 古傷に刃を抉り込まれて、血を流す男の喘鳴はこうであろうと――聞いたこともない音を思わせる言葉が、心臓を容赦なく切り刻んで、解体している。暴こうとしている。魂の所有者さえ知らぬ、寂寞たる秘密を。

《怒りも、恨みも本物だった。狂ったサンタクロースに核のレシピをもらって、具体的な手段の目処もついた。

 コツコツ十七年、裏切るための信用をわざわざ築いて、パーツ集めから地道に大量破壊兵器を密造して……さあ復讐だ、これこそ我が本懐、いまこそ無念を晴らすとき!

 ……本当に今朝、そんなこと思ってたか?》

 いまや傍観者の立場に置かれたアンジェラさえ、その舌鋒の冒涜的なに、怯えた。

 自分と違い、本人とともに記憶を追体験したわけでもないのに。ルイスの喚起するイメージは何故こうも深く鋭く、行為の奥へ切り込んでゆくのか。

 アンジェラには手管の一割も理解できていない。それでも、ルイスが何らかの〝攻撃〟を仕掛けているということだけは、直感した。

 心に寄り添うような口調。隠れた真実を語るような言葉。すべて武器だ。とうに出てしまっていたはずの結論を、未知なる力で掴みなおして、どこかへ連れていこうとしている。終わりかけた話をしている――だが、いったい、どこへ。

《いいや、思ってなかったはずだ。それは鬼の面をつけて舞台で踊ってる方の、〝復讐者〟の科白だものな。

 あの日からずっと舞台裏で泣いてた〝ヴァーニイ〟の方は、こう思ってたんじゃないか――もう限界だ、これ以上は耐えられない、準備不足でも行くしかない……この復讐劇ちゃばんを終わりにして、

 ぞく、と。

 アンジェラの背筋を、白刃のような戦慄が駆けのぼる。

 なんだこれは。こんな〝攻撃〟があるのか。

 少しだけ解った。いま、ルイスがやっているのは――物語の中に生きようとした男を、別の物語で上書きオーバーライドする行為。

 超能力でも、禁制技術でもない。

 で、している。

《警兵が、〝その名〟で、僕を呼ぶな――!》

 輸送船のコンテナが開き、列なして並ぶ造花のようなウェポンベイが姿を現す。花弁の一枚が一基のミサイル。〝ノーバディ〟のカメラが捉えた映像は瞬時に解析され、算出された残弾数は七十四発。

 ルイスの挑発めいた物言いに刺激され、怒りに任せて武器を誇示したのか? アンジェラも一瞬そう思った。が、すぐに気づく。

 第七惑星――ドレクスラー本社ビル群が、反応弾ミサイルの推定有効射程に入っていた。

 威嚇ではない。我を忘れたのでもない。いつでも撃てるようになったから、射撃体勢に入っただけ。

 いいように、時間を稼がれてしまった。歯噛みする思いで、アンジェラは翼を広げた船の拡大像を睨む。これで安全確実な手段は一つもなくなり、ミサイル発射前に先手を取って沈めるのが最善解となる局面に入った。

 戦おうなどと言った手前、すぐにでも撃つと思われたルイスは、しかしまだ撃たない。

 誘導の先にある本題は、ここからだった。

《まあ聞けよ。このまま撃ったって、俺は飛んでくるミサイルを簡単に落とせる。とはいえ七十四発も一度に来れば、万が一の撃ち洩らしが無いとも言えない。

 そっちは無駄弾を出したくない。俺は無駄弾を出させたい。だったらここはひとつ、をやろう。タマと弾の交換レートを競り合うんだ》

《わけのわからないことを……! 死にたいのか、さっさとそこをどけ!》

《退かしたけりゃ、撃ってこい。だ。遠慮なく負い目なくブッ放していいぞ。ちゃんと俺を狙った分は、避けずに全弾受けてやる》

《……正気か!?》

 依然として〝ノーバディ〟はコンテナ船の正面、第七惑星との間に位置どっている。ミサイルを迂回させることはできようが、射線の邪魔には変わりなく、弾体を迎撃するにも適したポジションだ。

 一発の無駄撃ちも避けたいエジモンドが、白亜の機兵を退かしたいと思うのは当然。その心理を逆用して、ルイスは己の命を賭金チップに、ゲームを仕掛けようとしている。

 同乗者アンジェラの命までも、勝手に上乗せして。

《この機体を落とすのに必要と思うだけの弾を、俺に割り振るといい。スペック上は……そうだな、一本で警邏艇を沈めた威力からして……一度に三十発もあれば、こいつのIDeAの上から耐レーザー装甲を飽和させられるだろう。信じるかどうかは、任せるがね。

