ミハイロヴィチ・ディミトロフ(2)

「なぜ、こうも主星軌道に近づくまで気付かなかったのだ!?」

 発艦シークエンスを六割飛ばしの最小手順で進ませながら、ミハイロヴィチ・ディミトロフは温厚そうな顔に似合わぬ唸り声を漏らした。戦闘指揮所CIC中央、艦長席から各部署に忙しなく指示を飛ばす彼を、戦術情報オペレーターの一人が見上げる。

「税関をパスした手段については調査中ですが、船そのものはまったくノーマークの民間輸送業者ですねー。過去十五年、犯罪歴の一つもなく、勤勉実直に仕事をしてきた実績があります。それが今回になって、いきなりを……何なんでしょうね?」

 状況に反して緊張感を欠く声で報告するのは、オペレーターチームのリーダー、ジェシー・ロックウェル・クシウス。口ぶりだけでなく、顔つきも茫洋とした風情の女。だが、前任地から無理を言って連れてきた、ミハイロヴィチの懐刀の一人でもある。

 いまも不審船の系内侵入という報告を受けてから、わずか二分のうちに軌道港の入出管理データベースを探り、対象船舶の船籍、所有者、用途、性能などのデータを芋づる式に引っ張り出してきたばかり。並のオペレーターであれば、十倍の時間が掛かっているところだ。

「人畜無害な運び屋の船が、重武装テロリストにジャックされた可能性はあるか? つまり、船主以外による乗っ取り、という線だが」

「や、外惑星軌道ステーションでのチェックイン記録は、確かに所有者本人の生体情報バイタルで署名されてますねー。系内でハイジャックは難しいでしょうし、も最初から積んでたんじゃないでしょうか」

「となると、つい最近に洗脳でもされたか……」

 ミハイロヴィチが苦々しげに睨むのは、仮想視界に投影した不審船の画像。船体後部のコンテナが開放され、積荷に偽装されていたが露わになっている。

 船体の外側を向くように配置された、角柱型の物体が数十本。

 形だけ見たのでは、危険な武器とは断定できなかっただろう。それはロケットエンジンを備え、第二種禁制技術たる反応兵器を搭載した、ミサイルであった。

 いまミハイロヴィチがその正体を知っている理由は単純だ。件の船はすでにミサイルを撃っている。臨検のために近づいてきた警邏艇へ向けて一発。相手を非武装の貨物船と見て油断していた警邏艇は、回避する間もなく直撃を受け、爆散した。

 せめて警邏艇が、斥力装甲IDeAか耐レーザー装甲、どちらか一方でも備えていれば耐えられた。あるいは古典的な火薬式の弾頭なら、とりあえず一撃で沈むことはなかった。

 しかし現実として、警邏艇は民生品規格の低コスト汎用船に過ぎず、撃ち込まれた弾頭は水素同位体の混合燃料を用いたレーザー核融合爆弾。無防備の小都市ならば一発で壊滅せしめる、正真正銘の熱核反応兵器である。民間船舶並みの耐久性で凌げるはずがない。

 警邏艇は少人数で運用可能な船種だったが、それでも八十人以上の乗組員クルーが船と運命を共にした。ミハイロヴィチとしては、もはや対象を凶悪テロリストと断ずるに何の迷いもない。

 もっとも、「あれはテロリストだ」と定義するだけの行為に意味はない。仮にも将官たる邏将補として、考えねばならない戦略レベルの問題は、犯人の動機、目的、思想、財源――そうしたバックボーンの部分である。

 禁制技術、それも厳しくマークされているはずの大量破壊兵器を保有する以上、いずこかの反体制組織のバックアップを得ているのではないか? 最も蓋然性の高い読みは、そんなところであろう。〝テオフラスト〟の参戦を求めてきたCJPO本部も、同様のシナリオを想定して動いている節がある。

 十五年真面目に勤め上げてきたベテラン輸送業者が、ごく近い過去のどこかで過激派に勧誘オルグされ、核ミサイルの束を主星系へ持ち込む役割を与えられたか。発射装置まで完備しているところからすると、ただの運び屋でなく実行犯の役まで兼任している可能性は高い。

 一方で、せっかくの秘密兵器を臨検に出くわした程度で使ってしまう度胸の無さは、むしろ素人くさいとも感じられる。たとえば、糸を引いているのがあのニコラス・ノースクリフなら。あるいは、かつての友ウラディミル・エリセイエフであるなら。こうも雑な作戦を立てはすまいと、ミハイロヴィチには思えた。

