ルイス・ルービンシュタイン(4)

 敵船との接触にあたり、計画通りに事が進まなかった場合のシナリオも、ルイスはいくつか想定していた。

 たとえば、こちらを捕捉すると同時にいきなりミサイルを撃ってくるパターン。話しかける間もなく自爆されるパターン。シングラルを見るや怖気づいて投降してくれるパターンなら仕事は楽だが、復讐に狂って捨て身の特攻を仕掛けてくる男が、そんな結末を選ぶとも思えない。

 いちばん厄介なのは、この機体ノーバディではなく星系内の多数目標に向けてミサイルを分散斉射されることだ。その場合、彼我の距離によっては単機での対応能力を超える事態に発展する。系内艦隊への対弾迎撃支援を要請せねばならなくなり、〝テオフラスト〟単艦での事態収拾というオーダーは達成できなくなる。

 そもそもが出資者の都合に合わせた不合理な命令であるから、ルイス個人としては別段、死守したい条件というわけでもない。が、この件を自分がうまく処理し損ねたせいで、ミハイロヴィチ・ディミトロフが更迭されるようなことにでもなれば、後釜に彼よりまともな指揮官が送られてくる可能性はゼロに近い。かの老将は警兵として真面目すぎるきらいはあるものの、上司としては話の分かる部類である。余り物の無能者や、企業連の息がかかった御用将帥などに、わざわざ挿げ替えてほしくはない。

 ゆえに、まずは初動が肝心。刺激しすぎず、こちらの存在と対話の意思を伝える。ヴァナー・エジモンドがそれに応じてようやく、事前の打ち合わせ通り、アンジェラが情報を抜き取る作業に入れる。

 ――で、あったのだが。

《エジモンドさん、聞こえて? CJPOのアンジェラ・カノーヴァ三等哨尉です。

 バカなことはやめて、いますぐ投降しなさい! 奥さんはあなたに、復讐なんか望んでいないわ!》

 ルイスは吹き出しそうになるのを堪えた。生身なら抑える間もなく笑ってしまっていただろう。

 ――こいつ、一歩目で迷わず地雷を踏み抜きに行きやがった。

 犯人との会話はルイスの担当と決まっていたが、〝掴み〟を任せてもらえないか、と頼んできたのはアンジェラである。かく言うからには何か考えがあるのか、手並みを拝見しようなどと、要らぬ好奇心に乗った結果がこれだ。赤髪の少女は開口一番、星間共有帯域バンド指向波束暗号通信ビームドサイファーで、エジモンドだけが確実に聞けるように、交渉人ネゴシエーターの禁句を連発し始めた。

 復讐なんか望んでいない?

 こんな空虚な言葉で、怨念に憑かれた復讐者がいまさら止まるなどと、本気で思っているのだろうか。人間の感情というものについて、真剣に考えたことのない輩だけが吐ける科白だ。

 ペアを組まされた先輩警兵としては、怒るか呆れるかすべきなのかもしれない。もしくは即座に止めるべきか。ルイスはどれをも実行しなかった。穏便な説得を目的としなければ、アンジェラの暴走も存外、悪手とばかりは言い切れないからだ。

 極端な話、説得などできなくともよいのだ。たとえ挑発にしか聞こえぬ陳腐な訴えでエジモンドが逆上しようと、それで注意を惹き付けられるなら、少なくとも即時の自爆やミサイル乱射は回避できるかもしれない。撃ってきたとして、標的が自機のみならいくらでも対処のしようはある。撃ち尽くして弾切れになってくれれば、なお言うことなしだ。

《大切な人を失ってつらいのはわかる! でも、つらいのはあなただけじゃない……災害や犯罪で、家族や友達や恋人を失った人たちみんながそうなの! あなたが殺してしまった警邏艇の人たちだって、遺族は……》

 なおもアンジェラが切々と説く空疎な一般論を遮るように、初めて聞く男の声が、仮想回線上に響いた。

《黙れ、おい、黙れ! ……しゃべるな! 何だお前は、いきなり一方的に……うわべだけ解ったようなことを、ベラベラと!》

 ――喰いついた。

 ルイスは自身の補助脳だけで演算するローカル仮想空間に引っ込み、今度こそ投影体の腹を抱えて笑った。アンジェラの挑発は天才的なまでに完璧だ。仮に計算ずくの科白であったなら、きわめて有能なパートナーと評するのも吝かではない。

