ルイス・ルービンシュタイン(3)
母艦から送られてきた最新の捜査情報を一読すると、ルイス・ルービンシュタインは小さく舌打ちした。
人型全領域戦闘機の顔面は微動だにせず、ローカル仮想空間で
《どうしたの?》
「更新された作戦ログを読んでみろ。馬鹿馬鹿しくて笑えてくる」
たったいま届いた報せは、入管でエジモンドを手引きした警兵が吐いたという、事件の背景情報。
そして、そのネグリなる男が暗殺され、エジモンドにも刺客が差し向けられる可能性あり、との続報であった。
老いてなお警兵としての勘は冴えわたるらしく、戦術的セオリーも本部の意向も無視したミハイロヴィチの大胆な読みは、ほとんど完璧に事実を捉えていた。エジモンドはどこぞの反連邦組織に属しているわけでもなく、この特攻は陽動の類ではない。まったく個人的な感情に基づいて、ひとりの私人が計画し実行した、一回きりの捨て身の本命。
ルイスとしても、裏が取れたのはいい。相手が個人であるなら、禁制技術の出所を押さえるという任務の重要性は跳ね上がる。
反連邦組織が独自の禁制技術データベースを持っているのは、違法なれども、ある意味で当然と言える。だが一般市民の、それも一個人が大量破壊系の禁制技術兵器を仕入れたとなれば、真の問題はその入手ルートである。同じルートを利用可能なすべての連邦市民が、潜在的テロリストとなり得てしまう。ゆえに、エジモンドを早々に撃ち落として一件落着とは行かぬ。そこはいい。
ルイスにとって、そしておそらくミハイロヴィチにとっても想定外だったのは、ヴァナー・エジモンドという男が予想以上に〝ハロルド禍〟と深く関わっていた点だ。
億単位の犠牲を出した事件である。遺族の数も、それに比例して膨大であっただろう。そのうち一人が、どこかから漏れた虐殺の噂を聞いたところで、統一銀河連邦の公式見解として〝そんな事実はなかった〟のだ。フォルグの復讐を掲げた遺族が主星系に討ち入って来ようとも、精神を病んだ陰謀論者の妄想として片付けることは、本来容易なはずだった。
だが、内通者ネグリの供述が事実であるなら――エジモンドは妻を救うために禁制の
連邦市民だけでなく、CJPO内部にすら厳しい情報統制が布かれている案件だ。不都合な真実の生き証人を、政府やCJPO上層部がどう扱うか。エジモンド個人が告発する程度の声は握り潰せても、たとえばこの情報を、もっと効果的に活用できる敵対勢力が手に入れたなら。小さくとも、すでに看過できないリスクが生じつつある。
「見事なまでに袋小路だな、エジモンドさんよ――」
警邏艇を破壊した時点で、エジモンドが主星系から無事に逃げ遂せる目など無くなっていたのだ。あとは拿捕するにせよ、撃沈するにせよ、誰が――あるいはどこの勢力が――彼を処理するかというレースでしかない。
現時点で、接敵に備えて減速しつつあるルイスとアンジェラは、すでに誰よりもエジモンドに肉薄している。
単機先行による時間的優位。だがそれも長くは続かない。ネグリを消した勢力が、エジモンドにも刺客を送り込んでくるとしたら、当然シングラルか戦闘艦を寄越すだろう。核武装した船を相手に、万全を期すならそれしかない。またエジモンドだけでなく、機密に触れた者全員を消すつもりなら、
敵がどこから出現するかにもよるが――いずれにせよ、こちらと同じ斥力推進で来るのだから、猶予がいま以上に伸びることはない。第一目標であるエジモンドの逮捕に手間どれば、それだけ刺客に追いつかれる危険は大きくなる。
「……これはいよいよ、話なんか聞いてないで、さっさと沈めた方がいいかもしれんね」
明確ではないものの、タイムリミットが設けられてしまったということである。ルイスは再び舌打ちした。