 未だ老兵の直感でしかないが、この件には奇妙な歪みがあった。反体制組織の大規模攻撃にしては詰めが甘すぎる。個人の爆弾テロにしては、使われている技術のレベルが不相応に高すぎる。事態を整合させるに足る、欠けたピースがまだあるのだ。

 そのような考察をほとんど一瞬のうちに展開しながら、当然ミハイロヴィチは発艦準備の指揮も執っている。

 人員はほとんど乗り込んでおり、残りは後から合流させる運びになるだろう。物資の積み込みは八割といったところ。岸壁には、未だ搬入待ちのコンテナが行列を成している。この場は置いてけぼりを食わせるしかない。文字通り、一分一秒に主星市民の命が懸かっている。

「本来なら無用の懸命だが、な――」

 そう。本来なら、軌道軍港に繋留中の〝テオフラスト〟が押っ取り刀で飛び出していく必要など、どこにもない。

 前線ではなくとも、ここは主星系。統一銀河連邦の、そしてCJPOの本拠地である。系内を巡回中の戦闘艦は何隻もあり、彼らのうち一隻でも、いや艦載機の一機でも差し向ければ、それで片が付く相手のはずだ。

 にもかかわらず、状況概略と共に送られてきた指令書は、地上のCJPO本部ビルからわざわざミハイロヴィチを指名した上で、〝テオフラスト〟による事態の収束を命じていた。それも、警邏艇の爆沈から二時間も経った後での発令。

 即座にミハイロヴィチが送り付けた抗議文は、同じ速さで突き返され、「件のミサイル艦が陽動である可能性を考慮し、系内艦隊は別働隊の侵入に備えるものとする」との説明が付記されていた。

 到底納得できぬ、お粗末な言い訳でしかない。

 別方向からの奇襲に対応できる戦力を要所に配しても、系内艦隊の物量はなお多大な余裕を残す。だのに、わざわざ引っ張り出そうという。

 不合理かつ非効率。少なくとも純軍事的には考えられない対応である。腐敗の温床と化して久しいCJPO本部上層であろうと、そこまで愚劣な戦況判断を素面でするものではない。

 となれば、結論は単純。ミハイロヴィチとて、正確な意図までは読みかねるが――この命令の背後に働く力学は実際、軍事的レイヤのものではないのだ。

「政治屋どもの差し金か……」

 おおよそ目星はつく。おそらくはCJPO上層部の諸派閥と、星間企業体群の利害が絡んだ、政治的判断の結果。〝テオフラスト〟が試運艦であることも、無関係ではあるまい。対テロ戦の成否を分ける初動さえも、軍閥と財閥のポリティカル・ゲームにおいては、利用すべき盤面でしかないということ。

 ミハイロヴィチ個人としては、それで現場が困らぬというのなら、銃後の御偉方がいくら暗闘に明け暮れようと一向かまわないのである。

 しかし、最速・最高効率の用兵で市民の安全を確保すべき軍警察機構が、こうも露骨な政争の駒に使われたあげく、非効率きわまる稚拙な作戦行動を強いられている。あまつさえ、守るべき市井を危険に晒している。この現状。

 老将の胸中に、黒く煮えたぎる衝動が、いずこへも吐き出されぬまま渦巻いている。腐敗――そんな表現では到底足りぬほどの、想像を絶する組織の劣化。

 つい先ごろ面談したアンジェラ・カノーヴァの、幼い顔がよぎる。痴愚と紙一重の無垢。危うくはあれど、警兵としての理想を確かに抱いていた。あの目映いまでの純粋さを、警兵組織そのものが裏切っている。

 救いがなさすぎる。あまりにも、無惨でありすぎる。

「変えねばならん。そうだろう、トマス」

 顔を上げれば、予想に違わぬタイミングで仮想視界にポップアップする、発艦シークエンス完了の通知。

 理想と現実の落差に嘆くのは、手の空いたときでよい。いまは眼前の状況に対応しなければならない。

「出航する! ……現状を、主星系に対する組織的計画攻撃下と仮定。状況対応力に弾力性を持たせるため、本艦はラグランジュ2にて暫時ざんじ待機。偽装貨物船に対しては人型全領域戦闘機シングラルを先行させる」

 緊急発進をしておいて待機に回るとは、消極的な対応に違いなかった。が、これが陽動かもしれぬ、というのはそもそも本部の予測である。その方針に従う以上、ミハイロヴィチは誰にも文句を言わせないつもりでいる。

