アンジェラ・カノーヴァ(4) / ヴァナー・エジモンド(0)

 昼間でも薄暗い路地裏に転がされたとき、ヴァナー・エジモンドは瞬時に抵抗を諦め、ひたすら祈った。

「お兄チャンさ。俺らビジネスマンなんだわ。わかる? ビジネスしようぜ」

現金キャッシュ電貨片チップ。トークン。口座の鍵。カネと、カネになるもの、なんでもドーゾ。お代は身の安全の保障な!」

 冗談にしか聞こえぬストリート流の〝交渉〟も、暴力とセットになれば笑い事ではない。

 どうか命までは取られませんように。いま自分に蹴りをくれている頭の悪そうな男たちが、金目のものだけで満足してくれますように。痛みに耐えながら、抱え込むようにして頭を守る。

 丸めた身を震わせる、恐怖と屈辱。しかし頭のどこかで冷めた自嘲が囁いている。こんなものは古来ありふれた不条理に過ぎない。高位技術圏に分類されるネンティス星邦の、主星ラダンの都市部でさえ、こうして一般市民を食い物にする犯罪者はいるものだ。日々どこかで起こっている強盗事件の一つが、たまたま自分を被害者として発生しただけ。

「死んじまったらカネもIDも意味ねえからよ、これマジお得な取引ってやつじゃね? 破格じゃね? 相場ブレイクしちゃうよ?」

「出しますっ……出すからやめ……やめて、ください」

 平身低頭、無様に這いつくばり、財布を差し出す。さほど大金が入っていたわけではない。薄給の鉱山技師見習いが持ち歩く金額など、たかが知れている。

 ただ、もぎ取られる財布の重みだけが、ずしりと手の中に残った。の重さだ。己の惨めさに、思わず愕然とする。もう取り戻せない。

 仕方ないじゃないか、とまた理性が言い訳を紡ぐ。ブラックマーケットの需要から、頭蓋を叩き割って補助脳を引きずり出す強盗殺人事件まであるというのだから、死ななければ儲けものと考えねばならない。傷だらけになろうと無一文になろうと、とりあえず家まで帰りつければなんとかなる。生きてさえいれば。いまはただ耐える。勝ち目は皆無。反撃は無意味。フィクションのようにヒーローが助けてくれることなどない。弱者はただ悪の前に膝を屈して許しを乞うのみ。それが、現実というもの――

「おい。てめーら、強盗の現行犯っつーことでいいよな?」

 清風が吹くように。

 凛然たる、女の声だった。男たちの暴行が止まる。ヴァナーは土下座の姿勢から首を巡らし、声のした方を見る。

 気性を表すように真っ直ぐの褐色髪ブルネット。すらりと伸びた四肢を包む、白と濃紺の制服。光子拳銃ブラスターを片手で構えた様が、場違いなほど絵になる。

 少女と言っても通じそうな外見年齢の、女性警官だった。

「そいつを放せ。った財布も置け。大人しく捕まりゃあ、余計な罪状を上乗せしなくて済む」

 こう言われて素直にお縄を頂戴するような輩であれば、通行人を襲って金目の物を奪う刹那的生活などしてはいない。

 加えて、女も片手で扱えるよう設計されたコンパクトな光子拳銃では、体格と筋肉にものを言わせる古典的クラシックスタイルの匪賊にとって、些か威圧感が足りなかったらしく。

「んッだコラァ! 雌ガキがイッチョマエに警官マッポやんのかオラァ!」

「ブチ犯してブチ殺してドブに捨てっぞアァ!?」

 ヴァナーを踏みつけにしたままの一人を残し、各々口汚く凄みながら、四人の男たちが婦警に詰め寄る。

 野卑な恫喝に怯える様子もなく、少女はと白い歯を見せて笑った。

「オーケー、公務執行妨害も追加な!」

 かちかちかちかち。

 小鳥の足音を思わせる、軽いトリガー音。迷いなく四度鳴った閃光の連弾が、いきり立つ男たちを瞬時に撃ち抜き、湿気しけて冷たい路面に沈めた。麻痺光弾パラライザーだ。神経を直接刺激する電磁パルスを照射し、一種のショック状態を起こして気絶させる、光子拳銃の非殺傷鎮圧モード。

 絵になるどころではない。射撃の腕も、鮮やかなまでに確か。

 残る一人が慌ててヴァナーの襟首をつかみ、パラライザーへの盾にしようと引き起こす。そんな動きを少女は待たない。最後のトリガーが引かれ、五人目の男もあっけなく倒れた。

