エドワード・ローレンス(2)

 出航予定を繰り上げての緊急発進スクランブルに、慌ただしさもきわまる試運艦〝テオフラスト〟。その格納庫に、艦内通路から姿を現す男ひとり。

 金髪。黒褐色の肌。アロハシャツ。サングラス。白い歯を見せて笑いながら、物見遊山のさなかと言わんばかり、逞しい巨体をぶらりぶらりと揺らして練り歩く。

 人工皮膚で隠されてはいるものの、その五体の過半は戦闘用サイバネティクスに置換されている。

 傭兵、エドワード・ローレンスであった。

 立ち働く技師や整備士たちは、場違いな闖入者に一瞬目を留め、すぐに逸らしてゆく。怪訝、忌避、不快をあらわす者は数多く。一方で、いかにも締まりのないエドワードの足取りが、実は格納庫内の低重力に対応した隙のない歩法であると、気付く者もわずかながらいる。

 うち一人は、彼と同じ高置換率ハードサイボーグだった。

「ローレンスかね? 艦長から連絡を受けている。技術顧問のトロックス・ハービスだ」

 移動砲台めいた浮椅子ホーヴァチェアで近づいてくるのは、口許以外のどこにも生体部分が見当たらない異形の老人。サイバネ義肢であることを隠そうともしていない金属質の右手が差し出され、エドワードは笑顔を維持しながらその手を握る。

「ふーむ、ふむ、炭素系のフレームか。軽量、強靭、生体組織との拒絶反応も起きにくい。実用的で……しかしこの筋繊維配置は……戦闘用かね? 値が張ろうに」

「おいおいジイさん、握手のついでにサイバネ手相占いかよ。おまけに詳しいじゃねえか」

「むっふふ。こちとら全身機械化を目指しているのでな。勉強もしている……それに、知人にロートヴァンク家の者がおったのよ」

「ほう」

 エドワード・ローレンスは平凡な庶民の家に生まれ、ついぞ権力とは没交渉に生きてきた。いわゆる銀河貴族の家柄にも、詳しくはない。

 だがロートヴァンクの名は知っている。人体を機械的に再現・代替する技術体系を掌管し、サイバネ産業の支配者と目される一門。エドワードが使用している軍事規格の人工器官も、元を辿ればロートヴァンク財閥に属す星間企業が開発したものだ。

「おった、つうことは……そいつは死んじまったのかい?」

 無遠慮な質問である。それを、エドワードは聞いても構わぬと判断する。ハービスの物言いからは、何らの感傷も読み取れなかった。

 果たして、老人は平然と首を振る。

「死んではおるまい。つい数年前にも、ネンティス星邦で活動していたと風の噂に聞く。ただ――そろそろ人間ではなくなっているやもしれん」

「あん?」

 今度は、意味を聞いていいものかどうか、迷った。

 逡巡の間に、その機会は失われる。

「……作戦中であるから、雑談はこの辺にしておこう。ついて来たまえ。展開中の作戦について、状況は把握しているかね?」

 ハービスに続いて歩き出しつつ、エドワードは頷いた。銀河貴族の話は頭の片隅へ放り投げ、思考を警兵のものに切り換える。

 直前までの軽薄さが鳴りを潜め、姿勢から歩き方まで、弛緩した雰囲気が瞬時に引き締まっていた。安価に雇える野卑な傭兵とは一線を画す、職業軍人的な硬質さ。

 エドワード自身がその姿を他人の目で眺めたら、笑っただろう。昔の癖が抜けない、と。

「ああ。艦内LANに繋がった瞬間、CICとの直通回線が開いて、ディミトロフ艦長じきじきに命令されたよ。格納庫ここでバックアップ要員として待機せよ、ってな」

 主星に向かっているという武装貨物船の襲撃が、単独犯による特攻なのか、反体制組織による陽動の一環なのかも判明していない状況である。予備戦力を用意しておくのは当然の判断と言えた。

「詳しい状況は、ここまでの道中に作戦ログで追ってる……核兵器とはまた、ノスタルジックな代物をねえ」

「先行している〝ノーバディ〟以外で、いま動かせる機体は君の〝プロト・ケーニギン〟しかない。然るに、君がルービンシュタインの後詰めをやることになる。

 吾輩は、君の機体の最終点検を指揮していたところだ。アクターさえ来ればいつでも出せるように、とのオーダーを受けてな」

 行く先に見えるのは、細い骨格フレームと分厚い装甲がどこか歪なシルエットを形成する、鋼の巨人。

 エドワードは仮想視界に機体情報を呼び出した。ブラックスミス・システムアームズ社製、砲狙撃戦用シングラル〝プロト・ケーニギン〟。

 初めて乗る機体ではない。これまでも機付エグザクターとして、幾度かのバージョンアップを挟みながら戦闘データを収集してきた。かれこれ二年は付き合っている、馴染みの実戦試験機だ。

