ミハイロヴィチ・ディミトロフ(1)

 ミハイロヴィチ・ディミトロフは顔を俯け、右手の人差し指と中指と親指で眉間を揉みほぐした。そこに硬いしこりのようなものを感じるのは、精神的疲労の兆候だ。原因は、目の前で上機嫌そうに笑っている赤毛の少女。

 一目瞭然であった。多幸感と完全な自信に満たされ、いまにも爆発しそうな笑顔。EAMの薬効下にある人間特有の顔をしている。

 ――着任初日から、艦長室にヤクをキめて出頭する奴があるか。

 位はすでに邏将補フィザーダム・シスタス警兵パトルディアとしてのキャリアは一世紀に迫り、練熟の老将などと呼ばれるミハイロヴィチも、薬でラリった新兵と面談をするのは初めてだ。最近の若い者は、などと老害じみた科白を吐くわけにもゆかぬ。なにしろ件の新兵は赤の他人ではない。CJPO上層部にいまやただひとりの友人、トマス・ベルナルド・カノーヴァ上級邏将の娘である。

「……ほんっとうに、光栄に思っているんです! まさか初配属先であのディミトロフ邏将補の指揮下に入れるなんて……父からお話はかねがね……」

 身振り手振りを交えながら熱く語る、少女。銀河標準年で十八歳、しかし見てくれはせいぜいが十三、四の子供だ。矮星族を見知らぬミハイロヴィチではなかったが、警兵服に身を包んだ少女を目の前にすると、実年齢よりはむしろ外見相応といった幼さに、ばつの悪い思いが拭えない。

 アンジェラ・フィオリーナ・カノーヴァ三等哨尉。エルフェンバイン大学軍事学科を首席で卒業した秀才。ミハイロヴィチの目には現在のところ、悪い意味で主星系の市民の典型と見える。

 ほんのわずかなストレスもEAMの力で抑え込み、それを「精神の健全を保つ行為」と称揚する。主星系の人間はいつもそうだ。彼らは他人を不快にさせて申し訳なく思うことがない。他人に使ことに対し、申し訳なさを覚えるのである。

「……ネットのニュースでは、毎日前線の様子が報じられています。どこそこの星系へ〈解放星団LC〉の軍勢が侵攻した、警兵およそ何千名が奮戦むなしく殉職した、叛乱軍は服従を拒んだ市民何万人を殺戮した……」

 笑顔から一転して沈痛な面持ちになるアンジェラ。しかしEAMに濾過されれば、悲嘆さえ陶然たる感動の一種に過ぎない。

「確かに、味方の勝利や英雄的人物の活躍ばかりをクローズアップしないのは、報道が健全だということです。それはいいんです。でも、私は! エルフェンバインの清潔なキャンパスでそんなニュースを聞いて、ぬくぬくと講義に出て、自分の単位の心配なんかしている! それがずっといやで、早く警兵になることばかり考えていました……そして渡りに船! CJPOの方から、卒業したらすぐに入隊できるよう取り計らうと、お声をかけていただいたわけなのです!」

 まるで独演のミュージカルという多動ぶりであった。舞台女優になれば、歳を取らぬ子役として大成したのではないか。そんな感想を抱くミハイロヴィチの胸中は早くも苦い。

 だと? いまの統一銀河連邦ほど報道が不健全であった国家は、およそジャーナリズムなる概念が生まれてから現在まで、両手で数えるほどしかあるまい。大いなる認識の齟齬。この一事を取っても、彼女が警兵を志した動機の強度が疑わしくなってくる。

 プロパガンダに踊らされて軍隊へ入る若者は、いつの時代にも一定数いるものだ。その大半が、誰にでも予想し得る二通りの末路を辿る。すなわち現実に打ちのめされて軍人を辞めるか、覚悟の甘さを己が命で代償することになるか。

