アンジェラ・カノーヴァ(6) / ヴァナー・エジモンド( )
フォルグ救援艦隊の本隊は、予定通り、ヴァナーが拘束されてから七日目に姿を現した。
仮の拘留場所として宛がわれた部屋で、壁の投影窓から船外を眺めていたヴァナーは、仮想空間を行き交うトラフィックの輝きが急激に増したことで、その到着に気付いた。
先遣艦隊が滑るように後退し、入れ替わりに何十倍もの艦艇が進出、音もなく虚空に整列してゆく。あれが本隊。最小限の準備期間で送り込まれた即応部隊でありながら、処理すべき事態に比例してか、その編成規模は大きい。
救援物資を満載しているであろう輸送艦が後ろに下がり、護衛として同道したらしい戦闘艦が前に出ている。宇宙海賊や反体制勢力の襲撃を警戒したにしても、ずいぶん数が多い。それが縦横に広く展開し、難民たちの船団を押し包む壁のごとく、艦列をシート状に変形させてゆく。
傷病人の受け入れや救援物資の積み込みを行うなら、輸送艦が前へ出て一隻ずつ接舷するはずではないのか。
あれでは、まるで――ひと塊になった難民たちを、戦闘艦群で包囲しているような――
ちかり、きらり、と。
明滅する星のように、艦列が瞬いた。
何らかの光信号であろうか――などと、見惚れていられたのも一瞬のこと。仮想視界を乱れ飛んだ異常なデータストリームの波が、すぐにヴァナーの意識をそちらへ向ける。表示画面を二枚に増やし、新たな投影枠に難民船団を映し出した。
いくつもの火球が花開いて、消えてゆくところだった。
「……なんだ?」
爆発?
事故だろうか? 数は十や二十ではきかない。あんな数の避難船が……同時に?
このとき、船団が攻撃されたという発想が彼の頭になかったのは、無理からぬことと言えよう。フォトンドライバーの火線は、光学カメラに映らない。
加えて先入観もあった。CJPOの艦隊が布陣する宙域で、誰が、どうして、連邦市民を攻撃できるものか。そもそも、救援物資を狙うならともかく、難民を虐殺したところで何の意味があるのだ――。
そうした常識的判断を、何ら省みることなく。
一度目より遥かに多く、強く、虚空に織り成される光点の綾目。そこから無数に伸びる輝線が、今度は光学映像でも見えた。それは本来なら見えるはずのない、レーザーの光軸。最初に爆散した船群の残滓がガスや
光の槍が
――攻撃、されている?
フォルグの避難民たちが、CJPOの救援艦隊に、砲撃されている。
ようやくヴァナーがその認識に辿り着いたとき、すでに宙域の仮想回線はパンクしつつあった。難民船団の誰もが、誰かに届けばよいとばかり、公共帯域の
――撃たれている。誰に? 救援艦隊に。そんな馬鹿な。
――何かの間違いだ。なぜ我々を撃つのだ。
――誤射だ、やめろ、敵ではない。ふざけるな。船が爆発している。人が死んでいる。
――何の権利が。意味が。こんなことは許されない。我々は要救助者だ。被害者だ。難民だ。
――殺される。助けて。殺さないで。いやだ。
――死にたくない。
救援艦隊から応じる声はなく、ただ粛々と、砲火の猛撃が報いた。
CJPOの攻撃は比類もなく暴力的でありながら、徹底して効率化された殺戮戦術の具現でもあった。外側に位置する船、あるいは包囲を抜けて逃げ出そうとする船から集中攻撃を受け、爆散してゆく。自然、逃げ惑う避難船たちは集団の内側へと追い込まれ、ますます屠りやすい密集配置へとまとめ上げられる。
あっという間に、各船は身動きすらままならぬ過密状態の中、逃げ場なく撃ち減らされてゆくばかりの哀れな羊群と化す。芸術的なまでに悪辣なその手際を、ヴァナーは蚊帳の外で傍観するほかなかった。
「……どうなってるんだ、くそ、レナ! レナ! 応えてくれッ……」
砲撃が始まってからずっと、接続要求を送り続けている。応答はない。虐殺される民の叫びが混線する中では、ヴァナーの飛ばすパケットだけが特別扱いされる理由などなかった。