エジモンドが本当にそんな秘密を握っているかどうかも不確定。暗殺部隊などがやって来るかどうかも解らない。何もかもが仮定に未定。さりとて智将ミハイロヴィチ・ディミトロフの予測であるから、無視もできぬ。前線の兵士にとってはひたすら面倒な、宙吊りの戦術状況であった。
かくなる上は、眼前の仕事を最速で処理するに如くはない。
で、あるというのに――。
《却下ですっ! 多少状況が変わっても、人命最優先はCJPOの基本方針でしょう?》
ぴしゃりと断言する幼い声に、もはやルイスは舌打ちする気も起きず、ただ閉口した。
人命最優先。確かに、そんなドクトリンもあった。形の上だけでも人権を尊重しています、と大衆にアピールするためのお題目として。実際には人命より技術管制、生存権より政治屋と星間企業の利権が優先されるのだから、お為ごかし以上の重さを持つ言葉ではない。
どうやらアンジェラ・カノーヴァは、それを愚直に守り抜こうとしているらしい。きょうびCJPOでは珍しい天晴な警兵精神の持ち主。とはいえ、新兵の純心など現実を知ればすぐにも濁るもの。
「ログは読み終わったのか? エジモンドを消したい連中が
《そこが、よくわからないんだけど――》
薄板状の仮想ウィンドウにログを表示し、掌の上でくるくると回してみせるアンジェラ。減速中とはいえ、いぜん主星から秒速一万キロメートル以上の相対速度で遠ざかりつつある、巨大な兵器の鼻先である。少女の暢気なしぐさに、奇妙な非現実性があった。
《そもそも武装コンテナ船への対処が私たちに一任されたのは、企業連の意向なんでしょう?》
「ディミトロフの見立てでは、そうらしいな」
公式記録として残る作戦ログには、もちろん明記されていない。しかしミハイロヴィチの指示で付記された様々な検討・考察・注釈などの中に、権力の関与を示唆する数多の文言が散りばめられている。
絶滅危惧種の珍獣といえど、そうした暗示を読み取れる程度の知性はあるらしい。ルイスは投影体の口許を歪め、密やかに笑う。
「実際〝テオフラスト〟が試運艦であることを考えれば、まわりの戦力を退けてでも戦功と戦闘データを獲らせようってのは、スポンサー企業の入れてきそうな横槍ではある。警備態勢の不備をつつかれないための目くらましにもなるしな――で、何がわからないって?」
《企業連は私たちに、製品PRのためにも華々しく活躍してほしいと思ってるはずよね? 一方で、ネグリ哨尉補を暗殺したのもいずこかの星間企業だろう、と艦長は推測してる。
エジモンド氏が企業たちにとって、何か都合の悪い情報を持っていたとして……彼を消すついでに、私たちも消してしまおうなんて考えるのは、矛盾してないかしら》
この問いはルイスに新鮮な驚きと、いくつかの気付きを与えた。権力の暗部を見慣れぬ一般市民が、議会とCJPOを操る雲上の星間企業体群について、いかに漠然としたイメージしか持ち合わせないか。また、恐るべき銀河経済の神々が、己の蛮行をいかほど巧みに隠してきたか。
これを箱入り娘の無知と嗤わぬ程度の公正さは、ルイスにもあった。
「ひとくちに企業連だの、星間企業体群だのと言ったところで、奴らは一枚岩でもなんでもない。
ひとつひとつの星間企業は、各業種を支配する財閥のフロント部門。盟主はお前がよくご存知の銀河貴族。国家や人民を抑圧するために片手を結び合わせながら、もう片方の手では互いの足を引っ張り合っている……それが、いわゆる〝企業連〟ってやつの内実だ。
《〝テオフラスト〟に投資してる勢力と、ネグリ哨尉補を暗殺した勢力は別物で……企業連の内部で利害が衝突してるってこと?》
「少なくとも、今回の案件に関してはな」
《なんてこと――いくら巨大とはいえ私企業が、連邦政府の頭越しに、CJPOの戦力を私兵化してるってことでしょう。父から聞いてはいたけど、現実は想像以上にひどいのね……統帥権も
