ニコラス・ノースクリフ(1)
ニコラス・ノースクリフは配下の一兵士と通信で雑談をする。
「やあ、トニー。聞きましたよ。こんど結婚するんですって? 水くさいじゃないですか、どうして教えてくれなかったんです――えっ、戦いの前に? 婚約のことを明かすのは縁起が悪い? なんです、その迷信は? いいですかトニー、たとえ相手が連邦だろうと、古のジンクスだろうと、私がいる限り絶対に、あなたは生きて恋人のもとへ帰るのです。そうです。信用してください。運命より私の作戦の方が強い。これまでの戦い、そうでなかったことがあるでしょうか?
――前へ出る必要はありません。私を囮にして、釣り出されてくる迎撃部隊を火力で分断、僚機とともに各個撃破しなさい。細かいプランが要るなら、状況推移パターンS3‐D6386‐E22を参照のこと。こんなもの、犠牲を出してまで勝利を急ぐ戦いではないのですから、死なないことを第一に考えてください。いいですね。
それとトニー、差支えなければ、結婚式で祝辞を述べさせていただきたいのですが――私が出しゃばると、その、やはり、気づまりでしょうか?」
ときどき作戦指示が混じるものの、その内容は戦闘開始前に用意された状況推移パターンごとの手順書がほとんど網羅している。兵士たちが気にしなければならないことは、いかにそのプランを実現するかというミクロな戦術判断に限られる。個々の負担は決して大きくない。失敗した場合のリカバリー手段さえ、あらかじめ指示されている。
同時に、ニコラス・ノースクリフはニュースを聴く。
《次のトピックです。統一銀河連邦中央議会は、銀河標準暦けさの会見で、新たな孤絶文明圏を発見した可能性があると発表しました。いまや孤絶文明圏が見つかるのは百年に一度と言われており、たいへんな珍事に銀河系各腕から注目が集まっています。ではここで、ブランスタッド大学特任教授、ルカストリ・アストルソン博士に解説をお願いしたいと思います。先生、孤絶文明圏とは?》
《えー、ウム、孤絶文明圏とはですな、えー、その、太陽系圏脱出後の播種船団時代、いわゆる、あー、
この音声は主星系のネットニュース番組の録音であり、リアルタイムの放送ではない。しかし光さえ情報伝達手段として遅すぎる広大な銀河系では、定期連絡の
安価な超光速通信が実現されればすべては変わる。情報通信に革命が起きる。だが現状、量子転送回線を開くための非局所性可測エンタングル素子〈
次々とニュースのトピックが移り変わる。番組で語られることの大部分は既知の情報だが、ニコラスは一語一句漏らさず聴き取っていく。早送りを掛けつつも、飛ばしてはいない。
同時に仮想スクリーンのひとつを割いて、同じ情報に関する別番組の報道を、ハイパーテキスト版〝
また同時に、ニコラス・ノースクリフは
およそ、ひとりの人間が捌き切れる情報量ではない。しかしニコラスは補助脳のリソースの一部を割いて、それらの膨大な要求ひとつひとつに対するレスポンスをミリ秒単位で作成し、圧縮と暗号化をかけて後方の母艦へと送信してゆく。うまく敵を封じ込められれば、この戦闘が終わる前に次の連絡船を飛ばせる計算だった。
そして同時に――
「おや。アヴェロエス、討ち漏らしですよ」
狙点を見もせずに射放したフォトンドライバーが、肉薄する敵機を一撃のもとに貫き、爆発四散させた。
《ニコラス! 申し訳ございませんッ!》
直掩部隊を率いるアヴェロエス・アストゥリアスが、自らも敵機を射落としながら、謝罪の通信を入れてくる。
《僕が不甲斐ないばかりに、貴方に余計な手間を……!》
「私の身の安全より、手間の心配をしてくれるのですか。あなたもなかなか、厚い信頼を寄せてくれるようになりましたね」
腹心と恃む少年の心底申し訳なさそうな声に、ニコラスは笑って軽口を返す。
笑う――といっても、物理肉体の顔面は微動だにしていない。
自身の専用機、
部下に結婚祝いを述べ、作戦を指示し、ニュースで情報を収集しつつ、麾下の軍や解放地域の民衆から上がってくる種々雑多なるメッセージを処理しながら――そして同時に、ニコラス・ノースクリフはシングラルを駆って、基底現実の空間戦闘に参加している。
「それに、私が直接的な戦果を挙げてみせることで、高められる士気もあるのです」
すい、と〝クレイヴ・ソリッシュ〟が前に出る。
白銀のシングラルであった。
腰背から鋭く突き出た十二基の
ただ、異様なまでの存在感があった。
特筆して巨大な機体というわけでもないのに、そこに在るだけで場を圧倒する、稜威とも呼ぶべきオーラを発していた。奇形の兵器に過ぎぬはずの、
ニコラスは味方に一時後退の指示を出し、惑星アンドルブⅠの軌道軍事ステーションを見据えた。いまもCJPOの残存戦力が集結し、根強い抵抗を続けている。
敗残兵の砦と言えど、いまだ稼働中の軍事拠点である。数多くの対空火器が生きており、仮に無策で正面攻撃など掛けようものなら、味方にも少なからぬ損害を出すは必定。
而して、ニコラス・ノースクリフは正面以外からの攻撃を即断する。
「……警告はしましたよ。降伏か、さもなくば殲滅かと」
戦端を開く前に送った降伏勧告は、当然のごとく黙殺されていた。
少しも意外ではない。多くの警兵は、連邦議会の布いた情報統制により、革命義勇軍〝ザナドゥ〟が対話不能な狂信的テロ集団であると認識させられている。事実としての敗北を突き付けられ、俘虜の屈辱と死の恐怖を直接天秤に乗せたのでなければ、降伏という選択肢を選ぶのは難しいだろう。
だから、この上なく明晰な形で敗北を教える。
「これより敵基地内部に突入します。ステーションがいきなり爆発しても驚かないように」
およそ指示とは呼び難い、くだけた口調の注意喚起。それだけで〝ザナドゥ〟の
ニコラスが――すなわち〝クレイヴ・ソリッシュ〟が、小さく頷く。次いで、周囲の空間に球状の歪みが生じ、機体は一瞬のきらめきとともにその輪郭を揺らがせ、消えた。
静寂が訪れる。
戦場を覆うように展開される戦術仮想空間は、そこに接続した人間の知覚を補助するため、あえて真空の宇宙空間でも様々な事象に効果音を付与する。リパルサー・キックが空間を蹴る音。ミサイルが爆発する音。レーザー・ビームが擦過する音。
だが、このごく短い空白の時間だけは――ニコラスと〝クレイヴ・ソリッシュ〟が
そして、音が戻ってくる。
巨大で、頑強な、金属質の構造物が爆ぜる――それは轟音であった。
内側から光の剣に切り裂かれ、破片と爆炎を撒き散らしながら、軍事ステーションの一角が砕け散る。炎を羽ばたきで打ち払い、光の翼を広げて破壊の中から飛び立つものは、ニコラス・ノースクリフとその愛機以外にあり得ない。
「
CJPOの残存兵力に宛てた、全周波・全帯域の
飛散してゆく鉄と火の風を背負い、両手を広げる白銀の巨人。いっそ神話的ですらある光景を描き出しながら、それは再度の降伏勧告を投げかけた。
「投降してください――我々は捕虜の取扱いに関するマニフェストを掲げています。悪いようにはしません」
今度は、逆らう者とてなかった。
CJPOの生存者、このとき非戦闘員を含めて三一〇六名。ことごとくが自ずから、
戦闘終結からしばしの時を経て――惑星アンドルブⅡ・星系首都。
領主グスタフ・アンドルブⅦ世との交渉を終え、つつがなく私領の統治全権を譲り受けた司天将ウラディミル・エリセイエフが、戦場より帰還する主君を出迎えた。
「やあ、ご苦労様です。私の迎えなどは、忙しいあなたがやることでもなかったのに」
表情を読ませぬ鏡の仮面でも、ニコラスの声には部下を労う温かさが込められている。しかしウラディミルは大功を誇るでもなく、声を低めて告げる。
「常ならば部下に押し付けるところですが、直にお耳に入れておきたい情報が入りましたので」
「回線越しではまずい、ということですね。何でしょう」
厳めしい皴を幾筋も刻んだウラディミルの顔に、何らかの感情を隠すが如く、ひときわ濃い陰翳が落ちた。
「きょう主星系を出航する、CJPOの試運艦の一隻に……第一種禁制技術兵器が持ち込まれた、という匿名のリークがありました」
「――馬鹿な」
いかなる時も余裕を崩さず、と巷間に言われるニコラスが、その一瞬だけは茫然の念を声に滲ませた。
「老人たちをそこまで追い詰めてはいないはず……匿名のリークと言いましたね。確度は高いのですか?」
「当該艦が停泊中の軌道軍港から発信されています。もちろんデマの可能性はありますが、内容が妙に具体的なのも気にかかるところです。一手で真偽を確かめられるような情報、果たしてわざわざ攪乱に使うかどうか……」
「おまけに第一種。釣り餌としては大きすぎますが、仮に本当なら戦況を一変させかねない。……誰かは存じませんが、大した爆弾を投げ込んできたものですね。これでは確かめないわけにもいきません」
だが〝ザナドゥ〟との戦いに敗色が濃くなり、なりふり構っていられなくなった連邦が、自らその禁を破ったのだとすれば。未だそこまでの圧倒的優勢ではないと思っていたニコラスの方も、戦略構想に大幅な修正を加えねばならなくなる。
「まずは追跡し、情報収集。可能であれば拿捕し、解析する。不可能なら撃沈し、残骸を調査。そのための部隊を、信頼に足る人材だけで編成する必要がありますね……ちなみに件の艦について、現時点で明らかな情報は?」
「艦級および識別名は、アルケミスト級七番艦〝テオフラスト〟。本日より、第一三五七試験技術運用部隊の母艦として運用される予定。内偵によれば、同部隊の指揮官は……」
ここで一度、ウラディミルは言い淀んだ。軍事上の指示・報告には明瞭簡潔を心がけよ――と部下を指導してきた老将が、その瞬間は言葉を探す必要に駆られたのである。遠い過去から打ち寄せた感情の小波が、そうさせた。
「……
長い付き合いである。ニコラスもその名を聞いただけで、ウラディミルの内心を察した。
「あなたの……かつての同志、戦友ですか」
「最精鋭をもって当たるべき相手である、と判断いたします」
旧友を討てるか、とニコラスは訊かなかった。
CJPOからの転向を受け入れて六十余年、変わらぬ忠義を尽くしてくれた〝ザナドゥ〟の宿将に対する、それは当然の礼儀であった。
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