エドワード・ローレンス(3)
エドワード・ローレンスは空を蹴って〝上昇〟し、
黄道面上には有人惑星や主要航路が集中しており、フォトンドライバーなど高エネルギー射撃兵装の使用に制限がかかる。射程に優れる砲戦型シングラルの性能を活かすため、第一狙撃ポイントを上下にずらすのは、いわば星系内戦闘における戦術的マナーだ。
「本物の敵は、四機……」
仮想視界には、千機以上の反応を示す光点群。むろん、最初に母艦が探知した四機以外は、敵が
エドワードは些かも心乱さなかった。初手でデコイを撒くのは、強襲のお約束と言ってもいい基本戦術だ。当然こちらからも同様の電子攻撃を仕掛けている。邪魔になるため自機の拡張現実層には表示させていないが、いまごろ敵の仮想視界にも、〝テオフラスト〟と〝プロト・ケーニギン〟の
しかし母艦がすぐ後ろに控えている今、仮想戦域の演算リソース比は大きく味方に傾いている。〝テオフラスト〟の情報支援を当てにできる限り、
予想した通り、展開された敵デコイが急速に消失し始める。仮想視界の下方に、幻の敵群へ向けて飛翔する、無数の氷片の鋭いきらめきが見えた。〝テオフラスト〟が放った〈
形而下界の物理法則に縛られず、幻視の空を舞う氷弾たちが、影法師の軍勢を千々に刻む。仮想デコイのような、大別して〈
やがて、四機の敵本体ノードが一斉に仮想戦域から
仮想視界の隅に、敵機の拡大像が映し出された。エドワード自身の操作で取得された情報ではなく、TAネットを介しての、母艦からの支援。
装甲色は黒く変えられているが、形状は見慣れた機種のものだ。反連邦勢力に広く普及し、CJPOの〝グラディウス〟を凌ぐ基本性能で警兵たちを苦しめてきた、抵抗と革命の象徴。汎用量産機でありながら、最も有名な聖剣の名を冠する
《機種同定、MSOX‐0R2〝エスカリボール〟――あれ〝ザナドゥ〟の機体じゃないですか。え、なに、こういうときの工作用に? 反連邦勢力の独自開発機までストックしてあんの? うっわー用意いいなー某D社……》
声のする方を振り向けば、いつの間にか、〝プロト・ケーニギン〟の左肩に女が座っている。
「おっ、なんだ、オペリーダーの姉ちゃんじゃねえか。機付やってくれんのかい」
《正規のTIOが乗船できなかったようなので、臨時措置ですよー。まあ念のためというか、もう仕事なさそうですけど》
「ハハハ、違いねぇ。あとは
《入りから切り換えまで、セオリーにとことん忠実な相手みたいですしねえ》
ジェシーの言う通り、後ろ暗い出自を窺わせていながらも、敵部隊は奇抜なことを何ひとつやっていない。
勝てないと解っていながら
エドワードの腕をもってすれば、通信が遮断される前に一機や二機程度は狙撃で落とすこともできたが――今回は懐に入らせてからの殲滅がクライアントの
「さあて、敵がどうやら
《二機くらいまでなら、ローレンスさんが抜かれても
「言うねえ」
痩身に分厚い甲冑を着込んだ騎士のような、〝プロト・ケーニギン〟が右手を挙げる。肩部ラックに懸架されていた長大な連装砲が、ひとりでに固定から脱して宙を滑り、その
旧式化しつつあるウォーロック級戦艦の主砲部品を流用・再設計したという、低コスト高火力が売りの携行型
仮想視界の中で、すべての敵が〝Eライン〟を越えた。
「始めるぜ」
宇宙空間での狙撃戦は、地上のものとは理合いを異にする。
周囲は真空であり、弾体は光子束である。風向きや気温、湿度、惑星の自転が生むコリオリ
加えて全領域艦やシングラルが飛び回るような戦場では、それらの
然るに、長距離砲撃型シングラルが宇宙で行う狙撃とは、耐レーザー装甲を貫通可能な高出力フォトンドライバーの連続照射を以て、〝敵の予測軌道をなぞる〟が如くに放つ線形の斬撃である。
三本の砲身を束ねた〝
「出方を見せろや。避けるか、防ぐか……!」
初弾。白く、蒼く――うねる光刃が、飛んだ。
可視領域を遠く越え、過剰なエネルギーを凝縮された
輝く死線が、過たず標的と交わるその一点。命を呑んだ火だけが持ちうる
命中。そして撃墜。
「は? ――なに?」
残る三機は味方の死にも動じず、似たり寄ったりの