 ただしこっちも、この機体に向かう弾は撃ち落とさせてもらう。リソース配分が重要だな。俺への攻撃でケチると、ドレクスラー本社への有効弾が一発も通らなくなる。弾が切れたら、あんたの負けだ》

《お前は……いったい何なんだ?》

 かく問うエジモンドの声に、理解できないものへの恐怖と困惑が混じった。声が届くならアンジェラも同じことを言っただろう。

 戦術ネットへの音声出力は未だ復旧しない。操手アクター側の権限が上位に設定されているらしく、オペレーター側からの解除は望み薄だった。

 それはアクターとTIOの意見が対立した際に、機体制御と通信管制を混乱させないための機能なのだが、そんな仕様を知る由もないアンジェラは毒づくばかり。今まさに、頭のおかしいアクターのせいで命を危機に晒されようとしているのに、オペレーターは抗議もできないのか――当然誰にも聞こえてはおらず、ルイスは狂気のゲームを独断で推し進める。

《そら、ぼやぼやしてると第七惑星を通り過ぎちまうぞ。もう相対速度が乗りに乗ってるんだ。

 ――こうしよう、あと三分以内にそっちが撃たなければ、俺はその船をフォトンドライバーでぶち抜いて、あんたを殺す。前言通りにな》

 勝手にタイムリミットまで設け、いよいよルイスが場の主導権を握りつつあることを危惧したか。

 コンテナ船から〝ノーバディ〟へのレーダー照射が走り、アンジェラの視界に、敵機からロックオンされた旨の警告メッセージが表示された。わざわざ標的こちらに見えるよう、照準カーソルを投影までしているのだから、意思表示に間違いない。

 エジモンドが〝ゲーム〟に乗ったのだ。

《……いいね。さっきも言ったが、この機を撃つのに遠慮する必要はないぞ。

 俺はもともと懲役四百年を食らった凶悪犯だ。グラディアトールとして刑期を削るためなら、あんたの想像つかないような汚い仕事もしてきた。

 ガキでもジジイでも、妊婦でも障害者でも構わず殺して、戦功スコアに換えて……孤絶文明圏で誘拐された獣人を、解放しに来た活動家連中から守って、星間奴隷商に引き渡したり……》

 早すぎる展開と馬鹿げた状況に辟易しながらも、アンジェラの中では一縷の希望が息を吹き返しつつあった。

 機体の装甲で受け止める分と、フォトンドライバーで迎撃する分。合わせてエジモンドの用意したミサイルを使い切らせれば、そのまま拿捕して帰投もできる。

 兵士として殺す権利があろうとも、刑事として生かしたまま逮捕できる。それこそが警兵の誉れだと、アンジェラ・カノーヴァは信じる。

《つい最近なんか、邏将フィザーダムウォジェコフスキーが手柄をくれるっていうんで、不法開拓民のコロニーをまるごと吹っ飛ばしたりもしたよ……結局あれで七、八万人は殺したんじゃないか? 非武装の市民を根こそぎ焼くだけで、一年近い刑期の減免と、ライセンス交付のおまけつきだ。くっくっ――まったくぼろい商売としか言いようがない》

《もういいっ……お前がクズなのはわかったさ。でも僕が気にしてるのは、もう一人の方、あの赤毛の女の子だ。彼女だけでも逃がせないか》

 自分の話が出たところで、いまこそ回線を戻してくれるのではないかというアンジェラの淡い期待は、報われず終わった。

《いいのか? あんたにとってもあいつは、仇みたいなもんだぞ》

《何を言ってる? 彼女はドレクスラーの……〈万象庭園アーレブリュート〉の血族じゃないだろう》

《銀河貴族、〈焔髪ファイアブロンド〉のカノーヴァ。表向きには警兵の家系だが……連邦そのものより古い本家は、星間企業を憎む人間からしてみれば、さ。

 なにせ、地球時代アース・エイジ以来の支配者だった国家権力を失墜させ、企業連が牛耳る財閥経済の世界を築き上げた、みたいなもんだからな――》

《それは、どういう……?》

 言葉を投げつけられたエジモンドも、傍聴席に押し込まれたアンジェラも、激しく動揺したその一瞬。

《おっと、時間だ》

 狙いすましたように〝ノーバディ〟がリパルサーブレードを構え、結晶質の黒い刀身が眩く輝き始める。注ぎ込まれたエネルギーの臨界放射だ。巨大な編光晶体ルミナリスタのエッジは、全体がレーザー発振媒体を兼ねた砲身。

《法も権力も、もうお前を縛れない。社会を捨てた者だけが取り戻せる、蛮人ばんにんの自由……これが欲しくて、戦場ここまで来たんだろう?

