ハンス・フォン・ヴィンチェスター(2)

 ハンス・フォン・ヴィンチェスターは恨めしげに、離床したばかりの船を見ていた。

 自ら生み出す斥力場に押され、船尾の輪郭を揺らめかせながら去ってゆく、その紅い船こそ試運艦〝テオフラスト〟。実戦試験機操手エグザクターたるハンスが乗り込むべき母艦であり、会社に出向を命じられた任地であった。

「……なぁ。アレだよな? ぼくが乗るはずの船ってアレだよなぁ? なんでぼくを待たずに出発しちゃってるわけ? 艦長だれ、馬鹿なの? 一番重要なクルーを乗せずに行くとかさぁ……!」

 要するに、乗り遅れたらしく。

 憤るままに文句を並べ立ててみるものの、自家用車と運転手はとうに軍港の入口で追い返しており、彼の癇癪に付き合ってくれる暇な警兵などいるはずもない。家紋代わりの〈眩雪スノーブライト〉が、ただの子供でないことをアピールしてはくれたが、怒りを爆発させている最中の矮星族ドワーフなど、却って近寄りたくない相手である。軌道港の誰もが遠巻きに、彼を避けて通った。

 もっとも、ハンスと同じく去りゆく船に目を奪われていれば、そんな気を回す余裕もない者はいる。

「あ、あぁ……そんな、嘘だろ!? まだ予定時刻まで八時間もあるじゃないか、なんでもう出航してるんだよ!」

 各辺一メートル程度の浮きコンテナを曳いてきた背広姿の男が、岸壁の縁で所在なさげに立ち止まり、宙に身を漂わせた。横で呆気に取られているハンスに気付く様子は、まだない。

「どうする……冗談じゃない……こんなの俺の責任にされるに決まってる! 会社になんて報告すれば……」

「おい、そこの社畜」

「う、ふへへ。そうだ、いっそここから飛び出して……宇宙に……そうすれば、明日から出社しなくて済む……」

「聞け阿呆、おまえだ。その社章、うちの社員じゃないのか?」

「あァ!?」

 背広の男がようやくハンスに気付き、不遜もきわまる物言いに怒鳴りかける――瞬間、そこにいるのがただの子供ではないことに気付く。

 きらめく白髪。途方もない金と技術で造形された、幼形の美貌。名と所属を示す仮想タグなど、確認するまでもない。

 襟元に着けたヴィンチェスター社の紋章が、忠誠を示せと囁いたか。言葉を発する前に、男は宙に浮いたまま深々と頭を下げていた。

「あっ、その、ええとあの……しっ失礼いたしましたッ」

 ハンスは会社の役員でも、この男の上司でもない。しかし銀河貴族が営む星間企業において、平社員と経営者一族の子息とでは、役職以前の絶対的な身分差というものがあった。

「ふん。まあいい。で、おまえは何だ? そのコンテナ、まさかあの船に運び込むはずだったものか?」

「は……然様で。まだ貨物搬入作業は終わっていないはずの時刻なのですが」

「見ての通りだ。間に合わなかったようだな」

 失態だぞ、とこの男を怒鳴りつけて憂さを晴らしたくなる。ハンスはその誘惑に抗った。言えば自分にも跳ね返ってくる言葉だ。それくらいのことは、わかる。

 そんなハンスの自制が、社員の男の目には付け込むべき隙と映ったのか。とびきりの名案を思いついたとでも言いたげに、口が裂けるような笑いを浮かべた。

「……おお、そうだ! 実はですね、この荷物、〝ストームブリンガー〟の戦術行動支援システムを支えるコアユニットでして」

「なに? ……確か、ぼくが乗る機体だったか」

 この時点で話の先を読めず、真面目に聞いてしまうのがハンスの甘さである。先を促され、社員は続ける。

「ええ、ええ! それで、なにしろ第二種禁制技術を含む機密の塊ですゆえ、エグザクターが最終受取人に指定されているのです! つまり、ヴィンチェスター一族の御曹司であらせられるハンス様に、直接お渡しせよと! 作業指示書もございます! 上司のサインも!」

「はあ。だが、船はもう見えなくなってしまったぞ」

 畳みかけてくる男の勢いに辟易し、圧され気味のハンスにも、ここでようやく危機感らしきものが芽生える。CJPOへのクレームと、〝テオフラスト〟への乗船手続きを、当然この男にやらせるつもりだったが――いったいこいつは何を言おうとしているのか?