 乞われた通り、。あとはこちらの好きにやる。未だ正体を掴ませない違和感の源がクリアになるまで、必要以上の突出はしない。そういう意思を示す命令だった。

 壁面と仮想スクリーンに投影される艦外の映像を見やり、ミハイロヴィチは船体が軌道港の外へ滑り出たことを認める。

 巨大なエンジンの点火に伴う振動も、慣性による加速の反作用もないため、斥力推進艦の運動状況は艦外の観測データから確認するほかない。身体感覚には頼れないのだ。

「出撃可能な機体はあるか?」

「貨物搬入作業の途中でしたので、艦載機の運用状況はモニタリングの同期が取れていません。格納庫ハンガーへ直接つなぎます」

 言い終えぬうちから、ジェシーはすでに格納庫との通信を回線確立ハンドシェイクさせている。通信セッションを譲渡されたミハイロヴィチの仮想視界に窓が開き、技術顧問トロックス・ハービスの異相が回線越しに覗いた。

《あー、こちら格納庫、ハービスである。すぐに出せそうなコンディションの機体というと、エル研うちの〝ノーバディ〟しかないが、よろしいかな》

「他にないのか? そいつの性能諸元はこちらでも目を通している。黒塗りが多すぎて、兵器として信用できん」

《お堅いことを言うな、試運部隊のかしらともあろう者が!

 他は無茶なスクランブルのおかげで積み損ねた機体や、アクターの乗船が確認されていない機体、本体はあれど重要部品が届いていない機体……そういうものばかりだ》

「予備機の〝グラディウス〟はどうした?」

《それも間に合わなんだよ。先に搬入しておけばよかったな》

「クソめ!」

 こんな漫才をやっている時間が惜しい。ミハイロヴィチは信用できる道具の調達を諦め、信用できない道具でどうにか目標を達成する方法を考えることにする。

「わかった、ハービス。おたくの新型を出す。すぐにアクターを向かわせるから、機体の立ち上げ作業を頼む」

《もうハード面の整備はあらかた完了しているよ。ついでに言うとアクターもオペレーターもここにいて、QFIの最適化率は八割といったところだ。二人がここにいるのは偶然だがね》

「けっこう。操手アクターはルイス・ルービンシュタインだったな」

 あえてアクターの名を出したミハイロヴィチの目配せに応じ、ジェシーがルイスを呼び出しにかかる。

 近くにいるというハービスを経由して命令できれば、わざわざ別回線を開くなどという面倒はない。しかし実戦要員たるアクターへの出撃命令を、職掌の違う技術顧問から伝えさせるわけにはいかないのが、軍隊流の指揮系統というものである。

《オペレーターの娘はどうする? 戦闘指揮所CICまで走って行かせるか》

「学校上がりの新兵だ。いきなり実戦状況には放り込めん。ルービンシュタインは今回、クシウスと組ませて――」

《ちょっと待った、爺さん》

 ハービスの横から通信に割り込んでくる声。ジェシーの投げて寄越した記述子ディスクリプタオブジェクトが、ミハイロヴィチの前で新たな通信ウィンドウを展開する。

 蓬髪の男、ルイス・ルービンシュタインが浅黒い顔を見せた。

《母艦から離れて行動するなら、通信ラグで在艦オペレーターの仕事なんかほとんど無くなる。どうせだから今回は、カノーヴァも操手槽コフに乗せていこうと思う》

「はき違えるなよ、ルービンシュタイン。TIOはシングラルの部品パーツではない。新兵いびりなら、余裕のある作戦でやってもらおう」

 豊かな髭を震わせ、老将が唸る。対するルイスは涼しい顔。

《試運艦だぞ。余裕こいてられる戦場に出向くことなんぞ、あるのか》

 およそ衛曹長待遇の一アクターが艦長に、それも邏将補に対して利いてよい口ではない。が、この状況でそんなことを気にするほど器の小さい上官で在れないのが、ミハイロヴィチ・ディミトロフという男である。そして、それを知っていて利用するのが、ルイス・ルービンシュタインという男であった。

《なにも考え無しってわけじゃない。単騎駆けなら複座の方が有利なのは確かだが、新人がいきなり一人前働いてくれるとまでは期待しないさ。

 俺が言いたいのは……もともと外惑星軌道をうろうろしてるはずの系内艦隊を差し置いてまで、こんなデカブツを緊急発進スクランブルさせるような異常事態だろ? せっかくのを押し立てなくていいのか、って話だよ》

 ほんの刹那、ミハイロヴィチは押し黙った。

 ――この男、察しているのか。

 艦の異常行動が、状況を何らかのパワーゲームに利用しようとする勢力の介入に起因するものだと。自分がCICここで考え巡らし辿り着いた現況を、格納庫にいて断片的な状況しか伝わっていないはずの身で、読み切ったというのか。

