ミハイロヴィチ・ディミトロフ(4)
「……さて。核ミサイルそのものはルービンシュタインが対処するとして、こちらは事後処理に備えねばならん」
「事後ですか? 事件はまだ解決してませんけど……」
疑問を口にする体で、ジェシーは咎めるような目を向けてくる。前線がすでに片付いたものと看做して動くのは、いかに犯行の背景が見えたとはいえ、尚早に思えるのだろう。
だが、後背の敵は捨て身のテロリストなどより遥かに手強い。先回りして動かねば、手遅れになる。
「エル研の試験機がよほどのガラクタでない限り、単機でも貨物船ごときを持て余すことはあり得ん。後詰めにローレンスも待機させてある。
それよりも、本部の予想がまるで的を外していた事態に、我々の対応が早すぎたことの方が問題だ」
「対応が早いのはいいことじゃ……あー、そういうこと。上に報告できない情報で動いちゃったのがマズいんですね」
むろん、無差別核攻撃という暴挙を可及的速やかに阻止することは警兵の本懐であって、何ら恥じるところなどない。だがミハイロヴィチがそのために判断材料とした〝ハロルド禍〟の真実は、本来彼の立場では知り得ないはずの極秘機密である。
エジモンドが単独犯であると短時間のうちに看破し、その推測を前提に、共犯者の探索を諸方面に指示。かつてミハイロヴィチの部下だったこともあるゲーンハイム三等巡佐がこれに応え、早々に汚職警兵ネグリを逮捕した。ここからルイスがどう動くかにもよるが――結果から見ればミハイロヴィチは、常識的ではあるが誤った予測に基づく本部の指示を無視し、最初から正解を知っていたかのように動いてしまっている。
上層部からその件で釈明を求められ、正直に「たまたま後ろ暗い機密を知っていたもので」などと言えば、クルー全員が連座で〝
ゆえに、早すぎる動きに合理的な説明を与えつつ、誰の首も飛ばさないようなシナリオで、穏当な報告書を用意しなければならない。政敵どもに付け入る隙を与えてはならないのである。
「はー、もっとコソコソやればよかったですねえ」
「それはできん。隠蔽工作のために余計な時間をかけて、エジモンドが主星軌道に近づくほど、核の脅威は確実に増大する。辻褄の合う報告書さえ上げれば本部は黙るのだから、その程度の手間はこちらで負えばよかろう」
「艦長、損する性格してますよ」
「他人事のように言ってくれるが、こちらの動きが早すぎる要因の半分は、お前の異常な情報抽出速度なのだぞ。違法なハッキング技術を惜しげもなく警務に使いおって。捜査情報の取得経路について、論理的に無矛盾かつ、完全に合法的な説明を考えておけ」
「わぁお、藪蛇。……ちなみに艦長、知ってちゃいけない〝ハロルド禍〟の内幕ってやつ、どういうルートで仕入れたんです? 隠された真実の探究者たるハッカーとしては、そっちが気になりますね」
ジェシーが早口に試みた話題の転換はあまりに雑であったが、いずれ訊かれるものと思って、ミハイロヴィチは答えを用意していた。呆れ顔を覗かせつつ、彼は言う。
「私の情報収集は基本的に、お前のような計算機への侵入ではなく、長い軍歴の中で繋いできた人脈が頼りだ。今回の読みも、過去に〝ハロルド禍〟の真相を伝えてくれた情報提供者がいたに過ぎん」
「……どこの誰かは、訊いても教えてくれないんでしょうね?」
まるで期待していない口ぶりで、ジェシーが問う。老将は滅多に見せぬ悪相の笑みを返した。
「教えてもよいが、聞けばお前は死地から戻れぬ身となるぞ」
「うーんそれは……まだご遠慮しておきたいですねえ……」
機を窺ったかのごとく、仮想視界の端に着信のアイコンが点滅する。ミハイロヴィチはそれをジェシーにも見えるよう設定し、掲げてみせた。
非通知のネットワークアドレス。にもかかわらず、発信者名が表示されている。
アイコン上に浮かぶ名はただ一文字、〝Q〟とだけ。
「――おう、ちょうどわが情報提供者どのから、秘匿回線で通信が入ったようだ。顔を繋いでみるかね、天才ハッカー」
「辞退しますってば! 絶対それ政治的にヤバいやつですよね?」
逃げ腰のジェシーに落胆半分、安堵が半分といった心地で苦笑し、ミハイロヴィチは呼出に応じる。
「ディミトロフだ。こちらの状況は伝わっているか、〝
口は動かさず、頭の中だけで交わすテレパシーのような会話だ。秘匿回線のセキュリティ強度は最高レベル。物理的盗聴も、電子的傍受も不可能。
サウンドオンリーの回線越しに返ってくる声は、年齢も性別も判らぬよう加工された、非人間的な音の並び。