 遅きに失した。

 社員はすでにコンテナから手を離し、逃げの体勢に入っている。

「受け渡し場所の指定は受けておりませんので……確かに、ハンス様へ直接、〝レインメイカー〟をお受け取りいただきました!」

「なっ、おい待て、貴様! ぼくに押し付けてどうする、戻ってこい! こんな……減給ものだぞ!」

「聞こえません、お先に失礼します! 直帰いたします!」

 脱兎、ドックエリアを走り抜け、港区外に停めていた社用車で飛び立つ男。ハンスは追うことも、自社に連絡を取ることもできぬまま、茫然とそれを見送っていた。

 いかに身分の優位があろうと、社会経験のないハンスでは、常日頃より責任を押し付け合っている会社員の逃げ足に、即応できるはずもない。

「あいつ……あとで人事部に問い合わせて、辺境に飛ばしてやる」

 そこまでの実効権力がハンスにあるかどうかは微妙なところだが、そうでも言わねば気が紛れなかった。残されたコンテナに目を向ければ、怒りで誤魔化していた惨めさが戻ってくる。船に置いていかれた乗組員が、余計な荷物まで背負わされて立ち往生している現実。

「〝雨を降らす者レインメイカー〟とか言ったか……? こんなもの、どうしろって」

《おはようございます。声紋の一番目は保証されて、それはクリアです》

「わッ!?」

 突然、眼前のコンテナから発せられたのは、平板な男の声。

 驚きのあまり後ろにひっくり返り、ハンスはその場で軽いパニックに陥ったまま、無様に宙で数回転した。

 どうにかコンテナの把手を掴んで身体を引き戻し、荒い息を吐く。

「なっ、こんっ、今度はっ、なんだよぉッ――」

《網膜、静脈、および無接触は完成を斜めに読みます。第二の認証クリアランス。私は登録を送っているボディデータに合意し、アクターを確認しました。ハンス・フォン・ヴィンチェスター、このチャンス》

 中に人間でも入っているのか。そんな馬鹿げた思考も浮かびかけたが、どこか機械的な声の物言いが、あまりにも奇妙だと気付く。銀河標準語に明るくない田舎者が喋ったとて、こうも支離滅裂な文法にはならない。

 こういう喋り方をするのはたいてい、あまり賢くない――。

「なんとか支援システムのコアユニットって……まさか自律知性AIか!?」

 ほとんど条件反射的に、ハンスの顔が蒼褪める。

 数ある禁制技術の中でも、自律知性は最大の禁忌とされるもののひとつだ。

 旧太陽系圏を滅ぼした〈偶像占い師イドロマンサー〉のような、第一種自律知性――超シンギュラリティ級AIは言うに及ばず。それより遥かに能力を限定され、自律意志など持ちようがないとされる低位知性構造物であっても、厳格な管理手順のもとでなければ運用できない。

 この箱の中身、〝レインメイカー〟なる部品が、第二種相当の知性構造物だとして――どう考えても、人型全領域戦闘機シングラルに搭載してよい代物ではない。技術管制法群の一翼、人工知能技術を規制した知性構造物関連モラヴェック法に抵触する。

 ハンスの動揺を読み取ったわけでもあるまいが、〝レインメイカー〟は自ら弁明らしきものを述べ始めた。

《私は戦闘補助において特殊化された二等の等価性能を持つ自律知性ですが、マウンティングのものは構成モジュールとして複数の三流のAIを結合し、洗練された機能を達成します。すなわち、それはモラヴェック法の定義によって〝ただ知的に見える考えボット〟という三番目のクラスに完全に分類されます。どうぞ救われてください》

「救われねえよッ! 何言ってるのか分かんないしさあ!」

 仕方なく、ハンスは補助脳から〝ストームブリンガー〟の仕様書を引っ張り出し、その場で〝レインメイカー〟に関する記述を探し始めた。どのみち、他にやることも思いつかないのだ。