「……勘が働くようだな」

《この主星系で、警兵や艦隊がおかしな動きをするときってのは、たいてい企業連か政治屋の都合だろ》

 己の見識を誇るでもなく、グラディアトールは不都合な真実をさらりと暴いてのける。

 正直に言えば、ミハイロヴィチにとっては気に入らぬ類の才気である。市民の命を政争の具としか見ない輩の、その思考が容易く理解できてしまう賢しさ。根底にあるのは同質の闇か、さもなくば権力への不信と悲観か。

 有用には違いない。人命を消費可能な資源リソースとして捉えられる視座。そうした冷徹な戦略家ストラテジストが、戦争には必要だ。

 だが、有用でも、必要でさえあるとしても――

 まだ二十数年しか生きていない若者が、戦いの中で目覚めさせてしまう資質としては、やはり度し難い類の、それは業である。

《俺としては、これから組むオペレーターには、アクターの視点ってやつを一度は体感しておいてほしいわけだ。

 で、あんたや広報部のレベルでは、あのヤク中が最前線で活躍したって実績を、存分に誇張、吹聴、喧伝すればいい》

 ミハイロヴィチの感覚では、あれもこれもと欲張り過ぎた目論みに思える。が、確かにこの艦はそういう役回りを期待されてもいるのだ。

「取れる札はすべて取りに行け、ということか」

 危険の大きい賭けならば、上の意向がどうあろうと突っ撥ねていた。だがこれは、新兵ひとりに前倒しで実戦経験を積ませるだけのこと。敵は人型全領域戦闘機シングラルに対抗できるほどの戦力ではなく、アンジェラ当人への心理的影響を別にすれば、軽微なリスクを上乗せするに過ぎない。

 鼻から空気を抜きつつ、老将は決断を下す。

 試験技術運用部隊を指揮するからには、戦って勝ち、市民を守るという警兵の本懐を果たすだけでは不十分なのだろう。それ以上の働き――戦略的パフォーマンスを最大化するための計算までも、求められている。

 本来であれば佐官クラスが任じられるべき艦長職に、将官たるミハイロヴィチが指名されたのは、左遷である。軍閥に属さず清廉な警兵であろうとする彼への、糜爛びらんせる幕僚主流派からの嫌がらせに過ぎない。

 いま、それを怪我の功名と思っている自分に気付き、ミハイロヴィチは苦笑する。功ある邏将補の配属先として、上は閑職と思っているようだが、なかなかどうして適任ではないか。広範な視野の戦略眼が求められる役職である。少なくとも、凡庸な巡佐コルダントの手には余る。

 加えて、自分が前線で目立った活躍を見せておけば、トマスや〝Q〟が帷幕の中で動きやすくなる、という利点もある――。

「よろしい。目標は、貨物船に偽装したミサイルキャリアー一隻。現在までに判明しているデータ、および軌道予測を送る。

 カノーヴァ三等哨尉は勝手に連れて行け。実戦の風に当てるだけだ。まだ仕事はさせるな」

《了解。目標は、沈めて構わないか?》

 即座に許可を出そうとして、思い留まる。

 警兵としての自分を、少しずつ汚しているような感覚に抵抗されながら、言い回しを変える。

「市民の安全が最優先だ。迷うようなら撃て。

 しかし……禁制技術の出どころは知りたい。矛盾した命令を出すようだが、安全に無力化できるようなら、拿捕しろ」

《禁制技術?》

「いま送ったデータに詳細がある。反応兵器だ」

《……なるほど、怪しい。生け捕りについては、善処しよう》

 ミハイロヴィチは頷き、通信相手を切り換える。

「ハービス! 〝ノーバディ〟はどうだ」

《出せるよ。――ルービンシュタイン、残りのパラメータは動かしながら調整したまえ。君なら、やれるだろう》

《いざとなれば標準設定でも戦ってやるさ。だいたい今回の敵は……まあいい。そういうわけだ、来い、カノーヴァ。出撃をする》

 ルイスとの通信が切れる。続いて、ハービスも回線を閉じた。


 束ねた緊張の糸が、一気に半分まで切れたような心地である。

 ミハイロヴィチは長い息を吐きながら、ゆっくりと脱力する。太いその身体が、シートに沈み込むかと見えるほど、深く。

 目を閉じようとした彼の仮想視界に、ジェシー・ロックウェル・クシウスの投影体がふわふわと浮上してきて、『居眠り禁止』のアイコンを点滅させる。

「艦長ー、まだ寝ないでくださいね」

「ばか者、誰がこんなところで寝るか。

 ともあれ一区切りだ。あとは攻撃の規模次第、相手の出方を見て動くしかない。なにか新しい情報は?」

「ええと、貨物船の持ち主、エジモンド氏について、現職の貨物船パイロットに就く前の経歴が何点か。中央星間運輸業組合のデータベースには登録されていない身辺情報です。CJPOうちの調書が残ってました」