「
ぼやきながら、次なる敵機を見据え、構えた。
目まぐるしく描き足されては剪定されてゆく軌道予測線。そこへ、狙撃手の勘による
光刃が閃く――今度は、避けた。
大きく空を蹴って〝右〟へ。そこで、続く連刃に手足を刻まれ、胴体だけになった黒色の〝エスカリボール〟が慣性のまま、しばし宙を漂う。
光芒の筆が描いた
連続照射ばかりが能ではない。フォトンドライバーの砲身は、全体が凝集光の
撃墜には至らず。だが戦闘能力は喪失せしめた。エドワードはまたも拍子抜けする思いで、大破した敵機を見やる。
「企業が送り込んできた暗殺部隊にしちゃあ、やけに……」
脆い、と言いかけた瞬間、胴体だけの〝エスカリボール〟が爆散した。
「……自爆だと!?」
《一機が転進、そっちに向かいます!》
戦闘時にしか許されぬ高加速ビットレート帯へ引き上げられた意識が、圧縮された時間の中、ジェシーの声を聴く。
砕け散る機体に乗った運動ベクトルのまま引き伸ばされる、緩慢な爆炎の〝下〟を這いくぐり、飛び出してくるは第三の敵機。その手元が光るのを視認するより早く、エドワードは
紙一重で制した機先。〝プロト・ケーニギン〟の前面に立ち現れる、光さえ通さぬ空間歪曲面の
エドワードが小刻みに撃ち返す牽制の光弾を、DiScで弾きながら迫りくる敵三番機。その後方、最後の敵機が〝テオフラスト〟へ向かう軌道を維持する。残った二機で、直掩の排除と本丸への攻撃に、それぞれ役割を分けるものと見えた。
戦闘速度に同期したミハイロヴィチの声が、戦域ネットを流れてくる。
《どうやら捨て身の構えだな。こちらに来た方はクシウスの宣言通り、本艦で受け持つとしよう》
常識で言えば、この局面から敵が採るべきだった最良の戦術は、各個撃破の基本に則ることである。
二機がかりでエドワードを叩き、邪魔がいなくなった後で母艦を攻撃する。実現性はともかく、これが最も生存率の高い戦法には違いない。
暗殺者たちがそうしないのは、彼ら自身、二対一でも〝プロト・ケーニギン〟に勝てないことを、すでに承知しているからだ。
一方が時間を稼ぐ間に、他方が何としても対艦攻撃を成し遂げる。どちらも無事で済むはずはない。生還を勝利条件に含めない、死兵の戦い方であった。
「愛社精神が行き過ぎて……つうほどの気迫も感じねえな。となりゃあコイツら、使い捨ての〝聖人〟か」
格納庫で出会った、存在感の希薄な同僚を思い出す。
ヘルマン30。番号つきの名を持つ男。
極刑に類する高強度の人格矯正処置を施され、人権を競売にかけられた重犯罪者――
彼らは〝所有者〟の命令に逆らえない。殺せと言われれば殺し、死ねと言われれば死ぬ。その哀れな生きものを指して、誰かが称した〝聖人〟の異名に、エドワードはいつも漆黒の悪意と詩趣を感じ受ける。
《ふむ。確かにドレクスラーなら、師団単位で〝聖人〟を買い込んでいても驚きはせんが……なぜ判る?》
「戦ったことがありゃあピンとくるさ。あいつら動きがおかしいんだ。直線的で……死に無頓着になる。人格矯正の影響かもな。
しかしなぁ、〝聖人〟でも訓練された奴はもっと手強いはずだぜ。なんだってこんな素人くさいのを、たった四人で寄越す? 鹵獲シングラル四機も安くはなかろうに」
《それはまだ解らん。……あるいは、我々をここで沈めようという気が、そもそも乏しいのかもしれん》
ミハイロヴィチの謎めいた考察に、真意を問う
黒い〝エスカリボール〟の肩部が開き、数十発のマイクロミサイルが射出された。一拍遅れて噴射炎が輝き始め、上下左右から大きく回り込む軌道で〝プロト・ケーニギン〟に向かってくる。
ナノ合成材料のみで作り出せる、安上がりの化学推進ロケット。空力を利用できぬ宇宙では追尾距離が短く、
機の全身を覆い、実弾を悉く無効化するIDeA。一方向に斥力フィールドを集中させ、フォトンドライバーすら防ぐ
物理装甲の損傷を嫌ってDiScを解除した隙に、本命のフォトンドライバーで狙ってくる腹積もりであろう。シングラル同士の空対空戦闘において、これも基本中の基本と呼べる戦法だった。
「本当によォ、マニュアル通りの促成栽培って感じがするぜ」