 むろん、そんな可能性をルイスは微塵も信じない。あれは素人ネゴシエーターの馬鹿げたソロ・ミュージカルを、勝手に共演者にされた狂人が無視できなかっただけの、偶発的笑劇ファルスだ。残念ながら、アンジェラ・カノーヴァの非凡な才能を証明する一幕ではない――だが作戦を次の局面フェーズへ進めるきっかけには利用できる。さしあたっては、それで充分。

「ヴァナー・エジモンドだな? CJPOのルイス・ルービンシュタインだ。いま、あんたの船の正面にいる。白い人型全領域戦闘機シングラルが見えるだろう」

 減速はすでに完了し、〝ノーバディ〟とコンテナ船は相対静止状態で向かい合っている。距離はおよそ十キロメートル。宇宙空間においては、斥力加速リパルサー・キックの一歩で埋まる至近の間合い。

 エジモンドの船が旧式の輸送船であろうと、捉えていないはずはない。無視という選択肢を封じる位置取りポジショニング。未だエンジンを止めない相手に合わせて後退しながら、ルイスは相対距離を維持する。

「うちの新人が失礼をした。ちょっと思い込みの激しい性格でね。おまけにEAMクスリが残ったままの初陣で、二重にハイになってる。あとでよく叱っておくよ。ここからは、俺が話を聞こう」

 音声のみをコンテナ船に送りながら、同時にルイスはアンジェラへ向け、テキストメッセージで指示を飛ばす。「会話は引き受ける。予定通り、船を探れ」――解像度を落としてなお肌理きめこまやかな少女の投影体は、なにか抗議したそうな顔を一瞬覗かせたが、すぐに〈焔髪ファイアブロンド〉を翻し、電脳戦ロジカルコンバットの態勢に入った。

 瞬間、戦域ネットの拡張現実層に描画される、巨大な光の球体。

 輝く非現実の球面を形作るのは、文字と記号とグラフ図形が織り成すデータの曼荼羅。仮想戦域に展開された、アンジェラ・カノーヴァのメモリ領域スフィアだ。

 やはり規格外のを持っていた――ルイスは球体の中心に浮かぶ少女を注視する。初期値でこれほどの演算領域を拡げられるというのは、電脳戦において絶対的なアドバンテージになる。いまは素人同然でも、オペレーターとしての潜在能力は計り知れない。

 さすが、というべきか。銀河貴族、カノーヴァの娘。単なる夢見がちの子供ではない。

 今後も経過観察を要す、とひとまずの断を下し、ルイスは基底現実へと意識を引き戻す。

 自分の仕事は、あくまで物理戦域にある。

「こっちでもだいたいの調べはつけてあるんだが、いちおう目的を聞こうか。その船に積んだ物騒な、どこへつもりかね……」

 探りを入れるような科白。正直に答えてくれることなど期待していない。アンジェラはすでに船のシステムに侵入を開始し、禁制技術の出どころに繋がる情報を探っている。当座は時間さえ稼げればそれでよい。

 船の正面に陣取ったのは、まずこちらの呼びかけを無視できぬよう仕向けるためだが、同時にそうして通信回線を開かせることで、電子的攻撃の足掛かりを確保するためでもあった。

 もちろん、エジモンドもある程度の電子攻撃を想定していたのだろう。ルイスの仮想視界にも、船殻を覆う氷の防壁が見えている。害なす異物を阻み、純粋な音声や映像といった無害なデータだけを通す、侵入対抗電磁構造物ICEの可視化イメージ。量子鉱山で採掘サーバーのメンテナンスをしていたというエジモンドは、電脳セキュリティ・システムについても一般大衆以上の知識を持っているらしい。

 が、所詮は民間規格の防壁。お行儀よく優しく、安全ゆえにお粗末。不正アクセス者を発信源まで遡って殺すような、本物の論理兵器ロジカルウェポンたる無慈悲な〈アイス〉にはほど遠い。〝ノーバディ〟の演算資源によるバックアップを受けたアンジェラ・カノーヴァが、これしきの氷破りアイスブレークをしくじる道理はない。

《……調べがついてるなら、止めないでくれ。もともと僕は、これが終われば死ぬつもりだった。この命を以て償う覚悟はある……けれどその前に、せめて本当の悪に報いる一矢いっしを……!》