 路地に転がる男たち。銃をホルスターに納め、ひとり立つ少女。その光景がヴァナー・エジモンドを魅了したのは、年下の婦警が好みのタイプだったとか、なけなしの金を失わずに済んだからとか、そんな次元の理由ではなかった。

 力と正義との完璧な調和が、そこにあったからだ。抵抗を試みる勇気すらなく、悪党に慈悲を乞うばかりだった男にとって、眼前の少女は眩しすぎた。ありふれた不条理を打ち砕く、無二の奇跡だった。

「あんた大丈夫か? 災難だったな。あたしが居合わせてよかった」

 警官の名はレナ・ベルウッド。

 のちにヴァナーが愛し、生涯守ると誓い、永久に喪う女。

 この日、一介の鉱山技師として平々凡々の人生を歩むつもりでいた男は、劇的なる運命の道へと続く一歩を、知らず踏み出す。



 アンジェラ・カノーヴァは注意深く感覚同期を切り離し、自分がヴァナー・エジモンドことを確かめた。

 全感覚記憶の追体験リプレイなら初めてではない。しかしアンジェラが親しんできたのは、あくまで娯楽目的の識覚パースドラマや、学術資料としての記憶である。プロの編集を経て、消化しやすいよう整えられた、商用コンテンツにすぎない。

 この記憶は違う。知覚入力の連続体を、ただ量子ビットの鋳型マトリックスに流し込んだだけの生データ。加工されていない人生の断片からは、およそ他人が知るべきでないと思える感情や印象までもが、無遠慮に流れ込んでくる。

 懐かしさ。愛おしさ。寂寥。悔恨。

 知らない女であるはずのレナを見ただけで、アンジェラは心臓が締めつけられるような痛みを覚える。仮想身体だと、幻痛だと解っているのに。

《正義感の強いひとでね……小さい頃からずっと、刑事になると決めていたそうだよ。悪を憎み、犯罪を許さない。信念の人だった》

 アンジェラが振り返ると、そこに〝現在〟の姿のヴァナー・エジモンドが立っている。

 記憶の追体験と言えど、パーセプション・プロジェクターの型式フォーマットで再生される以上は、一種の仮想現実である。アンジェラが〝当時のエジモンド〟の視点を離れて動くことも多少はできるし、こうして〝現在のエジモンド〟が没入ダイブしてくることも、同じく可能だ。

警兵パトルディアを目指さなかったのは、彼女の実家があったフォルグで、CJPOメガリスの駐在部隊が不祥事ばかり起こしていたからかな》

「エジモンドさん……悪いけれど、あなたと奥さんの思い出をすべて拝見する時間は……」

《そこまでする気はないよ。これは結婚式で流されるような、編集された記憶のアルバムじゃない。寝ても覚めてもレナを救うことばかり考えて、フォルグに向かっていたの僕が、彼女に関する記憶を断片的に連想していたことの反映だ。

 いまにして思えば、近しい人の死の予感が見せた、走馬燈のようなものさ――》


 記憶の中の空が融けるように変容モーフィングし、一瞬のうちに月日が飛び過ぎる。


 ダウンタウンの小洒落たレストランで、私服のレナと、緊張もあらわなヴァナーがテーブルを挟んでいる。

 路地裏での鮮烈な出会いから数か月後。女性経験など皆無のヴァナーが不器用なアプローチを続け、色気に欠けるデートを幾度も重ねた末に、ようやく得た〝それらしい〟機会だった。

 レナはレナで、男勝りの性格ゆえか色恋沙汰には疎かったらしく。この野暮ったい男に必死の形相で迫られる日々を、戸惑いながらも新鮮な体験として楽しんでいた――とは、のちに妻となった彼女が明かすこと。このときのヴァナーは知り得ない女心なれど、過去を覗き見ているアンジェラは、それを。ここより未来の、ヴァナー自身の記憶だ。

「――それじゃ、きみ、出身はネンティスここじゃないのか」

「言ってなかったっけ? フォルグ星圏だよ。ナノテクも重力工学もない、ド田舎の低位技術圏。こっちには七歳の頃から、早期技術研修プログラムの参加者っつーことで住んでる」

「それは……自分の意志で?」

「まさか。親が応募したんだ。補助金も出るし、将来に有利だからってさ。〝研修っ子〟は大抵そうだろ」

 わが子を高位技術圏へ送り出し、より高いテクノ・リテラシー等級レベルの基礎教育を受けさせる。低位技術圏に属する支分国の、比較的富裕な親たちがしばしば取る教育方針だった。

