ハンス・フォン・ヴィンチェスター(1)

 ハンス・フォン・ヴィンチェスターは考える。いまこの車から飛び降りれば、父にどれほどの動揺を与えられるだろうと。

 さしたる熟考も必要とせず、結論はすぐに出る。

 父、オットー・フォン・ヴィンチェスターは息子の墜落死を聞き、ひとこと「そうか」と呟くだろう。そして数秒の黙考を経て、秘書に告げるのだ。「CJPOに連絡を入れろ。〝ストームブリンガー〟の試験機操手エグザクター使なったので、代理の者を派遣する、と」

 それで終わり。あるいは、ハンスへの悪態が続くかもしれない。どこまで使えん奴だ、なぜ生まれてきたのだ――云々。

 自嘲的な空想を鼻で吹き消し、ハンスは後部座席の車窓から、都市上層の尖塔群を見下ろした。

 連邦主星〝ハル・シオン〟の陸地は、大半が都市構造体に覆われている。大きいもので地表から六千メートルの高度に達する、重力工学的ビルディングの樹海。立ち並ぶ巨塔を結んで歩行者用の道路網が張り巡らされ、車はそれらの隙間を縫って飛行する。ハンスが乗っている自家用斥力駆動機リパルサー・クラフトもその一台だ。

「車ってさ」ハンスが幼いテノールで呟く。

「昔は地上を走ってたらしいよ。車輪で」

 前席に座る男の逞しい肩が揺れる。浅黒い笑顔が振り返った。

「またまた。お坊ちゃまは冗談の発想が奇抜でいらっしゃる」

 笑って取り合わない〝運転手〟に、ハンスは舌打ちで応えた。

 車がかつて地上を走る乗り物であったというのは、冗談ではない。前日の夜、眠るハンスの頭に識閾下学習装置サブリミナル・エデュケーターが叩き込んだ、遠き地球時代アース・エイジの歴史的事実である。

 当然、地上車にはリパルサー・クラフトや旋翼機ジャイロモービルのように三次元的な動きはできない。二次元の面上、それも多くは舗装された狭い道路上のみが、原始自動車の活動領域だった。昨日までのハンスにも考えられないような話だから、運転手の反応はある意味で常識的と言える。車ごとに文字通り人間の運転手ドライバーがいて、そいつらが勝手に動こうとする状況で、いったいどうやって道路交通網を成立させていたというのか?

 いま、車といえば自動操縦で動くものだ。その運行は主星全域を覆う交通管制システムのネットワークに統御され、車に乗り込む人間は仮想コンソールから目的地を入力するだけでよい。車両同士はネットワークを介して彼我の位置・速度・飛行ルートを共有し、相互に衝突や渋滞を回避するよう最適なコースを選びながら飛ぶ。運転手の出番などは、事故や通信障害によりマニュアル操縦が必要となったときにしか、来ない。

 ハンスは鬣のような白髪を揺らし、嗤った。

「バァカ、地球時代アース・エイジの話だよ。車が空を飛ぶようになっても、どうしてか車は車だった。宇宙船が〝船〟なのと同じように、飛行機の一種じゃなく、地上を走っていた車って乗り物の子孫とみなされ続けたんだ。こんなことも知らないのか? 車のことはおまえの職掌だろう?」

 一夜仕込みの知識をひけらかし、立場上自分に口答えできない年長者を嘲ることで気晴らしをする。そういう己を客観視する視点は、ハンス・フォン・ヴィンチェスターにはまだない。

「あぁ、なるほどぉ。自分は歴史に明るくないもので……博学でいらっしゃいますな、お坊ちゃまは」

「その呼び方をやめろ。木偶の坊め。ぼくが十二歳の見た目をしているからといって、扱いまでそんな歳の子供と同じでいいわけはないだろう」

「……申し訳ございません」

 実年齢が二十一でも、ハンスの見た目は細面の美少年である。ファミリーマークである人工形質、〈眩雪スノーブライト〉と称される白髪の非現実的なきらめきも手伝って、凄んでみせたところで迫力などあったものではない。が、ひとまず運転手は黙った。