 呼吸を整えたか、先よりは落ち着いた声で、それでも昂奮状態にあるままのエジモンドが言う。やはり自殺が前提の特攻。身勝手な覚悟。

 是非を問う気はない。ただ一語一句を手掛かりとするのみ。ルイスは静聴しながら、あい対する男のパーソナリティを読み解いていく。

《さっき沈めた船のクルーには、悪かったと思っているよ。あれは予定外のことだった……でも仕方ないんだ。僕はもはや一人の人間じゃない。フォルグ十億の犠牲を背負った、怨念の器だ。何があろうと止まるわけにはいかない……復讐のトリガーにかけたこの指を、十億の正義が〝引け〟と命じている》

 なるほど、と〝ノーバディ〟が小さく首肯する。

 怨念。正義。芝居がかった科白で自分を鼓舞し、同時に追い込んでもいる。典型的な疑似英雄型の犯罪者、ありふれた復讐者だ。動機の点でも、ミハイロヴィチの読みは正確だったらしい。

 パターンが掴めれば、会話を引き延ばすのはさして難しくもない。彼我の距離を慎重に測りながら、ルイスは言葉を継ぐ。

「そうは言ってもな。あんた、〝誰〟を撃つべきなのか、わかってるのか……そのご立派な反応弾で、関係ない奴を何十万と殺して、肝心の仇がピンピンしてたんじゃあ、お笑いだろう」

《これから攻撃する標的を、わざわざ教えると思うか?》

「いやいや、ミサイルにインプットした目的座標を教えてくれって言ってるんじゃあない。要は、あんたのやろうとしてることが〝無差別攻撃〟かどうかって話だよ。

 これは俺の私見だがね――復讐にはが必要だ。報復すべき仇と、そうでない他人を峻別してこそ、正当な復讐を称する権利がある。法律じゃなく、復讐者としてのロジックにおける正しさを主張できる」

 不審に思われぬ程度に、あえて迂遠な言葉を選ぶ。私論を並べ立てながら、その中に復讐者たるエジモンドへの理解と牽制を忍ばせる。

 様々な技巧を駆使しながら、しかしルイスはまったくの虚言を弄しているわけではない。復讐についての一家言も、あくまで語るのは本音。ただそれを、説得でなく時間稼ぎのために、道具と割り切り使う。

 初めから、翻意を促そうなどとは思ってもいない。アンジェラとの決定的な違いであった。

「誰でもいいから殺したい、なんてのは復讐じゃない。ただの八つ当たりだ。あんたがそうするつもりなら、立場上、俺は止めなくちゃならない。

 だが、もし〝本当の悪〟とやらをしっかり狙い撃つ気があるなら……実を言うと俺は、あんたをこの場で見逃してやってもいいと思ってるんだ」

 当然、これは嘘である。この対峙の結末は、船の拿捕か撃沈か、そのいずれかと決まっている。事前の予定に変更はない。

 そしてエジモンドは、この提案に反応せざるを得ない。そうと確信すればこそ、ルイスは堂々と釣り針つきの糸をぶら下げてみせる。

 もと一般市民が、人型全領域戦闘機シングラルの性能をどこまで正確に把握しているかは未知数である。しかし少なくとも、真正面に立ちはだかる最強の個人運用兵器と、まともに戦うリスクは承知しているはず。

 そのリスクを、無傷で回避できる可能性。しかも自分の正しさを弁舌で以て訴えるだけでよい。理性が何らかの罠を疑おうとも、大義のために命を捨てに来た男が無視するには、悪辣なまでに魅力的すぎる賭けだった。

「調べはついてるって言ったろう? 正直、裏の事情を知ってりゃ、あんたがここまでやるのも解らなくはない。非正規警兵の俺から見たって、CJPOメガリスは不正に腐敗に汚職に癒着……巷で言うより百倍ひどいクソの塊だ。

 だからさ、納得させてくれよ。あんたの倒そうとしてる敵が、本物の悪党だってことを。そうすりゃ、俺は黙ってここを退く」

 この提案が胡散臭く聞こえることは、ルイスも承知している。エジモンドが賭けに乗ってくるかどうかは、五分以下といったところ。それでよい。ただ悩んでくれれば、それだけ時はこちらに利する。

《……CJPOメガリスは確かに許せない。愚かな命令に諾々と従って、あんな虐殺をやってのける連中だ。レナを殺した、直接の仇でもある……。

 でもお前たちは、ただのに過ぎない。僕はそれをわかっている。だから優先順位を間違えはしない……僕が討つべき本当の敵は、

「なんだって?」

 救援艦隊をそのまま虐殺艦隊に転用した、CJPOを憎むのなら話は解る。その命令を出させた官僚たちや、連邦政府そのものを憎んだとしても、まだ解る。

 なぜ、このタイミングでナノテク産業の帝王が出てくるのか?