だが、次第に輻輳は収まり始めた。いかなる奇跡か? 歓喜しかけ、一転してヴァナーの背筋が冷える。通信量が減ったのは、単純に生存者が減ってきたからだ。いまも減り続けている。仮想回線はクリアになり続ける。
「れ……レナ! CJPOの艦隊が……きみたちの船団に砲撃を!」
《見えてる。ヴァーニイ、おまえは無事だな》
混沌と破滅の渦中にあって、レナは奇妙なほど落ち着き払っていた。そこに好ましからざる覚悟のようなものを見て取り、ヴァナーは小さく身震いする。何も気づかなかったふりをして、頷いた。
「僕は包囲網の外だし、CJPOの船に捕まってるから……それよりレナ、どんな方法を使ってもいい。脱出してくれ。
誰を押し退けても、騙しても……殺してもいい。船を壊してでも、そこから逃げてくれ。きみがそこで、生き残るためにどれだけ犯罪行為を働こうと、僕が赦す。どんな罪でも僕が背負う。だからお願いだ……生きてくれ!」
《ヴァーニイよ……おめー、たとえ命が懸かってたって、あたしがそんなことできねえの、知ってて言ってんだろ……》
当然、知り尽くしていた。だから、思いつく限り強い言葉を使った。
あの火の中で消えゆく幾億の命。その中で、ほんとうにヴァナー・エジモンドが救いたいのはレナひとりなのだと、醜いエゴを敢えて曝け出してみせた。
それでも正しさを捨てられないのが彼女だと、わかっていた。
《ま、あたしが乗った船も被弾しててよ……どっちみち、脱出ポッドのある区画には、もう行けねえんだわ。行けても、外の連中が逃がしてくれるとは思わねえけどな。
……なあオイ、ネグリさんよ。こりゃ一体、どういうことなんだ?》
ヴァナーが振り返ると、部屋の扉が開いており、蒼褪めた顔のリザレス・ネグリが立っている。
ここ四日間をレナと密談しながら過ごすうち、アドレスの管理者としてたびたび会話に加わることのあったネグリは、すっかり夫婦共通の友人のようになっていた。その彼に、いま画面の向こうからレナが送る視線は、鋭い。ヴァナーがめったに見ることのない眼光。刑事の目だ。
《いくらCJPOが公営ヤクザだとか言われてたって、星域災害の避難民を意味もなくブチ殺しや、しないだろ……》
「……〝
弱々しく告げるネグリ。憔悴と悔恨が日頃の余裕を剥ぎ取り、歳若い警兵の素顔を
「フォルグを脱出しようとする難民は、もう大部分があのハローなんたら言うナノマシンに汚染されてるから、系外に出すなって……危険を冒して治療するより、銀河系全体の防疫のために、ここで確実に除染しろって! そういう命令が出たんだよ!」
ヴァナーが投影したままのスクリーンに、いまも映り続ける無音の大虐殺。いやでも解る。ネグリたちが命じられた〝除染〟とは、禁制技術兵器でもある病原体を、感染者ごと殺滅するということ。
「そんな……だってレナは、レナの乗った船は……」
《あたしのいる船だけじゃない。ここに集まってる船ぜんぶが、感染者を紛れ込ませないように徹底的な検査をしてるはずだ。
少しでも疑わしい奴は宇宙港で蹴り落とされたり、エアロックから放り出されたりもした。あたしはその胸糞悪い光景を見てきた。なのに、〝大部分が汚染〟? ジョークにもならねえ。どこにハロルドのゾンビが紛れ込んでたってんだ》
「わかってる! 俺を含めて船団と接触した奴は、みんな知ってることだ。ここにケガ人や普通の病人はいても、アレの感染者なんかいなかった。
泣きそうな顔で、ネグリはかぶりを振る。
「誰かが俺たちの報告を握り潰して、真逆の内容のレポートを後ろに送ったんだ。そうとしか考えられねえ。それで政府がビビッて、こんなムチャクチャを……」
「誰かって誰だ、何のために!」
詰め寄るヴァナーにネグリも怒鳴り返す。どちらも冷静でなどいられなかった。男たちは二人とも、そこまで強くはなかった。
「わからねえよ! 畜生ッ――俺は真っ当に自分の仕事をしたんだ。俺の責任じゃねえ、こんなことになると知ってりゃ、俺は……」
「いいから、あの攻撃を何とかしろよ! 間違った情報で起きてることなら、正しい情報で止まるだろう!?