身体を丸め、頭を抱え込むアンジェラ。感情を隠しもしない大振りの言動に著しく緊張感を削がれ、ルイスは視線を外した。これから大量破壊兵器を抱えたテロリストと対峙しようというのに、こんな小動物じみた物体を正視していては、いざというときに思い出し笑いで隙が生まれかねない。
《……たいへんわかりやすい解説をどうもありがとう。悲観と皮肉と露悪にまみれた現代社会への考察は、まあ話半分に聞いておく。
それはそれとして、あなた本当にグラディアトールなの?》
「どういう意味かね……俺は確かに、由緒ただしき懲罰部隊の末裔、この恒星間文明の世に蘇った
《茶化さないで》
ルイスは投影体の肩をすくめた。機体には微動もなく、アンジェラからは見えぬ所作。
視野狭窄の珍獣ながら頭はそこそこ回り、それでいて他人の心の機微には疎い。いよいよもってアンジェラの評価が「面倒な女」に固まりつつある。
問われて素直に答えないのは、話したくないからだ――などと、このお嬢様は想像もしないのだろうか。
《あなたが何の罪で起訴されたかは知らないけれど、私が知る限り、いちばん普通の犯罪者という人たちは、たいてい無学ゆえに法を犯すものよ。政治や経済の後ろ暗い話に通じていたりはしないし、まして当たり前のように
「人は野卑ゆえに咎を為す、か? いやいや……そいつはまさにホッブズ的偏見だな。
カノーヴァ三等哨尉どの。俺は十年前、十四のガキの頃からずっと、グラディアトールとして戦っているんだよ。読書は罪人に許された数少ない娯楽のひとつだし、企業や連邦議会の暗部に触れる機会なんてのも……使い捨ての警兵として最前線をたらい回しにされてりゃあ、いやでも出てくる」
ルイスは敢えて棘のある口調で突き放した。こうでもせねば、アンジェラ・カノーヴァには伝わるまい。
果たしてアンジェラは分かりやすく硬直し、おたおたと投影体には必要ないはずの反射反応まで再現して、狼狽を露にする。いったいどれだけ高精細の仮想身体をモデリングしているのか。
むろん戦闘時には、メモリ節約のため解像度を落としてもらうが――それにしても、貴族らしく贅沢なことだ。かく思いさして、ルイスは機体の演算リソースがいささかも喰われていないことに気付く。
全身のフレームに演算晶体が仕込まれた〝ノーバディ〟と並べれば、アンジェラの
だが本来、この分布図に個人の領域球が可視化されること自体、あり得ざる異常なのだ。シングラルや艦船クラスのノードがマッピングされる三次元略図において、ヒトの頭蓋に収まる大きさの補助脳などは、描画を省略される程度の演算リソースでしかないはず。そこに、小粒とはいえ
「へええ……カノーヴァの本家はいろいろ謎の多い一族と聞いてたが、こういう武器もあるとはね……」
《ちょっと、何なの?》
「気にするな。個人的な好奇心を勝手に満たしただけだ。
そんなことより、接敵が近い。そろそろお喋りの時間は終わりにするとしよう。準備はいいか」
はぐらかされて消化不良といった面持ちのアンジェラであったが、いよいよ重要な局面が迫ってきたことは承知していると見え、切り替えは早い。
《だいじょうぶ。きっと、うまくやってみせる》
「……
《あんたって、ほんとに、ホントに失礼なやつ……っ!》
星系ネットが伝えてくる情報で、エジモンドの武装船の位置や軌道はここまで随時把握できている。取り逃がすことも、見失うこともあり得ない。
魚はすでに網のなか。あとは誰が、どう捌くか。
決まり切った結末へ向けて、ただその過程を選ぶためだけに、白亜の機兵〝ノーバディ〟は飛翔する。黒く冷たい背景放射の天空に、円く歪んだ重力波の光跡を曳いて。
犠牲者を求める、白羽の矢のごとく――。
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