「俺の記憶が正しければ、ドレクスラーはフォルグにとって、むしろ救世主じゃなかったかね」

 人造病原体に汚染されたフォルグ星圏全体を浄化するには、ナノマシン・ハザードへの対処ノウハウも豊富に蓄積している、ドレクスラー・コーポレーションの介入が不可欠だった。

 同社は連邦政府からの公的な委託を受け、星系単位の浄化事業をわずか二年で完遂。その後もフォルグに支社を置き、インフラの再建と雇用の創出を表裏一体に実現しながら、復興支援を主導する立場にあったはずだ。

「もちろん、災害特需で儲けもしただろうが、それを恨むのは流石に筋違い……」

《ああ、なんだ。そこは知らないのか》

 失望と苛立ちが混じるエジモンドの声に、ルイスは何らかのミスを犯したらしいと気付く。だが何を間違えた?

 まだこちらが知らない情報。ことによると、それは汚職警兵ネグリが殺される原因となった〝さらなる秘密〟ではないのか。

 ひりつくような予感が、白玉はくぎょくの鎧に守られた肌を焙り始める。

 ネグリを不可解な手段で暗殺し、おそらくはエジモンドをも消しに来るであろう〝後背の敵〟。エジモンドが〝本当の敵〟と名指しするドレクスラーこそ、その正体であるとしたら?

 攻撃型ナノマシンによる証拠を残さぬ暗殺。核武装船を沈めるためのシングラルの手配。星間企業体群の中でも最強の一角を占めるドレクスラーなら、いずれも容易い。だが動機はなんだ。消し去りたい秘密とは。

 ひとつの可能性が頭に浮かんでいる。間違っても己が楽観主義者にカテゴライズされることはないと確信しているルイスをして、真剣に考えることを躊躇わせるほどの、あまりにチープな狂気。あまりに荒唐無稽な悪。――あり得るのか。いくらなんでも。鹿

 錯綜した悪寒の残像を追う代わり、作戦フェーズを繰り上げるべきか思案していると、船のメモリ領域スフィアを走査していたアンジェラが戻ってきた。戦闘強度の思考加速状態からビットレートを落とし、同期するや機内回線でまくし立てる。

《どうしよう! 船のメモリには何も見つからなかった!》

 ここまでか――。

 ルイスの意識が、機体背部にマウントされた大剣へと向く。

 アンジェラが船の領域スフィアから禁制技術の入手経路を見つけ出せなければ、その時点で情報の取得は諦め、エジモンド本人を止める方針に切り替える。事前に想定した展開の一つではあった。まず投降は望めない相手であるから、現実的に見て、殺すしかない。

《船の制御系や火器管制系も、外部からはアクセスできない構造みたいだし……やっぱり、彼の口から直接聞かないと》

「忘れちゃいないと思うが、が迫ってるかもしれんのだぞ。プランAが失敗と分かれば、すぐさまに移行すべきじゃないかね」

 ドレクスラーの名が出たことで、シングラル小隊クラスの戦力が迫りつつある可能性も、具体的なレベルにまで高まっている。もはや猶予があるなどとは考えるべくもない。

《待って……待ってよ! まだ逮捕できないなんて決まったわけじゃない!》

 ルイスは少女の叫びを黙殺した。予定通りにやればいい。いつものように、敵が誰であろうと。諦観にも似た冷徹さが、殺意のエンジンに氷のような火を入れる。

 一方で、変化した状況に対応すべくもう一歩の粘りをと主張する、内なる囁きもあった。巨大星間企業の名が出たからこそ、ここで捜査の糸を途切れさせては、のちに大きな禍根を残すという予感。

 この事件ヤマには、当初の想定を超えて複雑な背景が隠されている。政治的判断の犠牲となり、悲劇の運命に感情を持て余した男の、単なる報復テロなどでは終わらない。もっと巨大な闇への入口が、姿を現しつつある。

 いますぐにエジモンドを処分して、撤収すべきか、否か。

 ルイスの逡巡をよそに、アンジェラのスタンドプレーが再び状況を蹴り動かす。

《エジモンドさんっ……フォルグで救援艦隊がしたこと、あなたにはきっと許せないと思う。最善の方法じゃなかったかもしれない。だけど! 最善じゃなくても、必要なことだったんだよ……!

