ルイス・ルービンシュタイン(2)
操手槽へ入ったルイスは〝ノーバディ〟の制御系にアクセスし、補助脳の視覚モジュールにカメラからの入力を繋いだ。照明を切るように肉眼の視界がブラックアウトし、高解像度の光学映像に切り替わる。
頭部メインカメラと全身の装甲で受けた電磁波から合成されるシングラルの視界は、肉眼とは見え方がまるで異なる。
視野の中心と周辺に分解能の差はなく、やろうと思えば視角を前後上下左右の全方位に拡張することもできる。生体脳の構造上、実際に意識を向けられるのは肉眼と同程度の中心視野に限られるが、周辺視野を広げておけば、少なくとも〝動き〟が見える。視界の端でも、動きが見えてさえいれば反応できる。肉眼視角の外からの攻撃に対応するための、シングラル・アクターの基礎戦闘技術のひとつだ。
眼球を動かす代わりに意識の焦点そのものを動かし、あらゆる方向に死角が存在しないことを確認していく。描画ラグや画像合成のミスがあれば、そのつど神経電位の同期パラメータを修正する。仮想的なバイオフィードバックを通じて、機械からの情報入力を己の感覚器に最適化させていく。
過去に乗った機種であれば設定ファイルのコピーだけで済むところだが、ロールアウト前の新型となれば、QFIの調整も一から行う必要がある。もとよりエグザクターの任務には、こうしたデータ蓄積への協力も含まれている。
単純な視覚機能のチューニングを終えると、ルイスはさらに仮想視界の情報表示機能のテストに入る。
動き回るスタッフやコンテナに意識を向ける。輪郭線が強調表示され、予測運動ベクトルが半透明の矢印で示された。動体認識機能、正常。
人間に対しては、運動予測の矢印と別に、円形のマーカーがオーバーレイ表示されている。まさに今、艦内通路から新たに格納庫へ入ってきた男ふたり、ルイスが意識を向ける前にマーカーが付加されていた。
一人は作業服を着た、整備士らしい筋肉質の男。特に注意を惹く要素はない。肩に担いだもう一人を除けば。
荷物のように運ばれている方は、なで肩、細身、柔和な顔つきの優男。いかにも人畜無害なタイプと見える――全身を拘束帯で巻かれ、飽きるほど見慣れた電子手錠を嵌められてさえいなければ。
あの男もグラディアトールだ。異様に厳重な拘束には、多少の興味を惹かれるが――とはいえ、それだけのこと。同じ境遇とて、仲間意識など芽生えはしない。
波長を切り替え、熱センサーに移行。
自機のすぐ近く、柱の陰に見え隠れする熱源あり。
柱の裏に隠れているのは、薬物で精神安定を維持する行為に恥じらいを覚えるから――ではない。主星系の市民はそんな考え方をしない。
相手の目の前で薬を使わないのは、自分がEAMを使わねばならないようなストレスを受けたと、相手に悟らせないためのマナーである。
つまりあれは、ルイスへの気遣いのつもりでやっているのだ。コソコソ隠れて薬でトリップすることが、気遣いになると思って。
「あれが〝相棒〟とは……ふるえるよ」
もとよりオペレーターなど当てにしていない。熱源探知機能、クリア。
ほか
まだ視覚関係の設定が終わっただけで、聴覚や触覚、運動機能の調整も残っている。とはいえ、機体の立ち上げを急ぐ理由もない。
出航は数時間後。そこから
それはグラディアトールとして数多の星系を転戦してきた経験が導き出す、当然の予測。よほどの偶然か、与り知らぬ誰かの意図が絡んでくるのでもない限り、違えるはずのない確かな未来。
で、あるはずだったが。
《
突如、艦内ローカルネットの仮想回線と、格納庫内の全物理スピーカーから、同時に老将の声が流れた。
《突然だが、本艦はこれより出航予定を繰り上げ、
船体開口部の閉鎖が完了し次第、即座に発艦する。斥力推進艦であるから加速度の心配などは無用だが、各員、離床に備えよ》
「千人規模のクルーを載せた艦で
歴戦のエグザクターたるルイスなればこそ、まさに己の知らぬ数多の意図と事情によって〝テオフラスト〟の出航が早まろうとしていることなどは、予知する由もなかった。
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