間章:〈劫院〉

 その部屋には入り口がなかった。

 広い円形の講堂、あるいは闘技場といった趣の空間である。中心へ向かって深くなる同心円状の段差が設けられ、空の座席が等間隔に並んでいる。

 動くものはなく、音もない。当然である。いかなる設計思想、はたまた欠陥のためか。構造上、誰も入れないのだ。

 高い天井に一台だけ設けられた照明は、果たして誰がための橙光か。無人の円形劇場アンフィテアトルムを、虚しく照らすばかり。

 で、あったが――円列を成す空席の上に、ひとつ、ふたつと、陽炎めいて揺らめく闇が生じた。

 黒く光る風が次々と渦巻き、凝集し、やがて空座に着席すべき人影を象ってゆく。その数、瞬く間に五十を超え、百を数え、やがて昏き嵐が収まる頃には、三百にも届こうかという議席の大半が埋まっていた。

 いかなる手段を用いてか、この巨大な密室に忽然と姿を現した者たち。その全員が、年端もゆかぬ子供である。

 否――子供のように見える、と言うのが、より正しい。

 みな一様に、幼いながらも神々しいまでの美貌と、どこか生物界の自然に反した形質を備えている。ある者は髪に、ある者は瞳に、超自然の彩りを宿した幼形の貴人たち。高度な技術による遺伝子操作を施された、矮星族であると知れた。

「定例会の日ではなかったはず。議題を聞こう」

 何の前置きもなく、誰かが当然答えるものと確信した尊大さで、一人の少年が言い放った。

 不可思議な青い光沢を放つ翠緑の髪。遺伝子に刻印された家紋たる人工形質は、かくのごとく魔術的な光彩を以て、自家の秘め持つ技術力を誇示するでもある。

「〝進行役〟が来るまでお待ちなさいな。わざわざ召集をかけるくらいなのだから、それなりに大ごとなのでしょうよ」

 翠髪の少年に応えたのは、骨董品のネオンライトじみた紫光を放つ、桃色の髪の少女。肢体も顔だちもやはり幼く、しかし表情と口調からは艶やかな頽廃が立ちのぼる。

 二人のやり取りを皮切りに、目もあやな子供たちが囁き交わし始める。

 近況。経済の動き。大衆政治。情報統制。紛争。反体制勢力。禁制技術――

 背伸びをした幼児たちの、他愛もない雑談と見える光景。実態は、違う。ここが銀河の中心、枢軸、動力核。これこそが最も深き万魔殿。

 あるいは、秘せられし神々の車座――

 その談合の名を、〈劫院クロノン〉という。


「どうも、どうも。お待たせ仕りました。が長引きまして」

 中央の舞台めいた円形広場に、手足のすらりと伸びた青年が出現した。一礼して上げた顔は、矮星族でこそないものの若々しく、どこか昔話に描かれる狡猾な狐を思わせる。

 彼の素性を知らぬ者は、少なくとも主星系にはいない。

 統一銀河連邦現職大統領にして、連邦議会最高議長を兼ねる、ティツィアーノ・ヴェロッキオ、その人である。いましも今日の常会に出席し、スマートに見えつつ内容の薄い答弁をこなしてきたところ。

 表の議会は踊れど進まず、お飾りの議員が野次を応酬するばかりの政治ショーと化して久しい。大統領たるティツィアーノが自嘲を滲ませつつ称した通り、大衆を煙に巻くための茶番に過ぎない。

 銀河を回す真なる権力がどこで生まれ、いかように蠢くものであるか。彼はそれを知っている。

 ゆえに、一般市民から銀河系の最高権力者と看做されているその男は、極彩色の天使たちに恭しく語りかけるのである。王侯の前で踊る道化のごとくに。

天律卿セレヴォラント諸氏におかれましては、まず急な呼集に応じてくださったこと、深き歓びと感謝の念をもって……」

「能書きはよい。座持ち風情の阿諛など、いささかの快も無し。本題を申せ」

 慇懃な挨拶の辞を切り捨てたのは翠髪の少年。肩を軽くすくめて侮言を受け流し、ティツィアーノは優雅に指を鳴らす。

 高らかな破裂音とともに、議場の中央に光の渦が出現した。

 仮想オブジェクトとして再現された、銀河系の全体模型である。

「では、早速――ご報告申し上げねばならぬことは、四つございます。小粒のものから片付けて参りましょう。

 まずは、革命家ニコラス・ノースクリフについて」

「小物ではないか。捨て置け」

「天律卿ベル・カント、そうは仰いますが……彼は統一銀河連邦の歴史上、もっとも技管主義体制に打撃を与えている個人です」

「百年もかけて、辺境天域をちまちま削り取っている男が、か?」

 ベル・カントと呼ばれた翠髪の少年は、侮蔑もあらわに一笑した。

「その気になれば、わが社の戦力だけで喰らい尽くせようものを」

「可能ではございましょうが、そのためには最低でも三つほど、第一種禁制技術を世に解き放たねばなりません。知識は強力なミームとなり、人界に拡散する。ノースクリフの軍勢などより、よほど大きな脅威となります」