 アンジェラがそのどちらに落ちるかは、ミハイロヴィチの予見し得ぬ未来である。あるいは奇跡的にも一人前の警兵となり遂せるやもしれぬ。そうであればよいと、新兵面接の度に甘い望みを抱く。叶うことは少ない。が、若木の成長に期待することをやめてしまえば、いったい百年の経歴も邏将補の地位も、等しく虚無以外の何であるか。そのようにも、思う。

「ずっと警兵になりたかったということだが、ほんとうに我々の職務を理解しているのかね」

「もちろんです!」

 束ねた赤髪が跳ね上がるほどの勢いで、アンジェラが頷く。

「連邦統合治安維持機構……略称CJPOのお仕事は! 連邦構成国が独自に持つ警察組織や軍隊では対処しえない事象に対し、迅速かつ適切な秩序回復のための、あらゆる実践的ソリューションを提供することであります!」

「教科書的な回答だ。市民に説明することを想定して、もう少し噛み砕いた表現も用意しておく必要がある。

 では、各国の治安維持組織で処理できぬ事態に、我々なら対応できる、という前提はなぜあると思う?」

「連邦全体の中で、CJPOが最高の装備と練度を誇るからです」

 即答であった。当然のこと、と言わんばかりの得意顔をしている。

「ご存じのとおり、テクノ・リテラシー標準化法をはじめとする技術管制法群によって、連邦加盟国のテクノロジー・レベルは厳正に管理されています。しかしそれゆえに、中央なら十分に治療可能な病原体が致死的パンデミックを引き起こしたり、当該国における技術レベルの制限を破ったテロリストに、現地の正規軍が後れを取ったりします。そのような事態に対処するのが私たちの……」

「君は補助脳に軍事教本でも詰め込んでいるのか?」

 皮肉のつもりでミハイロヴィチは言ったのだが、アンジェラには通じなかった。

「はい! 私の頭のなかには現在、七十四万六千三十二冊の防衛関連書籍と、二千四百十六本の全感覚記録が保存されていて、好きなときに語句やイメージを検索して引き出すことができます! もちろん、手持ちの情報で足りなければ、星系ネットにアクセスしてさらなる調査を……」

「熱心でけっこう。その様子では、基礎的なことを説明する必要はなかろうが……」

 不発に終わった当てこすりを、老将は無難なコメントで回収する。部下からの報告によれば、アンジェラはきわめて強力な補助脳を配線しており、警兵服もかなり高性能なカスタムメイドのものを着ているようだ。矮星族の体格に合う規格品がなかったのをいいことに、トマス・カノーヴァが特注して作らせたに違いない。

 ミハイロヴィチは嘆息する。トマスは腐敗したCJPO上層部において、ほとんど唯一の良心と評するに足る男である。しかし人間誰しも完全ではあり得ない。これまで知らずに済んできたが、トマスもまた、重度の親馬鹿という欠点を抱えていたのだ。

「ままならんものだな」

「なにか……?」

「いや、いい。君の認識がどの程度のものか、もう少し質問をさせてもらうが、できれば補助脳のライブラリには頼らず答えてほしい。

 本来ならば構成国の警察や軍で処理可能な事態でも、現実には我々が動かねばならないことがある。どんな事態か、知っているね」

 またも、アンジェラは淀みなく答える。

「技術管制法群違反の、禁制技術フォービドゥン・テクノロジーが使用された場合。またはその疑いがある場合です」

 連邦構成国、一国ごとに定められている法定テクノロジー・レベルとは別に、全銀河系共通の基準によって取り扱いを制限される技術がある。いわゆる禁制技術フォービドゥン・テクノロジーとは、そうした特定技術体系群の総称である。

技術テクノ犯罪クライムは犯人さえ逮捕すればいいというものではありません。捜査の初動から事後処理に至るまで、情報の取扱いには細心の注意を払う必要があります。現地の警察組織などに技犯事件を一任できないのはこのためです。とくに禁制技術の場合、知識の流出による二次的ミーム汚染のリスクは看過できません」