 難民たちを止めなきゃ感染は拡大して、もっとずっと多くの命が失われてた。レナさんたちの犠牲は無駄じゃない。未来を守ったんだ。憎んで殺して、死ぬまで戦うより、あなたは彼女を誇りに思って生きるべきよ!》

 今度こそ、エジモンドが怒りのあまり発狂するのではないか。ルイスは本気でそれを警戒した。

 口調を取り繕う余裕すら失くしたアンジェラの訴えには、必死の響きがあった。やはりあの少女は、状況を動かすための挑発ではなく、本気でヴァナー・エジモンドを救おうと呼びかけているのだ。必要。犠牲。未来。誇り。自分の言葉を信じて、心ごとぶつかろうとしている。

 だからこそ救いがたい。

 本気であろうと、真心を込めていようと、過去と共にすべてを失った男に投げかけるべきは、そんな言葉ではないというのに――。

《……きみにはきっと、悪気はないんだろうな》

 ルイスの予想に反し、エジモンドの声は穏やかだった。

《たぶん、最初に呼び掛けてくれた時もそうだったんだろう? 子供みたいな声だけど……CJPOメガリスにもきみのような女性警兵がいるのか。少し、驚いたよ》

 穏やかであっても、その声は頑なで、聞けば誰もが察しただろう。

 彼は救いなど、はなから求めていないのだと。

《エジモンドさん……お願い、私たちといっしょに来て。法の下で、すべてを明らかにして、あなたの罪を償って……!》

 諦めず、なお言い募るアンジェラ。だがその声も、おそらくは意識せぬまま、説得ではなくの響きを帯びてきている。

《正しさというものを、曇りなく確信しているから……あんな残酷なことが言えるんだな。と。と。CJPOメガリスのやったことは道理にかなっていて、防疫のために仕方なかったことで、レナのを受け入れられない僕が、子供のように感情のまま暴れているだけだと……そういうことだろう、きみの〝説得〟は》

 ひび割れてゆく声の一語一句が十キロの距離を隔てて届くたび、アンジェラの投影体が弾丸を撃ち込まれたように揺れる。ルイスはそこに、おのが血を茫然と眺める処女の危うさを見て取った。

 出撃前は、矮星族の小娘の初陣にちょうどいい、簡単なミッションだと思っていた。まったく見立てが甘かったとしか言いようがない。

 二十年の歳月と今後すべての未来をなげうち、虚無の底からこの主星系まで乗り込んできたヴァナー・エジモンドの覚悟。人ひとりの人生を弾丸に換えて撃ち込んでくる、決して相容れぬ敵。美しい理想を抱いたままの新兵が相対するには、荷が勝ちすぎる。

《感情が僕を動かして、ここまで来たのは否定しない。この銀河のヒトというヒトを、何の意味もなく皆殺しにしてやりたいとさえ思っている……だけどね、きみが明白に間違えていることもあるんだ。感情じゃなく、事実のレベルの話だよ。

 いまや凶悪テロリストの僕が、言葉にして伝えたところで、信じてはもらえないだろう。だから。その上で、まだ同じことが言えるかどうか、きみ自身の頭で判断してみるといい――》

 望遠モードの視界に映るコンテナ船、操縦席の編光キャノピー越しにエジモンドが光るものを投げて寄越す。それは分厚い窓を透過し、一万メートルの距離を瞬時に貫いて、〝ノーバディ〟機外に漂うアンジェラの眼前で静止した。

 紫電のリングに幾重となく取り巻かれた、黒色の立方体。

 実体ではない。仮想オブジェクトだ。仮想タグも拡張子もついていないが、形状やサイズ、表面質感テクスチャ描画効果エフェクトなどから、おおよそデータの種類を判別できる。