「わが社の情報管理を疑うか?」

「リスクの最小化こそは技管主義の骨子。ご理解ください」

「ふん……よい。きさまにも立場がある。旗振り役が、掲げた錦を裏切るようでは本末転倒というもの」

「賢明なるご容赦、痛み入ります」

 脚本通りとでも言わんばかり、気難しい権力者を御してみせたティツィアーノは、ベル・カントの横槍を如才なく利用する。

「ですが、そう、逆に言えば――最小限のリスクは負わねばならない。控えめに見ても、ニコラス・ノースクリフの軍事的才覚は、天律卿アンブシュアに引けを取らないものでしょう」

 ちらり、と連邦大統領が細い目を向けた先、兎をデフォルメしたと思しき着ぐるみが、恐縮するように俯いた。物々しい彩りに満ちたこの場にあって、なお異様なオブジェクト。周囲の童子たちは曰くありげな視線を送りこそすれ、〝それ〟が第二十六席次天律卿の座に就いていること自体を訝る者はない。

「なればこそ――CJPOに供与する禁制技術レベルの引き上げ、ご検討いただきたく愚考する次第にて」

「なあんだ。結局それが言いたかったのね」

 万色の天使たちが、さざめくように笑い合う。

「手の上で踊らせようとしたテロリストに、その掌を焼かれておるから、もっと強力な技術を使わせてくれ……と。なるほど小粒の議題ではある」

「小遣いを無心する子供の仕儀よな」

「しかし、戦場へ出した技術はいずれ流出軌道に乗るもの。ノースクリフの要求が、もとより技術管制法群の一部規制緩和であることを踏まえれば、この対応は彼奴の思うつぼと言ったところではないのか?」

「やるならば逐次投入は愚策。必勝の機を待って、一戦鏖殺を期するがよかろう」

「では……」

「開示プランの策定は、テクノクラートどもに任せるとして……」

「リスクの最小化。おぬしの言だ。違えるなよ、ヴェロッキオ」

「重々、肝に銘じましょう。ありがとうございます」

 再度、ティツィアーノの指が鳴る。銀河模型の一角が点滅し、注意を惹くとともに議題の移行を告げた。

「二番目も現在のところ小粒ですが、今後の調査結果次第では、ノースクリフ以上の脅威になるやもしれぬです」

「誰だ? シャドウか?」

「いえ、別件です。今回懸念されるのは、おそらく三百年ぶりとなる超高位核接触因子保持者カーネリアンの出現――」

 この場に集う面々が事態の重みを量るには、それだけ告げれば事足りる。

「なんと、真か」

「位階は……高位と言うからには、座天使ソロヌスあたりが出たか?」

「推定ながら、智天使ヒルヴ級の可能性もあると」

「事実上の最高位ではないか。野放しにはできんぞ」

「場所は?」

「惑星ミーミル。すでに星系封鎖を敢行しております」

「当然だ。いざとなれば……」

「星ごと……否、星系ごと消すも已む無し」

「むしろ早い方がよいのでは? 〝幽霊船ゴーストシップ〟を差し向けましょうかや」

「冗談はお止しになって。技術テクミーム汚染が進行した段階でならともかく、現状では異能者ひとりを処せばいいだけの話でしょう」

「星団国家ひとつ滅ぼした女が、それを言うか」

「人聞きの悪いことをおっしゃるのね。あたくしたちが事態を把握したとき、フォルグはとっくに手遅れでしたのよ。あとはリスクマネジメントと、投機の問題――だいたい御社、あのとき弊社と一緒になって、復興利権に入札なさっていたのではなくて?」

「勘違いをするな。責めているのではない。いまさら青臭い正義だの人倫だのを振りかざすなど、頼まれても御免こうむる。

 要は、つい二十年ばかり前にできたことが、なぜ今もう一度できぬのか、という話だ」

「ああ。そんなこと」

 しどけなく虚空に頬杖をつく桃髪の少女と、尊大な態度を崩さぬ翠髪の少年。応酬する二人を遮る者は、議場にいない。その事実が、彼らの有する権力の強大さを物語る。

「〝ハロルド禍〟のときとは状況が違いましてよ。あのときは、すでに進行中の惑星間疫病流行インタープラネタル・エピデミックがまず事実としてあり、ゆえにこそ防疫という大義名分が立った。全銀河を救うための、尊い犠牲というわけね。

 今回はどうかしら? たったひとりのが危険だからといって、三十三億の星系人口もろとも暗殺するというのでは、さすがにあたくしもちょっと……うまい言い訳を思いつきそうにございませんの」

「情報統制を布くにも、打つべき網が広すぎるか。面倒な……」

「それで、大統領閣下、どうされるおつもりか? 実際のところ、CJPOの対策としては」

 議論の熱が冷めた機を見計らい、新雪のような眩い白髪を戴く少年、天律卿カデンツァが水を向ける。助け舟に応じて、ティツィアーノはまたも恭しく一礼。

「当座は封じ込めをかけつつ静観、膠着状態を維持しております。あまり派手に動いても、事が外部に露見しますので……」

「争奪戦となれば泥沼だ。万が一にも〈解放星団LC〉などの手に渡れば、計り知れぬ脅威となる。注意を惹くわけにも行かんのは、わかる」

「件のカーネリアンが野合するとなれば、ノースクリフの方がまずいのではございませんか。あの男、〝ルシファー・モデル〟の宿主と目されてもおりますゆえ」

「話が戻っているぞ――まあよい。いかに異能が強大であれ、一個の人間が相手なら、やりようはいくらでもある。

 道化、報告を先へ進めよ。もう馬鹿にならぬ時間を浪費したぞ」

「は。では、この件はひとまず星系封鎖を続行し、進展あらばご報告申し上げることといたしましょう。

 第三、第四の議題は相互に関連しております。まずは……〝ブラーフマナ〟の不穏な動きについて」

 どこか緩い倦怠に包まれていた議場の空気が、にわかに緊張を帯びた。

 ティツィアーノの声に加えられた微量の鋭さが、これこそ緊急招集の本題であろう、と列席者たちに悟らしめたのである。

「ご存知の通り、かの地はグロンドル境界を後背に扼す要石……そこを守る役目は従来、この場におられない天律卿ポルタメンテと、彼の教団が担ってきたわけですが」

 三度、ティツィアーノの指が鳴る。議場中央に投影されたのは、いくつかの平面画像。

 撮影距離が遠いためか、拡大された写真の画質は粗い。それでも、映し出されたものの概形は把握できた。

 獣と、魚と、虫と、樹木と、それから機械を混ぜ合わせたような、異形の鯨めいた肉塊。

 それと向き合って虚空に浮かぶ、CJPOのものとは違うデザインラインの、しかしこちらは艦船とわかる物体。

「七年前にサマージ近傍宙域で撮影されたものです。奥の方は教団の〈航天舟ヴィマーナ〉、手前の大型艦は〝ザナドゥ〟のナグルファル級である、との解析結果が出ております」

「戦闘……の間合いでは、ないようだの」

「密通ですかしら。わざわざ次元暗礁のなかで……ふふ。〝ザナドゥ〟とやら、存外ロマンティックですのね」

「冗談ではない。考えうる限り、最悪の裏切りではないか」

「詐欺師め……つまらぬ野心に憑かれおったか」

「もとより胡散臭くはあったのだ。あれが天律卿たりえたのも、を押えているという一点あってのこと――」

「大義への忠誠など、そもそも持ち合わせていたのか、どうか」

「またもノースクリフの小僧が絡んで来よるか。ビジネスの相手としてなら、武器を売るくらいのことはしてやってもよいが……」

「根っからの反連邦勢力がグロンドル境界を抜くとなると、ちと看過し得ぬぞ」

「実際のリスクを計算しよう。それこそが我らの役務」

「どうなのだ? 教団と〝ザナドゥ〟が交わり、兵力と技術力がいかほどに膨れ上がるか。試算は出ているのだろう」

 予期していた質問だったらしく、ティツィアーノは戦略評価予測のグラフを投影する。試算の結果は、味方に数千万人の死者を出した上での勝利判定を示している。

「戦力的には、こちらもを払い、いくつかの隠し札を切りさえすれば、対処し得ぬということはございません。

 問題は、第四の議題に関することです」

 光を喰らうかのような闇色の髪の少年が、形のよい顎を傾ける。

「小粒の議題から並べたというそなたの言が冗談でなくば、天律卿ポルタメンテの背信よりも、なお重大な案件が残っておることになるが」

「ええ、まさしく。天律卿ルーディメンツのご指摘どおり、最後の一件こそが本題なのです。まずはこれをご覧ください――」

 物々しく投影されたのは、星が点々と散らばる宇宙空間。いずこかの宙域で撮影された、一枚の画像――ではない。右下に小さく表示された日時が、目まぐるしく更新されている。

 被写体となる宇宙空間に変化がないため、日付のカウントがなければ写真と区別できないが、どうやらそれは動画であるらしかった。

「一分間に圧縮してありますが、ざっと三十年分の、とある深宇宙観測ステーションの記録です」

「……何も、映っていないようだが?」

「そう。深宇宙はもとより変化に乏しい。しかし本来であれば、この三十年間に〝あるもの〟がのです」

「あるもの……?」

 事情を知らぬ部外者が聞いたとて分かるものではない、迂遠な言い回しだった。

 だが、この場に居並ぶ面々にとっては、きわめて重大な意味を持つ。そのことに気付いた者から徐々に、やがて議場全体が揺れるように、銀河を統べる天律卿たちがざわめき始める。

 動揺。混乱。不安。――恐怖。

 たった一つの情報が、神々の車座を重く覆いつつあった。星海の全天をひとしく翳らせる、恐るべき夜の来たるがごとく。

 ティツィアーノが指を一本立て、静粛を乞うた。この時ばかりは、諸卿も不平を鳴らしはしない。形ばかりの権力しか持たぬ若輩の議長は、いまや議場の空気を掌握していた。

 それだけの重大事だったのだ。

「お解りでしょう。見えないのです。はるか遠き昔日に、爆ぜて失われたはずの、とある星の光が……」

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