 さあ、選べ〝ヴァーニイ〟! ――撃つか、死ぬか!》

 向けられた銃口を覗き込むに等しい輝きが、否も応もなくエジモンドに対応を強いた。

《……違えるなよ。ルールを決めたのは、そっちだ》

 コンテナから一斉に飛び立つ、七十四基のミサイル。火を噴きながら旋回し、その軌道は――

《自分で吐いた、大言に……殉じて死ねッ、警兵パトルディア!》

 ――、〝ノーバディ〟に向かって殺到してくる。

《よく思い切った……満点だよ、ヴァナー・エジモンド!》

 直前の動揺も忘れ、アンジェラは悲鳴を上げた。

 計算上の装甲許容値の二倍以上。耐えられるはずがない。自分もルイスも、間違いなく一瞬で蒸発する。髪の毛ひと筋残るまい。

 ああ、けれど――

 生を希求する肉体が叫ぶなか、心の凪いだ片隅で、少女は小さな慰めを思う。

 エジモンドは信じたのだ。あの短い、正気を欠くこと著しいやり取りの中で。

 自分を狙う弾は避けないと言った、ルイスの覚悟を。

 そのおかげで自分たちは死ぬが、代わりに第七惑星へ向かう弾は一発もない。億万のドレクスラー社員が、無為に死ぬことも――

《うるさいぞ。発狂するなら後にしろ。まだ終わっちゃいない》

 ぴたりと絶叫を呑み込み、投影体の首を巡らして、アンジェラは〝ノーバディ〟の頭部を見上げた。

 見下ろし返してくる、視線を感じた。……こちらの言葉が、聞こえている。

《奴は全弾使って俺たちを確実に排除したあと、そのままドレクスラー本社の中枢に突っ込むつもりだ。この速度なら船体の運動エネルギーだけで、核爆発の比じゃない威力が出る……どうりで減速しないわけだ。最初からこのつもりだったな》

 自分に話しかけている。音声出力の封鎖が解かれたのだ。何か文句を言ってやろうとして、アンジェラは結局、悲鳴の続きしか口にできなかった。

「……いや、でもミサイルが!」

 七十四発すべて、直撃した。


 白い光が世界を塗り潰す。熱さも、痛みも感じなかった。

 これが死か。

 存外あっけないものだ、などと思う自分を、次の瞬間には疑問で殴りつけていた。

「……死後? んッなわけない――死んでないんだ、なんで!?」

《反応弾三十発がデッドラインってのは、たとえばパルスレーザーみたいな形で、そのエネルギーをだからだよ》

 光が薄れ、闇が戻ってくる。アンジェラの仮想視界に再描画される宇宙の黒。凍れる背景放射の、虚無の色。

 その彼方へ、掲げた剣先から一条の輝線が伸びた。

《七十発あっても、それを漫然と爆発させたんじゃあ、でシングラルが倒せるわけはない。技術レベルの差を甘く見積もったな》

 青白い閃光の槍は、投じられた先で何かを貫き、新たな火球を弾けさせる。遠く散じてゆく光芒の中から、聞こえるはずのない声がした。

 誰かが、愛したひとの名を呼んで。

 ようやく会いに行けると、歓びに咽ぶような、声が――。

「……エジモンドさんッ!」

 燃える酸素もない真空中に、その火がきらめいたのは一刹那。

 惑星ほしへと墜ちゆく軌道に乗りかけていた船は、爆炎の中からルイスが放ったフォトンドライバーに貫かれ、熔け砕けて、散った。

 まぼろしだったのだろう。

 束の間よぎった微笑みも、やすらぎに満ちた吐息も。

 苦痛を感じるいとまさえ、なかったはずなのだから。


「なんで、撃った……なんで、殺した……っ」

 犯罪者だった。もう何十人も殺してしまった男だった。

「こんな……騙し討ちみたいな手で!」

ミサイルを撃ち切れば殺さない、なんて言った覚えはないぞ》

 憎まず生きられない心を抱えながら、きっと憎んで生きる日々に苛まれていた。

 それでも。

「ルイス、この……うあ、ああぁッ……どうしてだよバカ野郎っ、止められたじゃないか、助けられたじゃないかあッ……!」

 命を奪わずに止めることが、できたはずだった。

《奴を生け捕りにすれば、たとえ公判前に消されなくても、科されていた刑は第一種人格矯正が妥当なところだ。末路は〝聖人〟にされて、妻の仇のドレクスラーや技管主義体制を全自動で礼賛しながら、余生を過ごすことになっただろうよ。