 いかに連邦政府が「技術レベルの区分は生活スタイルの多様性を保証する」などと美辞を謳ったところで、高位技術圏が低位技術圏よりも政治・経済的に恵まれているのは事実である。職業選択。住居移転。あらゆる自由を技術管制法群が制約する。

 ならば、子供には親の世代よりも良い暮らしをさせてやりたい――漠然としたハイテク社会への憧憬にも支えられて、そのような親心が育つ。かかる需要に応じて星間企業が始めた、技管主義時代の留学支援とも呼ぶべきシステムが、一定数の子供たちをまとめて高位技術圏に送る研修プログラムであった。

 高い学費さえ払えば、格差を乗り越えるチャンスが買える。そういう物語を売り物にして、企業たちは歪な経済への庶民的不満を、巧みに商機へと変えていたのだ。

 もっとも、そのおかげでレナに出会えたのだから、ヴァナーとしては文句もない。

「初等から中等まで、同じ境遇のやつらと一緒に、仲良く寮ぐらし。まあ悪かなかった。それなりに自由だったしな。

 だから、勝手に送ってくれやがった親のこと、べつに恨んでたりはしねーよ。たまには実家にも帰ってやってる」

 その実家に、いずれ自分も訪ねることになるのだろうか――などと先走ったことを、ヴァナーは考えてしまう。地球時代アース・エイジからあるらしい結婚にまつわる慣習は、統一銀河連邦が出来てもうすぐ千年という時代にさえ、一途な男を悩ませた。

 そんな青臭い鉱山技師を、レナは揶揄からかってやまない。

「……紹介してやろうか? うちの親に」

「えっ、なッ!?」

「路上強盗にボコられてるとこを助けてやった、あたしの戦利品たるお姫様トロフィー・プリンセスだってな!」

「……古びたジェンダー類型でしかないのはわかってるけど、やっぱり男としては、窮地のお姫様を助ける方でありたかったよ……!」

 いいようにあしらわれている、と歯噛みするヴァナー。もっと男を磨かなければ、物語の主人公ヒロインのごとく目映く生きる彼女には、到底釣り合いそうもない。

 それでも、こうして笑顔を見せてくれるからには、まったく脈なしというわけでもないのでは――そんな期待を一縷の希望として、諦めに抗った。

「お、そうだ。あたしが先におまえんまで行ってやってもいいぜ。挨拶はこうだ。おたくの息子さんに逮捕状が出てます、罪状はこの歳まで律儀に童貞を守り抜いてしまったかどです……」

「やめろォ! ていうか何できみが知ってるんだよ! 過去の経験人数とか言ってないだろ!」

「カオ見りゃわかる」

「ひどすぎる……これは性的弱者への謂れなき差別だ……」

 このときすでに、レナはある程度本気で、彼との将来を考えていたのだが。未だ己の物語を生きていない若きヴァナーは、そんな腹蔵を知る由もなく、振り回されて一喜一憂するばかり。