 ミハイロヴィチの豊かな白髭が、苦笑に揺れる。

「この私に講義までしてくれるか。学生時代のトマスを思い出すな」

「あ……すみません! 失礼をいたしました!」

「構わんよ。やはり教科書的ではあったが、模範解答だ。

 禁制技術の流出は阻止せねばならん。それこそがCJPOの――否、統一銀河連邦の掲げる存在意義でもあるからな」


 ――国家の存在意義とは何か。

 無限の正解を持ち得る問いである。だが統一銀河連邦に限って言えば、ひとつの答えが明確に規定されている。五百以上の星系、二千以上の国家から成るこの巨大な星間政体は、議会の成立以前より共有されてきた〝あるドクトリン〟を守るために存在している。

 すなわち、政治によるテクノロジーの徹底管理。

 自律知性〈偶像占い師イドロマンサー〉の叛乱で滅びかけ、深刻な技術不信に襲われた人類が、それでも恒星間宇宙で生きるには不可欠な科学技術を維持してゆくために産み出したイデオロギー。技術管制主義テクノコントロリズムと、それは呼ばれた。

 テクノロジーは自走性を持つ。軍事、経済、人の様々なる欲望に駆動され、自ずから発展してゆく。そうした自走性を捨て置けば、際限なき開発競争は再び技術的特異点シンギュラリティを引き起こし、今度こそ人類を滅ぼすだろう。なればこそ人間は欲望を律し、自らの意志力で科学技術の暴走を抑止せねばならない。

 そのような技管主義の思想のもと、科学技術に関する知識や発明品を九つのテクノロジー・レベルに区分する技術管制法群が作られた。そして連邦に加盟する国はみな、利用可能な技術レベルの上限を定められることとなった。社会が安定し、市民が高度な教育を受けている国ほど、テクノ・リテラシーを高く見積もられ、より上位の技術利用が認可される仕組みである。

 意図的に作り出された技術格差。文明の選択的停滞。

 それを維持することが統一銀河連邦の使命であり、テクノロジーの完全管理を実現するための力こそ、連邦統合治安維持機構CJPO――最先端技術による武装を公認された、唯一の軍事組織なのである。


「かつて、地球時代アース・エイジ末期にはテクノロジーに対する楽観論が支配的だったという。『邪悪な技術など存在しない、技術を悪用する人間がいるだけだ』――そのようなエンジニアリズムが、かの超知性〈偶像占い師イドロマンサー〉を生み出し、ついには地球を滅ぼした。

 我々は歴史に学ぶ。失敗は繰り返さない。悪用可能な技術、暴走し得る技術は、これをすべて政治のもとに管理し統制する。そうすることによってのみ、人類は破滅の未来を回避し、恒久的に繁栄することができる……」

 自分も芝居がかった口調で連邦の方針を語っていると、まるで右翼の活動家にでもなった気がしてくる。警兵たる者、多少は右に傾いていた方がよいのかもしれなかったが、ミハイロヴィチはまじめくさって愛国者面をすることがどうにも馬鹿らしく思えてくる性質だった。

 EAMの薬効が残っているのか、鼻息も荒く続きを待っているらしいアンジェラに、ミハイロヴィチは首を振る。小芝居は終わりだ。

「……とまあ、エルフェンバインの軍事学科ではこのように教えたことだろう。中等でも初等でも、統一銀河連邦はテクノロジーを管理するために存在しており、市民は人類滅亡のトリガーを引かぬよう、連邦の崇高な義務に協力すべきであると。そんなふうに教えたことだろう。

 だが、私の指揮下で警兵として働くからには知っておいてもらう。国家の存在意義とは、テクノロジーの管理などでは

 アンジェラの笑顔が露骨に凍り付くのがわかる。連邦が千年来墨守してきた技管主義に、批判的な発言をするのは非国民的タブーとされている。国立大学の優等生には刺激が強すぎたであろう。知ったことではない。ミハイロヴィチは悪党めいた笑みが浮かぶのを意志の力で封じ込んだ。