 あの爆発で邪魔者おれを倒したと確信したまま、夢見心地に死ねることこそ、エジモンドにとっての救いだったと思うがね》

「ふざけるな! 死んで救われる命なんか、あるもんかッ!」

 実際、あの〝ゲーム〟は詐欺まがいの賭けだったが、ほとんど理想の出目を引き当てている。挑発と甘言と詭弁を弄し、すべての核弾頭を〝ノーバディ〟に集め、事実上の武装解除を成功させた。悔しくも、アンジェラ・カノーヴァにできなかったことが、ルイス・ルービンシュタインにはできたはずなのだ。

 だというのに、結末がこれでは。

「あんたはっ……最低の屑、詐欺師、人でなしだ! 他人の心を読み替えてねじ曲げて、命の価値を勝手に決めつけて……!

 ルービンシュタイン、あんたのやり方は間違ってる。何もかも、全部、根っこから間違ってる! 私は認めない……絶対に、認めない!」

 これまでの人生でアンジェラが使ったことのないような、口汚い罵倒が次々に飛び出してきた。制御し切れぬ未知の衝動。こんなにも激しく他人を否定したいと、生まれて初めて思った。

 思ってなお、蝶よ花よと育てられた箱入り娘の語彙では、子供の口喧嘩とさして変わらぬ雑言がせいぜいで。

 鼻でひと息、ルイスはせせら笑うのみ。

《認めてもらわなくて構わんが、結果は出てる。俺たちは核攻撃を阻止し、禁制技術の出どころも突き止め、ついでに大企業の陰謀まで暴いちまった。終わってみればパーフェクトゲームに近い結果だ。

 まあ、エジモンドに記憶データを差し出させたのは、お前の手柄だけどな》

「なにが〝俺たち〟だ……馬鹿にするな……!」

《はっは。お前、取り繕う余裕なくして崩れてる口調の方が、自然体でいいよ。――さて》

 憤懣吐き出し切れぬアンジェラをよそに、ルイスは今しがた守った第七惑星の方を見ている。

《そろそろ来るだろうとは思ってたが、ちょうどだな。本社近くで状況がごちゃつかんように、こっちが片付くタイミングを見計らってたか……?

 なんにせよ、恩知らずもいいとこだ。報いは受けてもらおう》

 視線の先に、光点が三つ。アンジェラも気づいた。

 所属不明機の反応。まず間違いなく敵。

 ドレクスラーの刺客が来る。

《では、カノーヴァ三等哨尉どの――俺の人格を評価してくれる必要はまったくない。期待もしない。ただ、仕事を真面目にやる気があるなら、戦い方だけは見ておけ。

 これから実演するのは、お前がいずれは介入できるようにならなきゃいけない、人型全領域戦闘機シングラル同士の空間戦闘ってやつだ》

 家庭教師が気軽な個人指導チュートリアルでも始めるような調子で言い置き、ルイスは時空の綾目を蹴って飛んだ。

 アンジェラは、最前から一転、押し黙っている。

 言いたいことも、聞きたいことも、まだいくつもあった。

 本当に、エジモンドを救う道はなかったのか。

 懲役四百年の凶悪犯。汚い仕事。未だ何も知らぬに等しい、ルイス自身のこと。非武装の市民を虐殺したとは事実か。それを〝ぼろい商売〟と嗤ったのは本心か。

 カノーヴァ本家が歴史の影で果たした役割を、なぜ知っていたのか――。

 だがそれらは、生きて〝テオフラスト〟に帰ってからすればよい話。いまは戦いに臨むアクターの集中を、乱すべきではない。

「エジモンドさん……〝あなたは悪くない〟なんて、もう誰にも言えないけど……私は、せめて覚えておくから」

 凶悪犯罪者として記録に残るであろう男が、どのように愛し、哀しみ、憎み、生きたか。その記憶に触れることを許された者として、責任を果たそう。

 俯けた顔にかかる〈焔髪ファイアブロンド〉のひと房を、小さなわが手で握りしめ、固く強く、少女は想った。警兵として、ドレクスラーもシャドウも、決してこのままにはしないと誓った。


 心を未来に馳せるアンジェラは、しかし知らない。

 ルイス・ルービンシュタインの戦法が、シングラルによる空間戦の実演と称するには、無体なまでに典型を逸脱しすぎていたことも。

 その戦闘ログを受け取ったジェシー・ロックウェル・クシウスが、あまりの異常値に「こいつは人間か?」と訝る数分後の未来も。

 幸か、不幸か。知らぬままに彼女は、初めての機兵戦へと投げ込まれてゆく。

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