「えーと……? なんだ、これ……第三種AIをいくつも組み合わせて、第二種相当の性能を実現してる? ってことでいいのか?」

 仕様書の文字は細かく、文言はいかにも技術者風の言い回しばかりで解りにくい。おかげで半分も解ったような気はしないが、どうやら〝レインメイカー〟は第三種知性構造物、すなわち「実際には知性と呼べるものを持たない擬似AI」に属するらしい。

 だが新技術の導入により、理論上の性能においては第二種、つまり「限定的な知性を有する専門AI」に匹敵するという。本当であれば、特異点に近づく危険を冒さず、高機能AIの恩恵だけを享受できる。素人目にも革新的な製品であると、わかる。

「いいのかよ、こんなもん作って……」

 それを戦闘サポートシステムとして搭載した機体に、自分が乗る。

 考えようによっては頼もしいのかもしれない。が、いかに新技術が安全を謳っていようと、ハンスはAIへの恐れを拭える気などしなかった。

 のだ。連邦市民の多くが共有するその恐怖は、ほとんど本能的なまでの強さで、銀河貴族たるヴィンチェスターの末子を呪縛する。

 気休めになりそうな要素といえば、〝レインメイカー〟の珍妙な対人言語インターフェースくらいのもの。

《心配事に来ません。私はまた戦術的な仕事で純粋な行動サポートのために、スタンドアローンによってすっかりデザインされるように設置されます。これは材料円構造により達成され、介入はプログラムの一部から仕様書が不可能です》

「おまえその喋り方、もしかして戦闘中でもずっとやってるワケ?」

 いかにも愚鈍な機械が合成した、といった風情の、間抜けな文章を出力する〝レインメイカー〟。その平板な声に、「進化しすぎたAIは悪魔になる」という原罪の神話を思わせるような脅威は感じられない。

「誰か縁起でも担いだのか知らないけどさぁ、どこが〝やり手レインメイカー〟なんだっての……これじゃ〝笑わせ屋ラフメイカー〟に改名した方がいいぞ」

《理解。このシステムの区別された名前は、〝ラフメイカー〟として再登録されます》

「あ? え? マジかよ、本当に改名しやがった!」

 仮想視界でコンテナをフォーカスしてみれば、Vタグに記されたシステム識別名が〝ラフメイカー〟に変わっている。独り言と命令の区別もつかないようでは、これの前で迂闊なことは言えそうもない。

 もしかしたら、とハンスは思う。

 第二種AI相当の性能などというのはプロモーション用の誇大表現で、実際は既存のコンバットシステムと大差ないのではあるまいか。

 自分が実証機で活躍し、次期主力機コンペで優秀な成績を残したときに、その戦果をアクターの才能ではなく、機体の商品価値に還元するための理屈付けに過ぎぬのではないか。

 希望的観測と呼ぶには、あまりに現実を見ていない妄想である。ハンスはシングラル・アクターとしてまったくの素人であり、高性能AIの支援もなしに活躍することなど、望むべくもない。

 それでも――第三種とはいえ自律知性を頼りにするよりは、己の未知なる才能を信じる方が、まだしも容易い。

「ふん……いいさ! 営業部の思惑がどうであろうと、ぼくがこのポンコツを上手く使ってみせれば、結局は会社の利益になるんだ。そうすれば父さんだって、驚いた顔のひとつくらい……!」

 子が、命懸けの任務で親に期待する報酬としては、あまりにささやかな願い。

 そんな望みの薄さを、省みて悲しいとも思わぬハンスの物言いに、〝ラフメイカー〟の名を与えられた機械は、ただ沈黙で応えた。


 乗せ損ねたクルーや資材を回収するため、〝テオフラスト〟艦長ミハイロヴィチ・ディミトロフが手配した小型艇で、ハンスがようやく軌道軍港を出発できたのは五時間後。

 主星系を揺るがす禁制技術テロ事件のすべてが終わってしまった後であり、ハンス・フォン・ヴィンチェスターと〝ラフメイカー〟は終始、蚊帳の外に置かれたままであった。

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