 ほとんどお飾りに過ぎぬ人間の専属ドライバーを自家用車に乗せることには、家の経済力を示すステータスシンボルとしての意味合いがある。それ自体はハンスとて当然のことと受け容れている。が、運転をしないのならせめて、乗客を退屈させない程度の会話ができる機知は必要であろう、とも思う。そうでなければ、ヴィンチェスター家がこの男に支払う俸給とは、しょせん無駄金ではないか。

 公平に見れば、運転手には運転手なりの得意分野があり、ただそこに車の旧い歴史に関する知識が含まれなかっただけの話である。人間がしょせん万能にはなれぬ、という現実を知る大人にはわかることだ。

 しかしハンスにそのような見かたはできない。父親への反発心が巡り巡って、彼の雇い入れた運転手を無能と断じる浅慮に繋がっているのだ、などと自覚することも当然ない。

 これには父オットーの過失もあった、と言えよう。

 

「死んでも機体は無事に帰せ」

 それが、新型シングラル〝ストームブリンガー〟の実戦試験機操手エグザクターとしてCJPOへ派遣されるハンスに、父が投げた言葉だった。

 父が自分に期待していないことは知っていた。政財界で活躍する優秀な兄姉らと比べ、ハンスには誇れるような特技も才覚もない。お荷物の末弟。名家に生まれてしまった凡夫。そう呼ばれることに慣れきっていたし、むしろ気楽な立場でいいとさえ思っていた。

 それでも、自社の新製品のほうがおまえの命よりも大事なのだと実の父に言われれば、息子が傷つかぬわけはなかった。

 ヴィンチェスター・クリークス・マティーリエ――銀河系第二位の巨大軍事企業。ヴィンチェスター財閥の中核を成すホールディング・カンパニー。父はその最高経営責任者CEOであるのだから、会社の利益を考えるのは正しい。それはハンスにもわかる。

 が、そうであるからといって父親の非情さを赦すことができないのも、親子という繋がりの因果である。

「あんたにとってぼくは、CJPOメガリスと安全保障理事会の信用を買うために差し出す人質でしかない……そうなんだろ、父さん」

 父親の前でそれを口に出す勇気は、ハンスにはなかった。

 基本的にエグザクターの仕事といえば、新型シングラルの専属アクターとして戦地に赴き、実戦プレゼンテーションを行うことだ。

 試験機が戦場で有用性を証明すれば、メーカーには様々な顧客からの注文が舞い込む。かくして試験機の戦闘データをフィードバックした正式ロールアウト・モデルの機体が生産ラインに乗り、武器商人は利益を上げることができる。

 特にいまは、連邦安全保障理事会が開く次期主力機選定キャンペーンの期間中である。売り込んだ機体が仮にCJPOの次期主力機として制式採用されれば、その製造元は一気に軍需産業のトップに躍り出ることとなろう。現主力機〝グラディウス〟の開発企業、ハーディマン・インタープラネタル・ロボティクスがそうであったように。

 しかるにエグザクターの責任は重大である。戦果を挙げねばプレゼンにならないから、腕利きのアクターが選ばれる。それは名うての傭兵であったり、自社製品を扱うべく特別に訓練された社員であったり、CJPO高官に鼻薬を嗅がせて指名した正規警兵のエースであったりする。

 ハンスはそのどれでもなかった。シングラル・アクターとして、それどころかいかなる兵器も扱ったことのない、実戦経験ゼロの素人。そこにこそ、オットー・フォン・ヴィンチェスターの販売戦略がある。

「お前がやることはたったの三つだ。戦場へ出る。敵を捕捉する。攻撃コマンドを出す。以上。あとは機械がやってくれる。

〝ストームブリンガー〟の性能を信じろ。素人でもこれだけやれるのだ、ということを示せ。あれは、そのために作られた機体だ」

 あえて素人をエグザクターとすることで、昨日までただの市民だった人間が乗っても即戦力となり得る機体であることをアピールする。自社の技術力に絶対の自信を持つからこその、奇策だった。