エドワードはDiScを維持したまま、〝
出力では第一砲門のフォトンドライバーを上回る、艦砲規格のアンチプロトンドライバー。砲撃モードは拡散掃射にセット。砲基部の
DiScの空間歪曲面は一方通行。弾道への影響さえ計算に入れれば、裏面から透過させての射撃に何ら不都合はない。
引鉄を絞った。
三連砲塔、二番目の砲口より、赤い雷火が群龍となって迸る。昏く凍えた宇宙の一角に、つかの間、眩い幻炎の雨が降った。
己の縮退圧で撃ち出された反物質の散弾そのものは、やはり可視光では見えない。だがその効果は、仮想視界に頼らずとも知れた。
一斉射でミサイル群は残らず爆滅。のみならず反陽子流に呑まれた敵機本体も、全身の装甲が融け崩れ、穴だらけになっている。
明らかな戦闘不能、半壊の様相であった。
「レーザーでなけりゃ、喰らっても大丈夫と思ったかね。甘い甘い」
IDeAに対する
実体弾のようにまったく無効化されてしまうわけではないが、フォトンドライバーのようにほとんど素通りするというわけでもない。相応の減衰を受けながらも部分透過する――軽量微細な加速粒子の一部が、量子トンネル効果の影響で確率論的に斥力膜をすり抜けた結果、そうなる。
あくまで一部に過ぎない以上、破壊効率は低い。しかるに最初からIDeAを貫けるフォトンドライバーこそが射撃戦の主役であり、実弾や粒子ビームはあくまで牽制用のサブウェポンとして運用されるべきもの――シングラル・アクターの常道。まったく正しい。まともなシングラルが携行する、通常規格の火器に関してなら。
いみじくも変態企業などと呼ばれる、ブラックスミス社が作り上げた〝プロト・ケーニギン〟については、話が別だ。
艦載砲を流用した〝
絶大な火力と引き換えに機動力と格闘能力を捨てた〝プロト・ケーニギン〟は、近間の敵に単機で立ち向かう状況など、本来想定されていない。高出力粒子砲の広域掃撃を近接戦の生命線とする運用は、砲戦型シングラルの弱点を補うべくエドワードが独自に編み出した〝技〟である。かくて
ほどなく、半壊した三機目も自爆し、すべての秘密を命もろとも火球の中に隠滅し去った。
「テンションの上がらねえ殺しだぜ。まったく」
その操手が本当に〝聖人〟であったのか、それとも未熟ながらに社命を全うせんとした企業戦士であったのかは、もはや知れない。エドワードにとっては、どちらでもよいこと。
殺して愉しくない敵に、興味などなかった。
エドワードが機踵を返し、三機と連戦する間に開いてしまった距離を飛び戻ると、母艦はまだ最後の敵機と戦っていた。
「そっちはどうだ。助太刀が要るかい」
いちおう問いかけつつも、エドワードはその必要を認めなかった。視線の先、〝テオフラスト〟は全領域艦らしい機敏さで戦域を泳ぎ回り、残る一機の〝エスカリボール〟を寄せ付けていない。
《無用っぽいですねー。ノインツ一等哨尉の砲戦指揮が、なかなかアートでして……うわ、外から見るとあんな動きしてんの、うちの艦?》
激しい戦闘機動を行う〝テオフラスト〟のCICから、間延びした声とともにジェシーの投影体が飛んできた。仮想身体でも明らかなほどの脱力ぶり。すでに趨勢は決したと見て、緊張感を失いつつあるらしい。
クルーの顔や役職を把握せぬうちから出撃する羽目になったエドワードは、彼女の挙げた名にも心当たりがない。当て推量で問い返す。
「ノインツとやら、砲術長か? ふつう三等巡佐あたりが務めるポストのはずだが」
《本来の適正階級はそうですね。歳も若いし、異例の抜擢ってやつです。例によって、艦長がどっかから引っ張ってきた人材らしいですけど》
手すきの二人が交わす気抜けた会話をよそに、
シングラルが採りうる最大効率の対艦攻撃手段は、リパルサーブレード等による近接格闘である。
IDeAの力場を中和し、実体装甲も物性を無視して貫ける
それを阻み続けているのは、〝テオフラスト〟の変幻をきわめた操舵と、その乱舞にぴたりと息を合わせて追随する、火器管制の巧技であった。