 エジモンドが送ってきたのは、明らかに全感覚記憶のパッケージ・ファイルだった。開けば他人の過去を五感まるごと追体験できる、エンコードされた感覚質クオリアの塊。いくらでも対人マルウェアを仕込める。

「どう考えても罠だ。触るな」

《ううん、これは……最後のチャンスだと思う。本来なら個人パーソナルファイアウォールを突破しなきゃ覗けない記憶なのに、わざわざ自分から見せてくれようとしてる。ひょっとしたら、禁制技術を手に入れた経緯が分かるかも》

 高位禁制技術の秘密に直結するため、補助脳のセキュリティはきわめて堅牢に設計されている。たとえ軍用ロジカルウェポンを用いようと、外部からの力押しでは、内部データ構造を破壊することなしにはアクセスできない。

 あえて侵入ハックしようと思えば、〝Ψサイ〟のスクリプト・コードを使うしかない。地球時代アース・エイジ末期、人間性を意のままに書き換え歪ませ、欲望の果てに〈偶像占い師イドロマンサー〉という悪魔を生み出した、禁断のプログラミング言語。当然、そんなものの使用許可がCJPOに下りるはずもない。Ψ言語は連邦成立当初から、常に変わらず第一種禁制技術であり続けている。

 ゆえに、強権をほしいままに振るう警兵と言えど、市民の記憶や感情を勝手に覗き見ることまではできない。今回の作戦でも、エジモンドの補助脳への侵入は考慮すらされていなかった。どうせ不可能と判断されたからだ。

 その、不可能を乗り越えなければ触れられなかったはずの情報が、いま目の前に差し出されている。なるほど魅力的である。だからこそ罠として有効に働く。

 暫し、ルイスは赤髪の少女と睨み合った。

《心配しなくても、私の個人ローカル領域スフィアを守らせてる〈アイス〉が攻撃を感知したら、すぐに追体験リプレイを切り上げるから。お願い……彼の苦しみを、少しでも理解したいの》

「他人の苦しみを〝理解〟しようなんてのが、そもそも傲慢だと思うがね――」

 薬物中毒の貴族令嬢が脳を灼かれようと、それ自体は別にどうでもよい。ただ、子守を任された自分の戦功スコアが減点されては困る。

 とはいえ――エジモンドが感傷的な気分になってくれたおかげで、せっかく引き出せた記憶データだ。システムトラップの類を考慮に入れてもなお、有益な情報が含まれている可能性はありそうだった。ルイス自身の読みで言えば、この局面でアンジェラのようなタイプに罠を張るほど、エジモンドが賢しく立ち回れるとも思えぬ。

 リスクとリターンの揺れる秤が、一方へ落ちるまで待つ時間はない。あくまで利己の論理に従い、ルイスはフォローに回ることを決断する。

「……機体の演算リソースを貸しておく。ケツに火がついたと思ったら、迷わず離脱しろ。お前の生体反応バイタルがおかしくなれば、即座にエジモンドをる」

 言葉とともに大剣をかざし、が常にあることを示す。

 いっしょにエジモンドの過去へ潜ってやるまでの甘さは、彼の中にない。二人同時に記憶を追体験して、基底現実の機体を無防備にするわけにもゆかぬ。おまえは星さえ滅ぼす兵器に乗っているのだと、向こう見ずの新人に思い出させる程度が、指導役トレーナーとして精一杯の妥協であった。

 不満と後ろめたさの混じったような表情を、ちらりと覗かせたのも束の間。意を決したように、アンジェラの投影体が黒いキューブに手を伸ばす。

 指先が闇に触れる刹那、エジモンドの声が仮想回線を流れる。そのときだけは、無知な少女を愛しき昔日へいざなう寡夫の哀れみが、滲むように響くと聴こえた。

《どうか覚えておいてくれよ、警兵さんたち。現実はだ。物語のように美しくも、重々しくもない。

 馬鹿げた理由でたやすく人は死んで、遺されるものは醜い呪いだけ……だったら生者ぼくたちにできることなんて、その呪いを愛することのほか、いったい何があったというんだ?》

焔髪ファイアブロンド〉のきらめきが、巡る紫電に巻かれて消えた。この場に展開された拡張現実から、完全な仮想現実環境へとレイヤを移す深層没入ディープストローク

 記憶の追体験が、始まる。

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