《――伝わっているよ。〝ハロルド禍〟の揺り戻しが来た、と。以前渡した情報が役に立ったようだね》
「うむ……とくに、フォルグ救援艦隊の作戦ログ原本だ。あれが無ければ今回の事件、ヴァナー・エジモンドが復讐目的の単独犯であるとまでは、推理できなんだからな」
ミハイロヴィチは〝クイズマスター〟の肉声を聞いたことがない。顔も、実名も知らない。専らこうした音声通話か、テキストメッセージのやり取りで連絡している。
彼(あるいは彼女)がリークしてくる情報は、裏社会で一流と称される情報屋すらアクセス不可能な、破格の大深度機密ばかり。その働きが、ある程度の正体を推測させもする。推測した上でミハイロヴィチは、〝クイズマスター〟が頑なに正体を隠して立ち回るのも、やむなしと認める。
明らかに、連邦の現体制で権力者階級に属する者であろう。それが敢えて危ない橋を渡り、体制に迎合せぬ非主流派閥の自分やトマスに力を貸している。
そこには隠れた思惑があり、独自の利害があるのかもしれぬ。しかし、リスクを押してなお同志と信ずるに値する、行動の重みがあった。
「して、このタイミングで掛けてきた用件は何だ? こちらもまだ忙しいのだぞ」
《もちろん緊急の連絡事項があったからだよ。
「――確かか?」
事実なら、まさにその取り調べを進めていたゲーンハイムが真っ先に伝えてきそうなものである。
口に出さなかった疑問を、〝クイズマスター〟は正確に読み取っていた。
《ネグリ死亡の直後、入管ステーションはCJPO本部直轄の検疫部隊に封鎖された。情報防疫のためだそうだ。取り調べに当たっていた警兵たちも、アクセス権限のない機密に接触してしまった疑いありとして、拘束されている。
おまけにネグリの不審死について、違法な取り調べで死なせたのではないかという嫌疑が、ゲーンハイム三等巡佐たちに掛けられている。あれでは外部に連絡など、とてもとても》
「タイミングがあからさますぎるな」
――後手に回った。
まるで被疑者の死と同期するかのような封鎖。警兵にすら広めたくない機密情報。隠す気もないのだろう。
哨尉補リザレス・ネグリは、口封じのために暗殺されたのだ。
単に殺されたというだけなら、彼を利用していたエジモンドか、そのエジモンドに禁制技術を渡した何者かの犯行という線もあった。しかしその可能性は、捜査を妨害するかのように送り込まれてきた検疫部隊の存在によって潰れる。動きだした新たな〝敵〟は、警兵を自由に動かせる立場の者ということになる。
「よくもまあ、そんな状況を掴んできたものだ……ところで、変死というのは?」
《尋問の最中に、まったく原因不明の突然死だそうだ。詳しくは解剖待ちだが、見える範囲では外傷も出血もなし。生命のスイッチでも切られたように、声もなく倒れ伏したということでね》
「検視の段階では、直接の死因すら特定できんということか?」
返答に代えて、現場の捜査データが送られてくる。進行中の事件の最新状況を、どうやって手に入れているものか――常ながら不可解なまでの情報力。ミハイロヴィチは片眉を上げただけですべての疑問を呑み込み、資料に目を通す。
取調室は密室。その場にいたのはネグリを除き、ゲーンハイムら聴取にあたった警兵のみ。何の前触れもなくネグリは意識を失い、一通りの救命措置が試されたのち、死亡が確認された。
出血なし。毒物反応なし。致死的な病原体も検出されず、突然死に繋がりそうな心疾患などの既往歴もない。そもそも最先端医療の恩恵を受けられる主星系で、警兵がいきなり病死などするはずがない。現場の人間からしても、暗殺だということは解り切っていた。
だが、彼の脳機能と血流を停止させたものが何だったか判明せぬうちに、入管ステーションは情報防疫部隊に制圧されてしまう――。
《……というわけで、手掛かりも何もあった状態ではないんだよ》
「物証がないだけで、どういう手合いがやったかはこれ見よがしだがな」
犯人も凶器も不明、魔術のように人が死んだとなれば、警兵が真っ先に疑うべきは超高度テクノロジーによる殺人である。
たとえば補助脳に感染する致死性マルウェア。あるいは機能を果たしたあとに自己分解し消失するナノテク毒物。警兵とて、あらゆる禁制技術の情報を開示されているわけではない。捜査に使用できるレベルを超えた技術犯罪には、即応できぬこともままある。
