ウラディミル・エリセイエフ(1)
アンドルブ私領は歓喜に沸き震えていた。
そこは私領という名の通り、もとは宇宙開拓者であったアンドルブ一族の私有星系である。良好な居住環境を備えた惑星が二つも巡っていたことから入植者が相次ぎ、ついには連邦構成国のひとつと認められるまでに人口を増やした。
しかし歴代の領主は民主的な議会を置かず、国家の要職はアンドルブ一族の縁者が独占した。星間企業体群に尻尾を振って得た、連邦議会の信任。それを錦の御旗と掲げ、世襲の独裁体制を二百七十年にわたり運営し続けてきたのだ。
かく築かれた領主一族による強権支配が、この日――銀河標準暦一〇一四年、四月六日に終わった。打ち崩したのは革命義勇軍〝ザナドゥ〟。率いたのは稀代の革命家、ニコラス・ノースクリフ。
「
パーセプション・プロジェクターの
司天将ウラディミル・エリセイエフは重々しく頷く。部下の昂揚を責めはしない。解放された民の喜びに同調することは、革命闘争を行う大きなモチベーションとなる。
「見えている。素晴らしい戦果だ。彼らが天に掲げる両の手こそは、我らの大義を歴史に証明する、決議の挙手であると知れ」
「はっ!」
部下の前で革命軍の指揮官らしい鼓舞をしてみせる一方、ウラディミルの灰色の瞳には、暗い洞察の翳が射してもいる。
「自分の国が征服されたというのに、ここまで国民が大同して侵略者を讃えるか……アンドルブの民は、よほど虐げられてきたと見える」
誰の耳にも届かぬよう、吐息に紛れて呟かれた独語は、「〝ザナドゥ〟万歳」「ニコラス万歳」と叫ぶ勝利の喝采に呑まれて消える。
「我々がここへ来るまでの歳月にも、多くの者が暴政のもとにあたら命を散らしただろう。
すまなかった――もっと早く、こうすべきだった」
勝利の意義は大きい。この星系が健全な再起を成し遂げたなら、次代に生まれ来る子供たちへ、人々は大きな財産を残すことができる。自由を。そして、テクノロジーの恩恵を正当に享受する権利を。
だが、過去は取り戻せない。起こってしまった悲劇を無かったことにはできず、奪われた命は戻らない。
ゆえにウラディミルは祈る。惑星アンドルブⅡの軌道上、戦勝を祝う艦隊旗艦〈
「司天将、
残敵の掃討に向かった主力部隊からの通信である。平文のデータとして届いたそれを、ウラディミルは自分のローカルアドレスへ転送させた。
我、会敵す――
二十バイトに満たない、最低限と呼ぶにも情報量の少なすぎるテキスト。しかし、ウラディミルにとってはこれで充分だった。
「発信は十分ほど前か。そろそろ、始末がつく頃だな――」
星系の首都はここアンドルブⅡにあるが、連邦の軍事ステーションは第一惑星アンドルブⅠを巡っている。緒戦で一蹴されたCJPOは、残存戦力をアンドルブⅠ軌道上に集めて防衛線を展開し、最後の立て籠もりを敢行していた。領主が降伏文書に調印したにも関わらず、だ。
あながち悪足掻きとばかりも言えぬ手である。軍事基地ならば備蓄は充分にあるはずで、長期戦になれば味方の増援も期待できる。連邦の反撃あるまで持ちこたえ、星系奪還を期す味方の攻勢に呼応して〝ザナドゥ〟を内から挟撃する役に回れば、敗残兵の寄せ集めとて無視できぬ戦術的影響力を持つ。
だが、そんな皮算用も、ニコラス・ノースクリフを前にしては何の役にも立たない。
「第一惑星のほうは
「
問う操舵手に、ウラディミルは首を振る。
「不要だ。彼が敗れる可能性など、我々が思案するだけ無駄というもの」
万事にニコラスの指示を仰ぎたくなる心理もよく解る。そうすれば大抵の場合は間違いがないからだ。しかし、それは他ならぬニコラスが望まぬことでもある。
彼は銀河市民の望みを実現するためにこの革命を始めた。大切なのは、人々が自らの足で立ち上がり、己の手で未来を切り拓いてゆくプロセスなのだ。だからこそ、三十年で勝てたはずの戦争を百年も引き延ばして、戦い続けている。
意識の変革。自分の未来を、自分で変えられると民衆が気づくこと。
その崇高な目的を想うウラディミルの中に、もはやアンドルブⅠでいまも続いているはずの戦闘のことなどは、真実まったく懸念されていない。そのことを指摘する存在があれば、ウラディミルは「あの方に常識的な心配をすることは諦めた」と言うだろう。諦められたニコラスなどは、苦笑しつつ「司天将エリセイエフは私を信頼してくれているのです」と言ったことだろう。
それを副官の責任放棄と呼ぼうが、信頼と呼ぼうが、あるいは統一銀河連邦の多くの将兵が揶揄するように狂信と呼ぼうが、評価する者の自由ではある。
しかし散文的な事実を付記するなら、戦場を遠く離れたウラディミル・エリセイエフの予測は完全に正しく、このときニコラス・ノースクリフはまさにCJPOの残党を潰滅させつつあった。
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