 トマスへの義理は果たす。娘が五体満足で帰れるよう最大限の努力はしよう。しかしそれまで警兵として使うからには、教育はこちらの流儀でやらせてもらう。

「古代から現代まで、国家という怪物に正当な存在意義があるとするなら、それは民の健全な生活を守るために他ならない。軍事力も、経済も、宗教も、科学技術も、イデオロギーも――すべてはそのための手段でしかないのだ。わかるかね」

「そ、それはそうですが、でも、あの」

 うろたえながらも反論を試みるアンジェラに、ミハイロヴィチは若干の人格的評点を加えた。少なくとも上官に意見するだけの度胸はあるということだ。見込みがあり、そして面倒なタイプに相違ない。

「市民を守るためという観点からも、テクノロジーの規制は必要だと思います。中位分子アセンブラと、ホームセンターで手に入る触媒キットがあれば、誰でも簡単にBC兵器が作れるんですよ」

「そう。結果としては、君が正しい」

 ナノテクが合法の国では珍しくない事件だ。個人が大量破壊兵器の類を密造することができる。現に銀河標準暦で一昨年、ネンティス星邦の失業者が小型水爆を作ろうとして、未遂で逮捕される事件が起きている。CJPOの介入があと一時間遅ければ、ハンドメイドの核爆弾は実際に完成していた。

「私とて、技術管制の思想を全否定するつもりはないのだ。そうでなければ、警兵などとっくに辞めている」

 かつて、ウラディミル・エリセイエフがそうしたように――アンジェラに言ったとて詮無い言葉を、老将はそっと飲み込む。

 理想と正義を求め、ともに警兵としての栄達を志し、腐敗した連邦への絶望から、偉大な敵手の下へ去った旧友。彼のように思い詰められなかったからこそ、今日の自分がある。

「私が君のような若い警兵に教えておきたいのは、手段と目的をはき違えてはならないということだ。連邦は市民を守るために技術管制主義を掲げるのであって、技管主義の思想を実現するために市民生活が営まれるのではない。それを忘れるな」

「は――はい!」

 思いのほか素直な反応に、ミハイロヴィチは戸惑いを覚えた。経歴を見れば彼女はエリート中のエリート、国体が人民に先んずるという思想を植え付けられてきたはずの人間である。もっと強硬に反発されてもおかしくない。

 トマスが存外まともな情操教育をしてきたおかげかと思いたかったが、アンジェラの直線的すぎる瞳のきらめきは、老人の淡い期待を明白に裏切る。

 要するに、この少女は疑うことを知らぬのだ。

 Aと教えられればAを信じる。Bと交わればBに染まる。なまの人間社会と向き合う機会を与えられず、大事に、注意深く、無菌の箱庭で育てられた雛鳥。彼女はよく風を切る羽を与えられ、巧く飛ぶための理論ならいくつも知っている。だが実際に空で出会うものたちのことは、知らぬに等しい。

 このような若者に老人がいくら説教をしたところで、その自我に芯が生まれることはない。ミハイロヴィチはそれを知っている。心に根ざしたほんとうの思想も、信念も、自分自身で考え経験したことだけが育むものだ。

 これ以上アンジェラを引き留める意義が見出せず、ミハイロヴィチは手を振って退出を促そうとした。上げかけた手は、しかし仮想視界にポップアップした緊急エマージェントニュースのスクリーンを、そのまま掴むことになる。