ネグリを暗殺した何者かは直接的な証拠を残さず、その上で技術力と権力をちらつかせている。それ自体が、「深追いを禁ずる」という無言のメッセージになっていた。
「中央議員、官僚、あるいは星間企業……フットワークの軽さを見るに、やはり企業の線が濃いか……とかく黒幕は、フォルグの虐殺に関わった誰かだ。エジモンドの襲撃とネグリの逮捕で、〝ハロルド禍〟の真実が明るみに出そうだと勘付いたのだろう。
ついでに、私と通じている非主流派の警兵を削り取れれば儲けもの、といったところか。あとでゲーンハイムたちの無実を勝ち取る算段も、つけておかねばならんな」
《
ミハイロヴィチは頷く。音声のみの通信には無意味な動作だったが、彼は会話の媒体に応じて身振りを変える手間を惜しむ
「先手を打たれはしたが、拘束されただけならトマスがどうにかするだろう。いざとなれば、やつは実家を使える。全員がいきなり殺されなかったのは幸いだな」
《そりゃあ、犯罪者ひとり消すのと、入管ステーション勤務の警兵をまるごと粛清するのじゃリスクが違う。連中もそこまで短慮じゃない。
とはいえ惜しいな。ネグリの身柄をこっちで押さえられれば、対主流派キャンペーン用の情報爆弾にも仕立てられたものを》
酷薄な〝クイズマスター〟の発想に、ミハイロヴィチは目つきを白けさせただけで、何も言わなかった。声には出さぬまでも、自分とて似たようなことを考えていたからだ。
「……解せんのは、こうも強引な手を使ってまで、いまさらネグリの口を封じる意味があったのかということだ」
大規模テロに加担した犯罪者といえど、弁護士を雇う権利はある。ネグリが生きていれば、世間に〝ハロルド禍〟の真相を暴露する方法もあっただろう。かつて〝
しかし、かの命令は非情であっても、政治的判断としての合理性を著しく欠いたものではなかった。最大多数の銀河市民を確実に守るため、断腸の思いで下した決断だったのだと言い張れば――人道的是非はともかく、政治的には――そのまま切り抜けられたのではないか。最悪でも、何人かの当事者を生贄に仕立て、責任を押し付ければことは済んだであろう。いつの世も大衆は罪を憎まず、容易く人を憎む。
事件直後ならいざ知らず、もはや二十年以上を経た過去の惨事。まして、封じ込めが失敗すれば自分も犠牲者となっていたかもしれぬ疫病の扱いに、いまさら本気で連邦政府を糾弾しようなどと考える市民が、果たしてどれほどいるものか? 昨今ただでさえCJPOは体制批判に過剰反応しがちで、およそ言論の自由など保障されてはいないというのに。
むろん、反連邦組織のプロパガンダに利用される危険はあるが――それにしても、CJPO内部に無用な疑念と反発の種を蒔いてまで、流出回避に強硬策を用いる価値がある情報かと言われれば、やはり疑問は残る。端的に言って、鮮度に欠けるのだ。
あるいは――
「……まだ何か、ネグリに吐かれてはまずい秘密が残っていたか?」
《だとしたら、彼らはその隠滅に半分は成功したと見るべきだね。安全策を採るなら、エジモンドは卿の部下に堂々と消させてしまうという手もあるが》
ネグリが更なる秘密を握っていたのなら、主犯たるエジモンドもそれを知っているかもしれず。
先行したルイスたちがエジモンドと接触すれば、その秘密を手に入れてしまうかもしれず。
秘密を知った可能性のある者すべてが、ネグリと同じく暗殺の標的になり得る。ことによると、母艦たる〝テオフラスト〟のクルーまでも。
そうならぬうちに、先んじてエジモンドを話も聞かずに討ち取り、以て本件への深入りを控えるという意思を表明する――〝クイズマスター〟の提案は、そういう意味である。いわば戦略的撤退。権力による不正義を見過ごし、自分と部下の安全を買う道。
ミハイロヴィチ・ディミトロフは、それを一考してみる程度には現実的で、しかし選んでしまうほどには卑しく在れぬ男だった。
「冗談ではない。犯罪者とて、正しく裁かれる権利はある。
ましてエジモンドが本当にそんな秘密を持っているなら、我々こそ、なんとしてもそれを押さえねばならんだろう」
かく言うミハイロヴィチも、実はまだ半信半疑の状態にある。
防疫を確実なものとするため、無辜の民を見殺しにした暗黒の歴史。それ以上に隠すべき権力機構の恥部が、本当にまだあるというのか。
百戦錬磨の老警兵と言えど、未知なる悪魔の所業を想像のみで推理することまでは、できぬ相談であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます