アンジェラ・カノーヴァ(3)

 どうして、こんなことになっているのだったか――

 急速に覚醒しつつある頭で、アンジェラ・カノーヴァは現状の正確な把握を試みる。

 星と太陽と遠ざかる母艦が、縦横に回転している。茫漠たる宇宙の只中に、身ひとつで投げ出されているようだった。

 呼吸の困難も放射線の熱もないためか、思いのほか冷静でいられた。生身で星間空間に放り出されたわけではないと、おぼろ気ながらわかっていたのもある。視野には中心も周辺もなくクリアで、また上下左右に広すぎる。その視界の端で明瞭にとらえた己の手足は、白磁めいた装甲に覆われていた。人型全領域戦闘機シングラルのメインカメラに視覚同期しているのだ、と悟るまでに、さほど時間はかからない。

 格納庫で〝神丸アンブロシア〟をやったすぐ後に、艦長から緊急発進スクランブルの通達があったことは覚えている。その後は、ハービスとルイスが話しているのが聞こえて――艦長の声も混ざっていた気がする――気付けばいつの間にか、〝ノーバディ〟の操手槽コフ・ポッドに押し込まれていた。

 思い出す。

 自分はアクターであるルイスと共に、することになったのだ。

「……っ、いきなり実戦状況で、同乗管制なんて聞いてないっ!」

 シングラルの操手槽は、定員二名を基本仕様とする。アクター一人でも操縦に支障はないが、母艦からの情報支援を受けられない環境下での作戦行動に際しては、機付オペレーターを同乗させることが想定されていた。

 本来であれば、それは分業によってアクターの情報負荷を軽減するための複座構造である。

 しかし、果たしてあの男が、オペレーターとして新米の自分を頼ろうとするだろうか――万事に楽観的なアンジェラであっても、そこを疑える程度には、ルイス・ルービンシュタインという相手を見ていた。

 となれば、この状況で〝ノーバディ〟に乗せられたのは、本来の職能たる情報支援を当てにされてのことではない。

「新兵しごきの一環……ってわけでもないよね。矮星族が陣頭に立って事態を収拾したとか、その手の実績が欲しいのかな?」

《そんなところだ。最低限の理解力は備わってるらしいな》

 独り言に応じる無遠慮な声は、今しがた思い浮かべた男、ルイスのもの。

 驚きと羞恥を隠し、アンジェラは己の五体を強くイメージした。警兵服を着た赤毛の少女。その外見データを忠実に読み取り、ふわり、と仮想身体が機外にポップアウトする。身長は生身に合わせた。さながら、成人男性のそばを舞う小妖精といったサイズ比。

 自分がこうして戦術仮想空間に投影体を飛ばせるのと同様、ルイスもいまは〝ノーバディ〟に身体感覚を同調させ、巨大な人型兵器と一体化しているはずだった。

 ゆえに、アンジェラは眼前の白いマシーンをルイスそのものと見立て、語りかける。

「ルービンシュタインさん――状況を確認しても?」

《姓は長い。ルイスでいい。敬称さんもいらん》

 ファーストネームでの呼び捨てをあっさり許しながら、そこにいかなる信頼も親しみも込めていない。冷たく実務的なだけの許可に、アンジェラは煌めく立体画素ソリッド・ピクセルのため息を吐いた。

「……わかったわ。それで、ええと、じゃあ――ルイス。不審船の拿捕が第一目標、ということでいい?」

《お前が正気づくまでの間に、また少し進展があった。クシウスが更新中のログを覗いておけ。俺は現場へ向かいがてら、機体のQFIをもう少し慣らしておく》

 階級が下のアクターに指示されるのは指揮系統上よいのだろうか、などと余計なことを考えたのも一刹那。アンジェラは〝テオフラスト〟が展開する戦域ネットにアクセスし、クシウスなるオペレーターが戦闘指揮所CICから随時アップロードしてくる記録ログに目を通す。

 偽装コンテナ船による警邏艇の撃沈。

 武器は第二種禁制技術兵器、反応弾ミサイル。

 船主はネンティス星邦出身の運送業者、ヴァナー・エジモンド。

 きわめて異例の奇襲攻撃であるため、反連邦組織の大規模攻勢が始まったのではないかと警戒されたが――

「個人的な復讐……? この、艦長が付記してる備考はなに?」

 機体はすでに空を蹴り、現場へ向けた加速に入っている。己の肉体とした〝ノーバディ〟の身体感覚を確かめるように、手足や指を曲げ伸ばししながら、ルイスは億劫そうに答えた。

《エジモンドは二十二年前、技術災害テクノハザードで妻を亡くしている。ディミトロフの爺さんが極秘裏に仕入れたとかいう情報によると、どうもそのとき、連邦の対応にまずいところがあったらしい。

 〝ハロルド禍〟を知っているか》

 アンジェラは頷く。銀河史における主要な事件の名であれば、機械の助けを借りるまでもなく知っている。

「確か……標準暦九九二年にフォルグ星圏で起きた、連邦史上最大のナノマシン・ハザードよね。感染者の遺伝子を改変しながら増殖する致死性疑似ウイルス、〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉による惑星間疫病流行インタープラネタル・エピデミック……被害規模のわりに資料が少なくて、詳しくは知らないけれど」

《最終的な死者・行方不明者は十億人以上。フォルグは実質、一度は星系ごと滅びたとまで言われた。それほどの大事件について、なぜ資料が少ないと思う?》

「それは……気になってはいたの」

 アンジェラは補助脳のライブラリを検索し、銀河連邦通史年表のドキュメント・イメージを眼前へと引き出した。

 かつて大学で歴史を学んだ折、訝しんだ覚えがあった。その記憶の通り、〝ハロルド禍〟についての記述は、年表上でも異様なほど情報量が少ない。銀河史上最大級の技術災害であるにも関わらずだ。

 疑問に思い、さらに別の文献を漁って調べもした。だが結果は、物理的および情報的な防疫処置として、記録を残せなかったとの言及が字句を変えて出てくるばかり。

 。二次災害を防ぐための戦略的ダメージコントロール手順と、いちおうは納得していたが――実際はどういうことなのか。

《まあ種を明かせば面白い話でもない。お決まりの情報統制ってやつだ。証拠物件は消され、生存者の疎開は制限され、流出する情報は検閲、編集、された。報道から歴史の教科書まで、記述は最低限に絞られたわけさ》

「でも、それだって……必要な処置、だったんじゃないの」

 アンジェラの歯切れが悪くなるのは、市民的な意識と警兵の職業意識とが、避けがたく衝突する問題に言及しているからだ。

 情報統制は一般に、市民の知的営為に対する自由と権利の侵害であり、非民主的であると批判される。一方で、禁制技術など安全保障を脅かす危険な情報については、むしろ積極的に狩り立て駆逐すべきであるとの世論が強い。このダブルスタンダードを平然と成り立たせる力学こそが、まさに銀河連邦という歪な統一政体の存続を可ならしめている。

 が、そこには大いなる当然の陥穽もまた、ある。

《何が〝必要な処置〟かを、権力が一方的に定める時点で、もう公平性なんぞ担保できないんだよ》

 情報統制の積極的行使を、とはいえ国民が容認する。その先に待つのは、の濫用による〝真実〟の支配である。水は低きに流れ、権力は宿命的に腐敗する。ルイスが示唆しているのはそういうことだと、アンジェラにもわかった。

《政府に都合の悪い情報は悪性ミームとして握り潰され、情報防疫の名のもと、民衆は分断される。家畜のように、管理するために》

「中央議会はそんなこと許さないわ! 支分国の民意の代表が集まって、あくまで民主的に、連邦全体の意思決定が行われてるんだから」

 声を荒げるアンジェラだが、語勢ほどの確信を持てていたわけではない。連邦政府やCJPO上層部の腐敗は、父が常々嘆いていたことでもある。

 白亜の巨人と同化シンクロを深めつつあるグラディアトールは、彼女のそんな迷いをひと息に射ぬく。

《下卑た野次が飛び交うばかりで、まともな法案のひとつも通らない、あの議会か? ハ。お前だって内心、期待しちゃいないだろうに。

 ひとりで性善説を信奉するのは勝手だが、歴史を顧みてみろ。。フォルグで連邦がやらかした不祥事の隠蔽こそ、珍しくもない実例のひとつだ》

「そんなの、陰謀論者の物言いよ――」

 宇宙に漂う幻影のアンジェラは俯き、議論の無為を悟った。

 ルイスの論理があまりに強固で反駁できない、というのではない。ただ純粋に、断絶が大きすぎるからだ。この男が、自分の信じているものすべてを、信じていないと解ってしまったからだ。

 人間を、その善意志を、法の正義を――

 民主主義を、技術管制主義を、それらの守るべき理想を――

 何ひとつ信じられぬ、つめたい虚無の宇宙に、この男は住んでいるのだ。

《陰謀論者なら年中同じことを言ってるだろうが、今回はお前の親父とも仲良しのディミトロフが持ち出してきたネタだ。災害対応の不備は事実としてあり、連邦はそいつを隠蔽した。そこは呑んでくれないと、話が進まないぞ》

「肝心なところを聞いてないわ……その、不備っていうのは? いったい何を隠蔽しなきゃならなかったの」

《助けなかったのさ》

「えっ?」

 アンジェラは当然、不祥事とやらの内容が説明されるものと思っていた。しかしそれは、救助活動の中で起きてしまった何らかの、小規模な〝過失〟であろうと予期していたのだ。

 だのに、ルイスはいま何と言ったか。助けられなかった、ではなく――、と。

 それでは、まるで。

《いちおう言っとくが、こいつは本来〝当事者以外が知ってちゃならない情報〟だそうだ。

 交渉・説得に必要かもしれんからと、俺とお前にだけ開示されているが……外に洩らすなよ。ディミトロフを筆頭に、クルー全員の首が飛ぶぞ》

 そう前置いて、ルイスは艦長が説明したという経緯について語る。

《爺さんの話じゃ、事態の収拾に乗り出したCJPOは、充分な余裕をもって現着するはずだった。

 ところが、そこへ先遣隊から緊急連絡があった……》

 曰く、〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉の拡散は予測を遥かに超える速さで進んでおり、難民たちの脱出船団もとうに汚染されている。

 遺伝子変容が加速度的に進行しており、医療分子による罹患者の治療は間に合わない。非感染者もいる可能性はあるが、個別に捜索・救助することは難しい。

 彼らはパニックに陥っており、転移船リッパーを含む大船団の全体が、一刻も早く星圏から脱出することしか考えていない――。

《……そんな報告が後ろまで回ってくると、上層部は即座に命令を更新した。系内人口の救出を諦め、系外への感染拡大抑止を最優先する……いわゆる〝高強度緊急危機管理手順カルネアデス・プロトコル〟の発動だ》

 アンジェラは投影体の顔に色のない表情を浮かべたまま、〝ノーバディ〟の肩に立ち尽くした。

 ルイスの一言一句を信じがたくはあったが、意味するところは理解できてしまう。

 感染者たちを満載した脱出船が系外航路に達し、縮天航法リプレイサー・ドライブで他星系へ跳んでしまえば、もはや収拾がつかない。ゆえにCJPO本部と連邦政府は、フォルグの民を見捨てた。恒星間疫病流行インターステラー・パンデミックという最悪の事態を、確実に回避するために。

《結果、救援艦隊は何億って難民たちの前で、せっかく持ってきた救援物資を一トンも放出しなかった。代わりにプレゼントしたのは艦砲射撃のフルコースと、対抗分子兵器による念入りな無差別分解だ。ゴキブリ一匹生き延びられないよう、それはもう徹底的に

 想像してみろ。狂った知性化ウイルスが吹き荒れる星を、命からがら脱出してきて、もう少しで系外航路に出られるってところで、助けに来たはずのCJPOメガリスに撃たれて死ぬ。さぞ無念だったろうよ。顛末を知ったエジモンドの夢枕に妻の亡霊が立って、夜な夜な復讐を囁いたとしても、無理はない》

「……なんなの、それ」

 あまりにも、想像を絶した――アンジェラ・カノーヴァの理解の埒外にある話であった。

 大局的に見れば、リスクを最大限回避する意味で、合理的な決断だったのかもしれない。しかし、危険を冒せば救えた命も数多くあったはずである。その可能性をはなから切り捨てて、疑似ウイルスもろとも感染者予備軍の避難民を鏖殺するなど、いかに合理を主張しようと、非情に過ぎた。とてもではないが、国が公にできる対応ではなかった。

《政治屋どもが臆病風に吹かれたのか、それとも病原体が禁制技術の塊ってのが情報防疫上まずかったのか……とかく露見すれば、全銀河規模で反体制の機運が高まりかねない厄ネタだった。なにしろリスクと一緒に、億単位の人命をあっさり切り捨てちまったわけだからな。

 だからこそ情報統制が必要だった、てのがディミトロフの見立てだ。俺も実際そんなとこだろうと思ってるよ》

「本当に……ねえ、艦隊は間に合わなかったの? そんな手を採るしかないような、どうしようもない状況だったの?」

 どんな答えを期待したのか。彼女自身わからないまま、縋るような声で発せられたアンジェラの問いは、すげなく躱される。

《さあ? いまさら知る手立ては無いだろうし、あったとして、いまの状況を説明するのに必要な細部ディテールでもない。無意味な詮索だ》

「どういう意味――」

 反射的に訊ねかけ、言い終える前に、アンジェラは自力で答えを悟っていた。

 いまの状況。

「……そうか。もう遅いんだ。なにもかも」

 もし、〝ハロルド禍〟で妻を喪った男がこの話を知ったとしたら――背後にどんな政治的判断があろうと、技術管制上の必要性があろうと、もはや謎解かれる真実の全容など関係ないのだ。

 かれは決して、CJPOと統一銀河連邦を赦さないだろう。

《とはいえ、邏将補クラスでも非正規のルートで仕入れたって裏話だ。CJPOにスパイをしこたま潜り込ませてる反連邦組織ならともかく、単独犯の一般市民がどうやってこんな情報にアクセスしたものか……そこは、未解決だな》

 およそ警兵として真面目そうには見えなかったグラディアトールが、存外まともな分析を始めるに及び、アンジェラの頭も彼への反発をしばし棚上げした。

 思考を切り換えなくてはならない。自分たちは犯人を直接逮捕に向かっている。この事件をどう決着させるか、最終的な判断は最前線のルイスとアンジェラに委ねられているのだ。

 アンジェラは仮想視界に主星系の縮小立体図を表示し、そこに武装貨物船の予測進路をオーバーレイさせた。

 軌道はおおよそ主星へ向かう曲線。だが途中で加減速をかければ、人口が密集するハビタブルゾーンのどこへでも飛び込める。四つの有人惑星、宇宙都市ステーション、住居化された小惑星帯、系内港に出入りするコロニーシップなどの大型船――内惑星軌道に散在する、あらゆるターゲットが核ミサイルの有効射程に入る。

 猶予は最短で一時間。シングラルの足でも、ここから接敵までに四十分はかかる。移動の間に当座の作戦を練るくらいはできそうだが、あまり悠長にしていられる残り時間でもない。

「……機密情報や反応兵器の入手経路は、エジモンド氏を逮捕してから聞き出せばいいわ。とりあえず、コンテナ船と接触したらどうするか、段取りを決めましょう」

《こちらの射程に入り次第、フォトンドライバーでぶち抜く》

「ちょっと!」

 逮捕して情報を聞き出すと言った直後にこれである。よもや話を聞いていなかったのでは、とアンジェラが疑い出す気配を察してか否か、ルイスは続ける。

《……のが一番簡単には違いないが、何の情報も手に入らない。かといって、乗り込んで白兵戦で制圧ってのも悪手だ》

「脅かさないでよ! 冗談にしても笑えないわ。

 最初から戦闘を前提にするより、穏便に済ませられる可能性を考えれば、私が船内へ入って説得を試みるのはありじゃない?」

 リパルサー・キックによる加速を継続しながら、やれやれと言わんばかり、〝ノーバディ〟が肩をすくめる。装甲の干渉や関節の可動範囲を意識した、練達のシングラル・アクターにしかできない自然な動き。表情のない機械で、細やかな感情を表現する技があった。

 もっとも、その技で露骨に呆れを表明されたアンジェラの方では、ルイスの腕に感心するつもりにもなれない。

《穏便に済むと本気で思うのか? ……まあ、いい。どのみち却下だ。お前ひとりじゃ、いざというときにエジモンドを捕縛できるか、甚だ疑わしい》

「こう見えて、対人戦闘の訓練だって受けてますっ! その、実戦経験はまだないけど……じゃあ、あなたが行く?」

《馬鹿か、お前は。俺がシングラルを降りたら、エジモンドが突然ミサイルをばら撒きだしたとき、対応できる奴がいなくなる》

 暴言に脳を揺らされながらも、アンジェラはその論理に一面の正しさを認めた。

 仮にディミトロフ艦長の読みが正しく、これが二十二年越しの壮大な復讐であるなら、ここまで計画を隠し遂せたエジモンドの執念は常軌を逸している。船に乗り込まれた程度で諦めるとは思えず、何がきっかけで核ミサイルを乱射し始めるかわかったものではない。一発でも惑星や軌道建造物に落ちれば、大惨事になり得る。

 そうさせないためにも、ルイスが駆る〝ノーバディ〟には船外からプレッシャーをかけていてもらう必要がある。アンジェラからしても、理に適う判断と思えた。むくつけきグラディアトールと言えど、やはり実戦経験豊かな警兵には違いないのだ。

《誰が行こうと、コックピットに辿り着く前に自爆されるか、重要なデータをあらかた消されるかもしれん。身柄の確保を焦るより、無差別核攻撃の阻止と、奴が持っているはずの情報の保全を優先すべきだ》

「うーん、となると……外からミサイルの使用を牽制しつつ、船の記憶領域ストレージにアクセスして、データをこっそり吸い出す形になる?」

《出来るならそいつが上策だろう。俺が適当に奴の気を引く。その隙にお前が禁制技術の入手経路、あるいはその手掛かりをかすめ取る。できるか》

 作戦ログによれば、今回アンジェラには実働的な役割を与えないことになっていたはずである。その予定をあっさり破り捨てるルイスの提案を、彼女は〝試されている〟のだと解した。

 オペレーターとして、情報戦を任されるのは望むところ。気負いが仮想音声に出ぬよう、アンジェラはつとめて平静に応じる。

「旧式の船だもの。たぶん、できるわ。

 あなたはどう? 適当に気を引くって言っても、プランはあるの?」

《テロリストなら要求がある。復讐者なら恨み言を抱えてる。どっちも〝正義は我にあり〟とか言いたがる人種だ。弁舌をふるってもいい状況さえお膳立てしてやれば、勝手に喋ってくれるだろうよ。お前がデータを探すあいだくらいはな》

 どのみち、前方にシングラルが立ち塞がっていては、オフラインで無視を決め込むこともできない。付け入る隙を探すためであっても、エジモンドが話し合いに乗ってくる公算は大きい。アンジェラは自分なりにルイスの勝算を検め、単なる楽観ではないと結論した。

「対話を試みるなら、刺激しすぎないでね。あとは……外からアクセスできる領域に、目当ての情報がなかったら?」

《そのときは、お前が最初に言った通り、エジモンドを捕えてじかに秘密を吐かせる手もあるが》

 短い黙考を挟みつつ、ルイスが方針を固めてゆく。

《やはり二人ではリスクが高い。エジモンドにしても、さすがにこっちの増援が来るまでぼんやり待っていちゃくれまい。即座に投降しないようなら、情報源については諦めて、さっさと沈めた方がいい》

「……いいわ。方針としては、それで行きましょう」

 頷きながら、アンジェラはこうも考えていた。

 なるほど、ルービンシュタインの判断は的確である。しかしあの男はどうやら悲観主義者ペシミストであって、最悪のケースばかり考えている。〝敵〟はテロリストと言えど人間であり、情深ければこそ復讐などに手を染めているのだ。良心に訴えかければ、説得に応じる余地は必ずある。

「これ以上の犠牲者は出さない。犯人も殺さない。正しく罪を償わせて、より大きな犯罪への手がかりも手に入れる。最大の成果を目指すって、そういうことでしょう――」

 彼女は人間一般を信じた。万人に宿るべき善なる心を信じた。

 信ずるがゆえに、見落としていた。

 復讐者ヴァナー・エジモンドの人生を破壊した力もまた、同じく当たり前の善性を有するはずの、の意思であったことを。

 功徳と信じられた殺戮は数多あり、正義の美名をよそおわぬ戦争など無かったという歴史を。

 人間は聖者にも怪物にも、けだし何者にもなり得るという、無慈悲なまでの可能性を。

 ほかならぬアンジェラ・カノーヴァが、このとき想像できていなかったのである。

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