 そしてハンスの分析もまた、正しい。

 素人をエグザクターに据えるというだけなら、ハンスがその任に就く必然性はない。不出来な末弟とはいえCEOの息子、ヴィンチェスター財閥の御曹司がわざわざ貸し出されるのには、会社が連邦の信用を得るための人質という側面が確かにある。

 いまや反体制勢力と密通する企業は少なくない。次期主力機の受注を狙うのなら、連邦議会や安保理に対し、ヴィンチェスター社が今後も体制に恭順し続けることを確約してみせねばならない。

 その担保となることこそ、ハンスのもうひとつの使命。娘や妹を嫁がせることで同盟国に友好を証した古代の王侯と、発想のレベルにおいては変わるところがなかった。

 それが現に一定の効果を発揮してしまうのは、統一銀河連邦の前時代性というよりむしろ、人類が地球時代アース・エイジより墨守してきた〝家族〟なる概念が持つ、根強い血の魔力であったと言えよう。

「ぼくが死んでも、父さんはそれを政治的に利用できる……ひょっとしたら、充分に〝ストームブリンガー〟の性能をアピールできたあとなら、死んでくれた方が好都合とさえ思っているんじゃないのか……」

 そのような猜疑を捨てきれないまま、ハンスは家を出た。息子の出立を見送りもせず、いまもCEOの職務に追われているのであろう父。ハンスと同じ矮星族の幼い顔に、いつも冷徹な大人の表情を張り付けているあの男。

 ――父さんは、ぼくを愛していないんだな……。

 ハンスは己のセンチメンタリズムを嗤った。そして、そういう父の命令に従ってノコノコと戦場へ出ていく自分を、二度嗤った。


 ハンスを乗せた車は大気圏を抜けてなお上昇し、第二軌道リングの軍港に向かう。安物のジャイロモービルでは成し得ない、宇宙空間への直通運転。気密されたリパルサー・クラフトには、それができる。

「派遣契約書の認証完了、入港の許可が出ました。お坊……ハンス様、降りるご用意を」

「ご苦労。座っているだけじゃあ尻が疲れただろう。帰りは軌道エレベーターを使ったらどうだ? あれなら立って歩けるスペースがあるぞ」

 ハンスの皮肉に気付く様子もなく、運転手は人の好い笑顔で頷いた。

「そうしましょうかねえ。この車は運転席の乗り心地も最高ですが、身体が鈍ってしまってよくないですからな」

 愚鈍者め。ハンスは運転手の存在を認識の外に締め出した。パーセプション・プロジェクターを起動、仮想視界に目的地の情報を呼び出す。

 試験技術運用艦〝テオフラスト〟。

 車を誘導するガイドポインターの緑光が向かう先に、ハンスは何の興味も持ち得なかった。船など如何でもいい。乗せられる機体のことも詳しくは知らない。電子マニュアルは渡されていたが、無味乾燥なテキストの羅列に、一ページ目で読む気が失せた。

 それでもエグザクターとして戦地に赴くことを決めたのは、まったく個人的な理由に過ぎない。

 補助脳のメモリから画像アルバムを引き出し、閲覧モードを自分のみプライベートにして開く。彼にしか見えない過去の断片が、広い車内を埋め尽くすように漂う。

 それらは個人撮影された写真。どの画像にも同じ女性が写っている。隣にハンス自身が写っているものも多く、二人が幼い時分に撮影されたらしい場面もあった。ハンスの肉体が成長を止めるより前の写真だ。

 彼女とは久しく会っていない。親が決めた許嫁以上のものに発展しかけた二人の関係は、互いに大学へ入りたての頃、ハンスが捨てられる形で一方的に終わった。

 ――あたしより弱い男が、偉そうにするんじゃない。

 いまも痛むその言葉。叩き付けるような拒絶を残し、彼女は星々の彼方へ去って行った。

「……ローザ」

 ハンスの口から、ひとつの名がこぼれる。それは写真の女。かつての、彼の許嫁。

 いまは革命義勇軍〝ザナドゥ〟でシングラル・アクターをしているという、女の名だった。

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