感染者はいない。いたとしてもわずかで、薬は充分ある。助けられるじゃないか、間に合うはずじゃないか!」
「ムチャ言うな! リスク評価が終わって、連邦政府の裁可も下りたオペレーションになっちまってんだぞ。もう止められるワケねえ――」
「だって、あそこに……レナなんだぞ! わかれよッ!」
「俺が知るか! 俺にわかるかッ!」
《――ストップ。てめーら、そこまでだ》
静かだが圧のある声が、成人男性たちの子供じみた掴み合いを、ぴたりと止めた。
《これが誰かの陰謀だってんなら、
ヴァーニイ、おまえは生き延びることだけ考えろ。ここで起きたことも、あたしのことも、全部……忘れろ。赦せ。誰も恨むな》
突き放すような物言いの、あまりの残酷さにヴァナーは絶句した。
強すぎる。立派で、完璧で、非人間的であり過ぎる。そんなことができると、彼女は本気で思っているのか。
認めたくないと沈黙で抗議しながら、しかしどこか諦めのような納得も、ヴァナーの中にあった。
こんなときでも、彼女ならそう言うのだろう。言えてしまうのだろう。強く、清く――自分が憧れた無二の
だが、主人公がこんなところで死んでいいはずはない。
物語が終わってしまう。彼女がいなくなるということは、ヴァナーにとって、なにか世界の中心を貫いていた運命の軸のようなものが失われることを意味した。すべての事物が無意味になり、この広漠たる暗黒の宇宙に漂流するということだった。
あってはならない。だからこそ、ここからでも何らかの奇跡が起きるのではないかと期待した。彼女は特別なのだから、絶体絶命の窮地であろうと、世界がささやかな贔屓をかけてくれるのではないか――。
理性の欠片もない楽観に縋るヴァナーの、信仰にも近しい盲目の愛が向かう先。
画面の中で気丈に笑んでいたレナの声が、ふと揺らいだ。
《……って、ホントは言わなきゃいけねえんだろうけどよ……》
「レナ?」
レナが俯き、かぶりを振る。刹那、微笑みの端に自嘲が閃き、上げた
《できたらでいい。ほんとに、無理はしなくていいんだ。けど……
赦すな。絶対に。このふざけたクソ犯罪を、闇に葬らせるな》
きっと、それは無念の表情だった。
《難民を根こそぎ殺して、誰に何の得があるかは知らねえ。だがそいつは
運命に不死の特権を約束された、英雄譚の主人公ではなく。
巨大な犯罪の渦中で、無為に死にゆく刑事が流す、慚愧と悲痛と口惜しさと、怒りの涙であった。
《ごめんな、ヴァーニイ。たぶん、死んでも愛してくれるよな。そういうおまえに、つらいことばかり頼んじまうけどさ……
仇を取ってくれ。
いっしょに恨んでくれ。
あたしのこと、忘れないでくれよ……ッ!》
「レナ、
瞬間、愛しい妻の背後から射す、眩い光。
轟音と共にノイズが走り、通信が途切れた。
「……え?」
難民たちの船が撃ち減らされてゆく様子を映し続けていた投影画面の中で、ひときわ大きな爆光が膨れ上がり、消えていった。
ちらりと見えた輪郭でわかる。沈んだのは、船団の中心付近で身動きできなくなっていた、巨大な星間客船だ。
何万隻と蝟集していた避難船の中で、なぜそれを判別できたかといえば。
「……う、嘘だ、いやうそだうそだ。こんな馬鹿な、間違いだあり得ないあれは違うあれは別の船だ別の、そんなわけはないだって彼女は」
その船に自分が乗っていると、レナに教えられていたから。
「そうだ、再接続――映れ。繋がれ。映れ映れ繋がれ、早くレナに、レナにっ」
回線再接続アイコンを連打するヴァナーの仮想視界に、いくつものエラーメッセージがポップアップする。通信不能。該当アドレスなし。検索結果0件――