 調書が残っているということは、禁制技術がらみの逮捕歴があるということだ。ミハイロヴィチの片眉が上がる。

「技犯の前科持ちか? 犯罪歴はないという話だったはずだが」

 前言との矛盾を指摘され、幻像のジェシーがばつの悪そうな顔をする。

「えーと、まあ、新事実判明ってことで……。

 ここ十五年、いまの仕事を始めてからは確かにクリーンなんです。星運組合の経歴書には、何の問題行動も書いてありませんし。

 でも、その前は別だったようです。当時まだナノテクが認可されていなかった後進星系に、当地の法定技術レベルを十三段階もオーバーする強力な医療分子メディキュラーを密輸入しようとして、水際で捕まった記録がありますね。運送業者としての登録の七年前、つまり、いまから二十二年前です」

「医療分子……?」

 話の流れで、ミハイロヴィチはてっきり核関連技術が出てくるものと思っていた。そうであれば、今回の事件にまっすぐ繋がるからだ。

 が、そうではないという。田舎に禁制のナノ薬剤を持ち込もうとした人間が、二十年以上もの時を経て、立派に社会復帰を果たしていた。であるのに、今度はどこから手に入れたものか、核ミサイルを満載した貨物船で主星系に襲撃を掛けてきている。

 この不連続性、この狂気の沙汰はいったい何なのか? 未だ、背景は読めない。

「出てきたデータを一式、こちらへ寄越せ」

 すでに資料としてまとめてあることを疑いもしない命令である。果たしてジェシーも当然のごとく、整理されたドキュメントをミハイロヴィチのローカルアドレスへ転送する。

「データの検証なら、わたしたち専門職に任せてくれてもよさそうなものですけど……」

 ジェシーの控えめな抗議は、「データ分析など艦長の仕事ではない」という至極まっとうな指摘を含意していたが、ミハイロヴィチは一蹴した。

「特異なケースだ。こういう犯人の動向を読むには、経験がものを言う」

 どのみち、新たな敵が出現するか、先行させたルイスからの報告があるまでは、情報の収集と分析に専念するのが後方の仕事である。軍と警察の上位組織たるCJPOにおいては、戦闘と捜査のいずれもが、もとより並列処理すべき二刀のメインタスクなのだった。

 調書のアーカイブによれば、船主の名はヴァナー・エジモンド。

 男性。五十一歳。二十二年前まではネンティス星邦の量子鉱山で、採掘サーバーのメンテナンス技師をしていた。

「やはり、反応兵器とは無縁の経歴に思えるが……?」

 調書は事情聴取の記録に差し掛かり、禁を破ってまで医療分子を密輸しようとした動機について、エジモンドが語った内容を記述している。

 ページをスクロールするミハイロヴィチの手が、止まった。

「――フォルグ星圏か。この男が、医療分子を持ち込もうとしたのは」

 時は銀河標準暦九九二年。ところはフォルグ星圏。

 この条件で、禁制の先端医療技術を求めたというのなら、理由は一つしかあり得ぬのではないか。

 ミハイロヴィチの直感を、ジェシーが裏付けた。

「フォルグには、配偶者の実家があったようですねー。

 二十二年前の当時、ヴァナーの妻、レナ・エジモンドは帰省中でした。そのとき、指定感染症〈帰界光輪ハロウ・ワールド〉に罹患……」

「〝ハロルド禍〟だ」

「え?」

 訝しむジェシーも注意の外。白い髭の奥、ミハイロヴィチは単語をもぐもぐと噛み転がしながら、思考を有機的に連結させてゆく。組み上げるべきは乱麻を断つ一刀。あるいは真実へ至る螺旋階段。

「だとすれば、今回の核攻撃は……二十二年……あり得るのか?

 いや、この線を前提に考えるなら……ネンティス、反応兵器……」

 老将は一瞬だけ呆けたように遠くを眼差したが、すぐに警兵帽を正し、粛然と己の結論を述べた。

「――本部の読みは見当違いだったのかもしれん。

 警戒待機は解除しないが、反体制組織による大規模攻勢のための陽動、という線は薄くなった。ヴァナー・エジモンドは……統一銀河連邦に対する個人的なを目的とした、単独犯の可能性がある」

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