《実をいうと、このあとレナの家に引っ張り込まれて、ひと晩〝取り調べ〟を受ける羽目になったんだけど、そこはカットさせてもらったよ。流石にね》

 、と。二人が歓談するテーブルの周りを歩きながら、〝現在のエジモンド〟が愉快げに笑う。

 アンジェラは笑うことができない。記憶を辿るほどに、理解が追いついてくる。レナという女を、彼がどんなに強く愛したか。

 けれど、彼女は、死ぬのだ。

 アンジェラ・カノーヴァがこの世に生を受けるより、四年も前に。


 記憶は移ろい、星は巡る。


「その……あの、レナ、僕は……僕と……」

「おい、どうしたヴァーニイ。EAMでもキメてんのか。言いたいことはシャッキリ言え」

 互いに働きながら交際を続け、三年目。

 プロポーズの際のやり取りを、アンジェラは

「僕と……結婚してくれないか!」

「は?」

 ここで彼女はたっぷり三秒固まり、茫然と、突っ返すように言うのだ。

「マジでおっしゃってんのかテメー」

「駄目……ですか?」

「んなわけねーだろ。おせーよ。四年前でもOKしてたわ」

「……四年前だと僕たち、まだ出会ってないよね!?」

 そのままの勢いで婚姻届にサインし、鼻歌混じりに電子申請窓口へ送信ポストしたレナの、嬉しそうな苦笑。生涯忘れないと思えるほどに、魅力的で。

 事実、ヴァナーは忘れなかった。

 すべてが思い出になってしまった後でも。


 いくつもの光景が、焦がれるような痛みを残し、流れ去ってゆく。


「ドクター・シャドウ? なんだい、それ……地球時代アース・エイジのヒーロー・コミックに出てくる悪役ヴィランの名前かい」

「ふざけた名前だが、銀河じゅうに指名手配されてる大物らしい。無作為に禁制技術をバラ撒く、テクノ・アナーキストのイカレ野郎だ」

 結婚から二年。

 レナがエジモンド姓を名乗るようになってからも、二人はそれぞれ婚前からの仕事を続けている。互いの職業への理解と尊重があれば、転居や単身赴任の多い生活とて、苦ではない。ゆるやかに独特のリズムで流れた夫婦の時間を、アンジェラはまた

「で、そいつのアジトの一つがここ、ネンティスにあるって話が出てきてさ。是が非でもCJPOメガリスより先にとっ捕まえて、高慢チキの警兵パトルディアどもに泡吹かせてやろうぜ――っつうことになったわけだ。普段いがみ合ってる公安、星系軍、警察、保安庁、みんなで一致団結よ。いやまったく、持つべきものは共通の敵だな」

「星間指名手配なら、危険な相手だろう? とんでもない禁制技術兵器だって、使ってくるかもしれない。きみに危ないことはしてほしくないなあ……技管主義の敵と戦うのは、それこそ警兵の仕事じゃないか」

「ヴァーニイ、おめー、結婚してからますます愛が重くなってねーか」

 呆れた口ぶりの裏に、心配されて満更でもない気持ちが見え隠れしている。そうした機微を、ヴァナーはとうに声だけで解るようになっていたし、レナも敢えて隠そうとはしていない。二人の間にだけ通い合う、隠微な愛情表現の形だった。

「まあ、技管主義のありがたーい教義ドグマは正直どうでもいい。あたしが守りたいのは、現実に生きてる人間の暮らしだ。命と、幸福と、平和と、正義だ。それさえありゃ、テクノロジーの進歩を禁じられた時代にだって、人は満ち足りて生きて、死んでいける――そう証明してやりたいのさ」

 いち支分国の警察官と、連邦中央直轄の警兵。立場は違えど、記憶を追うアンジェラの中で、レナ・エジモンドに対する痛いほどの共感が芽生えている。

 このひとはどこまでも透明で、実直で、正しさというものを信じぬいている――同じ時と場所に生まれていたなら、きっと良き友にもなれただろう。あるいは彼女が警兵になっていれば、佳き先輩として教えを乞うたかもしれぬ。

 そんな彼女だからこそ、ヴァナーは愛した。いまは解る。単なる傍観者のアンジェラにも解ってしまう。予感と呼ぶにはソリッドであり過ぎる、残酷な確信。

 ヴァナー・エジモンドは、来たるべき喪失に耐えられない。


 ――走馬燈が回る。


「ヴァーニイ、たまの休暇ぐらい一緒に居させろよ。おまえが鉱山に行ってるあいだ……寂しくないわけじゃ……ないんだからな」


 走馬燈が回る。


「ヴァーニイ、今度の出張が長いからって、浮気すんなよ。ダンナを光子拳銃ブラスターでハチの巣にしちまう女刑事にはなりたかねえ――あっおい、怒るなバカ。冗談だって! ……わかってるよ。おまえの帰る場所は、あたしが守っててやるよ」


 走馬燈が、回る。


「ヴァーニイ……あのさ、今度の里帰りでもうちの親に言われると思うんだけどさ……えーと、あー、アレだよ。そろそろ考えてもいいんじゃねえかな。家族計画っつうヤツ。つまり、その……子供ガキをさ! クソ、言わなくてもわかれっての」


 家族のほかに使う者もなかった愛称。いつから、彼女にもそう呼ばれるようになったのだったか。

 ヴァーニイ。耳朶をくすぐる甘い音の記憶。永遠に冷めぬ恋を生きた、黄金の日々。

 その結末を知りながら、幻燈のめぐりは止まらない。すべては過去。起こってしまった事実。

 せめて、逃げずに見届ける――未来の亡霊に過ぎぬアンジェラ・カノーヴァにできることは、ただ覚悟でしかなく。

 宿命のリールが旋転する。

 覚めない夢の終わる日へ向けて。

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