 操手アクターのエドワードから見ても、未だに完成度の甘い部分はある。しかし最初期のモデルがまともに飛ばないモック同然のデモ機だったことを思えば、これでも長足の進歩を遂げている。

 現時点でも制式量産機〝グラディウス〟を超える性能は確保できており、エグザクターの視点から見れば、伸びしろのある面白い機体でもあった。

 愛機である、と言えよう。

 これこそは、二十年にわたるエドワード・ローレンスの戦歴で、もっとも多くの敵を屠ってきたマシンなのだから。

真空炉ケノンリアクターの回転数が上がってくるまで、もう少し掛かるようだな……近くにいてくれたまえよ。すぐに戻る」

 言い残し、機付整備士たちのもとへ浮椅子を飛ばすハービス。置き去られたエドワードは肩をすくめ、一つ向こうのハンガーへと身体を流した。

 実をいうと、先刻から気になってはいたのだ。はいったい何だろう、と。


 収めるべき人型全領域戦闘機シングラルを迎えていない空きハンガーの前、キャットウォークに一人の青年がいる。

 立って、そこに居るのではない。強化繊維バンドで全身を巻かれ、バンドの端を欄干に係留されて、力なく漂っている。あとで使うための資材をとりあえず固定しておいた、といった風情の、雑な扱いだ。

 無重力ブロックの空中を横切り、エドワードは繋がれた男に近づいていく。

 実年齢は予想もできないが、見た目はなで肩の優男である。大人しげに整えられた髪は、遠目には灰色。近くで眺めれば、人工形質や染色ではなく、容貌の若さに似合わぬ白髪の多さからそう見えるものと知れた。血色の悪い肌と、見慣れた白の警兵服も相まって、全身がどこか病的な白さで統一された印象を与える。

 そして、警兵服の袖口を固める分厚い電子手錠。

 場所と出で立ちから、エドワードはその男の素性を読み解いていく。読み解きながら、傍らに立った。

「――よう。おたくもアクターだろ。機体はここに来るのかい……」

 灰と白の男は宙に浮いたまま、手枷と拘束帯で不自由そうな身体をくの字に折った。一礼したものらしい。動きに残る慣性から、手足の筋肉に力が入っていないことが見て取れる。運動機能の障害、あるいは人為的な神経封印――ならば手錠は、身分を示すための記号か。

「ご賢察の通りです。艦が緊急発進したため、私の機体は間に合わなかったようですね」

「ばかに礼儀正しいじゃねえか。グラディアトールだろ? 同じ船にいるってのは聞いてる。いま出ていってるルービンシュタインとかいうのが、そうだと思ってたが……。

 おっと、俺はPMC〝フィロストラトス〟所属、ブラックスミス・システムアームズの実戦試験機操手エグザクターとして派遣されてきた、エドワード・ローレンスだ。よろしく頼むぜ」

 エドワードが右手を差し出すと、灰白のグラディアトールは一瞬困ったように電子手錠を見下ろし、拘束された両手で握り返した。腕がまったく動かないわけではないようだが、あまりに弱々しい。握力はほとんど感じられない。

 包み込んだ掌の中に機械の硬さを感じた彼の、柔和な笑みが揺れると見えたのも一刹那。湖面の月が凪ぐように、完璧な笑顔が繕い直され、駆るべき巨人を待つ操手アクターはかぶりを振る。

「たしかに私もルービンシュタイン氏と同じ、グラディアトールではありますが……乗員名簿には載っていないのです。エルフェンバイン研究所より貸し出された、ということになっておりますので。

 初めまして、ローレンスさん。ヘルマンと申します」

「〝三十シルアーティ〟?」

 なかなか珍しい姓だ、と首を捻ったエドワードは、備品と名乗った男の名に数字が含まれる意味を、一呼吸遅れて理解した。

「お前……もしかして、〝聖人〟か」

 ヘルマンは答えず、ただ微笑みを返すのみ。どこか機械じみたその反応こそが、質問に答えていた。

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