艦体各所の固定兵装。装甲表面を縦横に走る浮動砲台。多種の対空火器を連携させ、紅の船は交差する射線の只中に敵を追い込んでゆく。なるほどその火力投射には、ある種の構築的美学が感ぜられた。シングラル・アクターとして近い仕事をするエドワードだからこそ、理解できたのかもしれない。
《そろそろ詰みますねー。帰投の準備しといてください》
「俺が言うのもなんだが、呑気だねえ」
危なげなく運んだ対空戦闘は、絞り上げるように収束する火力界の焦点で、最後の刺客が焼き尽くされて終わった。結果を見れば無傷での圧勝。直掩機の立場からも余裕を持って観戦していられる、見事な手際だったと言える。
「なるほどいい腕だ。……ちなみに、
《あー、あれ艦長ですよ。四機目がこっち来てから、ローレンスさんと話してるあいだも、ずっとこの艦ぶっ飛ばしてました。正規の操舵手が来てないとかで、昔取った杵柄がどうのこうの……》
「あのジジイ。マジかよ」
思わずこぼれた呟きは、さすがにまずいと思い、他人に聴こえぬローカルチャンネルへ流した。
聞けば、かつて若き日のミハイロヴィチ・ディミトロフが辺境星系に赴任した折、現地にはシングラルが一機も配備されていなかったという。
仕方なく、代わりに寄越されていた旧式の非人型戦闘機〝シヴァラーク〟を駆って、ミハイロヴィチは星間航路のパトロールに勤しんだ。そんな骨董品で宇宙海賊の小艦隊と渡り合ったともいうから、それなりに腕利きのパイロットだったのだろう。
宿将の意外な過去を吹聴するジェシーの声は、揶揄するような口調と裏腹に誇らしげなもので。ミハイロヴィチへの傾倒ぶりが窺えるその様子に、エドワードはどこか微笑ましさを覚える。
すべてが遠い感情だった。〈
自分が何と話しているかなど、知らぬげに女は続ける。
《まあ、頭脳労働に専念したいとも言ってたんで、今後はちゃんと専門の操舵手が艦を飛ばすことになると思います。滅多なことでは、今日みたいな
「是非そうしてくれ。さっきは
《母艦の戦闘機動に巻き込まれて事故死ってのは、アクターとしてたいへん不名誉な殉職経緯になりそうですねえ》
《――貴様ら、私が艦の力場で味方を轢き潰すような間抜けだと、本気で思っているわけではあるまいな?》
回線に割り込んできたミハイロヴィチの声を聴くや、「ひょわああ」と奇声を発してジェシーの投影体が消失する。CICでは生身の彼女がお叱りを受けていることだろう。エドワードは苦笑した。
《新たに入った情報から、襲撃の第二波はないと判断した。ローレンスもいったん戻れ》
「
シングラルという強固な殻に包まれていても、上下さえ定かならぬ星間空間に漂う時間は、確実に人間の心身を蝕む。新たな情報とやらが気になりはしたが、艦を守れる現状ただ一人のアクターを休めるときに休ませておくのは、理に適う命令と思えた。
虚空をひと蹴り。重力波の描く光輪を残し、〝プロト・ケーニギン〟が加速する。向かう先は〝テオフラスト〟下部発着口。迎え入れるように開いたハッチから、着艦誘導用の仮想ビーコンが伸びている。宇宙に敷かれた光の道標は、艦載機が触れると艦の重力場を変形させ、勝手に格納庫へ運んでくれる仕組みだ。
休憩に入ったら飲み物を調達しよう、艦内自販機にコーラがあったはず――などと思いつつ、エドワードがのんびり機体を流していると、開いたままだった回線から再びジェシーの声が聞こえた。
《〝前線〟のカノーヴァ三等哨尉から連絡、向こうにも動きがあったようですが……これは……》
オペレーターらしからぬ、妙に歯切れの悪い物言いが引っかかり、思わずエドワードは聞き耳を立ててしまう。
しばらく沈黙が続き、やがてミハイロヴィチの忍耐強い声が続きを促す。
《どうした。不測の事態か》
かぶりを振る気配。不明瞭な呻きを洩らしながら言葉を探していた様子のジェシーが、ようやく返したのは前線の現況ではなく、エジモンドの身柄の行末でもなく。
宇宙に時ならぬ寒風が吹いたような、震えた声での問いだった。
《……艦長。あのルービンシュタインってヒト、なんなんです? ほんとに人間ですか?》
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