「アンドルブ私領に反体制勢力の襲撃があったようだ。これは……」

 記事をスクロールしようとした彼は、アンジェラが姿勢を崩さないことに気付く。

「……君も報道を確認してよい。以後、同様の事態があっても私の許可を待つ必要はない。情勢の変化に敏感であることは、警兵の務めだ」

「はい、邏将補閣下」

「『閣下』はよせ。同じ船に乗るのなら『艦長』で構わん」

「はっ」

 ここまで言ってようやく、アンジェラも仮想視界を開く。星系ネットから流れてくる情報を眼前の空間に投影し、テキスト、画像、動画、立体像を追っていく。スクロールのペースはミハイロヴィチより数段速い。補助脳の性能だけでなく、幼少時から仮想/拡張現実に親しんできた者の強みだろう。

 ミハイロヴィチは外星系の生まれであり、法定技術レベルが主星系よりも数段落ちる環境に育った。CJPOに入るまで、パーセプション・プロジェクターによる仮想現実インターフェースなど、触ったこともなかった人種だ。

 アンジェラ・カノーヴァは違う。経歴書によれば、生まれは図書館惑星〝ゴルデングローヴ〟、育ちは主星〝ハル・シオン〟。いずれも惑星全体が識覚パースネットに覆われている。彼女は補助脳を埋め込んだ幼少期からずっと、基底現実と仮想現実が当然のように混じり合う環境で暮らしてきたのだ。こと立体画素ソリッド・ピクセルの扱いにかけては、外星系出身の大人以上に熟達している面があった。

 記事の細部は読み飛ばしながら、ミハイロヴィチは要点だけを拾い上げていく。

 緊急エマージェントニュースの本体となる情報は、超光速回線で現地から送られたテキストデータである。超光速通信は高価な量子ビット束を消費して行うため、平文プレーンテキストより大きなデータの送受信には適さない。記事に添付されている動画などの大容量オブジェクトは、報道側であらかじめアーカイブしていた資料をかき集めてきたものだろう。

 最優先で見るべきは最新の情報のみ。記事の発信側もそうした需要は把握しており、リアルタイムの情報は仮想タグで強調表示させている。

「仕掛けたのは〝ザナドゥ〟か……アンドルブは現領主が我々CJPOを嫌っている。ゆえに常駐戦力は手薄だった。記事にある通り、作戦を指揮するのが本当にニコラス・ノースクリフ本人であるなら、長くは持つまい」

 アンジェラが手を挙げた。どうやら質問の許可を求めているらしい。

「ノースクリフは実在する個人なのでしょうか?」

 最新の記事が掲載する画像のひとつに、異様ないでたちの人物が映っている。顔全体を覆う鏡のような仮面と、黒灰色のインテリジェント・クロークで全身を隠した何者か。

 ニコラス・ノースクリフと、その男は呼ばれている。

 統一銀河連邦が、目下最大の脅威として百年来追い続けている革命家。彼と、彼が導く革命義勇軍〝ザナドゥ〟の台頭によって、この一世紀に銀河系のパワーバランスは大きく狂わされた。

「ふむ。マスクとマントで作り上げられた偶像ではないか、という説は根強い。同一人物なら推定二百歳……寿命延長技術があれば可能とはいえ、幾度かの代替わりを経ているとも噂されているな。

 だが、私はあれを実在するひとりの人間だと思っている」

「根拠をお伺いしても?」

「仮に複数の人間が作り上げた架空の人物なら、あれほどまでに果断なリーダーシップを、一世紀にわたる恒星間闘争の中でコンスタントに発揮し続けるのは不可能だからだ」

 あるいは希望的な観測かもしれないと、ミハイロヴィチは苦い自覚を弄んだ。もしノースクリフが個人でなく、反連邦勢力を糾合するために運営される何らかの偶像構築システムであるなら、統一銀河連邦にはそれを打倒する手段がない。

 ノースクリフはあくまでイレギュラーな突然変異の超人であり、斃してしまえば二人目は出てこない――と戦うしかないのである。

「艦長は高く評価しておいでなのですね。あんな子供だましの衣装を着込んだ、テロリストを……」

 アンジェラの口ぶりから察するに、エルフェンバインの軍事学科では、ニコラス・ノースクリフがここ数十年でどれほど連邦に煮え湯を飲ませてきたか、詳しいところは教えていないらしい。CJPOの華々しい敗戦記録を包み隠さず伝えては、せっかく最高学府の軍事学科に入ってくれた優秀な士官候補たちを、みすみす逃すことにもなりかねないからだろう。

 しかし、警兵となって前線へ赴くのなら、現実を知らねばならない。プロパガンダは戦場の外で打つものであって、敵を見極める役には立たないのである。

「高く評価――どころではないぞ、カノーヴァ三等哨尉。ノースクリフさえ倒せば、銀河系すべての反連邦運動が勢いを失う。倒せなければ、連邦はいずれ崩壊する。奴ひとりがどんな大軍勢よりも手強い、そういう相手だ」

「それほどまでの……脅威ですか?」

 ミハイロヴィチが頷く。裏付けるように、CJPOの内部ポータルに新たな速報がアップロードされる。

 アンドルブ私領、陥落の報だった。

「そんな、早すぎる……!」

「よく持った方だ。現領主グスタフ・アンドルブⅦ世は小心者と聞く。攻め込まれた段階で即時降伏しなかったのは、連邦へ義理立てするポーズに過ぎんだろう」

 ニュースフィードの続報は急激に減少し、情報統制が強く掛かり始めたことを暗示する。いずれは政府から正式に失地の報告があるだろう。だがそれは、敵の残虐さや卑劣さを喧伝するのに役立つ情報だけが選り抜かれ、CJPOの不甲斐なさを糊塗すべく仕上げられたプロパガンダ放送となる。

 間を空けず、アンドルブに常駐していたCJPOの艦隊が全滅したとの報告が入る。それを見たアンジェラの、制服に包んだ小さな肩が震えていた。

 敵の強大さの一端を目にして恐ろしくなったのか。ミハイロヴィチの推測は、仮想スクリーンに見入る少女の険しい表情に否定される。

 これは、怒りだ。

「またひとつの世界がテロリストの支配下に……市民がどんな目に遭うか、考えたくもありません。想像してしまったら、遠く離れた主星で何もできずにいる自分が、赦せなくなりそうで……」

「〝ザナドゥ〟は反体制派の中ではまともな方だと聞く。いたずらに民を苦しめるようなことはしないと、信じたいものだな」

な方? 禁制技術兵器を持ち出して、星間国家に攻撃を仕掛けて占拠するなんて、どんな意味でもまともな組織がやることじゃありませんよ!」

 思いがけぬ反論の激しさに、ミハイロヴィチは自分の言葉に配慮が足りなかっただろうかと省みる。しかしアンジェラはもう老将の方を向いていなかった。両手で顔を覆い、犯罪集団に支配された国の民を想って泣いている。

「わからない。どうしてこんなことができるの。どうして話し合おうとせずに、自分たちが制御できもしない力に頼ろうとするの……」

 そしてミハイロヴィチが最も驚いたことに、少女は上官の眼前でピルケースを取り出すと、青と白のタブレットをぽりぽりと噛み砕き、喉を鳴らして飲み込んだ。ここへ来る前に少なくとも一錠はっていたであろうにもかかわらずだ。

 さすがに、注意すべきだろう――大人としても、上官としても。ミハイロヴィチは咳払いで少女の意識を自分に向けさせる。

 主星の大学や企業なら許されるかもしれぬ。しかしCJPOは連邦最上位の強制執行機関であり、警察と軍隊の権能を併せ持つ強大な暴力装置なのだ。その構成員たる者、薬に頼らずとも己を律し得て当たり前ではないか。

「カノーヴァ三等哨尉、上官と話すときくらい、EAMの使用は……」

「あ、ごめんなさい、大丈夫です。艦長のせいじゃありません。それにこれ、ダウナー系のやつですから」

 薬効によって早くもけろりとしているアンジェラの笑顔に、今度はミハイロヴィチが頭を抱えた。

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