「なんでだ! なんで!」
「もうよせ」
肩に置かれたネグリの手を振り払い、叫ぶ。
「ただの通信障害だ! レナはまだ、あそこに」
「もう……死んだよ」
「死なない! レナは死なないんだッ!」
「何言ってやがる、死ぬんだよバカ野郎! 死んだんだ! あそこで他の誰とも変わりなく普通に、大勢の中の一人として死んじまったよ!」
「うそだ――うそだ。こんなことが現実のわけはない。ありえないんだ。レナは……あんなに特別で……」
――仇を取ってくれ。
「っ……ぐ、ぅ」
夢を見ていた。
特別な人を愛し、その人に愛され。平凡でつまらない自分にも、この世界で演ずるべき役が与えられたような。
終わらない舞台の上で生きているような、きらびやかな夢だった。
――いっしょに恨んでくれ。
「いやだ……だってきみは、僕の、人生の……たった一人の……」
夢の舞台に、幕が下りた。
彼女は主人公ではなく、自分も主人公の付属品に甘んじていられる端役ではなく。ただこの現実に投げ出されて、寄る辺なく意味もなく存在しているだけの、ちっぽけな一個の生身だった。
生きているから、死ぬのだ。当たり前の現実。認めたくなくとも、目の前に置かれた結果は消えず、変わらず、慈悲なく告げる。
レナ・エジモンドは死んだ。
ありふれた愛の呪いを遺して。
――あたしのこと、忘れないでくれよ。
「あ……あぁあ、ぅあ、ぉォアア――」
言葉は絶えた。
あとに残ったのは、苦々しげに沈黙を噛み締める警兵と、身を丸めて咽び泣く、ひとりの男の残骸のみ。
若きエジモンドの慟哭を前に、気付けばアンジェラはへたり込んでいた。
「こんな……こと、って」
隠匿された〝真実〟さえも嘘。
やむを得ない政治的判断、大を救うべく小を切る――そのような合理の悲劇すら、まだ美しすぎる虚構だった。
難民たちは、〈
助けるはずの民を虐殺させられた警兵たちの傷心も、宇宙にぶちまけられた幾億の死も、等しく無意味で。
《さて、警兵さん……きみは何と言っていたかな……もう一度、言ってくれないか?》
背後から、ひどくやさしく、乾いた声がかけられる。
アンジェラは振り返れなかった。いま、目の前で精神の火刑に処され燃え崩れてゆく男が、二十二年の歳月を経て、いったい何になってしまったのか。それを確かめるのが、恐ろしくて。
自分が投げつけてしまった言葉の数々を、思い出したくなくて――。
《彼女の犠牲は、必要だったと》
必要などなかった。
《無駄じゃなかったと》
無駄だったのだ。
《もう一度、言ってみろ、
――止められると思っていた。正しい言葉と、想いがあれば。
人に生来の悪はなく、ただ間違いがあるだけなのだから、その間違いを正すことさえできればよいと。いかなる悪党も犯罪者も、理を以て説伏できてこその正義と信じた。
だが、相手が間違っていなかったとしたら、どうすればいい?
あるいは、正しさというものをついに見限った人間が――敢然たる意志のもと、誤れる道を選んで歩む人が――相手であったなら?
「どうしてだ……ァァア……なんでェェ……」
終わってしまった物語の世界で、焼け残った男がひとり。黒く満ちる喪失の海に、尽きせぬ呪詛を溶かしながら、無限に内破し、転生してゆく。在りし日の輪郭だけを残した、人型の虚無へと。
アンジェラ・カノーヴァは悟る。
これが〝諦める〟ということ。これが、〝絶望する〟ということなのだと。
こんなものを止められるわけがない。
これほどの怒りを。哀しみを。――救いようのない、愛を。
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